第11話 狐ノ忠臣2

 私達はなにかと騒がしい村から離れ、鬱蒼とした雑木林に囲まれた淵にきていた。水は緑色に濁っていて、どれほどの深さがあるか伺い知ることは出来ない。

「お主、名はなんというのじゃ?」

 川縁に埋まっている馬の背のような大岩に座る久遠様は、私にその隣に座るように促す。

「銘は『黄金こがね』ですが、これといった名前はありません」

 自身の最高傑作だという意味を込めて、私を生み出した刀鍛冶がそう名付けた、と、歴代の主人達が代替わりの際、みな聞かされていた。

「なる程のう。ならば、お主の名は黄金でよいじゃろ」

 久遠様は、良い名じゃ、と言い、うんうんと何度か頷いた後、では儂が名乗る番じゃの、と前置きをしてから、久遠様は自らの名を私に名乗った。

「言うておくが、儂は玉藻云々とは無関係じゃぞ!」

「はあ……」

 かなり強調してそう言った久遠様は、彼の大化生呼ばわりされてうんざりしておる、と不機嫌そうな表情でぼやいた。

 ややあって。

「時に黄金よ」

 式神に買ってこさせた饅頭を食べつつ、久遠様はそう私に訊ねる。彼女は上空の雲を、邪魔だと言って吹き飛ばし、無理やり淵の真上に青空を生み出した。

「はい」

 私も一つ頂いたが、それが美味しいのかよく分からなかった。

「儂はの、この世をひっくり返してやろうと、密かに思うとるんじゃ」

 微妙な表情をしている私に、久遠様は愉快そうな様子でそう言って笑いかける。

「一部の人間だけが得をし、その他大勢が虐げられる様子が、儂は気に食わんのじゃよ」

 久遠様はここ百年ほど諸国を回り、見聞を広めた結果、そのような考えに至った、と痛ましげな表情で言う。私はその言葉の端々に、静かな怒りも込められているように感じた。

「とはいえ、儂一人ではどうにもならぬ事は明白」

 そこでじゃ、と言った彼女は、遠くを見ていた金色の瞳を私の方に向けた。

「お主、儂の供になる気はないかの?」

 私に手を差し伸べそう訊ねた久遠様は、儂には剣の心得がないものでな、と口の端を僅かに持ち上げて言った。

「ありがたいお誘いですが……、そういう訳にはいかないのです」

 主人が行方不明になった上、刀を紛失したとあれば、ちょっとした騒ぎでは済まないことは確実で、まだ幼い十一代目と奥方が路頭に迷う事になってしまうかもしれない。

「……ふむ」

 そのことを聞いた久遠様は、何か思案顔をして腕組みをする。

 だが、私は元の姿に戻ることが出来ないため、どう考えても八方塞がりだった。

「うむ、では儂が何とかしてやろうではないか」

 儂によい考えがあるんじゃよ、と言った久遠様は、懐から無地の短冊を取り出し、それを岩の平坦な面に置くと、矢立を取り出しさらさらと筆を走らせる。

「よし出来たぞ」

 久遠様はそう言って、私に今し方作った式符を手渡す。私には心得がないため、何の術式かは分からなかった。

「それを握って、お主の主を思い浮かべるのじゃ」

 私は言われるがままその通りにすると、式符が自分から私の手を離れて宙に浮く。すると、突如それが白い煙を噴き出した。

「……! 十代目……?」

 それが消えると、つい先程までと全く変わりのない、十代目の姿が現われた。

「どうじゃ、黄金よ。本物と見分けがつかんじゃろ?」

 顔や姿形はもちろんのこと、持ち物まで完全に同じように再現されている。

「これは人間と同じように生き、老いて死ぬように出来ておる」

 岩から下りた久遠様は非常に得意げな表情をして、式神の肩をポンポンと叩く。

「あの久遠様、打刀がありませんが……?」

 見た目は完璧だが、帯に差してあるのは脇差のみで、私を複写した打刀が無かった。

「……おお、失念しとった」

 久遠様の言うところでは、自分の姿を見たことがないせいで、再現出来なかったのだろう、との事らしい。

「ぬーん、困ったのう」

 久遠様は首を捻りつつ、腕を組んでうろうろしていたが、思いついたようでピタリと立ち止まった。

「お主確か、刀の複製が出来たじゃろ、黄金」

「はい。……もしやそれを?」

「うむ、代わりに持たせればよいじゃろう」

 私が刀を作り出して久遠様に渡すと、彼女は脇差を元に鞘と装飾を生み出した。それらをわざと古ぼけた見た目にすると、全く違和感を感じられない。

「これで完璧じゃな。では頼んだぞ」

 その複製した打刀を帯に差し込むと、今までじっとしていた式神が、岸に沿って下流の方へと向かって歩き出した。

「さてと、これで問題なかろう」

 久遠様はまた私に手を差し伸べて、私に先程と同じ事を訊ねた。

「どうしても嫌と言うならば、無理強いはせんぞ」 

「いえ、そういう訳では……」

 お家の心配は無くなったが、帰る場所がない私にその誘いを断る理由はない。

「そうか、儂を護る自信がないのじゃな」

「……はい」

 私が悩んでいる事を、久遠様はずばりと見抜いて見せた。

「お主にやって欲しいのは、儂の手助けじゃぞ?」

 護衛などなくとも、どうせ儂に敵う者はおらん、と、久遠様は自信に満ち溢れた表情で、愉快そうに高笑いをした。

「ではもう一度訊く。儂の供になってくれ、黄金」

 笑い終わった久遠様は、私の目をじっと見つめ、改めてそう訊く。

「はい、承知いたしました」

 覚悟を決めた私は、跪いて彼女に忠誠を誓った。


                  *


 それから、久遠様は行く先々で配下の怪を増やしていき、気がつけば配下の総数は百鬼夜行を二つ同時に行える程となった。

 やがて人里近くにある、小高い丘に腰を据えた我らは、そこを拠点に久遠様の野望を実現するため、全員が思いつく限りの策を弄した。しかし、我々が八方手を尽くしたところで、人間世界は何一つ変わることは無かった。


「失礼いたします。黄金です」

 久遠様に呼ばれた私は、本拠地の一番高い地点にある、彼女の暮らすいおりの前にやって来た。人払いをしてあるらしく、周囲に配下の者の気配はない。

 何度変えようと試みても、全て水泡に帰してしまうことに嫌気が差した久遠様は、いつしか抱いていた野望を完全に諦めていた。

「うむ、来たか」

 久遠様は、人間世界転覆計画はやりたい者だけにやらせ、その尻ぬぐいの時以外は本拠地に籠もる日々を過ごすようになっていた。

 それでも、私を含めたほとんどの怪は久遠様を慕い、けして彼女から離れていくようなことはしなかった。

「久遠様、どうなさいましたか?」

 庵の中に入ると、宙に浮かぶ金色の狐火が、窓際に座る久遠様の姿を照らしている。彼女は憂いに沈んだ表情で、南向きの丸窓から満月の青白い光に照らされた、藍色の稲田を眺めていた。

「ちいと、寂しうてな……」

 隣に座った私を見た久遠様は、安心した様に穏やかな微笑みを浮かべた。

「膝を借りるぞ、黄金」

「はい。どうぞ」

 横になった彼女は、私の腿に頭を乗せて目を閉じ、幸せそうにしている。

 久遠様の顔に掛っている金色の髪をどけつつ、私はその美しい顔に見ほれていた。

「穏やかに暮らすもの、良いものじゃな……」

「はい」

 ほんの少し前までの、慌ただしい日々も悪くは無かったのだが、私はこちらの方がより良いものだと感じていた。

 二人だけの空間の隙間を埋めるように響く、様々な虫の鳴く声をしばしの間、一言も言葉を発さずに聞き入る。

「……のう、黄金」

「はい」

「……お主は儂の傍に、いつまでも居て、くれるのかや?」

 珍しく気弱な表情をしている久遠様は、少し震えている声で私にそう訊いて来る。

「無論です」

 それは側近の配下三人の中でも、私と末席の水葉以外には絶対に見せないものだ。

「例え黄泉の国であろうと、私はあなた様にお供いたします」

「そうか……」

 私がそう断言すると、久遠様は起き上がって膝立ちになり、私の身体を強く抱きしめた。

「儂は……、独りが嫌いじゃ……」

 消えそうな声でそうつぶやいた彼女は、決して放さないとばかりに、後ろに回した手で私の服を握る。

「独りにはさせません。絶対に」

「そうかそうか……」

 心強いのう……、と言った次の瞬間、久遠様の身体から力が抜け、ゆっくりと後ろに倒れ始めた。

「――ととっ」

 私は慌ててその背と頭に手を回し、彼女が床で後頭部を打つ事を防ぐ。

「黄金……、布団敷いてくれ……」

「承知しました」 

 眠そうな表情で脱力している久遠様を、一旦、そっと床に寝かせてから布団を敷く。

「うむ、ご苦労……」

 そう言って大あくびをした彼女は、寝返りをうって俯せになり、

「ん……」

 もそもそと這うように、布団の上に移動してそのまま寝入った。

 それと同時に部屋を漂っていた狐火が消え、月の光だけがこぢんまりとした部屋を照らしていた。


                  *


 『あの日』からおおよそ二百年が経った頃、久遠様を見限った一派が謀反ともいえる行動を起こし、怒れる久遠様によって山が一つ地図から消えた。

 その騒動の結果、不本意な形ではあったものの、私は奇跡的に彼女と再会する事ができた。それ以降は特に大きな事件も起きず、元は本拠地だった所に例の人間が作った稲荷神社で、私達は昔以上に穏やかな日々を過ごしている。

 表面に所々苔の生えた、境内の石畳を掃いていた私に、

「黄金ええええ! 舞姫がグレたのじゃああああ!」

 駆け足でやって来た久遠様が、そう言って泣きついてきた。

 聞くところによると、舞姫様が試験勉強をしていて、一緒に昼寝をしてくれない、とのことだった。

「舞姫様はお忙しいのですよ」

 私はその手を止めて、半べそをかいている久遠様をなだめる。

 彼女の「寂しがり屋」ぶりは、二百年の間にかなり悪化しているようだった。

「ぬう……。おのれ、てすとめ……」

 むくれる彼女の身体はかなり縮んでいて、童の様な姿になっていた。美しかった九本の尾は小ぶりになっていて、毛並みこそ変わらないものの、数が一本に減っている。

「代わりを水葉に頼んではいかがでしょうか」

 私は久遠様にそう進言したが、

「水葉は『てれびげえむ』とやらで遊んでおってな……」

 彼女は耳を横に垂らし、落ち込んだ様子でそう言った。

「では、久遠様のお部屋でお待ち下さい。これが終わり次第、私がそちらへ向かいます」

「そうか! では待っておるぞ!」

 不憫に思った私がそう提案すると、途端に久遠様は元気を取り戻し、小走りで拝殿横の住居の中へと入っていった。

「さて」

 私は余り彼女を待たせない様に、式神まで使って掃除を早く終わらせた。

 落ち葉を一カ所に集めると、足早に久遠様の部屋になっている本殿へと、住居と拝殿を繋ぐ渡り廊下を通って行く。

「お待たせしました。黄金です」

「おう、入れ入れー」

 失礼します、と言って扉を開けて中に入ると、庵と同じ畳敷きの床に布団が敷いてあった。

 その上には珍しく以前の姿で横になっている久遠様と、

「あ、黄金さん……」

 その隣でゆったりと寝転がっている、部屋着姿の舞姫様がいた。彼女の身体には、半透明の狐の耳と尻尾が顕現している。

 舞姫様は久遠様の巫女を務める、人間でいう十代後半の少女だ。彼女はまだ赤子の頃に心臓を怪に食われ、命の危機に瀕していた所を、久遠様に命の一部を分け与えられて救われたと聞いている。

「てすと勉強とやらはよいのか、舞姫よ?」

 満面の笑みを浮かべる久遠様のが、ゆっくりと左右に揺らいでいる。

「今は休憩だからいいの……」

 彼女にピッタリとくっついて、舞姫様はすぐに夢の中へと入っていった。

 邪魔になってしまうと思い、私は静かに部屋の外に向かおうとする。

「どこへ行くんじゃ、黄金よ」

 舞姫様を起こさないように、久遠様は少し声を抑えて私を引き留めた。

「お邪魔では無いかと思いまして」

「そんなわけないじゃろ」

 こっちに来るのじゃ、と彼女に手招きされたので、私は二人の傍らに控える。

「……のう、黄金」

「はい」

 気持ち良さそうに、昼寝をする舞姫様を抱き寄せ、

「お主も、舞姫も水葉もおる……。儂は……、幸せじゃ……」

 しみじみとそう言った久遠様は、追いかけるように寝息を立て始める。

 次こそはあなたと、あなたの大切なもの全て、この黄金が護ってみせます。

 二人にそっと毛布を掛けてから、私は再びその傍に控えた。

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