第二十五話

 ネミールが名前を呼んだとき、ネルゴットは顔に散った血を気にする暇も無く、剣を振るい続けていた。周囲からは農具を持った男達と、粗末な鎧を着た傭兵達が次々と襲いかかってきていたのだ。

 先ほどの魔法で空けた穴は一瞬で人に埋め尽くされ、前進することもできない。ネルゴットの部下の騎士たちも必死で抵抗しているが、倒しても倒しても出てくる敵に疲労が限界に近い。ネルゴットは魔法の使用でさらに深刻な状態だ。気を抜けば魔法が消えてしまう。

「ネルゴット様、このままではっ!」

 ネルゴットは歯を噛み鳴らす。顔に噴き出している汗を不快に感じながら、苛立ちがその目からあふれ出していた。横から襲ってきた傭兵を、八つ当たりのように叩き斬る。

 絶え間なく降り注ぐ矢の雨を、憎しみを込めて見上げる。頭上を炎の鳥が塞いでいるおかげでネルゴットに矢傷は無いが、それによって少なくない損害が出てしまっていた。

「敵が多すぎるわっ……!」

 前方と左右をイヴュル帝国の敵に遮られ、後方も仲間の騎士たちがひしめいていて確認できない。なのでネルゴットは傭兵達がネミールによって攻撃されている事を知らなかった。魔法の爆発音も周囲の喧騒で耳には届いていなかった。

「どうにかしてこの状況から抜け出さないと……!」

 ネルゴットの心を死の絶望が徐々に侵略していく。

 こうして彼女を追い詰めているはずの者はというと、そんな事など知らず突如現れた炎の鳥の大群によって焦燥と混乱に襲われていた。

「何をやっている! はやくあの娘を殺すのだ!」

 差し向けた騎兵が次々と返り討ちにされ、彼らを振り切り逃げだしたエイン達へザリーヌはさらなる騎兵を投入した。すでに主力だった傭兵達はほとんどが逃げ出し、エル地方領の騎士達が反撃を始めようとしていた。傭兵達がいなくなれば、ザリーヌ達と戦力が拮抗してしまう。彼は、殺せ殺せと部下達を怒鳴ることしかできなかった。

 戦場から一歩後方へいたイヴュル帝国の指揮官マルヒンも狼狽した声をあげていた。

「なんだあれは?」

 離れた場所にいたため、ネミールの魔法である鳥の大群を確認できたマルヒンは呆けたような声を漏らした。

 距離があるので頭上を飛び回り傭兵達を追い散らす鳥の群れは、ただの巨大な炎にしか彼には見えなかった。それがネミールの魔法だと理解できるはずもなく、ただ混乱する。わかるのは、挟撃している味方が攻撃されているということだけだ。このままではネルゴット達の逃亡を許してしまう可能性がある。

「もっと矢を放て! 前進するぞ!」

 マルヒンはできれば高みの見物で、捨て駒の農奴と傭兵たちや弓兵部隊で倒せれば最良だと考えていた。しかしそうも言っていられない状態だ。

「総員突撃準備! 敵を殲滅するぞ!」


 ネミールは空を飛ぶ鳥の視点で戦場を見た。母親と違い鳥の移動できる距離はかなり広いため、ほぼ全ての光景が見えていた。その中に、赤い色を発見する。それはネルゴットのマントだった。城を出発するその背中をずっと見続けていたネミールなので、見間違えるはずが無かった。

「エイン! お母様がいたわ!」

 その声に返事をできる状態ではなかった。後ろから騎士達が追いついてきていたのだ。エインは振り向きざまにナイフを投げた。馬に乗っているというのに、難しい背後への投擲を簡単に行う。狙いは外れず、騎士は落馬する。しかし数が多い。

「エインどうしよう! お母様、敵に囲まれてるわ! 顔も辛そう……」

 エインは馬を走らせながら戦場を観察する。とにかく敵の数が多すぎた。左翼にいた傭兵達は姿を消したが、右にもいくらか傭兵達が存在する。そして一番問題なのがイヴュル帝国側の人数だ。騎士達は後方にいるため数は全く減っていない。それだけで最初のネルゴット達と同じ数なのに、人の壁である農奴と傭兵がまだ多数存在していた。半分以上は残っているだろう。このままではネルゴット達が押しつぶされてしまうのも時間の問題だ。

「魔法で攻撃したいけど、お母様まで巻き込んじゃいそう……」

 ネルゴットの周囲は隙間無いほど敵が密集している。彼女に襲い掛かる敵を排除しようすればその爆発の被害を受けてしまうかもしれない。

 ネルゴットが火炎弾を発射した。とにかくこの密集地帯から抜け出すための道を切り開こうとしたのだ。しかし爆発で空いた穴は、一瞬で人の群れで埋められてしまう。

「お母様が魔法を使った! あ、そんな……すぐに敵が来て……逃げてお母様!」

 聞こえるはずの無い悲鳴混じりの警告。それでもネルゴットは襲いかかって来た敵を切り伏せる。ネミールは胸を撫で下ろした。しかし敵はいくらでもいる。

「死ねえっ!」

 エイン達へ追いついてきた騎士が剣を振り下ろす。エインはナイフで滑らすように攻撃を横へ流し、騎士の太ももへナイフを突き立てた。悲鳴をあげるとその姿は遠くなる。

 後方を確認すると、名十人もの騎兵がエイン達を追いかけていた。鋭い殺意が二人の体を貫いている。騎士たちとの距離は徐々に縮まっていく。囲まれるのも時間の問題だ。

「ねえ。傭兵達はもういない?」

「う、うん。ほとんど逃げていったよ。残ってる人たちも、騎士の人たちがやっつけてる」

「よし。それじゃあ、僕達を追いかけている騎士をやっつけて」


 追っている馬が徐々に近づいてくる。もう少しで剣が届く。その瞬間を想像して舌なめずりをしていると、不意に頭上に気配を感じた。馬を駆る騎士は顔を上に向け、口を開け た。それから何を言おうとしたのか知ることはできなかった。

 背後から爆発音が響くと背中を衝撃波が叩き、エインは振り向く。地面に投げ出された馬と人間の姿がいくつもあった。火炎弾の直撃を受けた馬と騎士は、一塊の黒い炭だ。

 生き残った騎兵達も無事ではすまない。爆発音に驚いた馬は暴れ、大きく立ち上がった拍子に何人かの騎士は投げ出されている。他の騎士たちも頭上を旋回する炎の鳥の大群に狼狽し、悲鳴をあげて逃げ惑う。

 遠くなっていく騎士達の姿を肩越しに見て、もう追って来れないことを確認するとエインは顔を前に向けた。少し安心する。すでに投げナイフは使いきり、あるのは普通のナイフだけだ。さすがにこれだけで剣や槍と戦うのは、エインでも難しい。

「やったね」

「うん! でも、お母様が……」

 ネミールが不安そうに言う。エインはネルゴットがいる炎の巨鳥が浮かぶ場所を見た。人の数が多すぎて、彼女の姿は見えない。

 エインはあの場所へ行くにはどうすればいいのか考える。あの数を一度に排除するのは不可能だ。ネミールの魔法でも数十人程度しか攻撃できない。それでも連続で何回も撃ち込めばそれも可能だろう。しかし魔法には回数制限がある。すでに数回火炎弾を使っているネミールは、顔を汗が濡らして辛そうにしていた。あと何回使えるかわからない。

 敵集団に一度火炎弾を放ち、その隙間から入り込んで突破するのはどうか。そんなことは不可能だ。入ったところで周囲を埋め尽くす敵にすり潰されて終わる。あの人数に対して多少の損害を出したところで意味が無いのだ。

 脳裏に飛び回る鳥の群れに逃げ回る傭兵達の姿が浮かぶ。一回であれだけの混乱を生み出せればいい。そのためには広範囲に被害を与えなくては駄目だ。

「一度に多くの敵へ攻撃するには……」

 エインは頭上を飛ぶ鳥の群れに視線を向ける。あの火炎弾は千羽を超えるかもしれない数の鳥が、一斉に火を放つことであの威力となる。しかしいくら威力があってもたった一発では敵を壊滅できるわけがない。あの小鳥が一羽ずつネルゴットと同じ威力の火炎弾を放つことができるならば、それは可能かもしれないのだが。

「……一羽ずつ攻撃できれば?」

 エインの頭にある考えが閃く。そして、ネミールへ問いかけた。

「ねえ、あの鳥を群れじゃなくて、一羽ずつ操ることってできるかな」


 ネルゴットはすでに体力の限界だった。苦し紛れの魔法はやはり効果が無く、数十人の敵を葬っただけに終わる。突破口が見えなかった。

 また仲間の悲鳴が上がる。ネルゴットの周囲は騎士達が必死で守っているので敵が接近することは多くないが、敵の群れと接している場所は血で血を洗う状況だ。

 ネルゴットの上体から力が抜け、体が傾いて落馬寸前となる。そこで意識を取り戻した彼女は慌てて体勢を立て直した。すでに意識は半分朦朧としており、魔法を維持しているだけでも驚異的な精神力といえる状態だ。

「ネルゴット様!」

 また意識が飛びそうになった時、騎士の叫び声でネルゴットは目を開いた。敵の傭兵がすぐそこまで武器を構えて肉薄していた。手に持った剣を構えようとするがやけに重く、腕が鈍重にしか動かない。

 叫び声をあげて走りこんでくる傭兵を見て、ネルゴットは死を悟る。心の中で夫と娘に 謝罪の言葉を口にした。そのとき視界を何かが横切った。その瞬間、傭兵の頭が燃えあがる。ネルゴットは驚き、傭兵は悲鳴をあげて頭を抱えながら地面を転げまわった。

「一体何が……?」

 その様子に目を奪われたネルゴットの顔の横へ、小さな影が頭上から舞い降りた。

「えっ、この鳥は……まさか、ネミール?」

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