願う、ニセモノの北極星に

 今回のお題――【デネブ・アルタイル・ベガ】 【一ヵ月無料お試しキャンペーン】 【キリエ エレイソン】 【密室空間】

 

 

 

 

 そのサービスをお願いしたのは、たぶん気の迷いだったんだと思う。

 僕はとても疲れていた。

 摩耗していたし、いまにも圧し折れそうだった。

 目をませばいつも、見慣れた天井がえる生活というのは、それなりにくるものがある。

 白い天井、白い壁、白いカーテンに、白衣の先生、看護士さん。

 僕よりも重篤じゅうとくらしく、挨拶をしても返答がないお隣さんにカーテン越しにそれでもあいさつ。

 お茶をんで、テレビを見て。

 本を読んでコーヒーをれて。

 そうしていくつかの検査を受けて、眠りにつく。

 そんな生活を延々と続けていれば、いやでも精神が腐ってくる。

 だから、気の迷いだった。

 

 プラネタリウム出張サービス。

 

 顔見知りの看護師さんにそんなものをすすめられて、僕はどうしてか、受け入れてしまった。

 一か月間の、無料お試しキャンペーン。

 なんでも、30日間毎日、小型のプラネタリウム施設が僕のところへ出張してきてくれるらしい。

 本体は5万円以上もする高額なものだけれど、期間中は廉価版れんかばんが案内され、それで満足したのなら購入して欲しいという趣旨しゅしだった。

 少しあやしげなうたい文句だから、僕はちょっぴり物怖じしたけれど、しかし、変化が欲しかったのも事実だった。

 代わり映えのしない病室で、残りの日々を送るのかと思うとぞっとするものがあった。

 だから、悩んだ末に僕は、それをお願いすることにしたんだ。

 

 サービスは、次の日からやってきた。

 それはとても意外なものだった。

 プラネタリウムはプラネタリウムだ。

 小さな丸っこい機械。

 それが届けられた。

 しかし、その機械と一緒に、毎日ひとりの女性が僕のところを訪ねてくるようになったのは完全に予想外だった。

 彼女は、自分を解説員アテンダントだと説明した。

 

「当社の廉価版プラネタリウムには解説機能がありません。ただ、正規品にはあるんです。だから、その代わりとして、私がいるんです」

 

 そんなわかるような、わからないような説明を聞かされて、僕は正直戸惑った。

 これで結構ひとみしりをするたちで、初めて会う人間には緊張してしまうのが僕だった。

 だから、そういうことなら断ろうかと思って。

 だけれど言い出せないでまごついていると、彼女は柔らかい笑みを浮かべて、

 

「それでは、投影をはじめますね」

 

 部屋を閉め切り、真っ暗にしてしまうと、勝手にプラネタリウムのスイッチを入れてしまったんだ。

 そうして、始まったのが、星々の祭典だった。

 

 四角い部屋に、丸く広がる夜天の世界。

 明けの明星、金星の安っぽい、だけれど力強い光が灯るところから、それは始まった。

 

「ごらんください、北の空を」

 

 そう言って彼女が指し示すのは、入口。

 

「ひときわ眩しく輝く星が見て取れるでしょうか。あれが、北極星です。昔の人々は、決して消えないその星を旅の目印にしました。また、その絶対性から神格化され、神様のようなものとしても扱われます。天におわします我らがなんとか、です!」


 でも、実は少しずつずれているんですよ? 正確じゃないんですって!

 そう言って、彼女はウインクをしてみせる。

 僕は気まずくなって、思わず視線をそらしてしまう。

 彼女は気にせず、解説を続ける。

 

「では、次は中天に――」

 

 ……体力的の問題がある僕は、一日ですべての説明を聞くことが出来なかった。

 正直、その日で打ち切ってしまおうとも思ったけれど、何となく続きが気になって、僕は翌日も、そのサービスをお願いしてしまった。

 彼女は笑顔で、

 

「では、また明日あいましょうね!」

 

 弾けるような笑顔を見せて、機械と一緒に去って行った。



 ◎◎



 それから毎日、彼女はやってきた。

 毎日毎日やってきて、少しずつ、少しずつ、僕に星の世界のことを教えてくれた。

 さそり座の一等星をアンタレスと呼ぶこと。

 うしかい座のアルクトゥルスがとても巨大な星であること。

 ヘルクレスの逸話。

 etc.etc.

 そんないくつものお話の中で、ある日彼女が語った内容が、どうしてだか僕のなかには色濃く残されている。

 

「夏の大三角形をごぞんじですか? あれがデネブ・アルタイル・ベガ、きみを探す夏の大三角♪ っと、そんな感じで有名なものです」

 

 僕は知っていると答えた。

 その歌は知らなかったけれど、一般教養として、その星座のことは知っていた。

 

「んー、げんみつには星座じゃないんです、これ。単に見つけやすい星に線を引いて大三角って呼んでいるだけなんですね」

「へー」

「でも、二つの星は、お互いをよく、見知っているんですよ?」

 

 いたずらな表情でそう言われても解らない。

 頭に疑問符を浮かべて首を傾げると、彼女はくすくすと笑った。

 

「彦星さまと織姫さま。七夕で有名なこの二人の人物は、彦星がアルタイル、織姫がベガに相当します。一年に一回出会える恋人同士さんですね」

「じゃあ、デネブは」

「はい?」

 

 デネブは、なんなんですか?

 好奇心のまま、そう尋ねると

 

「はくちょう座のデネブ。これはとても無関係です。二人の恋路を見ていることしかできない、寂しいやつなんですよ」

 

 そんな風に、彼女は言った。

 口元をかすかにふるわせて、目じりを下げて、ハの字眉で。

 どこかさびしそうに、そう言った。

 

 

 ◎◎


 

 そんな生活が、しばらく続いた。

 どのくらいだったか、十日は続いたと思う。

 僕の病状は特に変わらず、目を醒ませば見慣れた白い天井があった。

 白い天井、白い壁、白いカーテンに、白衣の先生、看護士さん。

 僕よりも重篤らしく、挨拶をしても返答がないお隣さんにカーテン越しにそれでもあいさつ。

 お茶を汲んで、テレビを見て。

 本を読んでコーヒーを淹れて。

 そうしていくつかの検査を受けて、眠りにつく。

 そんな規則正しい生活の中に、彼女とのひと時が、いつの間にか組み込まれるようになっていた。

 ……ある日の、ことだった。

 その日、彼女はやってこなかった。

 プラネタリウムの機械だけが届けられて、それを説明するものはいなかった。

 僕はほんの少し、それを寂しく思い。

 そんな自分に驚いた。

 いつのまにか、彼女とのひと時は、僕にとってなくてはならない大切なものになっていたのだ。


 

 ◎◎


 

『密室の中で、二人きりでお話しするなんて、まるで恋人同士みたいですね』

 

 彼女はそう、スケッチブックに文字を書いて、微笑んだ。

 あの日から、どれだけの時間が過ぎただろうか。

 彼女が僕の元を訪れなくなって、プラネタリウムを解説するものがいなくなって、どのくらいの時間が経っただろうか。

 その時間の経過をさまざまと見せつけるように。

 残酷に、突き付けるように。

 彼女はそこに、横になっていた。

 白いベッド。

 見慣れた天井、見慣れた壁、見慣れたカーテン……

 どうして、僕は今まで気が付かなかったのだろう――己の愚劣ぐれつさに嫌気がさす。

 彼女は、ずっとそこにいたのだ。

 彼女は、そこにいたのだ。

 声をかけても返答がない、顔をあわせたこともない僕より重篤なお隣さん――それが彼女だった。

 そう、彼女は僕と同じ、末期の患者だったのだ。

 僕がいるそこは〝ホスピス〟だった。

 ターミナルケア、人生の終わるまでの時間を見詰めるための、末期治療が行われる場所。

 僕は。

 僕と彼女は、そこの患者だった。

 待てど暮らせどやってこない彼女を探し求めて、僕が事の次第に気が付いたのは、ほんの数時間前。

 顔なじみの看護師さんを問い詰めて、ようやく僕は真実を知った。

 

「どうして」

 

 僕は問いかける。

 

 彼女は答える、もはや声も出せない姿になり果て。

 か細いその手に、振るえるその手でペンをとって。

 

『だって、まいにち挨拶してくれたじゃないですか』

 

 だから、それに応えたかったのだと、彼女は微笑んだ。

 

 たったそれだけの理由だった。

 彼女が、僕の為にしてくれたことから考えれば、その致命の身体をおしてやってくれたことと比較すればどうしようもなくちっぽけなそんな理由で、だけれど彼女は、僕の日々を彩ってくれたのだ。

 白しかない僕の毎日に、夜と星々の世界を、届けてくれたのだ。

 

「どう、して」

 

 気が付けば、僕は泣いていた。

 彼女の前で、見苦しくも泣きじゃくっていた。

 なんということだ、いま僕がすべきは後悔ではなくて、彼女にお礼を言うことのはずなのに。

 ああ。

 嗚呼。

 

 何かが、僕の髪に触れた。

 

 ハッと顔をあげる。

 彼女の手、枯れ木のようなそれが、僕の頭を、優しく撫でている。

 慈母のような微笑みが、彼女の口元に浮かんでいた。

 


 ◎◎


 

『 あなたにとって私は、いてもいなくても同じものでしたね。ですが、あなたが私にかけてくれた言葉は、本当にすごく、嬉しかったのです。

 おはよう、こんにちは、いただきます、ごちそうさま。そして、おやすみなさい。

 眠ることが怖かった私に、あなたの言葉は何よりの睡眠導入剤になりました。

 眠れば二度と眼が醒めない気がしていても、あなたの言葉を聞くと、私はよく眠ることが出来ました。だから、恩返しをしようと思ったのです。

 私は、あなたにとっての織姫にはきっとなれないでしょう、そしてそんなことをされてもあなたは迷惑だと思います。

 だから、私はデネブになることにしました。掛け替えのないものではなくて、どうでもいい、だけれど、あなたを見守るものに。

 そうなろうと誓ったのに。

 ごめんなさい。さきにいきます。

 あなたはどうか、ゆっくりとこちらにやってきてください。

 あなたと過ごした日々、とても楽しかったです。

 ありがとう。ありがとうございます、アルタイル』

 

「――――」

 

 僕は、その手紙を読み終えて、顔を覆う。

 いつまでも、いつまでも俯いたまま嗚咽を続ける。

 痛みを覚えるほど、何度も何度も目元をぬぐっているうちに、いつの間にか部屋のなかは暗くなっていた。

 僕は、手元に残ったの、電源をいれる。

 四角い部屋の中に燈る、丸い夜天の世界。

 北の空に見えるのは、安っぽい北極星。

 それは、神様のような星だと、彼女は以前語っていた。

 僕はそれに願う。

 にせものの星空の、にせものの神様に願う。

 神よ、主よ、どうか、僕たちを憐れんでください。

 どうか。

 

 どうか彼女が――空に昇ってお星様になれますように。

 その魂の輝きが、損なわれませんように。

 

 

 いつか僕が、天の川を渡って逢いに行ける日まで。

 見失わないように、輝いていられますように。






 僕は、ニセモノの北極星に、そう願った。

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