第24話特製パンナコッタ(前編)
その変わったお客様が訪れたのは、ある日の昼下がりのことでした。
いつものように、業務に勤しんでいたそのとき。
チリン。
と音がして、一人のご老人が来店されました。
おじいさんです。
「いらっしゃいませ」
「…………」
お出迎えをすると、そのおじいさんは、私をじろりと見るなり、
「甘くない菓子を食いたい」
と仰いました。
「甘くない……ですか」
「そうじゃ。特に、砂糖を使ってない菓子を食いたい」
お砂糖を使わない――。
私は困りました。
大抵のお菓子には、お砂糖は付き物です。
それを使わずに、しかも甘くないものとなりますと……、それをお菓子といえますかどうか。
「なんじゃ、表の看板にはそう書いてあったじゃろうが」
「え?」
「しゅがあ、というのは砂糖のことじゃろう。のん、しゅがあ。砂糖を使わない、という意味ではないのか」
「あ、あの。お店の名前については、私が決めたわけではなくて……」
「何でも良い。とにかく。わしは砂糖を使わず、甘くない菓子を食いたいのじゃ! それを一つ、よろしく頼む」
頼まれてしまいました……。
頑固そうなおじいさんです。あまり、お話を聞いてくださる雰囲気ではありません。
断じてゆずらぬ、というように、腕組みをしてじっと座られております。
こうなっては仕方がありません。
砂糖を使わず、甘くないお菓子。
一つ、用意しようではありませんか!
***
厨房に戻り、さて、もちろんレシピそのままでは、おじいさんの要望する条件を満たすのは難しそうです。
少しアレンジを加えましょう。
まずはゼラチンを水でふやかします。
お鍋に牛乳、バニラビーンズ、そして本来はここでお砂糖を加えたいところですが……、そこをこらえて、隠し味程度に蜂蜜をたらします。甘くならないよう、ほんの少しだけ。
弱火にかけたら、沸騰直前に火を止め、ゼラチンを混ぜながら溶かしていきます。
生クリームとラム酒も加え、よく混ぜます。
火からおろし、軽くとろみがつくくらいまで氷水で冷やしたら、容器にいれ、冷やし固めます。
これで出来上がり。
さあ、お客様にお届けしましょう。
***
「お待たせいたしました」
「む……」
「特製パンナコッタでございます」
お客様にお出しすると、なぜかまじまじとお皿を見つめられました。
お皿の上には、白くぷるんと盛られた小山。
その周りに、お砂糖を使わずに、イチゴの果汁を煮詰めたソースをあしらっています。
お客様は、それを見つめ、なにやら懐かしそうに目を細められたあと、パンナコッタをひとさじ、すくいました。
そして一口召し上がると――。
「!」
驚いたように目を見開かれ。
二口。三口。
続けて召し上がられた後。
しばらく目を閉じました。
そして、その目から涙が一筋、こぼれおちたのです。
「お、お客様!?」
一体、どうしたのでしょう。
なにか大変な失敗を、してしまったでしょうか?
涙を流すほど、私のお出ししたものは不味かったのでしょうか?
おろおろとうろたえる私。
しかし、その心配は、お客様の一言によって無用のものとなりました。
「美味い……」
美味い。
聞き違いでなければ、はっきりとそう聞こえました。
お客様は涙を流しながら、一さじごとに、噛みしめるようにして召し上がられています。
どうやら、味については、お客様にはご満足いただけたようです。
では一体、お客様の涙の理由とは、果たしてどうしたことでしょうか?
***
『異空菓子処 ノン・シュガー』
その看板を見たとき、久しく食べていなかった甘味への欲望が、こんこんと湧きあがるのを感じた。
もともと、甘いものは好んで食べていた。
小豆の形をなるべく残し、つぶつぶとした食感を楽しめる、優しい甘さの荒い粒あん。
淡い桃色と緑の対比も美しい、桜の葉のしょっぱさとあんの甘みのバランスが絶妙な桜もち。
四季折々を彩る和菓子は、生活をうるおしてくれる楽しみの一つだった。
だが、ある出来事を境に、今後は一切甘いものは食べるまいと心に決めた。
それから菓子といえば、もっぱら煎餅や乾物など塩気のあるものばかりだ。
味気ないといえば嘘になる。
以前のように心ゆくまで甘味を味わいたいという思いもないではなかった。
ただ、菓子断ちをした理由を思えば、我慢することができた。
それでも、この店の前に立ったとき。
ここなら。
砂糖を使わない、甘くない菓子なら。
食べても、許されるのではないか。
そんな思いにかられて、気付けばその扉をくぐっていた。
奇妙に幼い店主の姿も、その時は目に入らなかった。
くだくだと述べておった言葉も、耳には入らなかった。
ただ、今は菓子を食べたい一心で、わしはその一皿を待った。
そして出てきた皿を目にして、思わずわしの顔はほころんだ。
つるりとして、丸っこい、真っ白なかたまり。
それは、寒い雪の日に、あいつが作っていた雪の兎を思わせた。
(いやはや、懐かしい……)
そう思いながら、匙をゆっくりと差し込む。
(周りにあしらっているのは、いちごか何かの果汁か。本体は真っ白だが、はたして、いかような味だろうか……)
それは、もっちりとした弾力を跳ね返しながら、その身に匙を沈めた。
すくえば、匙の上でふるふると震える。
(いかにも、柔らかそうだ)
意を決して、ぱくりと口に含む。
(おおっ! これは……。何と滑らかな……)
ひんやりとよく冷えたそれは、つるりと舌の上をすべり、かめばもちっと歯ごたえを返して、口内ですうっととろけてゆく。
(そしてこの、風味豊かなことよ……)
甘くはない。決して砂糖の甘みはないのだが、しかし新鮮な牛の乳の鮮やかな風味、そして素朴な自然本来の甘さが口いっぱいに広がる。
ごくわずかに感じる、花の蜜と洋酒の香りも、脇役として見事に華を添えている。
「美味い……」
思わず、口に出していた。
添えられている果汁を絡めて食べてみると、その酸味がまた白いものの風味と引き立てあい、別の美味さを生じる。
(ああ……。美味いと感じてしまった。わしは、もう二度と、菓子の美味さを感じてはならぬと、心に決めていたのに……)
自分を、そしてあいつを裏切ってしまった。
その思いから、自然と溢れ出る涙を止めることができんかった。
涙を流しながら、私はその一皿を、ゆっくりと食べ続けた。
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