(補足話) 父と×××

 ああ、ラーメンを食べてみたいなあ。


 ×××はどうやら、ラーメンの魅力にとりつかれたようだ。

 膝立ちのまま、待ちきれないように体を左右に揺すっている彼女に、今度一緒に食べようよ、と囁いた。×××はうれしそうに、にっこりと笑った。

 結局、父のことはあまり話さなかった。どうせ×××と父が顔を合わせることはないだろうし、そもそもこの場所には来て欲しくなった。けれども数日後の日曜に、信じられないことが起こる。


 ぼくが母に声をかけてから、いつも通りの道順を通って空き地に向かった。そしてカーブミラーを左に曲がった場所で、父の後ろ姿が見えた。

 咄嗟に、角に隠れる。どうして父が、原っぱの前にいるのだろう。こっそりと頭だけを出して、監視をする。父の腕には、酒屋の名前がプリントされたねずみ色のビニール袋がぶら下がっていた。

 どうやら、狸の酒屋に買い物に来ただけのようだ。ほっと、胸をなで下ろす。だが父は、なにかに気付いたように、家への帰り道ではなく逆方向、空き地へと足を進めた。

 ぼくはさらに接近して、狸の置物の影に隠れた。スパイみたいだな、とわくわくしていた。お店の前にはお酒の瓶だけでなく、めんこやびゅんびゅんごまといった、少し古臭いようなおもちゃの数々が、段ボール箱に入って並んでいた。少し気を取られながらも、注意深く父の様子を探る。

 父は、ピクリとも動く気配がしなかった。ただ首から上だけを、原っぱの中を見通すように傾げているだけだった。

 ×××はどうしているだろうか。ぼくは、今度は父の背後にある電柱に素早く移った。

 原っぱと道路の境界線に立ち続ける父の、その足下に彼女はいた。


 てい、てい。


 なんだかぽかぽかと、父の脛あたりを殴っているようなモーションを繰り返していた。大人にはよっぽど入って欲しくないようだった。

 一人で格闘をしている×××と、それに全然気付かないで直立している父に、笑い声を堪えるのが大変だった。


 この日はそのまま、空き地には寄らないで家に帰った。なかなか父が、前の通りからいなくならなかったからだ。

 晩ご飯の時間になって、二階の部屋からリビングに降りる。テーブルを囲んで食事をしていると、日本酒のお猪口を持った父が、ご機嫌そうに大口を開けた。


 そういえば今日、酒屋の隣に空き地を見つけたぞ。しばらく通っていたが、あそこはなかなか目に入らなかったな。あの敷地の大きさなら、高井戸軒を出店できそうだ。


 ぼくは、箸で挟んでいたシナチクを、取り落としそうになった。

 今日の父の不可解な行動が、まるで名探偵のように、瞬間的に繋がった。父はこの地域で、出店できそうな土地を探していたんだ。

 どうにかして、やめさせないと。

 ぼくは、つい叫びそうになった。だが、それを押しのけるように、流れるような自然な動作で、母が間に入った。日本酒の瓶を傾けると、父のお猪口に注いでいく。


 まあ、それはよかったわね。お祝いしなくちゃ。


 父はうれしそうに、並々入ったお酒を飲み干した。

 器が空くとすぐに、母がまた補充をする。父の顔が、みるみるうちに赤くなっていった。


 ここらちかくでは、飲食店が少ないんだあ。だからぜったいに、ひっとするだろお。


 父の呂律が、段々と回らなくなってきた。猿のように色濃くなった顔が、今や天狗のような酷さだった。

 ぼくは心配になって、笑顔でおかわりを入れ続けている母を見つめた。母はちらりと、ぼくに視線を向けると、手に持った日本酒の瓶を離さないままウィンクをした。


 もう夜も遅いから、コウスケは寝なさい。


 ぼくはその言葉に、底知れない迫力を感じた。

 はい、と喉を緊張させて答えて、テーブルの上の食器を片付けてから、廊下に出て扉を閉めた。はめ込み式のガラス窓から、ちらりと盗み見る。

 中からは、未だ終わる気配のない、地獄のような宴が展開されていた。


 翌日になると、父は生気の抜けたような顔をしていた。土黄色のような皮膚をして、トイレの中に閉じ籠もっていた。

 ぼくはそれを見届けて、母の作戦が成功したことを悟った。

 結果、父のラーメン店出店計画は、ぼくと母の作戦によって有耶無耶にすることに成功した。そしてこの八年後に、父はまたこの場所にお店を出そうと目論むのだが、下見に再度訪れたときに、交通事故を起こしてしまう。

 二度も話が流れてしまうが、それはまた別の話。





 補足話 父と××× 了..

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