第19話 またのご来店をお待ちしております。

 目を空けたら見慣れた天井だった。

 天窓から月の光がこぼれている。

 起き上がってみると、部屋の中はいつも通りだった。――ううん、すぐ横に、お師匠様が座っていた。


「あれ、お師匠様?」

「目が覚めたか」


 起き上がってみる。うん、体にもどこにもおかしいところはない。

 なのになんで、師匠が来たんだろう。

 前に師匠がいきなり来た時は、僕が熱を出してぶっ倒れた時だった。もしかして今回も?

 確か、どっかに呼ばれてたはずなんだけど、どうして家にいるんだろう。


「何かあったんですか、お師匠様」

「うん、ちょっとアリスがへまやってね。……ここを出る」

「えっ!」


 姉さんが? いったい何をしたんだろう。ここを出るってことは、僕らの秘密を他の人に知られたってことだ。


「せっかくお店を持てたのに……ごめんなさい、師匠」

「いや……いつものことだ」


 師匠は全く表情を変えずにこともなげに言う。

 いつものことって言うけど、いつもは賃貸だった。でも、今回は違う。店を買ったんだ。この村は王都からも離れた小さな村だし、大丈夫だと思って。


「店に置いてあった薬は私が配達しておいたぞ」

「あ、すみません」


 ベッドから降りて服装を変える。寝間着を脱いで、旅装に着替えると、クロゼットの中から鞄を取り出した。


「貸せ」

「あ、はい」


 師匠に旅行用の黒い布の鞄を手渡すと、師匠は鞄を足元に置いて、なにかをつぶやいた。閉じたままのワードローブの扉が開いて、中に収めていた服が次々と鞄の中に飛び込んでいく。

 このシーンを見るのは何度目だろう。引っ越しの度に見てきたけど、やっぱり仕組みがわからない。あんな小さなカバンに、僕と姉さんのオールシーズンの服が全部入るはずがないんだ。その上、あれだけのものを入れても片手で担げる程度の軽さしかない。

 師匠によれば空間魔法とかいうものらしいけど、魔法には縁がない。師匠曰く、僕らの体はこの体質――と言っていいのかどうかわからないんだけど――のせいで、常に魔力が吸い取られてるらしい。だから魔石の援助がない限り、僕らは魔法を使えない。ほんの少し――水を汲んだり火をつけたりする程度の魔法でさえ。

 僕らの荷物が全部収まったところで、師匠は僕に鞄を差し出してきた。やっぱり軽い。

 それから、師匠は僕を部屋から追い出して、別の黒いカバンを取り出した。同じように鞄の口を開いて何かをつぶやき――部屋に残っていた家具があっという間に吸い込まれていく。

 僕の鞄よりも小さなその鞄にベッドや椅子、テーブルまで入るなんて、やっぱり分からない。とんでもない魔法なんだろうなとは思うけど。

 師匠の魔法が終わったあと、部屋に残っていたのは作り付けのワードローブだけだった。


「次行くぞ」

「はい」


 キッチン、風呂、地下室と全部の部屋を回り、師匠は鞄に何もかもを入れていく。

 地下室は薬草畑で、なかなか手に入らないものをプランターで栽培してたんだけど、さすがにそのままでは入れられない。

 師匠がなにかの魔法を薬草にかけた。見る間に薬草は育ち切り、収穫できるほどになる。


「これでいいか?」

「はい。収穫終わったら種が欲しいんですけど」

「わかっている。急げよ」

「はいっ!」


 慌てて収穫する。これらは一年草で、種が取れれば次も育てられる。幸い多年草はなかったから、苗を残す必要はない。

 全部収穫して袋に詰める。これも本当はすぐに天日干しにして乾燥させたいんだけど、そんな時間はない。でも、師匠の空間魔法で鞄に入れておけば、新鮮なままにしておけるのは何度も経験したから心配していない。

 育ち切った薬草が種をつけて枯れた。種をすべて集め、枯れた草を引き抜くと、師匠は別の袋を準備して魔法を紡ぐ。プランターに入っている土だけがその袋に入っていき、残されたプランターは別の鞄に収められていく。

 すべてが終わって、薬草と種の袋も師匠に預ければ終わりだ。


「じゃあ、行こう」

「はい」


 店に出れば、もうすべての品物は回収し終わっていて、何一つ残っていなかった。

 あの長椅子も、カウンターの中の薬棚も、一切が何もない。カーテンだけはそのままかけられている。


「あれ、いいんですか?」

「ここは手放さないからな」


 驚いて目を見開く。


「せっかく手に入れたお前たちの居場所だ。手放す必要はないだろう。そのうち誰かに貸すように手配してもいい。そうすれば多少の家賃も入る」


 僕らの居場所。もし、いつか自分の体を手に入れられたら、戻れるだろうか。


「そうですね」


 外に出て扉を閉じ、鍵を閉める。空を仰げば、まだ月が高い位置に煌々と輝いている。

 この光景を見るのも何度目か。

 鍵をぎゅっと握りしめて、店を見上げる。

 店の前の日よけの色を選んだのは姉さんだった。まるで花屋みたいなかわいらしい色。ショーウィンドウに貼り付けた店名のカッティングは僕がした。貼ったのは姉さんだったけど。


「そろそろ行くぞ」

「はい」


 でも、今までとは違う。

 今まではここを離れれば二度と戻ってくることはなかった。今回は、戻ってくることができるかもしれない。

 いや。戻ってくる。――いつになるかはわからないけど、絶対。

 月明りに照らされる石畳を、僕は歩き出した。

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