完全なる抹消屋

 今回のお題――【赤酸漿】 【自宅でできるお手軽セラピー】 【ゲゼルシャフト】 【大嫌いだった】

 

 

 ゆっくりと湯船に浸かる。

 ただし半身だけ。

 こうすることで代謝がよくなり、汗とともに不純物が身体の外に出ていく。お手軽セラピーの一種だが――私に限っていえば、それは医者からの提言によるものだった。

 心臓の発作を極力おさえるためには、心臓より高い位置を湯船に浸けることを、よしとはされていないのだ。

 商売柄、心臓は酷使するし、年々弱っていく。

 大切にするのもプロの流儀だ。

 細く長い息を吐き、私は汗を流していった。

 


 ◎◎


 

 風呂上りにフルーツ牛乳をあおっていると、仕事用のマルチ・デバイスが着信を告げた。

 瓶から口を離さないまま、デバイスを手に取り、疎通状態にする。

 

「本日深夜27時。ふたつの対象はBIG‐Fビルディング34階のオフィスで密会を行う」

 

 聞こえてくるのは、無機質な電子合成音声だ。

 私は如何なる組織に属しているわけでもないが、クライアントとの中継役は必要だ。ただ、人間では嘘を吐く。絶対中立の存在であることが望ましく、その点、この〝機械知性体〟は信用できる。

 こいつらは絶対に嘘をつかないし、嘘を吐けない。そして情報は精確ときている。これ以上の仲介人――いや、仲介機械はない。

 機械知性体の声は、その後も対象について事細やかな情報を付与していき、そして最後に、

 

「なお、この依頼を阻止すべく、第二情報都市同盟がたちばなクオンを雇い入れた模様。十全に警戒すべし」

 

 と、余計なおせっかいを焼きやがった。

 機械知性体は常にフェアな存在だ。

 その情報が私のもとに齎されるということは、とうぜん〝アイツ〟のもとにも届いているわけである。

 私はフルーツ牛乳を飲み干すと、大きく息を吐いた。

 忌々しい橘クオンめ。今度こそ容赦はしない。

 静かに闘志をもやし、私はぐっと胸の前で拳を握った。

 ……事前に準備していた物を、冷蔵庫から取り出すのを忘れない私は、実に抜け目がなかった。

 


 ◎◎


 

 この世界は情報が基盤だ。

 情報を中心に回っている。

 だから都市の名前も、第一情報都市だとか、第十七情報都市だとかになっている。

 情報を基礎にして、一つの共同体が利益的なつながりを持つ社会、とでも言えばいいか。

 要するに、みんなで情報を共有しよう! そして利益を追求しよう! という世界だ。

 んで、とうぜん重要な情報は利益に直結するし、その情報を誰よりも早く手に入れたい、或いは敵対勢力の手に渡る前に抹消したいと願うものが現れる。

 そんな彼らの需要を充たすのが私――抹消屋のお仕事な訳だ。

 そうして、橘クオンは、かつて私の相方だった男だ。

 これ以上なく相性の良い弟子であり、これ以上なく最高の相棒だった。

 ……その、最悪な性格を除けば。

 

「ホーリッシット……こんなことするかね、普通?」

 

 BIG‐Fビルへと続くすべての公共交通網が、停止していた。

 渋滞、緊急メンテナンス、事故……さまざまな理由でインフラがパンクしている。

 最大限事態を大事おおごとにし、その混迷をもって隠蔽を図る。それが橘クオンの流儀だった。私とは相反するそれだった。

 

「いっぺん、ブッ転がす」

 

 堅く誓いながら、私は乗ってきた単車を路肩に止める。

 そうして、手首のハッキング・デバイスを操作する。

 いまどき珍しい有線式ハッキングツール。これには様々な使い道があった。

 伸縮自在の強化ナノ・au・カーボン・チューブを、近くの建造物の上層へと投擲する。

 ヒュィィィィンと空を裂いて走る糸は、ネオンの消えた看板へと絡みつく。

 巻取りを開始。同時に走り出す。

 跳躍。

 私の身体は宙に浮く。

 振り子の要領で距離を稼ぎ、糸を解けば、さらなる高みへと私は飛んで行く。

 もう一度、新たな建造物にターゲットを定め、糸を投擲。巻き上げ。風を切って加速。

 闇夜の世界で、静寂の世界で、私はピーターパン染みた自由飛行を成し遂げる。

 さあ、目的地へと急ごう。

 

「あの大莫迦者オオバカモノが待っているはずだから」

 


 ◎◎


 

 ビルディングは厳戒態勢にあった。

 正面玄関から裏口、各種通用口に非常口の一つ一つに至るまで、黒服の解りやすい連中が、厳めしい顔をさらに厳めしくして突っ立っている。

 この第十七情報都市有数の密会場所――BIG‐Fビルディング。

 そこにただでさえ厳重な警備態勢が、あの莫迦がやらかしたせいでさらに厳重になっていた。

 ほかの抹消屋なら、この時点で依頼を反故ほごにすることだろう。

 だが、私は違う。

 普段の私ならそれでもいいが、橘クオンが絡んでいる以上無視も出来ない。

 私は最低限の暴力しか振るわないが、あの最低野郎はビルごと爆破することだってあり得る。

 流石にそこまで準備する時間は無かったはずだが、しかしありえないとは言い切れないのが元相棒の悲しい所だ。

 私は溜息を吐きつつ、ハッキング・デバイスを本来の用途で使用するため立ち上げた。

 近くに停車していた高級車。

 その電子キーをコンマ数秒で開錠する。

 エンジンをダイレクトにハッキング――いや、クラッキングか。

 強制起動し、最大限エンジンをふかす。

 

 

 そして――そのままBIG‐Fビルディングの正面玄関へと突っ込ませた。

 

 

「ギギーィ!ドガバキゴラン!プアー!ゴアー!……どがーん!」

 

 ……言ってて悲しくなってきたが、実況中継するとそんな感じだ。

 そんな感じの擬音だ。

 あまりといえばあんまりな正攻法――まさに正面突破した高級車に、警備員たちの警戒が集中する。

 その瞬間を狙って――私はを発動した。

 

「――――」

 

 タレント。

 それは一種の、超常能力。

 対価を支払うことで、自身の力を解き放つ。

 私のタレントは〝存在隠蔽〟。

 その瞬間に注目されていなければという条件付きだが、光学・熱感知・振動――その他あらゆる感知装置からも逃れることができる。

 それは、人間の眼に対しても有効だった。

 私は平静を心がけながらその騒ぎの渦中を〝歩いて〟抜ける。

 ……よかった、怪我人はいない。

 万が一既に探知されていることを警戒しての、普段は取らない強硬策だったが、あまりに私らしくない手段だ。どうやら、あの莫迦野郎に影響されているらしい。

 辟易としながら――しかし決して〝息を吐かず〟私はビルの内部に侵入する。

 警戒網をある程度抜けたところで、ようやく呼吸を再開した。

 

「っぷは!」

 

 死ぬ。

 本気で死ぬ。

 私だけ対価がこんなのって、ちょっと重すぎる。

 私は荒い呼吸と酷い眩暈をムリヤリに抑え込みながら、ビルの中を進んでいく。

 目的の34階に辿り着くまでに、私は都合3度タレントを使わなければならなかった。

 ブラック。

 ブラァァック企業。

 いや……個人経営だけどさ。

 特に何もしないうちから心身ともにボロボロになりつつ、私はようやくそこに辿り着く。

 34階オフィス。

 そこへと続く扉の前に。

 

 橘クオンが、ニタニタといやらしい笑みを浮かべて立っていた。

 

「残念だったなぁ世界最高の抹消屋ぁっ! この先にはいかせねぇよぅ!!」

 

 ……あー、死なないかなこいつ。今すぐ隕石とか降ってきてド頭かっ飛ばされて死なないかな、こいつ。

 そう思わずにはおれないようなイラっとくる表情で、そいつは、橘クオンは高らかに宣言する。

 いい感じの大声だ。すぐに警備が集まって来るだろうし、部屋の中の対象も移動してしまうかもしれない。

 つまり――ことは急を要するということだった。

 

「今日こそテメェに打ち勝って、僕がサイッコーにクゥゥゥレストな抹消屋だってことを証明してやるぜ!!! 既にこの部屋に爆薬を仕込んである! あと一分で大☆爆☆発! 止める方法は僕を倒すことだけだぜええええええッ!!!」

「……莫迦が。阿呆が。底抜けのノウタリンが」

 

 そんなことをほざくから、私はお前の相棒を降りたんだ。

 お前が私の横に並ぶのを諦めたのだ。

 莫迦者め。

 大莫迦者め。


「出し惜しみはなしで行く。私のタレント――私の〝世界〟。ついてこれるものなら、ついてきてみろ!」

「はっ! テメェの能力は底が割れてんだよ! やってみやがれっ」

 

 言われるまでもなかった。

 私は、手元に隠し持っていたそれを投げる。

 相手が殺傷性の爆薬を使うのなら――こちらは〝非殺傷の爆薬〟だ!

 

閃光手榴弾スタングレネード!」

 

 それが地面に落ちる前に、私は目を閉じ――息を止める。

 閃光と爆音が、すべてを純白に染め上げる。

 

「――――」

 

 私のタレントは〝存在隠蔽〟。

 呼吸を止めている間、あらゆる監視網から逃れる能力。

 それは、事前に捉えていない限り絶対に補足できない完全なる隠蔽。

 だが――


「知っているはずだぜぇ……? 僕のタレントがなんだったのかを」

 

 橘クオンは、真っ直ぐに私を見詰めていた。

 その眼を、炯々けいけいと朱に燃やして。

 まるで赤酸漿ほおずきのように赤い眼差しで。

 私を、捉えていた。

 そう、それこそが彼の能力。

 〝認識継続〟。

 あらゆる状況下で、すべてのものを理解し続けるタレント。その眼からは、決して誰も逃れられない。

 どんな情報も、それを護るセキュリティーも、その眼の前では無力だ。

 私のタレントですら。

 彼は、私に向けて銃を構えた。

 その口元が、奇妙な痙攣とともに吊り上る。

 勝利を確信した笑みだ。

 数秒後には、このオフィスはビルごと吹き飛ぶだろう。

 そう確信した笑みだった。

 自分の命すら捨てて、私に勝利しようとする気概。

 ……なんだ、お前にも案外、気骨ある部分があるじゃないか。

 だけどな、橘クオン。

 

 ――私は、自分の命を蔑ろにするおまえが大嫌いなんだ。

 

 大嫌いだったんだ。

 だから――


「お前こそ知っているはずだ――だから、私の世界に置き去りにされろ。――完全世界サイレント・ワールド

 

 私は言葉を吐きだし。

 呼吸ではなく――〝心臓〟を止めた。

 私を中心として放射線状に、あらゆるすべてが灰色に染まる。

 それは完全なる世界。

 絶対の情報隠蔽。つまり――時空間停止。

 それが私の真実の能力で。

 だから、誰にも私にはついてこられないのだった。

 

「おやすみ――大好きで、大嫌いだった莫迦弟子」

 

 その首筋を、ナノ・au・カーボン・チューブでゆっくりと締めあげる。

 再び時間が動き出す。

 

 

「「かはっ!」」

 

 図らずも重なった声は、しかし数秒後には片方が消えていた。

 動脈を圧迫され意識が刈り取られた元相棒の身体を床に横たえ、私は鎖されていたドアをひらいた。

 そこに在ったのは――二台の古びたノートパソコン。

 その二台がLANケーブルで直結され、データの転送が行われていた。

 これが〝密会〟の真実。とても命を懸けるには値しない物事。

 私はため息とともに、ハッキング・デバイスを二台のパソコンへと投擲した。

 


 ◎◎


 

 ……そうそう。

 この話をしないと締まらない。

 橘クオンのタレント、その対価は能力の使用後、一番初めに眼についた食べ物を完食しなければならないというものだ。

 私は彼の前に、手作りのほおずきジャムを置いてきた。

 彼の眼の色にちなんだそれの、しかも、わざわざ有毒性の強い観賞用ほおずきで作ったジャムだ。

 

「ふふーん……目覚めたらむさぼり食って、大いに腹痛で苦しむといい」

 

 莫迦弟子の愉快なその後を想像しつつ、私は夜の闇を駆け抜ける。

 私の名は永久子。

 橘トワコ。

 

 世界を欺く私を、この情報化社会で絶対の隠蔽を可能にする私を、人々は口々にこう呼ぶのだった。



 世界でただひとりの、完全な抹消屋と――

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