拝啓 闇の中から光が見えた(Cパート)

 ドモンの持ち場は、西地区にある自宅近くの自由市場・ヘイヴン周辺にある。ここは、どのような素性のものであろうと、売り上げから数パーセントの税金さえ納めれば、露店を出すことができる特別区だ。まさしく商業自由地区ならではの制度であり、イヴァンを訪れる観光客、旅人、傭兵、行商人は決まってここを目指す。立派な観光スポットの一つだ

 だがそれだけ自由が多いということは、法の抜け道も多く存在するということだ。違法とされている物の取引、窃盗に詐欺、犯罪行為はごろごろしている。そういうところを白いジャケットを羽織った憲兵官吏が歩き回るだけでも、治安維持のための抑止力となりうるのだ。


「旦那、いい天気ですねえ」


「二本差しの旦那、リンゴどうすか」


 ドモンは憲兵団に入団して十年を超える。入団当初からこの辺りを任されているので、多少は親しみを覚える者も多くなってきた。もちろん、ドモンという男の存在は、彼らにとってみれば手放しで喜べるものでもないのだが……。


「や、どうも。どうしましたご主人? 僕の顔を見るなり」


 ドモンはとある露天の前で足を止め、俯き視線を逸らした男に話しかけた。ござを広げただけの粗末な露天には、美しい反物がいくつか広げられている。一見すると、特におかしいところは見当たらぬ反物商にも見える。

 ドモンは何も言わずニコニコと苦笑いを浮かべる男を尻目に、ふと黄色い反物をめくった。主人が手を止める暇もなく顕になった反物の下には──女性の裸が描かれた絵。帝国において本の販売は許可制であり、それはいかに自由市場たるヘイヴンであっても代わりない。ご法度ものである。


「ほほお……こりゃご主人。いい『反物』ですねえ。綺麗な絵が書いてありますよ」


「だ、旦那……そうでしょう? こんないい『反物』は、他にはありませんや。ね?」


 男は必死に笑顔を作り、中腰になると懐から握りこぶしを取り出し、ドモンの白いジャケットの右袖にぐいと拳を突き入れた。この右袖は改造されており、中に隠しポケットが仕込まれている。ドモンはこのポケットの中で男の握りこぶしの中身──賄賂だ──を受け取り、中身の銀貨をしまった。


「や、いいものを見せてもらいましたよ。ま、あまりおおっぴらにすんのは感心しませんよ。いい絵柄ですからねえ」


 にたにたとやらしい笑みを浮かべながら、ドモンは黄色い反物を元に戻し、別の反物をめくった。これまたいい女だ。


「へへへ……お褒めに預かりありがとう存じます。いかがです、二本差しの旦那。お一つ安くしておきますよ」


 ドモンは魅力的な提案にすこしばかり思案したが、すぐに頭を振った。


「やめときますよ。かみさんがうるさいですからね」





 ヘイヴンを抜けたはずれに、ドモンの自宅はあった。ドモンは自分の家だというのに玄関前で立ち止まり、ため息をついた。入るのに気乗りしなかったのだ。ふと右側を向くと、真新しい建て増し分の部屋が目に入る。

 この家のことを狭いと言いだしたのが、そもそもの発端であった。あれよあれよというまに建て増ししたのは良いが、家計は火の車。ドモンは好物のくるみパンすら満足に食べられない有り様だ。


「……ただいま戻りました」


 気乗りしないまま、元気のない様子で玄関のドアを開ける。ちょうど玄関で靴を履いていたのは、同じ黒髪で同じようなくせっけの付いている、背の一回り低い女性であった。つり目の彼女はドモンを見るなり、不機嫌そうに言った。


「あら、お兄様。ずいぶんお早いお帰りですこと」


「お早いとは何です。ちょっとものを取りにかえったところですよ。セリカ、君はどうしたんです」


 妹のセリカは、ドモンとはすべてが正反対だ。若くして帝国魔導師学校の教師を務め、去年は論文が認められ、博士号まで取った才媛だ。口うるさく細かなところにも目ざとい。だらしないドモンをこっぴどく叱るのは彼女の仕事であったが、今は結婚して東地区に住んでいる。


「ティナさんとお茶をしておりましたの。……それにしてもお兄様、『また』やらかしたのですね」


「また? 僕が何かやったってんですか」


「ほら、ジョニーさんの奥様から……先日の東地区の一斉捜査の時の話を聞いたとおっしゃってましたわ。お兄様、結婚して所帯を持ったのですから、仕事の結果が家庭につながってくることくらいは、理解されたほうがよろしいですわ。では、私はこれで」


 セリカは一方的にそう申し述べていくと、すたすたと玄関から外へと去っていった。尚更気乗りがしなくなってきたが、中で待っている『彼女』が、先ほどの会話を聞いていないはずもない。意を決して部屋に飛び込んでゆくドモン。彼が見たのは、リビングの奥、暖炉の上に飾られた十字架。二本のろうそくを両脇に置いたそれに向かって、地面にかしずいて祈る女が一人。目からは涙を流し、固く握った両手を額に当て、なにやらぶつぶつと呟いている。


「ああ、お父様……ティナは挫けそうです……どうか、どうか私に勇気を……」


「……何をぶつぶつとやってるんですか、あなたは」


 びくっと身を震わせ、長い前髪をかき分けると、怯えたような丸い瞳があらわになる。小動物めいた小柄な彼女であるが、ドモンは知っている。彼女の本性の恐ろしさは、そういう外見との差異来ているのだと。


「あなた! よくもまあそんな……私の前に姿を出せたものですね!」


 一喝! ドモンは彼女のその第一声で、足に釘でも撃ち込まれたかのように射すくめられ、動けなくなった! そう、この家において、妻ティナとドモンの関係は、ティナの絶対的優位と決まっているのだ!

 彼女と結婚したのは三年前。三十歳になったドモンは未だに独身であった。それをよく思わなかった当時の憲兵団の上役・ガイモンは、同じように身を持て余していた三女・ティナを見合いさせたのだ。

 お互い、第一印象は悪くなかった──お見合いの席で着飾っていたのがお互い良かったのだ──ので、そのままあれよあれよというまに、祝言を上げたのだった。

 しかし、ドモンはひとつだけ見落としていた。

 かつての憲兵団で『鬼のガイモン』と呼ばれた憲兵官吏の娘であるティナは、小動物めいたみてくれと全く異なり、父譲りの希少の荒さと、プライドの高さを受け継いでいたのである。


「ジョニーさんの奥様から聞きましたよ! またヨゼフ様に叱られたそうじゃありませんか!」


 一喝のひとつひとつが、まるで質量となって落ちてくるかの如き衝撃! 思えば、去年亡くなったガイモンも、生前は彼女のようなすさまじい一喝で、だらしない勤務姿を見せていたドモンを叱りつけたものだ。憲兵団内部ならともかく、妹セリカが結婚したことで、やすらぎの場であるはずの家まで、彼の居場所は針のむしろと化したのである!


「いやしかしですね、これからその失敗を取り戻しに行くんですが」


「本当でしょうね。お父様に報告しますよ! ここで!」


「別になんだって構いませんから、あんまり大声出さないでくださいよ……」


 仮眠でもとろうとしたドモンの目論見は失敗に終わった。小さなロザリオを握り、ティナによる天国の父親への報告が、リビングでずっと続いていたのだった。


「世が世なら、憲兵団団長も夢では無いと言われたお父様……どうか、あの人を叱ってくださいませ……」





「何? 例の殺し屋が?」


 帝国財務局応接室。筆頭会計長たるアルフレッドにとって、サインひとつでプライベート・ルームに変えられてしまう場所で、彼は会計をちょろまかして購入したワインを煽っていた。


「はい。やつは、恐らく我々の世界でも、かなりの有名人……『一本傘』でしょう」


「敵が多いのも困りものだ。……貴様、アインの所はきちんと始末したんだろうな。敵が多いのは構わんが、殺し屋に命を狙われ続けるのは御免だ」


 アルフレッドはかつての同僚の事を思い出す。筆頭会計長の座を争った男の事を。しかしアインはアルフレッドと違って、勤勉な男であった。彼はアルフレッドの見つけた『からくり』を咎め、非難したのだ。

 アルフレッドはその非難に屈することもできた。だがしなかった。彼は既にからくりを掌握し、帝国の予算から無限に近い金を引っ張れるようになっていたからだ。彼は金の力にあかせて、アインのすべてを無に返した。妻も、幼い子も。誰も知るはずのないことであった。死体に口はないはずだ。


「どこから漏れたのか……。まあ、殺しの世界での有名人とはいえ、所詮は一人。殺せば問題ないと思われますが」


 彫りの深い細面の男は、腰に帯びた剣の柄に手を置きながら、唸るように言った。彼は戦場帰りの元傭兵というキャリアを持つ剣士であり、アルフレッドの私的なボディ・ガードである。もう三人ほど、同じような連中を彼は雇っている。アルフレッドの『からくり』──会計帳簿の操作は完璧だ。彼らのような食いっぱぐれている剣士を雇うくらい、どうということはない。彼にかかれば、帝国の会計予算は彼の私的な金庫と化すのだ。


「ふうむ、そうか……俺はてっきり、やつらかと思ったぞ」


「やつら……と申しますと」


「断罪人だ。金の亡者で殺人鬼の癖に、悪党を殺すなどという題目を掲げるやつらのことさ……ま、都市伝説だろうと言われてはいるがな。それより、その『一本傘』は俺が撃ち殺しただろう。何か問題があるのか」


 アルフレッドはワイン・グラスに血のように赤いワインを満たし、くるくるとそれをグラスの中で回した。その度に、芳醇な薫りがふわふわと漂う。


「実は、南西地区にある慈善病院に、似たような男が運び込まれたようなのです。つまり──」


「しくじったか。良いものを買ったつもりだったが、やはり銃は銃だな。慣れないものを使うものではない。俺はどうやら、こっちで身を守るほうがいいらしい」


 アルフレッドは応接用ソファーの側に立てかけていた、自身の愛剣の鞘を掴み、ぐいと宙に突き出してみせた。赤鞘の、洒落た細工の施された鍔のついた、見るからに高級志向の名剣だ。彼は騎士団から財務局に栄転した男であり、剣の腕も大変非凡なものなのだ。


「来るなら来い、と言いたいところだが──俺には唸るほど金がある。金さえあれば、命も買えよう。そのためにいらぬ危険を犯すのは馬鹿のやることだ」


 アルフレッドの発見した裏帳簿は、前任──もしくはそれ以前の誰かが作ったもので、帝国の予算の一部に抜け穴を作って貯めた金と、その隠し場所が記載されたものであった。ご丁寧に、どのように金を抜いたのか、その複雑かつ詳細なルートも書かれていた。

 まさしく彼は、無限に金が湧く泉を手に入れたのだ。


「しかし、アルフレッド様。殺し屋を差し向けられたということは、今後も同じような輩が送られてくる可能性もありますぞ」


「もっともな話だ。追加の金は出す。貴様らで始末をつけてこい。文字通り跡形残さずにな」


「御意に」


 アルフレッドは、出て行く彼に振り向きもしなかった。どうせ使い捨てのクズ共だ。金さえあれば、この世は回る。俺は人生の勝者になったのだから。








 ドモンは、いつもの縄張りからだいぶ外れた、南西地区を歩いていた。この辺りは、低所得者層で構成されるスラム街『聖人通り』より治安が悪く、人が少ないところだ。何年か前の帝都再開発で、あまりの治安の悪さに開発が唯一中止されたといういわくつきの場所だ。

 なぜ、このようなところに歩いてきたのか?

 決まっている。人がいないからだ。


「……そろそろ、顔を見せちゃもらえませんかねえ。気味が悪いもんですから」


 放置された角材の影から、ぬっと姿を現したのは、先日病院で姿を見かけた、妙に背の高いシスターであった。背の高さに比例してか、なかなかの巨乳である。


「……二本差しのドモン。あなたの噂は、結構聞いてるわ」


 ドモンは答えない。このシスターが何者か、彼は図りかねていたからだ。


「病院とあった時と雰囲気が違いますね、あんた」


「ええ。いつもそうなの」


 シスターは右手で貫手を作ると、左袖口にそれをぐいと突っ込んだ。ゆっくりと引き抜くと、白かったはずの手袋は、鈍い銀色に変わった。目を凝らすと、細かい鎖が合わさってできた、鉄の手袋に見える。彼女はその鉄の右手で、くすんだブルーの前髪をわずかにかき分ける。赤い、渦を巻いた瞳が、ドモンを覗く。


「殺しを、やる時は……」


 シスターは強く踏み込み、ドモンに向かって右手を広げ突き出す! 彼はわずかに顔に逸し、剣を抜く。居合で凪いだ刃を、シスターは強引にブリッジすることで回避し、ドモンが振り下ろした剣を鉄の右手で掴むと、なんと叩き折った! なんたる握力か! 直後ドモンは左手でもう一本の剣を抜き、手をのばそうとするシスターを刃を薙ぐことで牽制しながら、ぴたりと後ろに立っていた人物の首筋に突きつけてみせた!

 シスターも、いつの間にか自分が叩き折ったはずの剣を、喉元に突きつけられていた。シスターも、ドモンの後ろに立つ男も、これ以上動けば死ぬだろう。ドモンは、それを躊躇しない。

 彼は、自分に刃を向けた人間を許せるほど、お人好しではないのだ。


「なるほど、たいしたもんじゃありませんか……ですがね。あんたたちとは、くぐってきた修羅場と──殺してきた数が違うんですよ。あんまり、人を舐めない方がいい」


 ドモンの首筋を目指し、振り上げたところで、男──レドの鋭い鉄骨は止まっていた。ドモンは彼を見もしなかった。勝負は、既についていたのだ。


「……さすがね、二本差しの旦那。それだけの腕を遊ばせておくなんて、もったいないじゃない」


 シスター・アリエッタが右手を左袖口に通すと、鈍く輝いていた鉄の手袋は、普通の白い手袋に変わった。ドモンは、たった今砕けた剣を、そのまま鞘に納めながら言う。アリエッタは、彼が剣を納める時、少しだけ複雑な表情をしていたのを見逃さなかった。


「……あんたが砕いた剣を持っていた男を斬った時──もう断罪なんてやるのはやめようと思ったんですよ。理由なんて、そんなもんです」


 レドは、そんなドモンの背中をしばらく見つめていたが、鉄骨を職人めいた黒い作務衣の懐にいらついた様子で仕舞ってから、呼びかけた。


「どうして、俺の事が分かった」


 ドモンは立ち止まった。やはり、レドの方を振り向かなかった。


「俺は、気配を殺して──」


「人間が、気配なんて殺せるわけないでしょう。あんた、そんな腕で殺し屋なんてやってたら……死にますよ」


 ドモンは、振り向かなかった。もう、振り向けないところまできていたのだ。彼は、頭のどこかで理解し始めていた。

 おそらく僕は、再び闇の世界へ引きずり込まれようとしているのだ──。

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