第10話 狐ノ忠臣1

 私の主君、久遠くおん様は、強大な力を持った九尾の妖狐だ。

 彼女は格を問わず、私を含めた自らの配下のあやかし達皆を愛し、また、脅かさんとする者は業火でもってその報いを受けさせていた。

 時には苛烈でありながら、とても慈悲深い彼女に救われ、惹かれた我々も、命を投げ出す事をいとわない、と言って憚らない程に彼女を愛していた。

 だが、それが災いして、あの悲劇を生んでしまった。

 久遠様と私、そして、久遠様を見限った薄情者共以外、『あの日』、我々の前にやって来た一人の人間によって、皆骸にされてしまった。

 その人間は、三体の鎧武者の式神を引き連れ、刀一本、身一つで本拠地に乗り込んできた。私が式神達に足止めを喰っている間、圧倒的な強さを誇るその人間の前に、武闘派の者達すらも赤子の手を捻る様に屠られていった。

 私が久遠様の下にたどり付いた時には、既に彼女以外で生きている者はいなかった。

 その時に久遠様が浮かべていた、絶望に支配された覇気のない表情を、私は今でも忘れることができない。

 その人間は久遠様を、我々の本拠地であった山に封印した。私は久遠様の願いもあって殺されはしなかったものの、二度と彼女に会う事のできない呪いを掛けられ野に放たれた。


 それからの私は、久遠様が腰を据える前に二人で訪れた土地を、たった一人で暮らす久遠様を思いながら、死霊のように当てもなく巡る日々を、ゆうに二百年もの間送ることになった。


                  *


 怪となる前の私は、一振りの打刀だった。私を作った刀鍛冶は、生涯無名ではあったが、名だたる名工達にも引けを取らない腕を持っていたらしい。

 ある武士の愛刀となった私は、彼と共に戦乱の世最後の大戦をくぐり抜けた。その後、その武士はとある小藩の剣術指南役となる。私はその子孫に彼が編み出した剣術と共に、代々受け継がれていった。

 初代にも子孫達にも丁寧に手入れをされた私は、百数十年経っても刀身にさび一つ無い状態に保たれた。その間、十代にわたってお家騒動は一度たりとも起きず、食い扶持に困るようなことも無かったため、いつしか私は「魔を絶つ刀」と呼ばれるようになっていた。

 実際に怪を切ることが出来たため、私にその渾名が付いた辺りから、主人は武士の傍ら怪退治をやるようになる。


 ある秋の日。この日は朝から空に鈍色の雲が垂れ込めていて、今にも雨が降りそうな様子だった。

 そのまま昼過ぎになったところで、一人の百姓が血相を変えて屋敷にやって来た。

 この百姓が暮らす村の若者がうっかり祠を壊し、封じられていた鬼達が蘇ってしまった。逃げた彼を追って村までやって来た鬼は、次々と村人に襲いかかって貪り始めた。なんとか逃げ切った住民は、付近の洞窟に立てこもっている状態だという。

 お人好しで正義感が強い十代目は、報酬無しで退治を引き受け村へと向かった。


 その入り口付近にたどり着くと、逃げ遅れた者と思われる骨が、所々に転がっているのが見えた。

 十代目は早速、鬼の叫び声と家屋を破壊する音が響き渡る、集落の中へと足を踏み入れる。すると、すぐに数体の鬼が同時に襲いかかって来た。

 個々の強さは大したことはないのだが、思った以上に数が多く、初代にも負けず劣らずの実力を持つ十代目でも、かなり手こずっていた。

 苦戦しながらも、なんとか残り数体にまで数を減らしたが、十代目の体力も限界が近づき、僅かながら警戒が緩くなっていた。

 その隙を突いて、背後から鬼が奇襲を仕掛けてきた。十代目はすんでの所でそれに気がついて、何とか振り下ろされた棍棒を防いだが、私が彼の手からはじき飛ばされ、地面に突き刺さってしまう。

 それを見た鬼達は、雄叫びを上げて十代目に殺到し、瞬く間に彼をなぶり殺しにした。

 その時だった。単なる刀でしか無かった私に、感情というものが芽生えたのは。

「ああああああああ!!」

 いつのまにか人型となっていた私は、無意識のうちに生み出した刀を、手に血みどろになりながら、主人の敵である鬼共を瞬く間に全て狩り尽くした。

 敵は討ったのだが、おおよそ達成感といったものを、感じ得ることができなかった。

「うう……」

 近くに落ちていた十代目の脇差を拾った私は、食い荒らされた彼の亡骸を前に、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。

 静まったのを見計らったのか、数人の若い男衆が私の目の前に現われた。身を寄せ合うようにまとまって歩いてくる男達は、何人かの顔が蒼白になっていた。

「あ、あんた、妖怪殺しのお侍様の仲間か?」

 その塊の中で一番体格の良い男が、こわごわと私にそう訊ねてくる。その背後に建つ家の壁に、鬼の血がこびりついていた。

「……似たようなものです」

 それを聞いた途端、男達の表情から恐怖が薄れる。緊張が解け、塊がばらけると同時に、彼らの表情が段々と険しいものになって行った。

「あの、何か……?」

 何故そのような反応をするのか、その時の私には理解が出来なかった。

「なっ、何てことをしてくれたんだ!」

「え……?」

 その言葉を皮切りに、男達全員から、私への敵意がじわりとにじみ出てくる。

「そ、そうだ! 村中が血まみれじゃないか!」

「この死体は誰が始末するんだ!」

 先程まで怯えていた男達が、堰を切ったように私に罵声を浴びせてきた。

「そ、そちらが助けを……、求めて……。それに原因は……っ」

 混乱する私に、針のむしろの様に村人達の視線が突き刺さる。

「だとしてもこれはやり過ぎだ!」

 雨あられと降り注ぐ罵声に加えて、いくつもの小石が私に飛んできた。その内の一つが直撃し、額が浅く切り裂かれた。

 もう訳が分からず、呆然と彼らを眺めていた私の心に、何か黒いものが湧き上がってくる。

 あまりにも、あまりにも勝手過ぎる……。何故こんな人々のために、十代目はお命を……?

 そう思いつつ無意識に拳を握ると、たちまち一振りの打刀が現われた。

 それを手にして、ゆらりと立ち上がったとき、

「ならば、儂が火葬してしんぜよう」

 後ろから少し低めの女性の声が聞えた。次の瞬間、村の建物と鬼の死骸から一斉に火の手が上がった。

「ひいいいい!」

「む、村が!」

「は、早く火を消せええええ!」

 先程まで強気な態度だった男達が、再び怯えた表情になった。

「安心せえ。火に手を出さぬ限り、お主らは安全じゃ」

 ゆっくりと振り返った私の目に、金色の毛を持つ九尾の妖狐――、久遠様の姿が写った。

 腰に手をあて高笑いする、その尻尾の先には黄金の狐火が漂い、巫女衣装の上を火の粉が舞い踊る。

「ぎゃああああ!」

 彼女の忠告を無視して桶で消火を試みた男の服に、その炎が引火した。とっさに他の男が水を掛けたが、全く消える気配はない。

「ほれ、言ったじゃろ? 手を出すなと」

 呆れたようにそう言った彼女は、呼び出した管狐にその炎を吸わせた。

「逃げろおおおお! 殺されるうううう!」

 その男が気絶したせいで、管狐に精気を吸われたとでも思ったのか、その他大勢の村人たちは一目散に村の奥へと逃げていった。

「大の男の癖に、なんと情けないものよ」

 その様子を、心底楽しそうに眺めていた久遠様は、

「付喪神のおなごよ。人間とはあんなもんじゃ、あまり気にするでないぞ」

 そう言って、放心していた私の目の前にしゃがみこんだ。

「お主の主のような、相当なお人好しは珍しいんじゃよ」

 彼女の神々しさに圧倒され、私は生返事しか返すことができない。

 慈愛に満ちた表情で彼女は、強く刀を握りしめていた私の手に触れる。力が抜けた掌から、あまり見栄えの良くない刀が、滑り落ちて地面に転がった。

「ぬ? それはお主の主人の物かや?」

 久遠様はふと、私が逆の手に握っている、十代目の形見に気がついてそう訊ねてきた。

「はい」

 私が肯定すると、そうかそうか、と何度か頷いてから彼女がそれに手を触れた。

「ほう、これは良い品じゃの」

 それは、十代目がわざわざ特注して作らせたもので、私とそろいの意匠が柄に施されている。

「お主は、誠に良い主人に巡り会うたな」

 それを説明すると、久遠様はいたく感心してそう言い、目を閉じて短い黙祷をした。

「……はい」

 そのときの私は、怪となって初めて涙を流していた。

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