拝啓 闇の中から光が見えた(Bパート)



 帝都イヴァンには三つの治安維持機構があり、それぞれ役割が異なる。政治の中枢である行政府の警護を担当する名誉職『騎士団』。帝国領土中に散らばり、広域捜査を担当する『遊撃隊』。そしてイヴァン内部の治安維持、犯罪捜査を担当する『憲兵団』である。

 ここは、憲兵団本部執務室。グレイの詰め襟に二列ボタン、白いジャケットの袖を揺らし『憲兵官吏』達が忙しそうに行き交う。そもそもイヴァンは広い。そんなイヴァンを数十人で捜査するのだから、相当な無茶を押し付けられている。そんな彼らの能力は高い……と思うのが普通だが、どんな組織にもダメな人間はいるものだ。

 憲兵団筆頭官吏・ヨゼフは、憲兵団の筆頭官吏──いわゆる、憲兵官吏の総元締めであり、中間管理職である。怜悧な瞳、長い銀髪──鼻から上だけ見れば美男子であるが、その下についているたくましい顎ですべて台無しになってしまっている。彼はその自慢の顎をさすりながら、右手で眉間を抑えつつ──頭痛の種を見上げた。


「ドモン君。私は君になんと言った?」


 まっすぐに下ろした銀髪で、どこか若々しい風貌のヨゼフと比べて、男の髪を例えるとすれば手入れをさぼった庭木のような黒髪であった。垂れ目気味の薄暗い黒目には生気が無く、目の下には深い隈。


「はあ。小官は、財務局筆頭会計長アルフレッド様襲撃事件の捜査と理解しておりましたが」


 男は猫背気味の体を丸めながら、おずおずとそう言った。ヨゼフは大きなため息をつき、机に頬杖をついてこつこつと指を鳴らす。彼はこの憲兵団の筆頭官吏──いわゆる、憲兵官吏の総元締めであり、中間管理職だ──に就任してからというもの、このドモンに悩まされっぱなしであった。

 なにせ態度が悪い。彼はヨゼフの三つほど年下、三十三歳であり、憲兵団という組織の中では比較的中堅層の憲兵官吏と言えるが、サボりはもちろん内勤中の居眠りは当たり前。どうやって今まで仕事をしてきたのか分からぬほどの無能者だ。


「ああ、そうだ。それは理解しているんだね。驚きだよ、ドモン君。じゃあなんで結果が出ないんだい? いいかいドモン君。私が君に頼んでるのはね、現場でアルフレッド様が撃退した殺し屋の死体が、どうして消えたのか調べてほしいということなんだよ。当然だよね? 君が現場を調べている最中に忽然とその死体が消えたのだからね! わからないはずがないだろ!」


 はあ、と生返事を繰り返すドモンに、ヨゼフは眉間を抑えながらため息をつく他できなかった。彼がいる限り、ヨゼフの出世は無いだろう。この際何か大きな失敗をやらかして、腹でも切って欲しいものだが──この男はそのあたりだけ立ち回りが上手く、ヨゼフの目論見が達したことはない。


「よろしい! とにかく、あの現場にいて、なおかつ死体の顔を見たのは君だけだ。アルフレッド様は立場ある御方。この件について人を裂いておおっぴらに捜査はできないんだ。だが私は結果を求められている。矛盾もいいとこだよ、全く! とにかく、一週間以内に死体を探して、その正体を突き止めてくることだよ! いいね!」


 ひとしきり怒鳴られたドモンは、そのまま憲兵団本部の外へと出る。門をくぐり、ヨゼフの前で溜めていた想いを溜息に混ぜこみ、一気に吐き出した。


「よくもまあ、あれだけキャンキャン罵声を考えつくもんですよねえ」


 ぼりぼりと頭を掻き、腰に帯びた剣を差し直す。剣は二本。この帝国成立以前──それこそ、二十年ほど前でしかないのだが──統一前の国家において、剣士の持つ剣は一本であると決まっていた。誰が決めたわけではなかったが、『そういうもの』であった。二本剣を持つ者は、どれほど腕が立っても邪道であるとされ、良い顔をされなかった。帝国となってもその考えは根強い。

 ドモンは、ある時から二本の剣を携えるようになった。

 彼は、役立たずであることを自ら選んだ男であったから、今更邪道を歩いたと後ろ指を刺されようが、構わなかった。とはいえ、無理難題を押し付けられて、そのまま文句を言われるだけというのも、癪に触る。とにかく気分でも変えようと、いきつけの露天コーヒー・スタンドで一服しようと思った矢先、肩口が誰かにぶつかった。


「気をつけてもらえませんかねえ」


「あっ、旦那……こりゃ失礼しました」


 ぶつかったのは、二十歳そこそこの青年であった。ドモンは百七十そこらであるから、彼は百六十程度しか無いのではないか。見覚えがあるような、無いような。まるで羽ペンで線を引いたような細目の青年で、綿シャツの下には、薄汚れたワーカー・パンツをサスペンダーで吊っている。金色のショート・ボブの上に、ハンチング帽を小洒落た様子で引っ掛けていた。


「あの、旦那……こいつを」


 突然彼はすっと右手の握りこぶしを差し出した。ドモンはちらちらとあたりを見回し、人がいないことを確認してから、彼の手を自分のジャケットの右袖に突っ込ませ、握りこぶしの中身を取り出した。じゃらじゃら、と鳴る金属音。実に高貴な音だ。金貨が、四枚は入ったか?


「……受け取りはしましたがね。何の金です、こいつは」


 ドモンは賄賂を受け取ることに躊躇しない。憲兵団は危険が伴う仕事の割に、実入りが少ないし、真面目にやるのが馬鹿らしいからだ。とはいえ、いくらタダだとしても気味が悪いことに代わりない。


「えっとですね。迷惑料です、こいつは」


「迷惑料?」


 青年はハンチング帽を外し、胸の前で抱え持ちながら話を続けた。


「ほら、例の死体の件ですよ。殺し屋の」


「……誰からだってんです」


「それは先方から言うなって言われてまして。旦那、僕の事知りません?」


「知りませんよ」


「知らなきゃ見知り置いて下さい。つなぎ屋って稼業をやってるものでして。じゃ、僕はこれで」


 つなぎ屋。ドモンは繰り返そうとしたが、青年は既に角を曲がろうとしていた。慌てて、猫背気味の体を精一杯伸ばしながら、青年を追いかける。ドモンとて、腐っても憲兵官吏の一員である。怪しい男の尾行は手馴れている。二・三度ほど振り返った青年をやり過ごしながら追いかけ続け、南地区からまだら状に点在するスラム街を抜けると、その病院はあった。くずれかけの古い二階建てのビル。『慈善病院』とぶっきらぼうな看板を掲げた建物。

 ジョウは、確かにその建物へと入っていった。

 ドモンは迷ったが、ヨゼフによって期日は既に決められていた。『例の死体』の手掛かりはおそらくこれ以外にない。ここで引き返すわけにもゆくまいと、意を決して病院の中へと入っていくのであった。






「あんたは?」


 レドは抑揚のない声で、目の前の人物に尋ねた。車椅子に腰掛けた、まるで枯れ木のような老婆であった。片目には眼帯、もう片目は、濁った白目。頬には、大きな傷。恐らく両目とも見えてはいないだろう。側に立つ白髪交じりの白衣の男は、レドの疑問に答えてみせた。


「彼女は、君の住む世界じゃ有名人だそうだよ」


 いつの間にか、窮屈そうに扉をくぐったアリエッタの姿もあった。落ち着かない様子で、くすんだ青い前髪を指でいじっていた。


「その有名人が、俺をなぜ助けた?」


「……知っていたのかい」


 老婆は、しわがれた声でそう言った。朽ち果てきった体と異なり、声には不思議と力がこもっていた。彼女の心は死んでいないのだ。


「もう八年は昔、帝都であんたみたいな女が、殺し屋集団をまとめてたって聞いたことがある」


 レドは若いが、十代の頃から闇の世界で生きてきた。殺しによって身を立てることを、さも当然と生きてきたのだ。そんな彼でさえ、頬に大きな傷の有る女元締めが率いる殺し屋集団──通称『断罪人』が、悪党を殺して金を稼いでいるという噂はあまりにも荒唐無稽すぎて、信じる気になれなかったのだ。

 悪党どもの跳梁跋扈する裏社会の中で、まことしやかに語られる『都市伝説』。それが、断罪人であった。


「俺も、イヴァンには最近流れてきたからな。良く知らん」


「知っているなら話は早い。……私も、彼女とは古いつきあいでね。闇医者として彼女の手助けを、何度もしたものさ。……彼女は、君に頼みがあると言うんだよ」


「レド……あんたの噂は、あたしはよおく知っているよ。腕が立つ殺し屋だそうだねえ」


 老婆は、ゆっくりと話しだした。レドは彼女の話を遮るようなことはせず、ただ静かに聞いていた。


「あんたの言うとおり、あたしは何度かこのイヴァンで断罪人をやっていたのさ……はらせぬ恨みを呑んで死んだ者の恨みを、金次第で晴らしてやる稼業……だがあたしも年にゃあ勝てない。死ぬ前くらいは落ち着こうと、ツテをたどってきたわけだが……何の因果か、また断罪の依頼を受けちまったのさ……」


 初老の医師と、シスターは俯きながらその話を聞き続けていた。レドは少しだけ間を開けてから、老婆に疑問をぶつけた。


「それで、あんたができないから俺にやれって言うんだろう。別に構わん。金さえ出るならな。だがあんた知ってるのか。俺はついこないだ殺しをしくじった殺し屋だぜ。それでも、俺を雇おうっていうのか」


「ああ。お前さんは適任だよ。なにせ、的は……あんたがしくじった財務局筆頭会計長・アルフレッドなのだからね」


 ノック音。老婆を除いた全員が身体を固くした──がそれは無駄に終わった。金髪にハンチング帽の青年の姿を見て、レド以外の人々は安堵の表情を浮かべる。


「ジョウ、戻ったのですね!」


 アリエッタはまるで子供を抱きしめるように彼を抱き寄せ、ハンチング帽をとってぐしゃぐしゃと金髪をかき混ぜるように頭を撫でた。まるで姉弟──いや、母親と幼児だ。


「アリーさあ、毎回会うたびこれやるのやめてもらえない?」


「そんなこと関係ありません。私がしたいからするのです」


「ジョウや。金は、渡しただろうね」


 老婆はしわがれ声で厳かに言った。ジョウは自身に課せられた使命を果たしたことを誇るように、静かに自信たっぷりに頷き、ぐいぐいとハンチング帽をかぶり直した。


「そうかい。……レド、どうするね。依頼金は一人金貨四枚だ。断罪の理由も、それはそれは聞くに耐えないものさ。この恨みだけ遺して、あたしは死ねないよ」


「理由?」


 レドは言葉を繰り返した。そんな彼に、アリエッタは言葉をつないだ。


「そう、理由です。……あの男は本当にひどい男で……」


「そんなもの、必要ない。俺は金さえあればいい。ここで失敗を取り戻せるなら、願ったり叶ったりだ」


 レドのそっけない言葉に、アリエッタは思わず彼の肩を掴んだ。アリエッタから見れば、レドは見下ろせるくらい背が低い。しかし、振り返った彼の目を見て、アリエッタは怖気立った。赤錆色の暗い瞳が、こちらを覗きこんでいた。これが、殺しをやる人間の目なのだ。

 今の私は、おそらくこの男と同じ目をしている。

 アリエッタがそんなことに気付いた直後、老婆が突如大きな声で言った。


「それで、あんたはどう思うね?」


 初老の医師は彼女の意志を汲み取ったように、部屋の窓を開け放つ。揺れるカーテンに、陽光を遮る影が一つ写った。収まりの悪い癖のついた髪の男の影。


「立ち聞きとは……あんたも相変わらず趣味がいいねえ」


 男は答えない。男は──ドモンは図りかねていた。この老婆は、自分の事を知っている。誰よりも理解している。使いをやって金を渡され断らないのも、それに対して追いかけてきたのも、すべて彼女の予想通りなのだ。無理もない事だった。

 ドモンはかつて、断罪人として彼女の元で働いていたのだから。


「ドモンや。あんたを呼んだのは他でもない。あんたにもこの断罪に加わって欲しいからなのさ。あたしは、もう長くない。そして、アルフレッドって野郎は腕っこきを何人も雇っている──なら、こちらも……」


「元締、残念ですがねぇ……僕は断らせてもらいますよ」


 ドモンはそう言うと、カーテンの隙間から手を伸ばし、金貨四枚を投げ込んだ。金貨が跳ね、陽光に照らされ黄金色に輝き、くるくる回ってことりと倒れる。


「僕は、足を洗いましたから。……金は、返しましたよ。今日の事は全部、聞かなかったことにします。あんたらも、そうしてください。では」


 ドモンは一方的にそう述べると、去っていった。後には、揺れるカーテンのみが残された。

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