第二十三章 密やかな悪

 かすみはどことも知れぬ闇の中を漂っていた。

(ここはどこ? 私は死んでしまったの?)

 彼女は自分が現在置かれている状況を把握しようと周囲を見回し、身体を動かそうとした。その時、

『かすみさん! 目を覚まして! ロイドさんが!』

 仲間である手塚治子の悲痛な叫び声が聞こえた。

(え? ロイドがどうしたの……?)

 その瞬間、目の前がぐるぐると回り出し、かすみは思わず目を閉じてしまった。

「かすみさん、かすみさん!」

 今度は治子だけではなく、天翔学園高等部の隣のクラスの片橋留美子の声も聞こえた。

「はっ!」

 かすみは肉体があるのを感じ、目を開いた。そのかすみを治子と留美子が泣きそうな顔で覗き込んでいるのが見えた。

「よかった、やっと意識が戻ったのね? 突然倒れてしまったから、どうしたのかと思ったわ」

 治子は楕円形の黒縁眼鏡を外して、指で溢れる涙を拭った。留美子も目をまっ赤にしていた。かすみは眩しそうに辺りを見ながら、寝かせられていた公園のベンチから起き上がった。足下を見ると、隣のベンチにロイドが横になっていた。彼には意識はないようで、心の中を覗こうとしたが、何も見えなかった。その彼の向こうには、まだボンヤリとしたままの高等部の国語の教師の新堂みずほが座っている。

「大丈夫?」

 治子と留美子に支えられながら、かすみは立ち上がり、ロイドに近づいた。

「ロイドはどうしたんですか?」

 かすみはロイドの脇に沈痛そうな表情で立っているジェームズ・オニールに尋ねた。ジェームズはかすみを見て、

「ガイアです。奴の強力な精神測定サイコメトリー能力により、ロイドさんの心は鍵をかけられてしまいました」

「鍵?」

 かすみだけではなく、治子と留美子もジェームズを見た。ジェームズは三人を見渡して、

「はい。ガイアはロイドさんの脳の周囲にバリアのようなものを張り巡らせてしまったようで、こちらからの声はもちろん、テレパシーも通じないようです」

 かすみ達は目を見開いて顔を見合わせた。ジェームズはしゃがみ込んでロイドに顔を近づけ、

「それだけではありません。ロイドさんからの発信も一切外に出す事ができません。恐らく、ロイドさんは意識を失っているのではなく、遮断されているのだろうと思われます」

 かすみはジェームズに歩み寄り、

「ロイドを助ける方法はないんですか?」

 ジェームズは顔を上げてかすみを見ると、

「わかりません。ですが、ガイアの力を断てば、あるいは……」

 ガイアの力を断つ。それは彼を殺すという事。かすみは身震いした。

「それで、奴はどうしたんだ?」

 それまで黙っていた警視庁公安部の森石章太郎がムスッとした顔でジェームズに尋ねた。ジェームズは立ち上がって森石の方に向き直ると、

「姿を消しました。辺りを探りましたが、奴の痕跡は全くありませんでした」

 森石は大股でジェームズに近づき、

「おかしいな? どうしてロイドだけ意識を遮断されて、あんたは無事だったんだ?」

 治子は森石がジェームズを疑っているのを感じ、二人の間に割って入った。

「森石さん、ジェームズは私達の味方です!」

 すると森石は、ニヤッとして、

「だといいんだけどな」

 その態度に治子はイラッとしたが、森石は異能の力を受け付けない反異能者アンチサイキックなので、治子の千里眼クレヤボヤンスを応用した精神への攻撃ができない事を思い出し、歯嚙みした。

「治子、森石さんの言う事は正論だよ。一人やられてもう一人は無事。疑われても仕方ないさ」

 ジェームズは森石を睨みつけている治子の肩に手を置いて言った。

「ジェームズ……」

 治子は潤んだ目でジェームズを見上げた。森石は二人をウンザリした顔で見てから背を向け、かすみを見た。

「道明寺、お前、また様子がおかしかったな? 何があったんだ?」

 森石の問いかけにかすみはハッとし、

「私も途中から記憶がないの。どうしてあの二人のサイキックが逃げたのか、全然わからないんだけど」

 するとその言葉に反応したジェームズが、

「そう言えば、ガイアは姿を消す時、二人のサイキックに呼びかけていたようでした。貴女の力に恐れをなして、撤退したようです。でなければ、私も奴にやられていたでしょう」

 ジェームズの言葉に森石は、ケッという顔をした。

「かすみさん」

 ジェームズはかすみを見た。かすみもジェームズを見上げた。治子はビクッとして二人を見た。

「ガイアが恐れた貴女の力。貴女自身でも制御できていないようですね」

 かすみは俯いて、

「そう、みたいですね」

 ジェームズの視線と治子の嫉妬の感情を感じながら、困惑した。

「その力を自分で使いこなせるようになりませんか?」

 ジェームズの提案にかすみはギョッとして顔を上げた。森石と治子がほぼ同時にジェームズを見た。

(何を企んでやがる、この英語講師?)

 森石は、ジェームズを疑っているが、それは敵ではないかと思っているのではない。彼は、ジェームズがかすみに興味を持っていると勘繰かんぐっているのだ。

(ジェームズ!)

 治子は泣きそうだ。ジェームズがかすみに興味を抱いているのがはっきりわかったからだ。

(治子さん……)

 それを更に複雑な表情で見ているのは留美子である。

「そうすれば、ガイア達に対抗できる。そして、貴女もアルカナ・メディアナに支配されなくてすむ」

 ジェームズはかすみの両肩に手を置いて力説した。

「はあ……」

 かすみは治子の業火のような嫉妬心を恐れて、ジェームズの顔を見る事ができない。ジェームズはかすみの反応を見るまでもなく、治子の激しい嫉妬を感じていたので、彼女を見た。治子はジェームズに全部自分の醜い嫉妬を感じ取られていた事に気づき、顔を真っ赤にした。ジェームズは治子を見て微笑み、

「治子、君が心配しているような事はないよ。私はあくまでかすみさんの能力に興味があるだけだ。そして、かすみさんが助かるためには、その秘められた力を解放する必要があると考えているんだよ」

「それはわかっているけど……」

 治子は火照る顔を両手で覆い隠して応じた。留美子はそんな治子を気遣って寄り添っている。

「かすみさん、ガイアに対抗するには、貴女の力を全て解放するしかないんです。考えてみてくれませんか?」

 ジェームズはもう一度かすみを見た。かすみは恐る恐るジェームズを見ると、

「はい……」

 ホッとして微笑むジェームズ。そしてムッとする森石、ピクンとする治子、悲しそうに治子を見る留美子。夜の公園に多くの複雑な感情が渦巻いていた。


 そして、公園から撤収した光明子こと錦野那菜とカルロスは、ある建物の中にいた。

「いやあ、驚いたぜ。ガイアがまさか正体を明かして、あの無愛想なサイキックを封じるとはな」

 南米系の陽気そうなカルロスは、ヘラヘラ笑いながら言った。それに反して、那菜は苛ついた顔で、

「忌ま忌ましいったらありゃしないよ、あのオッパイ女! 今度会ったら、まずあのでかい胸を握り潰してやりたいよ!」

 それを聞いたカルロスは、那菜の胸をチラッと見て、ニヤリとした。

「今、私の胸を見て笑ったでしょ、カルロス!?」

 那菜が険しい形相で食ってかかった。カルロスは素早く飛び退いて、

「誤解だって、光明子ちゃん。今笑ったのは、かすみのでかい胸を思い出したからだよ」

「スケベ男が!」

 那菜はペッとつばを床に吐き、カルロスから離れて、一つだけある窓から外を見た。

(ガイアは何をするつもりなの?)

 那菜には、ガイアことジェームズ・オニールの真意がわからなかった。

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