黒の章

01 赤ずきん

 昔々あるところに、とても可愛らしい女の子がいました。

 ある時、女の子は、おばあさんから赤いビロードのずきんをプレゼントされました。

 ずきんがその女の子にとてもよく似合っていたので、みんなはその子を『赤ずきん』と呼ぶようになりました。



 ある日のことです。


「赤ずきん、ちょっといらっしゃい」


 お母さんに呼ばれた赤ずきんは聞きました。


「なぁに、お母さん」

「おばあさまがご病気になってしまったの。だからこのケーキとぶどう酒を届けにいってくれる?」


 テーブルの上の木のバスケットには、焼きチーズケーキと、真っ赤なぶどう酒のビンが入れられています。

 赤ずきんは、バスケットからお母さんへ視線を戻し、また聞きました。


「わたしが行くの? お母さんは?」

「お母さんは家でやることがあるから。それに、おばあさまはあなたのことをよく可愛がってくれているでしょう。そのずきんも下さったし……。そのお礼もかねて行ってきてくれる? きっとお喜びになると思うから」


 そう言うお母さんの目は、赤いずきんに釘付けです。

 お礼ならもらった時に言ったから、別にいいと思うんだけど。赤ずきんはそう思いましたが、口には出しません。

 けれど、可愛がってはもらっているので、それで納得することにしました。


「そういうことなら、分かったわ」

「そう、よかった」


 お母さんはバスケットに布巾をかぶせて、赤ずきんに差し出します。


「そうそう。森の途中でオオカミに出会っても、話を聞いてはいけないわよ。どんな悪さをしてくるか分からないからね。それと道草はしないこと」

「ええ、分かっているわ、お母さん」


 赤ずきんはバスケットを受け取ると、


「じゃあ、行ってきまーす」


 と、元気よく家を飛び出しました。

 赤ずきんの背中を見送るお母さんの視線は、やはり赤いずきんに釘付けです。

 森へと入っていった赤ずきんには、お母さんの口元が歪んでいることになど、気づくよしもありませんでした。


 おばあさんの家は、赤ずきんの自宅から三十分ほど歩いた森の中にあります。

 その日はとてもいいお天気で、赤ずきんは木漏れ日に目を細めながら軽快に歩いていました。

 すると、小径の茂みがガサガサと揺れ、一匹のオオカミが現れたのです。


「こんにちは、赤ずきん。今日も真っ赤なずきんがよく似合っているね」


 相変わらず軽い口調で声をかけてきます。

 しかしお母さんに言われたとおり、赤ずきんは耳を貸しませんでした。

 ちらりとオオカミを見ると、やはり視線は赤いずきんに釘付けです。

 お友達からも羨ましがられるくらいのものなので、赤ずきんは仕方ないと思いました。


「おや、今日はご機嫌斜めなのかな? こんなに天気がいいというのに」


 身振り大きく天気の良さを口にするオオカミは、赤ずきんのすぐ横に並ぶようにして付いてきます。

 しばらくしてもオオカミは話をやめず、それどころか口説き始めたので、いい加減うっとうしく思った赤ずきんはとうとう口を開きました。


「オオカミさん、会うたびそんなことを言っていて飽きないの?」

「おや、ようやく声が聞けたと思ったらそんなことかい」


 オオカミは驚いたように目を丸くしました。


「会うたび可愛くなるんだから、言っていて飽きるということはないよ」

「そう」


 真面目に取り合うと疲れると、適当に返事をし赤ずきんが小さく息をついた時です。


「ところで、いい匂いがするけれど、そのかごの中には何が入っているんだい?」

「ケーキとぶどう酒よ。おばあさんの体調が優れないから、これで元気付けてあげるの」


 赤ずきんがわずかに布巾をめくった瞬間、


「へぇ、そうなのかい。それは偉いねぇ」


 オオカミはわずかに声を低めて、目を細めました。

 布巾を戻すと、赤ずきんはオオカミを見上げてはっきりと言いました。


「じゃあ、わたしはそろそろ行くから。オオカミさんもお散歩楽しんで」


 小さく手を振り、先を行こうとした赤ずきんを、「ちょっと待って」とオオカミは呼び止めました。


「どうしたの?」

「赤ずきん赤ずきん、辺りを見てごらんよ。たくさん綺麗な花が咲いているじゃないか。小鳥たちも美しい声で囀っているよ。どうして周りを見ないんだい。森の中は楽しみで満ち溢れているのに、せっかくのお休みを楽しまないなんてもったいない」


 オオカミに言われ、赤ずきんは周囲を見渡しました。

 小鳥たちは鳴き、森独特の青い土臭さに混じって、風に運ばれてきた花のいい香りが匂います。


「お休みを楽しむって、具体的にどうすればいいの?」

「そうだね。たとえば、花をつむとか?」


 赤ずきんは考えました。

 綺麗なお花をたくさん持っていけば、おばあさんもきっと喜んでくれるに違いないはず。

 小川の近くに綺麗なユリの花が咲いていたことを思い出した赤ずきんは、それがおばあさんの好きな花だったことも覚えていました。

 少しだけ回り道になってしまうけれど、近道も知っています。道草といっても、そこまで遅くはならないだろうと考えました。


「そうね、オオカミさんの言うとおりだわ。なら、少しつんでいこうかしら」

「それがいいよ、赤ずきん」


 頬まで裂けた口を吊り上げて、オオカミは不気味に笑いました。

 赤ずきんは手始めに、辺りに咲いていた花をつみながら小川へ寄ることに決めました。



 赤ずきんを見送った後、オオカミは計画を実行するために森を真っ直ぐに歩きました。

(まずはばあさんを食べて、それから赤ずきんを……)

 いくら肉のためとはいえ、赤ずきんまで襲わなくてはならないことを、オオカミ自身少し心苦しく思っていました。

 まともに会話をしてくれる人間は、赤ずきんくらいだったからです。

 小径を行く途中、オオカミは視界の端に銃を担ぐ猟師の姿を捉えました。あわてて茂みに身を隠します。


「見つかったらヤバイな。計画が台無しだし、下手したら撃たれて死んでしまう」


 仕方なく、オオカミは遠回りをしておばあさんの家を目指しました。



 その頃、赤ずきんは。

 一番花びらが大きくて綺麗なユリを一輪つむと、丁寧に雄しべを取りました。

 腕に抱えるくらいたくさんの花をつみ、そろそろいいかなと、近道を通っておばあさんの家へ向かいます――。



 猟師から隠れながら、ずいぶんと長いこと森を歩いたオオカミは、ようやくおばあさんの家までくることが出来ました。

 息を整え、扉をトントンとノックすると、


「……はいはい、どなたですかの?」


 と、中からおばあさんの声が返ってきました。

 元気、とはとても言えない苦しそうな声でした。

 オオカミはかまわず、女の子のように高い声を出しました。


「赤ずきんよ。ケーキとぶどう酒を持ってきたの。ここを開けてちょうだい」


 それを聞いたおばあさんは、一度大きく息をついて、どこか嬉しそうに言いました。


「おやおや、赤ずきんかい。おばあさんは体が弱っていてね、ベッドから起きられないんだよ。鍵はかかっていないから、勝手にあがっておいで」

「それじゃあ遠慮なく」


 オオカミは口の中で呟いて、扉を開けて中へ入りました……。



 ――早くおばあさんにバスケットと花を届けたい一心で、森を小走りに駆けていた赤ずきんでしたが。

 オオカミがおばあさんの家へ入っていくのを遠目で見て、嫌な予感がし、さらに走る速度を上げました。



 おばあさんの家へ入ったオオカミは、ベッドで寝ているおばあさんを見つけました。

 本当に起きられないのか。おばあさんは胸の前で手を組み合わせて、荒く短い呼吸を繰り返しています。

 静かに近づいていくと、おばあさんは笑顔を浮かべて頷きました。


「よく来たねぇ、久しぶりに会えて、嬉しいよ、赤ずきん」

「…………」


 しかし、オオカミは何も答えませんでした。

 赤ずきんの様子がいつもと違うことを不思議に思い、おばあさんは尋ねました。


「どうしたんだい。今日はやけに静かなこと。――おやまあ、お前の耳は、そんなに大きかったかい?」

「ええ、おかげでおばあさんのお話がよく聞こえるわ」


 オオカミは、赤ずきんの声を真似て言いました。


「しばらく見ないうちに、ずいぶんと大きくなったんだねぇ」

「いやだわ、おばあさんったら。たったの一月でしょう?」

「そうだったかい?」


 会話が成り立ったことに気をよくしたのか、おばあさんは次々に質問をしていきます。


「おやまあ、お前の目はそんなに大きかったかい?」

「ええ、おかげさまで、おばあさんのお顔がよく見えるわ」

「……おやまあ、お前の手は、そんなに大きかったかい?」

「おかげさまで、おばあさんをしっかりとつかむことができるわ」

「…………おやまあ、お前の口は、そんなにも、大きかったかい……」

「おかげさまで、おばあさんをひとのみにすることができるわ」


 オオカミがおばあさんの腕をつかみ、口を大きく開けた時です――

 突然、家の扉が大きな音を立てて開きました。


「オオカミさん……なにを、しているの?」


 オオカミが目を向けると、立ち尽くす赤ずきんと目が合いました。

 傍らから聞こえてくるおばあさんの吐息が、妙にうるさく聞こえます。

 おばあさんを食べた後でおばあさんのフリをして、赤ずきんを襲う計画が失敗してしまったオオカミは、なにも答えずにおばあさんへ襲い掛かろうとしました。


「待って!」


 赤ずきんの声が家の中でこだまします。

 赤ずきんらしからぬ烈しい声音に、しかられた子供みたいにオオカミは肩をすくめました。


「どうしてそんなことをするの、オオカミさん」

「…………」


 何も言わないオオカミに、赤ずきんはただ悲しげな瞳を向けました。

 その視線に耐え切れなくなったオオカミは、ついに諦めてこうなった経緯を打ち明けました。


「――そう、なの。そういうこと」

「だから、ばあさんを食っちまわないといけないんだ」

「その後で、わたしも食べるの?」

「……ああ、そうだよ」


 再びおばあさんの方へ体を向けたオオカミは、おばあさんの様子が先ほどと違っていることに気づきました。

 額に玉のような汗を浮かべて、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していたのです。

 うろたえるオオカミに、薄い笑みを浮かべて赤ずきんは言いました。


「おばあさんの容態は、思った以上に悪いみたい。きっと長くはないんでしょう。そんな人間のお肉を食べたら、オオカミさんはどうなるかしら?」


 冷たい声に、背筋の凍るような寒気を感じたオオカミは、思わず振り返りました。

 赤ずきんは一歩また一歩と、ゆっくりと歩み寄っていきます。


「きっとお腹をこわしてしまうかもしれないわ。ううん、それどころか死んでしまうかも」


 オオカミの目の前まで行くと、赤ずきんは荷物を床に置き、震える獣の体をそっと抱きしめて、首元に顔をうずめて囁きました。


「きっとそうなることを見込んでいたのね、あの人は」

「まさか、そんなこと……」

「ねぇ、オオカミさん。わたしに考えがあるのだけど、お願い、聞いてくれる。ねぇ、オオカミさん?」


 びっくりするほどの大人びた雰囲気をかもしだす赤ずきんに、オオカミはただただ頷くしかありませんでした。



 赤ずきんの自宅では、お母さんが鼻歌交じりに料理の準備をしていました。

 テーブルに並べられた食器は二組。中央には鳥の丸焼きが置かれ、高そうなぶどう酒にワイングラスが二つ添えられています。

 サラダの準備をしていると、玄関の扉がキィと鳴きました。

 お母さんの視線の先には、暗い顔をしたオオカミの姿があります。


「あらお帰りなさい。準備は出来ているわよ、早く入っていらっしゃい」

「ああ、……そうだね」


 そう言ったけれど家にあがらないオオカミを不信に思い、お母さんは聞きました。


「どうしたの? 上手くいったんでしょう?」

「――それは、おばあさんとわたしを食べさせる計画のこと?」


 聞こえるはずのない声に、お母さんの肩がビクッと跳ねました。

 オオカミの背後から現れた、見慣れた赤いずきんを目にし、お母さんは大変驚いて声をあげました。

 

「赤ずきん! ――オオカミ、これはどういうこと?」

「お母さんったら、そんな大きな声を出さないで。オオカミさんが怯えているじゃない」


 オオカミの腕をなでながら、赤ずきんは一歩進み出ます。


「話はオオカミさんから全部聞いたわ。お母さん、酷いことをするのね。わたしだけでなく、おばあさんまで殺してしまおうとするなんて」


 オオカミから聞かされたのは、お母さんが赤ずきんとおばあさんを殺そうとしていた事実でした。

 おばあさんが赤ずきんにプレゼントしたずきんを、お母さんは一目見て気に入ったのです。

 しかし、おばあさんは赤ずきんにだけプレゼントをしました。

 お世話をしているのに、娘にだけプレゼントしたことへ、お母さんはひどく嫉妬しました。

 ずきんを手に入れるには殺してしまうのが手っ取り早い、お母さんはそう考え計画を練ったのです。

 以前からおばあさんは体調を崩すことが多かったので、機会を待ち、それまでにオオカミを手なずけて意のままに操れるようにしました。

 準備も整ってきた、そんなある日。

 ちょうどおばあさんが体調を悪化させ、寝込むことになったのです。

 赤ずきんにお見舞いに行かせたのも、オオカミにそそのかしてもらい寄り道をさせたのも計画の内でした。

 お母さんは、赤ずきんがしてはならないことを強く言われると、してしまいたくなる性格だとよく理解していたのです。


「オオカミさんをおばあさんに化けさせて、わたしを襲わせる予定だったみたいだけど。残念だったわね、お母さん」


 一歩、さらに踏み出した赤ずきんの瞳は、どこまでも闇い色を宿していました。


「仕方ないだろう! おばあさまがお前にだけあげるものだからッ――」

「羨ましかったんでしょ? わたし知ってたわ。お母さん、いつもわたしと話す時、ずきんばかり見ていたものね」


 言葉を詰まらせ、顔を引きつらせたお母さんは後ずさりました。


「そんなに欲しかったの、このずきん。なら、ずっと一緒にいさせてあげるわ」

「な、なにをする気だい……?」

「――オオカミさん」

「はいよ」


 無言で成り行きを見守っていたオオカミは、ニタリと笑むと――お母さんの元までのしのし歩いていき、大きな手で髪の毛をつかんで引きずりました。


「な、なにをするんだいオオカミ! 今ならまだ許してやるから、早く赤ずきんを食い殺すんだよッ!」

「残念だったな。もう俺はあんたのペットじゃないんだ。新しいご主人の命令なんでね、悪く思うなよ」

「放しな! このッ」


 お母さんは暴れ、テーブルの上の食器を投げつけたり、鳥の丸焼きを掴んではオオカミに殴りかかりました。

 しかしオオカミは大きな口を開けて、鶏肉を丸呑みにしてしまいます。


「赤ずきん、面倒くさいからもうここで殺ってしまってもかまわないかい?」

「ダメよ、オオカミさん。汚い血で床が汚れてしまうわ。殺すのなら家の外でお願いね」

「はいよ」


 オオカミは返事をすると、ずるずるとお母さんを家の外へと連れ出しました。

 お母さんの怒った声が、扉で隔たれ少しだけやわらかく聞こえました。


「待って! 赤ずきん、私が悪かったよ、謝るから許しておくれ――」


 外から泣いて許しを乞う悲痛な叫びが響いてきます。

 けれど、赤ずきんは何も答えません。冷え切った視線で玄関の扉を見つめていました。

(さようなら、お母さん)

 バタバタと暴れ回る音が聞こえ、そして、


「――赤ずきん、助けて、お願いよッ! 許し――ぐぇ……」

「くすくす。お母さんったら、つぶれたカエルみたいな声を出して……みっともない。でもね、お母さんもわたしにそれをしようとしていたのよ。このずきんのためだけに、ね。……ひどいと思わない?」


 断末魔の悲鳴をあげることなく、お母さんはオオカミに噛み殺されて死んでしまったようです。

 耳の痛くなるような静けさが降りました。

 しばらくして、


「終わったよ、赤ずきん」


 と、口元を真っ赤に染めたオオカミが、扉を開けて言いました。


「ふふ、ありがとう、オオカミさん」


 赤ずきんは、オオカミの頬に口付けをすると、かぶっていたずきんを脱ぎ外へと出て行きました。

 首元からどくどくと流れる大量の血液を下敷きに、死んでいるお母さんの元へ歩いていくと、


「でも安心して。お母さんも大好きだったこのずきんは、わたしの宝物にするから。きれいに染め直して、もっともっと赤く紅くするのよ。血のように、ね。お母さんもずっと一緒にいられるわ。ふふふ」


 こぼれる鮮血を手ですくい、ずきんに塗りたくり丁寧に染めていきます。

 ずきんを染め終わると、お母さんの体はオオカミが美味しくいただきました。


 その後。

 森では、ときどき行方不明者が出るようになりました。

 町では、妖精が誘拐したとの噂が、まことしやかに囁かれましたとさ。



 ――昔々あるところに、とても可愛らしい女の子がいました。

 ある時、女の子は、おばあさんから赤いビロードのずきんをプレゼントされました。

 ずきんがその女の子にとてもよく似合っていたので、みんなはその子を『赤ずきん』と呼ぶようになりました。

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