少女 愛玩

三文士

隙間短編シリーズ

かねてより切望していた催し物のチケットがようやく手に入ったと連絡があった。参加人数限定で開催不定期という何とも身勝手な条件にも関わらず参加希望者は後を絶たないという。「金に糸目はつけない」という条件でコーディネーターに手配させたのだが、それでも二カ月もかかった事からその人気ぶりが伺える。


イベントに参加が決定した後も更に身勝手な条件を突きつけられる。


『ひとつ、参加者は必ず中年以上の男性であること』


『ひとつ、参加者は当倶楽部のルールを必ず厳守すること。』


『ひとつ、参加者は何よりも一途に少女を愛する者であること』


以上である。


この催しは、少女を愛でる会なのである。


「愛玩観覧会」と銘打って開かれているこの催しは、なかなかに歴史の長いものだそうだ。かれこれ明治の時分から続いてるそうで、日本人というのは昔からつくづく趣味が変わっていない様である。


私とて他人にはおいそれと言えた趣味ではないのだが、こればかりはなかなか止められない。どころか歳追う毎に欲求が強くなっていく。


指定の待ち合わせ場所に着いてすぐ、スーツ姿の若い男が近寄って来た。彼は私の胸に刺してある白い薔薇の造花に目をやった後「ご案内します。どうぞ」とだけ言って歩き出した。


男に着いて行くと、少し歩いた所に車が停めてあってそれに乗り込めという指示があった。


私は高級感のある革張りの車内で、自分が少女という存在を愛する様になった馴れ初めの日を思い出していた。



あれはまだ、私が小学校の低学年だった時。その当時の私は当然の様に同じ年ごろの女の子よりも昆虫採集や陣地取りゲームに夢中になっている普通の子供だった。


ある日私は、学校帰りに一人で山道で遊んでいた。どうして一人で泥遊びなんかをしていたかは鮮明に覚えていないのだがとにかくヒドイ格好だったのは確かだったと思う。前日雨が降ったせいで道がぬかるんでいたのだ。私の顔や手足は泥だらけでランドセルを背負っていなければ猿と見間違えてしまうほどだったと聞いている。


私はズブズブと足が生暖かく泥の地面にハマっていく感触が何とも言えず気持ち良く、何度も足を埋めては引っこ抜き埋めて引っこ抜きを繰り返し遊んでいた。如何にも子供の喜びそうな事である。私がいつになくはしゃいでいたその時だった。


後ろに何やら人の気配を感じて振り向いた。そして驚愕したのである。


そこには美しい一人の少女が立っていた。少女と言ってもその時の私からすれば随分お姉さんだった。年の頃は十六、七といったところ。シワひとつ無いセーラー服に身を包み両手で鞄を持ちながら静々と革靴が泥で汚れない様に歩いている様子だった。腰まで伸びた髪は烏の濡れ羽の様に黒々としており、対照的に肌は透けるほど白かった。顔のパーツひとつひとつが職人によって造られた人形さながらに端正で全てが絶妙なバランスで美しかった。何よりも魅力的なのはその目であった。それは猫の様にズル賢くて悪戯っぽい、それでいて愛らしいさもあるのだがこれがまた何とも言えず背筋に突き刺さる様な冷たさを含んでいる目だった。


私はすっかり少女の美しさに見惚れてしまい足を引き抜くことも忘れ、ぬかるみにズブズブとただハマっていくだけだった。


ちょうど私の横を少女が通り過ぎようとした時である。


ひょっとすると彼女の中で母性が目覚め始めた頃だったのかもしtれない。少女は幼い子供に向ける女性特有の柔らかで暖かい表情を私に向け微笑んだ。


私はその笑顔で我に返り、思わず深く埋めていた足を勢いよく引っこ抜いた。泥は思った以上に勢いよく跳ねて危うく少女にかかりそうになったが、すんでのところで彼女のセーラー服は泥を被る事を免れた。


私はホッとしてからもう一度少女の笑顔を見ようとした。しかしそこにはもう少女の笑顔は無かった。彼女は例の血も凍るような鋭さを全面に出した表情で私を睨んでいた。眉をしかめ侮蔑の眼差しが私の全身を貫いた。そして極めつけに少女は一言こう言ったのだ。


「イヤだわ。汚しい」


あのポッテリとした茜色の唇からこうも氷柱の様に鋭く冷たい言葉が吐き出される事に驚きを隠せなかった。


いやそれ以上に、私に向けられたのか泥に向けられたのか定かではないこの辛辣な言葉に私の心はすっかり射抜かれてしまった。私は幼いながらにして、少女から投げかけられた嘲りの言葉にやましい悦びを感じてしまったのだ。


その一言を残し、少女は去っていった。


それ以来、私の魂は『少女』という存在に囚われ続けている。


「着きましたよ。さあ降りて下さい」


運転していた男は表情ひとつ変えずにそう言った。


私が案内されたのは何処かの山奥にある、古い洋館だった。いつの間にか私は山に連れて来られていたのだ。しかし山奥に洋館だなんてあまりに露骨過ぎる。怪しいことこの上ない。如何にもやましい事をしている気分にさせられる。


洋館の中に入ると一階の大広間のような場所に通された。そこには既に三人の男たちが待っており、皆総じて私と同じくらいの歳であった。


「おい。一体いつまで待たせる気だ。待ちくたびれたぞ」


太った顔の男が神経質そうに怒鳴る。


「まだそこまで経っていませんよ。せいぜい二十分くらいでしょう」


頭の薄い男がツヤのある顔でそう言った。もう一人、痩せて背の高い男は青白い顔をしたまま一言も喋らない。


「一応こちらで皆様お揃いですが、主催者が到着するまで少々お待ちください」


私を連れて来た男はそれだけ言って立ち去った。太った顔の男だけがブツブツと何か言っていたが、皆それでも大人しく待ち続けた。


私は待っている間手持ち無沙汰で、テーブルにあった飲みたくもないワインを口をつけたが、ただドロドロとした液体を飲んでいる様にしか感じなかった。


やがてゆっくりと広間の扉が開き、様子の良い壮年の男が現れた。


「お待たせしました。もはや余計な言葉は要りますまい。参りましょうか」


そうして遂に、その奇妙な催しが始まったのである。


我々は二階に案内され先ほどの大広間よりもやや小さい部屋に通された。やや小さいと言っても普通の部屋に比べればかなり広い方で三十畳くらいの広さは



「開催を前に今一度確認をさせていただきます。再三通達させていただきましたが、当倶楽部では多数のルールが存在します。そしてこのルールを破られた方は、その場で即退場。そして永久に参加資格を剥奪させていただきます」


皆一様に無言で首を縦にふる。


「ルール。観覧対象を撮影機器などで記録してはいけない。写真、動画はもちろんNGですがボイスレコーダーでの音声の記録も含まれます。記録して良いのは記憶だけです」


壮年の男がひと声合図すると何処からかわらわらとスーツ姿の男たちが入ってくる。その中には、先ほど私を案内した男に顔もあった。


「という事ですので持ち物は全てこちらで預からせていただきます。終了の際には責任を持って返却させていただきます」


その時、青白く痩せた男が沈黙を破る。


「ま、待ってくれ。み、見ず知らずのキミらをし、信用しろと言うのは少しむ、無茶じゃないか。か、カードやスマホの情報をき、キミらが何らかの形で引き出さないというほ、保証はないんだから」


「ルールですので。守っていただけないならお帰りいただくだけです。もちろん料金はお返しします」


「いや、き聞いてみただけだ。続けてくれ」


青白い男はより顔をより青白くして椅子に発言を取り消した。


「ルール。対象には決して、物理的な接触をしないこと」


皆ため息混じりに頷いてみせる。最初に提示されたルールの中で一番気になっていた項目だ。


「このルールを守れない方がこれまで本当に多かったので、今回から新たに境界線を設けさせていただきます」


見ると、部屋の中央からややこちら側に白いくて太い線がくっきりと引かれていた。


「そんな!これじゃ何も見れないじゃないか!」


顔のテカった男が半べそを混じえて叫ぶ。


「ご安心下さいお客様。あちらにテーブルとイスがございますでしょう?」


そう言って壮年の男が指を指す。一同がその指の先に注目する。


我々から見て中央よりやや向こう側、つまり真ん中を軸としたら境界線とは対照的な位置に木製のこじんまりしたテーブルとイスが置かれていた。


「ああ。確かにあるが」


「あのテーブルの上に花瓶がのっていますね。ご覧になれますか?」


「見える!それが何だ!?」


「あちら、お客様の目には何色に映っておられますか?」


壮年の男の問いかけに我々は顔を見合わせる。


「青だ」


「他の方はどうです?」


「青かな」


「私もそう見える」


私も黙って頷いてみせる。


「みな同じだ。それがどうした?何か仕掛けがあるのか?」


一同、訝しんでいる。


「みなさま視力の方はたいへん結構な御様子で。それでしたらこの距離での観覧もまったく問題無いかと存じます」


もはや怒ったりため息をついたりする様な人間はいなかった。それよりも、そもそもこの催し自体が大丈夫なのかと、皆少なからず思い始めていた。もしかしてタチの悪い詐欺に引っかかっているのでは。私の頭にはそういった不安が過ぎっていた。


「それでは始めましょう。時間はいつだって無限に有限ですから」


壮年の男の意味深な発言で部屋にいた数人のスーツ姿の男たちは来た時と同じように言葉ひとつなく出て行った。


「皆様、ごゆるりとこのひと時をご堪能下さい」


そう言って最後に壮年の男が出て行った。あとには私と不安げな表情をした数人が残った。誰も何も言わないし、ただ黙ってそこに立っていた。


一体どれくらいそうしていただろう。私たちは部屋の隅にいて、そばには先ほど男たちが出て行ったドアがあった。そして少しして気がついたのだがちょうど反対側の隅にも同じような造りのドアがあった。


何故同じ部屋の端と端にひとつずつドアなんか。そう思っていたその時だった。


そのドアがゆっくり開いて、誰かが中に入って来た。


私たちは皆その人物に注目し、そして次の瞬間に全員が息を飲んだ。


それは一人の美しい「少女」だった。


「少女」は私がいつか見た「少女」に酷似しており、長い髪に艶やかな光を纏いサラサラと揺らしながら、ゆっくりと動作していた。肌は雪の様に白く、水気を多く含んでいる様に見えた。あの「少女」といくらか違う点をあげるとすれば少しだけ今目の前にいる「少女」の方が背が高いというところくらいだろう。それでようやく別人だと判断できたくらいよく似ていた。


少女は花瓶の置かれたテーブルのところまで迷いなく歩いてゆき、そしてイスに腰掛けた。まるで初めから、そうすることが決められているかの様に。そして「少女」は傍らに持っていた本をおもむろに開き読み始めた。


ちょうど窓から日差し差してきて、「少女」の手元を柔らかく照らした。


その様子があまりに神々しく美しかった。否、もはや私の持つ言葉では表現しきれない程に「少女」の美しさはえも言われない物凄さだった。


気がつくと私は涙を流し、その姿に見とれていた。身体は硬直し指の一本さえも動かせなかった。それほど私にとって、「少女」という存在が眩しかったのだろうか。我に帰って涙を拭い他の連中を見やると、驚いた事に皆が私と同じように泣いていた。そこで私は悟ったのだ。我々はなにも「少女」の美しさに泣いているのではなかったのだ。我々は、我々が今までに失ってしまった時間の虚しさに泣いているのだと。無為に過ごしていた少年や青年時代にあの「少女」の様な清楚で可憐な存在と共に過ごせたらどんなに幸せだっただろうか。我々はきっと全てを投げ打ってでもあの「少女」という存在と一緒にいるべきだったのだ。そしてそれは、もしかしたらあったかもしれない別の時間軸の話なのだ。しかし今、我々はそこにいない。醜くたるんだ身体を引きずって、「少女」に近寄る事も許されない。そんな自分の現実を、あの怖いくらいに美しい若さを通して突きつけられている様な気がした。それ故に、自分の人生が途端に虚しく思えて自らを憐れむ涙が止まらなくなってしまったのだ。


「ふわぁぁぁぁぁぁ」


突然、太った顔の男が奇声を張り上げた。そして次の瞬間、彼は「少女」に向かって突進しただしたのだ。


あまりに突然の事で誰も彼を止める事ができず、太った顔の男はついに白い境界線を越えたかに見えた。


しかしそうはならなかったのだ。彼は瞬間的にとはいえ気が狂う程に欲した「少女」の肉体に髪一本ですら触れられなかった。


ドスン


という鈍い音が部屋中に響いたかと思うと、かの男が見えない壁に阻まれて潰れたヒキガエルの様な体制で立ちすくんでいた。そして、ズルズルと情けない音をたて地面に倒れ込んだ。


彼に一体何があったのか。それは彼がずり落ちた痕を見れば明らかだった。そこには男の口から出た血痕と顔の皮脂がまるで空中に残っているように見えない壁に

こびりついていた。


「少女」は一瞬あっけにとられていたようだったが、男が崩れ落ちるのを見て意地悪そうに微笑み立ち上がった。その時に顔が、一段と美しく恐ろしかった。


「少女」は見えない壁を一枚隔てて、哀れな太った顔の男に近寄る。そして絹の様に細く美しい声でこう言ったのだ。


「ねえおじさん。ルールは破ったらダメだった言われたでしょ?でも残念だった

わね。せっかく勇気を振り絞ったのにコレに阻まれちゃって。こういう事もあろうかとアクリルの壁が備え付けてあるってスタッフさんが言ってたけど、おじさん教えてもらってなかったんだ」


まるで男が自分に触れられなかったのが「少女」自身も残念だと言わんばかりの口ぶりだった。


それから「少女」は右手で髪の毛をかきあげ、男が付着させた僅かな血と皮脂に目をやった。そしてゆっくりと立ち上がり信じられないセリフ口にした。


「イヤだわ。汚らしい」


それから例のスーツ姿の男たちが来て事態を収拾し、催しはお開きになった。壮年の男が言うにはルールを破った者はもう二度と参加できないそうだ。


帰りの車の中で私はひとつの事をずっと考えていた。


これから不定期であるあの催しに参加し続け、時間の許す限り「少女」を愛でるべきか。それともあの太った顔の男と同様に、もう二度と会えない覚悟で近づき彼が浴びた様な辛辣な言葉を「少女」から賜るべきか。どちらにしてもそう考えただけで脳みそを掻き回される程の悦びを感じていた。


どうするべきか、まだ答えは出ていない。





今日のイベントが無事に終わり、アタシはひとり家路についていた。前と同じ、予想の範囲でハプニングが起きてアタシの心は深く満たされていた。


今回でこのイベントに参加するのは四回目だけど毎回都合よくバカなオヤジが問題を起す。


イベントはレイカから紹介してもらった。レイカとアカネとアタシ。仲間内で月一で回している。主催者はレイカの彼氏の知り合いらしいけど、どいつもこいつもよっぽどイカレてる。まあ、それを言うならアタシだって普通じゃない。


アタシの姿を観て涙を流すオヤジ。手をすり合わせて拝みたおすオヤジ。今日の奴みたいに嗚咽を漏らしながら突っ込んでくるオヤジも少なくない。


アタシはそんなオヤジ共に神のごとく崇められるのが何より興奮する。それこそ同年代の男の子とするアレよりも。ずっとずっと身体が熱くなる。


何よりも一番はああやってバカな問題を起こした奴を罵ってやる時が一番好き。


でもイベントのルールでこっちからは話かけちゃいけない事になってる。だからああやってバカがルールを破るのを手ぐすね引いて待っている。


レイカとアカネはバイト感覚でやってるけどアタシは違う。金は一切受け取ってない。むしろアタシが払いたいくらい。流石に払った事はないけれど。


あのイスに座り、読みもしない本のページを捲りながらアタシはいつも待っている。バカな欲望に負けた憐れで惨めなオヤジを素知らぬ顔で待ち構える。そうしていつもの様にあの見えない壁に阻まれた後の情けない泣き顔に鋭く冷たい言葉を浴びせてやるのだ。それがアタシにとって精一杯、奴らを愛でてやる方法なのだから。








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