石原慎太郎の評価は高すぎるか?(『作家の値うち』を読む)


 本書は、石原慎太郎の異常な高評価に大きな特徴があると言われることが多い。

 福田氏とは保守系のお仲間で、石原慎太郎の方が大先輩なのでおもねっているのだ。ということがネットの書き込みなどによく出ている。

 本当にそうなのかどうか検証するため、まず各作品の点数を見てみる。


 『太陽の季節』 67点

 『秘祭』 55点

 『わが人生の時の時』 96点

 『風についての記憶』 67点

 『弟』 82点

 『聖餐』 63点

 

 こうしてみると『わが人生の時の時』と『弟』の高い評価が目につく。両方とも小説というよりはエッセイのような作品で、他の作家ではこういったものは取り上げていない。例えば、林真理子の『ルンルン勝手おうちに帰ろう』は林の出世作であり代表作であるが取り上げられていない。

 それと、議員になる前の専業小説家時代の作品が『太陽の季節』しかない。『秘祭』『わが人生の時の時』『風についての記憶』は衆議院議員の時代、『弟』と『聖餐』が議員を辞めて都知事になるまでの浪人時代の作品。

 議員になる前に小説家専業時代が10年程度あり、その間『完全な遊戯』や『ファンキージャンプ』といった話題になったり評判がよかったりした作品はあるのだが、議員時代やその後の作品が多く取り上げられている。

 これは、福田氏がリアルタイムで知っているかどうかということと関係があるのだろうか?それとも、石原慎太郎が議員になる前に書いた本は、新刊書店やブックオフなどにほとんど置いていないので、読者にとって手に入りにくい、ということも考慮したのだろうか?

 一番多く挙げられているのが議員時代の作品。「国会が空転したので、その間自宅で小説を書いていた」という発言を読んだ記憶がある。国会が空転している間、議員同士で連絡をとりながら対応を相談するのが議員の仕事のような気もするが、家に籠って小説を書くのが石原慎太郎のライフスタイルだ。

 この種のことが主な原因らしいのだが、議員時代は当選回数10回以上の大ベテランになっても総理大臣はもとより主要閣僚や党3役・国対委員長・副総理・副総裁の経験がない。

 作品の話に戻る。まず『太陽の季節』であるが、これは出版された当時非常に話題になった作品である。でも現在は、新刊書店やブックオフなどにはあまり置いていない。作品に対する批評は村松剛・三島由紀夫から中森明夫に至るまでいろいろな人物によって行われていて、石原慎太郎の小説の中では一番有名で批評されることが多かった作品である。

 だが、本書の福田氏の解説は、非常にあっさりとしたものだ。


 表題作は新しい風俗を活写したとして一世を風靡したが、併録作『処刑の部屋』とともに今日ではむしろその文体の、きわめて主体的な成り立ちに魅了される。


 この小説を読んでみると、文体が三島由紀夫の作品にかなり似ている。頭がいい器用な人が三島の真似をして書けば書けそうな文章で、どこがそんなに主体的なのかよくわからない。やはりこの小説は、「題材が時代に合っている」というところが一番の売り物で現在では古びていると思う。

 それ以外の「秘祭」「風についての記憶」「聖餐」は、駄作ではないが「劇画みたいな小説」で、大藪晴彦や司馬遼太郎などのもっと商業的に売れた作家による「劇画みたいな小説」と比べるとインテリふうであまり大衆性がなく、ややパワー不足である。

 こうしてみてくると確かに、「どうして上記のような高い評価になるのか」ということに関して説得力がなく、福田氏が保守系の先輩におもねっているように見える。


※ 文芸に関する記事は下記のブログにもあります。


 『東野圭吾の考読学』

 URL:http://ooyamamakoto.hatenablog.com/entry/2018/06/27/211407

 検索;考読学

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