第5話;重ねる嘘

 結局、夕方前に妖精を見つけ出す事は出来なかった。


(まぁ…当然の結果なんだけど…。)


 挨拶があった場所に足も運べす、時間切れが来たのだ。


(いや、それ以前の問題だって。)


 次、妖精が挨拶をくれる前に、小百合ちゃんは方向感覚を養うべきだ。


(分かってる。それ以前の問題だと言う事ぐらい…。)


「お兄ちゃん…帰ろうか…?」


 彼女が残念そうに、顔を下に向けて呟く。


 「妖精さん、今日も見つからなかった…。」


 続く言葉も暗く、重たげな響きだ。朝からの冒険に疲れたのだろうか、以前、門限の事で叱られたからだろうか?それとも…ドラゴンに怯えているのだろうか…?


 それにしてもこんな途方もない遊びを、2年以上も続けている事には驚かされる。たまにしか相手になれない僕や他の人にとっては良い息抜きになるかも知れないけど、彼女の忍耐力には感心させられるばかりだ。

 手を握り、『また今度、妖精さんを探しに行こう』と、『その時は、見つかるはずだ』と慰める。それと同時に、(こんな冒険を、続けたままで良いのだろうか?)とも考える。いつかは彼女に、本当の事を教えてあげないと…。『妖精なんて、存在しないのだ』と教えるべきなのだ。



 人は…いつからサンタクロースがいないと思うのだろう?いつからサンタクロースが、現われなくなるのだろう…?

 お前は突然、何を言い出すのだ?と思われるけど、彼女にとっての妖精と、他の人におけるサンタクロースの存在は似ている。最初から信じていない人(は…流石にいないか…)、自ら悟った人、年頃になって両親から教えられた人、テレビや雑誌で事実を知った人、友達と相談して多数決で決めた人…様々だろう…。

 僕の場合を考える。はっきりとは思い出せないけど、近所の苛めっ子に教えられた。否定されるように『いない』と断言された。最初は反抗して、彼の言葉を信じなかったはずだ。それがいつしか同い年の友達の意見も変わり、テレビの影響もあったのかも知れない。知らない内に、サンタクロースはいないと断言出来るようになっていた。それでも数年はクリスマスの朝、枕元にプレゼントが置かれていた。両親に『サンタが来た!』と、喜んだ振りをした。弟達が、まだ幼かった事が理由だ。

 そして…思い出した…。とあるクリスマスの朝、プレゼントを手に両親に『ありがとう』と言った。すると次の年から…サンタクロースは僕の下には来なくなった。




 下山は楽だった。山からではなく、路面に出てから家を目指した。小百合ちゃんは意義を唱えなかった。ただ、ずっと暗い表情を変えなかった。

 僕は彼女に、『妖精は遅い時間に遊ぶ子が嫌い』と嘘をついてしまった。ドラゴンの話で怯えさせた。暗い顔の理由が、門限である事を切に願った。


 そろそろと、知っている風景が近づく。夕焼けも本格的な色になり、それでも30分後には帰れそうだ。彼女の母親に叱られる事もないだろう。それなのに、少し急ぎ足で家に向かう僕がいた。


「ねぇ?お兄ちゃん!」


 歩くのが早過ぎたのか、彼女が呼び止める。


「あっ、ご免ね。ちょっと早かったかな?もうちょっとだけ、ゆっくり歩こうか?」


 返事をすると、彼女は大きく首を横に振った。


「お兄ちゃんは、妖精さんに会ってたんだよね?」

「………。うん?」


 この時、僕はまだ自分がついた嘘の重さを知らずにいた。



マンションに到着。既に外灯は灯っていたけど、うっすらと夕焼けが残っていて、門限ギリギリって感じだ。

 彼女の質問からここに到着するまでの間、僕は嘘を貫き、また、要らない嘘を重ねていた。妖精とは、昔の家の側にある川辺で会っていた事、晩じゃなくて、夕方に挨拶をくれた事、家族や友達は会えなくて、僕1人で会ってた事、そして…晩に会いに行って怒られた事…。それ以来…妖精が挨拶をくれなくなった事。


(………。)


 全部が嘘だ。家の周辺には川どころか、街路樹以外の緑がなかった。蒼い光なんて見た事もないし、妖精に怒られた事もなければ、会った事もない。家族や友達は会った事がないと言ったのは、彼女が僕の家族に会った時、変な話をされると困るから思いついた嘘だ。妖精の姿などの、具体的な話はしなかった。出来る訳がない。拾った枝のせいだ。彼女はあの枝を妖精の杖だと言い、その歪と言える形のせいで彼らの姿を想像出来なくなってしまった。


 17階で降り、小百合ちゃんの家に向かう。彼女がリュックを下ろし、家の鍵を取り出した。


「ただいま~!」


 そして玄関を開けると、大きな声で家の中に入って行った。


「………。」


 呆気に取られ、玄関前で棒立ちする。このまま帰った方が良いのか、家にお邪魔した方が良いのか?

 すると彼女は閉まった玄関の扉を開き、不思議そうに僕を見た。


「どうしたの?中に入らないの?」


 突っ立っていた僕だけど、お呼ばれに預かったところでまた悩んだ。彼女の母親は、体調が宜しいのだろうか?同年代の、知れた友達、知れた親がいる家にお邪魔する訳ではない。しかし小百合ちゃんは考える暇をくれず、僕の手を掴んで家の中へと促した。

 引っ張られて応接間まで行くと、母親がそそくさと人前に出る準備をしていた。小百合ちゃんほどの背丈の鏡の前で、手櫛で髪を正していた。僕は、色んな意味で緊張した。


「あっ…。今日は、本当に有難う御座いました。」


 鏡に映る僕に気付いた母親は慌てて手櫛を止めて服を正して立ち上がり、頭を下げてくれた。その姿を見て、何かが少し解けた。彼女の、人間らしい部分を見た気がした。僕も合わせて頭を下げた。挨拶でもあり、お礼でもあり…まだ解けない警戒心でもあった。

 テーブルの椅子に座ると、母親はお茶を出してくれた。その間に小百合ちゃんは自分の荷物を片付けていた。お弁当箱を洗い、ランチマットを洗濯機に放り込み、他の荷物は寝室へと運んだ。相変わらず、見た目と実年齢のギャップに惑わされる。彼女は既に小学校高学年で、身の回りの事ぐらいは1人で出来るのだ。


「今日は妖精さん、見つかりましたか?」


 母親はお茶を出し終えると、そう話し掛けてきた。正直、いらっとした。それと同時に小百合ちゃんがテーブルに着く。反省し、慌てて頭の中を『小百合ちゃんの夢を守ろうモード』に切り替えた。


「いや…なかなか見つかりませんね。手掛かりになるものは色々と見つかったんですけど、肝心の妖精は結局、姿を見せてくれませんでした。」


 頭を切り替えるのが難しかった。顔も、そんな表情をしていたに違いない。


 僕の言葉に、小百合ちゃんが思い出したように声を上げて今日の出来事を報告し始めた。四葉のクローバーの集落を見つけた事、そして、妖精の杖を見つけ出した事。母親は小百合ちゃんの頭を撫でながら、我が子の報告を聞いていた。だけど杖の話を耳にした時、見覚えがある表情を浮かべて小百合ちゃんを叱り始めた。


「妖精の杖は、持ち帰ってはいけません。忘れ物ではなく、そこに置いている物なのだから、小百合が持っていると妖精さんが困ってしまうでしょ?」


 叱られた小百合ちゃんは下に顔を向け、悲しそうな顔をつくった。そして数秒後、目線だけを僕に合わせた。


「あっ…済みません。僕がそうしようって言ったんです。もし妖精に会えたなら、その時、直接渡してあげようと…。」


 僕もばつが悪い顔になる。目線だけを小百合ちゃんに向けると、彼女は笑ってくれた。


「あら…そうでしたの。それはそれは…。でもね、博之さん。覚えていて下さい。妖精は人と違い、『しまう』や『片付ける』と言った概念を持ちません。妖精同士で物を盗み合う事もないので、隠す事も知りません。だから彼らの物を見つけても、動かさずに、そっと元の場所に戻してあげて下さい。」

「………。」


 僕も説教された。小百合ちゃんを叱る口調で叱られた。


「…気を付けます。」


 小さな声で答える。でも頭の中に『反省』の2文字はなかった。母親の話が、演技なのか本気なのかを探っていた。彼女がこう言った口調で話す時、改まった口調で、低いトーンでゆっくりと何かを話す時、真剣そのものの声が伝える内容は現実離れしている。

 心の中で、(交番に届けなかっただけましだ)と思った。ただ、それでも彼女の言葉を否定出来ない僕がいる。語る事全てがでたらめだとしても、その中に筋が通る部分がある。矛盾がなく、合理的な理由があるのだ。それが僕を惑わせていたのかも知れない。


 叱られた反省からか、ただただ唖然としていただけなのか…。僕は黙り込んでしまった。それに気付いたのかどうなのか、小百合ちゃんが次の話題を持ち出した。


「ねぇ、お母さん!お兄ちゃんはね、昔、妖精さんと会ってたんだよ!」


(!?小百合ちゃん!今、その話は駄目!)


 しかし新しい話題に僕は再び、今度はさっきよりも遥かに長い、凍ったような時間を体験する事になった。

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