第3話 凛の過去 (4)

 ある日、凜は学校が終わり、自宅の部屋に帰ると鞄を机の横にそっとおろした。

凜の部屋は比較的無駄な物がないシンプルなもの。剣道の防具などは勿論、部室に保管してあるから部屋にある訳でも無い。まあ、トロフィーはいくつがあるが。


 制服のリボンを外し机の上にポンと置くとその横にある機器に目が向いた。

 シラトラのシステムが詰まったデバイス。そのパネル部分には《CHARGING……》の文字が点滅している。デバイスを包み込むような光を発している機器こそが、デバイスの充電機器。凜に詳しい事は分からないが、この機器が家庭に送られてくる電流をシラトラにあったエナジーに変換しているらしい。


 それを一瞥すると部屋着に着替え、ベッドの上に転がった。途端に部屋には奇妙な静けさが生まれはじめ、しっかりと耳を凝らすとようやくかすかに聞こえるデバイスの充電音だけが部屋に残る。やがて意識が少し離れていくような感覚を覚え始めた。


 そして蘇ってくるのはあの日。中学校に入った直後ぐらい。あの事件から五年ほどたったあの日。……凛が決意したあの日だ。


 凄く不思議な感覚だった。この部屋の中に突如真っ白な光が生まれた。それは気付くまでもなく部屋と凜を包み込んだ。で、気が付いたときは、自分の部屋にいた事を忘れてしまいそうなほど真っ白な空間にいた。まるで上下左右が分からないようなその感覚。その中で凛とそれ以外にもう一人の人がいた。それは男性だった。

 光がとても強く逆光などによってほとんど顔は見えなかったが、凜よりはるかに高くて男性が立派な大人だと言う事はよく分かる。でも、どうなっているのか、どうしたらいいのか、これからどうなるのか、何一つわからず困惑と恐怖だけが凜を襲った。


 思わず、いい年のはずなのに泣きそうになってしまった。突如、自分の知らない世界、真っ白で何もない世界に放り出されたショックに目の前に知らない男性。泣きだすほかに選択肢など……。でも、その時浮かんできたのは五年前の弱い自分。

 あの事件の後、周りからは凄く丁寧に扱われた。何度も何度も、嫌と言うほど「可哀想に」と言われた。憐れむ、同情、まさにそれだった。自分の弱さが嫌いって告げた事もあった。でも、それに対してこう言われた。

「小さかったから仕方がない。凜ちゃんのせいじゃないよ」

 心底、この言葉を嫌った。自分のせいじゃない? じゃあ誰のせいだと言うのだ? 魔物のせいか? 凜を助けたあの白い服の人……ボーダーラックのせいだとでもいうのか? 魔物はただ本能のままに襲っただけ。ボーダーラックは仕事としてきただけ。どちらも自分のやる事をやっただけの事。じゃあ、そこで泣き叫んでいた自分はなんだったのか?


 それを幼いからって理由にしたくなかった。もし、あそこで泣き叫ばず、自分の意見を言えていたら。ちゃんと状況を把握できる知識があれば。どうなったか分からない。

 結局、あの後も泣き叫ぶだけだった。泣いた所で何も変わらないのに。泣いた所で親が返ってくる訳でも無い。泣いた所で魔物を倒せる訳でも無い。泣いた所で救えるものなんてない。泣いた所で強くなんかなれない。


 だから、ここで泣くわけにはいかなかった。ここで泣いても目の前の男は消えない。ここで泣いてもこの光は消えない。だからこそ、凜はそこで一歩出た。

「お前は……、誰なのだ? ここはどこだ!?」

 声は震えていたが確かに絞り出せた。震える手を必死に抑えて強気に出てみる。すると男はふっと声を漏らして笑った。


「凜はいつでも凜なんだな」

「!? あたしの事を知っているのか?」

「ああ……、良く知っている。まあ、今の君とは知らないけどね」

「今……の?」

 何とも不思議な人だった。その雰囲気、話し方。確かに向こうは凜の事を知っているような感じだ。でも、勿論それが警戒を緩める理由にはならない。

「何の用だ?」

 冷たく睨む感じで自分なりにドスの利いた声で尋ねた。すると、男は凜に近寄ってきて右手を差し出してきた。逃げようと後ろに下がったが何故かいくら後ろに下がっても一向に離れることが出来ず、男は凜の前までやってくる。


 その時、恐ろしさがピークになり、流石に泣きたくなってきた。伸びてくる男の手に魔物とは全く違う別の恐怖がある。でも、男はそんな凜にお構いなしに声をかけて来た。

「凜にこれを授ける。きっと役に立つはずだ」

「へ?」

 そう言って男が右手から取り出した物を反射的に両手で受け取った。一体何なのか分からなかったが、一つはリストバンドみたいな、それと、カード、文字を見る限り何かの許可証らしい。それともう一つは何かのスタンド。思わず恐れる事も忘れてその物に目が向いた。少なくとも見た事ある代物ではなかったからだ。


「これは……なんだ?」

「まあ、分からないだろう。そいつは魔物に対抗するためのシステムの一つだ」

「魔物に!?」

「ああ、もっともまだそのシステムが完成していないがな……、歴史が狂わなければ三~四年後ぐらいには開発、完成される」

「ど……、どういうことだ? お前……頭大丈夫なのか?」

 今更になって別の方向にこの男が怪しく思えてきた。だが、この男はその後、凜の動揺などさほど気にせず淡々とシステムについて説明しだした。ボーダーラックのシステムだとか、システムの内容、使い方。常識を超えた色々な事が異様に詳しく、妙にリアルに説明された。デバイスがどうこう、エナジーがどうこう。本当に今すぐ手元にそのシラトラとか言うシステムがあれば使用することが出来るほどに。


「それが……、未来で手に入る……と? ボーラ―ラックの機密システムを? そんなことできる物か!」

「それは凜次第だ。でも、凜ならば間違いなく手に取れる。そして使いこなせる」

 つまり、そのシステムを凜が受け取り、魔物と対抗しろと言う事だ。でも……、不安がよぎった。


「なぜ、あたしなんだ?」

「彩坂凜とは非常に深い付き合いでね。信頼しているからだ。それと、ボーダーラックにはシラトラを使いこなせる人物は現れないし、ボーダーラックに渡しておけば、悲惨な未来にたどり着いてしまう」

「悲惨な未来?」

「組織間の戦争だ。対魔物組織は自分の勢力圏を広げる事に執着していくことになる。自らの地位を上げるために。魔物と戦うはずなのに人同士で血を流し合う事になる。勿論、そんなのでは魔物の殲滅すらロクにできず……、その後の世界は想像したければ勝手に自分でしてくれ。

 とにかく、この現状は法律なんかじゃ止めることは出来ない。止めることが出来るのは組織外の第三者の視点に立てる人間だけだ」

「ず……、随分と大げさな設定だな……」

「信じるか信じないかは凜次第だ。でも、凜ならば絶対に出来る。未来すら変えることが出来る。そう信じて俺はシステムの転送装置、許可証、チャージシステムを預ける」

 凛の手に置いてあるそのシラトラの一部とやらを男は手でポンと包み込むように優しく叩くと後ろを向き、歩き始めた。


「待て! 肝心な所を答えていないぞ! お前は何者だ!?」

 光の向こうに歩こうとする男の背中に声を張り上げると、すっとこちらに顔だけ向けた。その時、一瞬だけ光の中から男のくちびるが吊り上がる……、笑みが見えた。

「俺は未来から来た。俺の名前は――」


《エナジーチャージ・OK》


 その音声と共に意識が自分の部屋に戻された。あの時、男が消えると同時に光が弱まって、いつの間にかシステムを握った自分が部屋に立っている時と同じ感覚がよぎる。不思議で何が起きたのか分からず、脳内で理解が追いつかない、全てに置いてきぼりを食らった感じ。


 でも、今回はしばらく天井を見つめていると理解できた。あの時男から貰ったスタンドを通してデバイスのエナジーチャージ、充電が完了したと言う事だ。

 体を起こし、ベッドから立ち上がる。《SYSTEM READY》の文字が点滅しているデバイスを眺めて机に座るとデバイスのタッチパネルを操作し、待機状態にする。それをしながらあの時の覚悟を確かに胸に感じた。


 あの後、しばらく時間をかけたが無理やり自分自身を納得させた。例えそのシステムが嘘であれ本当であれ、今の自分には強くなる義務がある。精神的にも肉体的にも。今回のそれは過去の弱い自分と決別し、強い自分になれるチャンスなのだ。

 強くなる。全てにおいて強くなる。その意志を胸に様々な武道に取り組んだ。自分と言う弱さ、自分と言うコンプレックスから解放されるために自分を強くする。


 そして今、ここに至る。自分の弱さは未だにコンプレックスのままだが、魔物に対抗できるだけの力は持っている。もし、未来のあの男が言う事が本当ならばシラトラをボーダーラックに渡すわけにはいかない。魔物を倒し、戦争を回避し、それを達成できた時こそ、本当に自分は強くなれる。そしたら、胸を張ってお母さんとお父さんに……謝ることが出来る。弱い自分でごめん、そして強くなったよって言いたい。


 その時、凜のスマホのバイブが動き出した。慌てて取るとそこには避難警告。魔物が出現……、近くだ。

「凛ちゃん!! 避難警告だって、急がなきゃ!!」

 部屋の向こうから声が聞こえてきた。あの事件の後、親がいなくなった凜を引き取ってくれた親戚のおばさん。最初こそ戸惑ってはいたが、今ではかけがえのないお母さん……、みたいな人だ。勿論、お父さん……みたいな人もいる。感謝もしている。でも……、やっぱり、本当のお母さんとお父さんは忘れた時など一度たりともなかった。

「おばさん!! 先行っていてくれ。あたしもすぐに行くから」

「本当ね? 一人で無茶しないでね? 先行くけど凜ちゃんも急いで!」

「ああ、分かった」


 凜はそう言いながら、おばさんとは別方向、裏口から外に素早く出ていった。急いで魔物が出現したらしい場所へと向かう。人の騒ぎ、音を頼りに魔物の居場所を特定するのには少し難しいが、何とか魔物の姿を確認した。


 ……、どうやら、混合の群れらしい。少し厄介かな。でも、シラトラの敵ではない。

『サモン・デバイス』

 その音声と共に、凜の部屋でチャージが完了していたデバイスが腕に転送される。そして着々とセッティングしながら、精神の集中を始めた。

『アーマーシステム・スタンバイ』

 まずは何としてでも魔物を倒す。魔物自身に取ったらとんだとばっちりなのかもしれない。けれど人間が生き残るためには必要な事。そして、未来を勝ち取るためにも戦う。

『システム・オールグリーン・プットオン・スタート』

 アーマーが形成され、体周りに付着していく。

『モデルタイガー・シラトラ・ミッションスタート』

 視界に一瞬だけ映る《MISSION START》を確認し、魔物の群れへと突撃を開始した。

――お前は何者だ!?――

――俺は未来から来た。俺の名は――

――――泉亮人だ――――

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