クトゥルフ陰陽捕物帳

光田寿

クトゥルフ陰陽捕物帳

 三人のTへ。


 * *


 【現在にて――】 


 司書は何気なく棚から、ある一冊の本を取り出す。

 彼は何気無く、それを私に見せるのだ。


 * *


 在ル噺【歴史の裏】


 歴史とは強者きょうしゃべんである。だが歴史には表立ったいくさと、裏にある誰も知らぬ、あるいは誰も見ようとはせぬ戦もある。表舞台にて、役者が様々な演舞を舞うように、その裏側でおのが命を賭け舞台を創り上げた立役者たちがいた――。

 ここから語るは――遥か昔、まだ人々の裏に隠れ、あやかしなる者や、鬼たちが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしていた平安の時代。遥か南島、土佐国にて語る話。

 当時の史を見返し語るは、妖、鬼と云う者共は黄泉の国の神々であったのでは無いかと想われるのではあるまいか。そう、「それ」らに対し、当時の朝廷は苦しみたたる者。これ、即ち苦祟不くたたるふと名を付けた。

 苦祟不くたたるふの中には、たこ烏賊いかの類に属すような顔をし、手足は何本も生えている形をしたものも確認されている。黄泉から這い出た、そのあまりに見るも、おぞましき姿をした者たちに対し、人は「妖」や「鬼」などという名で語っていたのではあるまいか。巨大なる火球の姿を表す者もいれば、それこそ蛸のように何本もの足を持つ者もいたとされるのだから。

 「それ」ら苦祟不は、土佐国の一部では、方言にて「魔神まがみ」と呼ばれた。一時いっときは、魔者まものと書いていたが、当時の人は祟りと呪いを恐れ、崇め祀ることによって一種の祟り神となったとされる。他の何者にも制約、制限されぬ魔神らは、人を喰らい、余計に力を築きあげた。魔神は魔神にしか殺せぬ、という当時で云う絶対的な不文律があったからである。

 当時、魔神が起こした数々の変事は歴史の闇にほうむられていた。表舞台である人の世をむやみに乱さぬためという朝廷の力が働いていたからである。

 だが、土佐国から出ず、怪しきかつ巨大な力を持つ魔神が次々と起こす変事に対し、当時の朝廷とみかどが頭を悩ましていたとき、魔神と同じ浜に流れ着いた、外来人げらいじんの姿があった。外来人は、魔神に対抗すべく力として、英雄なる十の未知なる力を、十人の男たちに捧げた。十人の中には若者から親爺まで様々な年齢があったとされる。幾分、裏の史実の話故、資料が残っていないのが悔やまれるのが率直な感想である。

 しかし、魔神を封じる、たぐいまれなる力を施した十人の男たちは、魔神に対抗すべく陰と陽をつかさどる英雄、陰陽十傑おんみょうじゅっけつと名づけられる。だが、外来の力にしても魔神を殺す事は出来なかった。しかし封じ込める事は出来る。

 そう、この話こそ、奇妙奇怪なる技を正義のために使い、邪神たちを封じ込むために立ち向かう、十人の男たちの――始まりと――そして終わりの物語である。


 * *


 其ノ一『魔神殺し』


 此処こここそは、土佐国は東桜津とうさくらづ。とある襤褸寺ぼろでらの一室。陰陽十傑は一人、羽佐間眩惑はざまげんわくが静かに顔を上げた。薄緑色の羽織に白い袴を纏った眩惑は、まさに幻惑の力を使い、今まで魔神共と戦い、「それ」らを封じ込めてきた男である。

 眩惑は向かいに座っていたわしに対じし、じぃっとこちらを見た。眩惑とはついに、ひどい襤褸ぼろを纏っている儂は酒の入った猪口ちょこを傾け、くぃと飲んだ。月が中空に輝いており、儂の顔と共に窓の外の白浜しらはまの砂が光って見える。眩惑が静かに言葉をつむぐ。

静魔せいま御殿ごでんの土蔵にて、魔神のの大将として知られる無有法螺土ないあるうほらふふられた。貴様が封じ込めた苦祟不――魔神だ。下手人はまだ分かってはおらぬ」

「無有か、町で寺の住職に化け、人々を惑わし大事だいじに成ったこともあったのぉ。聞くところによれば、白鳳はくおうの地震も奴の仕業だったのであろう」

 儂はそう呟き、徳利とっくりを傾けた。猪口に酒を垂らしながら飲み干し、「まどわしの力は、貴様の十八番おはこであろうが。それで幾人の魔神を惑わしてきたのは知っちょうるがぞぉ」と土佐国の言葉で問うた。

「馬鹿を云うな。おのれが殺しておらぬことは、己がよく分かっているぞ、反瑞はんずい

 反瑞と呼ばれた名。そう、儂こそが、十傑の大将を勤めている、反瑞石田はんずいせきでんである。じぶんで云うのも何だが、姿身なりからは想像も出来ぬだろう。普段は酒とかたわらに寄せた女、即ち色欲しきよくに明け暮れている。だが、魔神との戦の場に立つと、率先して陣を形成し、護符を用いては奴らを封じ込めた。だが、今はただの酔っ払い――と儂は自覚しているのだ。

 そんな儂は、先ほどの眩惑の言葉に、奇怪な引っかかりを覚えた。

「んん? ちょっと待て、今、おかしな事を云ったな。無有法螺吹を倒したでは無く――?」

「そうだ。あまりにも不可思議であろうが」

 何故、眩惑が不思議がっているのか。儂は意味合いを察し、唇をひく付かせた不遜ふそんな笑い方をしてやる。

「ほう……。そうか、人、もちろん儂ら十傑にも封じるだけで殺せぬ、……」

 こちら側の意図を察したのか、眩惑は語り始めた。

「うむ、それもだ――封じ込めた土蔵の中で、首が無いむくろとして発見されたのだ」

「即ち、下手人は魔神だと云うわけか」

 魔神を殺せるのは魔神だけ。儂はと――俄に声をひそめ問いを返す。不可思議すぎる謎だと確信した。魔神が魔神を殺した。何のために? もちろん、魔神同士の対立はある。だが、無有を封じ込めていた静魔の御殿の離れ――その土蔵。ほかの魔神を寄せ付けぬ、あの場に何故?

「否、反瑞よ。それもあるまい。我々が無有を閉じ込めていた土蔵には結界の護符が貼ってあった。ほかの魔神を寄せ付けぬためにな。これを考慮すると、土蔵にて、無有を殺った下手人は、まず間違いなく――人だ」

 儂は目の前の眩惑の顔をじぃっと見つめた。寺の一室には青く輝いた月の光が、目の前にいる男の顔を怪しく照らしている。儂は、不思議な謎と考えながら、蝋燭ろうそくに火を付けた。灯火ともしびが寺の部屋に広がり、ゆらぁりと陽炎を立てた。

「ふぅむ、あい分かった。下手人は人。だが人では到底太刀打ち出来ぬ、魔神をどのようにして殺したか。その変事へんじあいだ、静魔の御殿、否、土蔵近くにいた人は何人だ?」

「無有が封じ込められている、あの場――土蔵の周囲で数えれば、下男の草間くさまただ一人だけだ。あとの守り人共は帝の守りを固めていたらしい」

「して、土蔵の中の様子は?」

 矢継ぎ早に儂は問うた。眩惑は額から口元に手を流離さすらえる。

「それは封じ込めた貴様が一番良く分かっていることであろう。戸に鍵はかかってはおり、奴を封じるための護符が多く貼られている。もちろんこれは、土蔵の壁全体にもだ。先ほども述べたが、人が鍵を開き入る事は可能だが、魔神が入る事は不可能。だが、人に魔神は殺せぬ。土蔵の中、銅鏡、座布団などが置いてあった。一応の対処とし、覗き窓が土蔵の扉上にしつらえられている」

 確かに奇怪なる殺しだ。ゆらぁりとうごめいた灯火が壁と天井に動く影を作った。

「不開ノあかずのまでの魔神殺し。首を持ち去った理由わけもわからぬ。我々十傑さえも出来ぬことを下手人はあっさりやりとげているのだからな」

 眩惑の不敬な物云いからも揶揄やゆとは受け取れなかった。

「ふぅむ。確かに奇怪だが、無有とたたこうた時分の事を思い出したわ」

 儂は目を瞑り、ある闘いに思いを巡らした。


 * *


 回想ノ一【裏の闘い】


 ザザザァ……。

 ザザザァ……。

 波の音と同時に、今まで儂自身が見ていた「それ」が、じんわぁりと崩れてゆく。場は東桜津の外れ。白浜の近くにある襤褸寺。いつも着ている襤褸同然の衣は脱ぎ捨て、今は白く染めた式服を着ている。着物、袴、水干すいかんでの正装である。だが、その白い式服、今では血で黒く染まっている。

「無有よ。儂は貴様ら苦祟不が魔が付けど、神などと呼ばれている事に納得できん。所詮は化けもん。とっととこの土佐国、否、現世より立ち去れぃ」

「よく云うのぉ、反瑞よ」

 無有はにたぁりと嗤うと、

「いくら凡人よりも強い力を渡されたところで、所詮は万物をも操れぬ人の力。我ら、魔神にはかなわぬ宿命とあきらめよ」

 そう呟いた無有の人差し指の先。黒い、常闇とこやみに沈む紅紫べにむらさき色の奇怪な光を放つ薄い円が浮いていた。まるひらたい形の「それ」を無有は、もう一度にたぁりと不適な笑みを浮かべ、儂に向かい投げ放った。

 ――――悪しき力で作り出した刃か! 受け止めれぬ。

 儂は高速で放たれた円き刃を、紙一重でかわす。

 キィ……。

 円き刃は一瞬だけ音を立て、襤褸寺に直撃した。が、止まる事を知らぬ「それ」は、柱、ふすま、壁、堕ちる屋根瓦などを一瞬にして斬り去ってゆく。ほこり塵芥ちりあくたが舞い落ちる。やがて庭に戻ってきた刃は、大木と門柱を軽々切り裂くと、またしても儂めがけ襲ってきた。

「陰愚 駄苦蛇 綸花 龍神 文殊……」

 儂は、とある呪文を口にし、護符を前にかざす。円き刃は、護符と衝突した刹那に、鈍い光を放ちはじけとんだ。鈍色の煙がもくぅりと立ち上り、少し鼻に入る。

 ずきりとする痛みが右手からした。儂の腕、式服がまたじんわぁりと朱黒く染まった。

 ――――少々、かすったか。


 * *


 其ノ弐『壁の向こうの鼠』


「その顔、無有との闘い時分を思い出していたか?」

 そこで、無有と闘っていた覚えは立ち消えた。眩惑には全てを見通す法力でもあるのか。儂は苦笑しながらも、あぁと頷いた。

「だが、この襤褸寺で奴を封じ込めたのは儂一人では無い。貴様も含めた皆の力の賜物たまものだ」

 少々照れくさく感じたが、今は変事へんじの下手人探しが先である。

「しかし分からぬは――下手人の正体もそうだが、何故、首を持ち去ったのかと云う理由もだ。そこで一筆、変事の状況を纏めてみた」

 眩惑は意味深げな、不遜な笑い方をし、床に紙を広げた。そこにはこう書かれている。


 変ノ一、魔神は魔神にしか殺せぬ。

 変ノ二、人に魔神は殺せぬ。

 ここまででは、変ノ一、変ノ二から今回の魔神――無有殺しの下手人は魔神の仕業と考えられる。

 変ノ三、魔神は十傑の持つ、護符を苦手とする。

 変ノ四、護符は魔神を封じ込めるだけでは無く、魔神の業を封殺出来る。

 変ノ五、魔神を封じ込めていた土蔵は大量の護符が貼ってあった。

 変ノ六、魔神を封じ込めていた土蔵は土壁であり、扉も魔神を封じた後、再び土で埋め込まれ人が入ることは無理である。

 以下、変ノ五、変ノ六から土蔵には魔神も人も入れぬ形相を示している。

 変ノ七、唯一の土蔵と外を繋ぐものは覗き窓だけであった。覗き窓は中の魔神が出るどころか、外から人が入ることも無理からぬ小さな穴である。



「うぅむ、纏められてはいるが……分からん。下手人の正体……。お主なら既にこれという者に目をつけておるのだろう?」

「下男の草間、奴しかおらぬ」

 眩惑は断言した。草間の人となりはよく知っている。金に執着を見せ、女にうつつをぬかす好色者こうしょくもんだ。一時、魔神と直接会い、金目当ての売買をしようと企んでいたことも確かである。我ら、十傑が駆けつけなければ人の歴史が大きく変わっていたことであろう。

 だが儂の頭はここで止まる。御殿の中、土蔵の近くには草間一人しかいなかった。では草間を下手人にすると、先の問いが蘇る。

 いかにして人である草間が、魔神である無有を殺すことが出来たのか?

 土蔵にて、確かに覗き窓はある。しかし眩惑曰く大の大人が入ることも出ることも出来ぬ場だ。壁には結界とも云える大量の護符を貼った、土壁が立ちふさがっているというのに。

 何故なのか……。


 * *


 回想ノ弐【裏の窮地】


「ほう、右の手に傷を負いながらも、全てを切り裂く刃をかわしたか。さすが十傑のおさ、人にしては中々やるのぉ」

 かかかかかといやわらいが、儂の頭にこだました。粉塵ふんじんの合間から見える奴の姿――既に坊主の顔は面影も無い。常闇とこやみの如き黒い顔からは蛸の足のような「それ」が幾本も伸びていた。

 右手を見る。錆臭さびくさい匂いが鼻を衝いた。鉄の臭いと塩の味が混じった、今までの魔神と闘いで幾度も味わったことのある臭いと味だ。

「くそったれぃ、化けもんめぇが」

 先ほどの円き刃の攻めを用心しながら、何歩か踏み込む。腰元の刀を取り出し、つかに護符を貼る。反り無き直剣とは違う。自身で手入れし磨ぎ澄まされた刀だ。地平ぢべたを蹴る。足からふんわぁりと地の力が無くなる。眼は奴を捉えたまま。瞬時にして無有のふところまで攻め込んだ。狙うは、まだ「人」が残っている腰元。

ざぁんっ!」

 横一文字――――が、浅い。手元の感触で解かる。斬残ざざんの剣気が近場の木の枝を落とす音が聞こえた。眼を開き見ると、刀は無有の黒き蛸のような足を切っただけである。斬られた足はにゅるぅりと、地に落ちた。

「邪魔を……」

 最後まで言葉をつむげなかった。何か――背に厭な痛みを感じる。

「ぐぅ」

 ――――後ろから斬られただと? 馬鹿な。

 目の前で、儂を見下した無有が再び嗤う。

「馬鹿めが、貴様はただ、敵を増やしただけだ」

 後ろを見る。背を先ほどの蛸の足が鋭利な刃と成り、切り裂いたのだ。蛸の足はにゅるぅりと蠢き、左端は人間の手の形に成り、右端は黒き鋭利な刃を光らせていた。

 「それ」は、まるで蜥蜴とかげの尾だ。

 斬られても斬られても只、ひたすらに、一心不乱に成りつづける永遠の体。痛みをさえぎる。儂の頭の中と体の痛みを切り離す。即座、背のに対し、護符を投げる。傷みで瞑った眼だが片方は見えている。耳元で音がし、きぃんとつんざいた後、円き刃と同様、宙に散ったのであった。

 だが、右手と背、数箇所に傷を負った。悔しむ想いを過去に捨て、儂は前の無有を見据えた。


 * *


 其ノ参『護符と土壁の不開ノ間』


 ゆぅらゆぅらと白浜の海岸が襤褸寺の外を揺れている。無有との闘い以降、儂がこの襤褸寺を住処すみかとしたのに訳は無い。唯々ただただ、静かであり、静魔の御殿にひとっ走りで行けると云うだけである。

「して、眩惑。奴の死体を、真っ先に検分けんぶんはしったのは貴様だったな」

 儂が聞きただすと、眩惑を頭をぼりぼりとかいた。次にあごをかきつつも、「あぁ、そうだったな」と答えた。

 土蔵の不開ノ間にて、先に無有の骸を見たのはこの男なのだ。あの時分じぶん、あの場にて何が起こったのか。眩惑は一体何を視たのか。


 * *


 幕間【羽佐間眩惑はざまげんわくの衝撃】


 朝廷からの使いが、彼に伝えが入れたときのことである。羽佐間眩惑は妙に厭な予感がしていていた。反瑞が住処としている襤褸寺は正反対の方向にある。自分がおも向かねば。

 使いと共に静魔の御殿の方角へと足を急がせた。東桜津の白浜を息を切らしながら横切る。砂が足をさらう。海の潮も紫立ち、ぬるいくらいの潮風も、今はただ頬に当たるだけで不快であった。

 ――――否、否否否。

 胸中で何度も呟く。呟きながらも、焦りだけは消す。高き石崖がそびえる殿が視えた。門をくぐり抜ける。庭に聳え立つ桜木。桃色の桜の花びらも今では、奇怪なる藤色ふじいろをしているかに感じた。

 走る。土蔵だ。一瞬だけだが、そこが異形の場に思える。覗き窓から黒い液、そして妙な臭いが眩惑の鼻を衝いた。

これまた、何たる……」

 小さな窓から覗き、眩惑は思わず口を押さえた。床と壁、銅鏡、果ては天井にまで飛び散った黒い鮮血は、沙汰の限りである。

 そこには、切り裂かれた魔神の体。の大将、無有法螺土ないあるうほらふふの幻想だけが残っていたのである。首が切りとられたという事は、場を見れば解かる。 

 ――――無有。

 ――――これは一体、どうなっているのだ。

 眩惑は衝撃を感じた。


  * *


 回想ノ参【裏の集結】


「太刀筋は見事だが、我の本質を捕らえてはおらぬようだなぁ、反瑞」

 式服の中に、鎖帷子くさびかたびらを着ていればと悔やんでも遅い。刹那、無有から妙な気を感じとった。

 ――――まれる。

 儂は、何歩か後方に引き距離を取った。じんわぁりと辺りを侵食していく闇。そびえる木々がざわぁりと風に揺れた。何が起きても妙では無い。

征伐せいばつは無理だが、封は出来るなどと自惚れていたかぁ? 陰陽十傑のおさとも在ろう者が。愚かなり、無様ぶざまなり、反瑞石田!」

 地が、木々が、襤褸寺の残骸が、蜃気楼のように揺れだす。儂は意識を必死で食い止めた。連れて逝かれれば終わりだ。

 体自体への攻撃は効かぬ事がよめた。距離を取ったところで、円き刃の攻めをされれば終わりなのだ。

 ――――やはり封じるしかあるまい。残された道は、儂――即ちおのれ自身を護符に見立て、奴の体にへばりつく。多少に泥臭い死に方である。だが奴を封じるにはそれしかあるまい。

 黒く染まった地面がうごめいていた。足が――連れて行かれる――。粘液の如く纏わりついてきた「それ」は儂を躊躇させた。冷たい心太ところてんのようなものが、ぞわぁりと体に巻きついている。蛸の足では無い。奇怪なる粘液である。瞬時、無有を見る。嗚呼、顔こそは醜いものになっているが、というのが気味悪い。なら是は奴の奇天烈なるわざか。護符を投げたいが――体自身に護符を貼り、己の命を犠牲にした最後の業を使うならば、護符の数は減らせることが出来ぬ。

 ――――これまでか。

 ざわぁざわぁ。

 瞬間、むしの羽音が儂の耳に届いた。次に足に飛来し、粘液を食いつくす。足への温もりが蘇る。

「陰陽十傑のおさともあろうもんが何をしゆうがか」

 妙に馴れ馴れしい土佐の言葉。

那智川なちがわぁ! 那智川幽樹なちがわゆうきかぁ!」

「おぅ! 間抜けやが、憎めん大将よ。おんしのためにと助太刀しちゅうがや。また、あの魔神の馬鹿たれ坊主を封じるためにな。式の蟲共を大量に作ってきたがやが――俺だけでは無いがやぞ」

「眼 対 光 多 苦 祟 熱 陣 幻ッ」

 呪文が唱えられた瞬間、先刻の常闇の黒さは光に腕を引っ張られるが如く消え去っていった。儂は顔を上へ向ける。常闇に感じられた地が赤く染まり、熱く燃えあがり、湯気を吹いた。つづいて陽炎かげろう越しに眺めていた風景が、じぃんわぁりと元の形に戻っていく。木々、襤褸寺の柱から、漆喰の壁、全てが。

 ――――眩惑か。

「うつし世の夢を破るには、現世のことわりより、愉快なる夢よ。さすれば現世は相対し、地に着くものに返る。のぉ、無有」

 眩惑の声。儂は那智川の式が食い尽くした闇から、ささぁっと飛んだ。だぁっ、と足の裏に地の感触が蘇る。

「我ら魔神に逆らうとする、新手が二人か。人より少々、力が使えるだけの陰陽師風情がぁ! 護符使い、蟲の式使いに、熱の眩惑。これだけで、我のが悪くなったと思うか?」

 かかかかか――。

 厭な嗤いが三度こだまする。強がりでは無い。こ奴には遠い過去から人々を脅かしてきた因縁が在る。が、儂が次に見たのは、先ほど円き刃が倒した巨木の後ろから、護符を突き刺した幾本かの針であった。

「がぁぁあガガガ!」

 無有が悲鳴を上げた。体が串刺しになっている。動きだけだが封じ込めた形だ。もはやそこには、先ほど儂を、黒き常闇に連れて逝こうとした、嗚呼、その姿は見受けられない。

「余裕を目の前にしての嗤い。下らぬ思いは断ち切ってはどうですか、無有」

白月はくちゅう……残月ざんげつ。残月もかぁ! 貴様も来てくれていたか」

 陰陽十傑の中でも一回り小さい。まだ十四に成ったばかりの小童こわっぱであったが、力は人一倍強い。護符を通し操る針は、那智川の無数の蟲にも劣らぬ力を発揮する。

 ――――時は来た。己の最後の攻撃には成らぬことと、十傑の信念に跪(ひざまづ)け無有。

「この場にいる、十傑に告げる。奴の体を目掛け、護符を貼りつくせ!」

 儂の言葉と同時に、那智川と眩惑が門の上から、残月が大木の陰から、持ちつくす全ての護符を無有に放つ。

「がががガがガががガガががガぁぁ!」

 じゅわぁり、じゅわぁりと奴の蛸の手が焼け焦げる。臭気が鼻を衝く。この臭いには慣れたものだ。儂らは一気呵成いっきかせいに奴の腰から腹にかけて突進した。蛸の手の間から覗いた目が憎々しげに儂を捉えた、が今はもう遅い。

 ――――最後に狙うはこの部分よ。

 己の護符を取り出し、己の手で叩き付けた。びたぁりと貼ったそこからは、もはや粘液もあふれ出ていない。じゅわぁり……じゅわぁり……。

「……――――」

 封じた――――が、無有の体はまだ熱を持っていた。よこしまなる熱。やがて黒き煙がしゅぅわりと護符の隙間から立ち上がった。

「いかん! このままではまた転生か――あるいは蘇るぞ、反瑞! どこかしら、こ奴を封し、閉じ込める場が必要だ。どこか、どこか狭い不開ノあかずのまは無いか?」

 眩惑が叫ぶ。襤褸寺は壊れている。ここから近い場で、狭く閉じ込める場所。

「白浜近くにある、静間の御殿! そこの蔵だ。あそこなら封が出来る。四人で運び、十人全員で護符を蔵全体に貼り、こ奴の全てを封じる!」


 * *


其ノ四『持ち出された、もの』


「この奇怪なる魔神殺しに下手人はいるのか?」

 儂はこらえきれず、眩惑に問うた。

「下手人がいると申すなら――先にも申した通り、草間だ」

「草間だと?」

「うむ、下手人にならぬ下手人と申したほうが良いか?」

 少々、困惑した。儂は眩惑を見据える。相変わらず青く輝く月の光は奴の顔を照らしている。

「すまんが、眩惑。儂にはちぃとばかし意味が通じぬ」

「先に無有は草間をあやめようとした。だが、不意の変事へんじにより、己自身を殺めてしまったのだ。この変事に必要なものは、無有のあるわざ、銅鏡、土蔵の外に貼り付けた護符。そして草間自身だ」

「眩惑、貴様が云いたい変事の真相とは――」

「反瑞よ。そう、奴は、刃を放ったのだ。反瑞、貴様が闘いで受けたあの円き刃の業だ。だが、刃は放たれた相手を追うに属するものなのだろう。それは奴と闘こうた貴様が分かっているのではないかえ? 放たれた円き刃は、銅鏡の前でピタァリと止まると、宙で回り反対側の草間目掛けて跳ね返った。即ち、銅鏡と窓から覗く草間、その間にいた、無有の首を刎ね飛ばしたのだ」

「なんと! 奴は己が放った円き刃により、迂闊うっかりと自らの首をねたと云うのか! つまりこれは――」

「うむ、あ奴自身のとも云える。迂闊、此処に極めりなる神よのう。また、草間を狙った円き刃は土蔵の壁に貼られている、封なる護符の力にて消えてしまったに違いあるまい。荒唐無稽な話だが、筋が通っているのもまた確かであろう。それは無有を封じ込めるために一役かった、お主が一番よく分かっているはず」

 目の前の男が、己が技を放つ時の如く、次は儂を言葉で眩惑しているのかと訝しんだ。だが、自らが無有と闘った時、確かに円き刃の技は、儂がかざした護符の前に敗れ去ったこともまた事実である。だが分からぬことがまだ一つある。

「しかし次は首の問いかけがある。体から切り離された奴の首はどうなった。土蔵という場からは無くなっていたのだろう?」

「コロコロと転げ、土蔵の玄関まで着いた。首だけなら、覗き窓からでも簡単にすくい取れ出すことができる」

「首の持ち去りは草間がやったと申すのか」

「うむ。おそらく金勘定に汚い草間のことだ。魔神の首を売れば、一攫千金になるとでも考えたのではあるまいかな? 何せ、人を脅かす、苦祟不の一人であり、魔神の知の大将首だ」

 眩惑が語るまことは実に筋が通っていた。だが、儂の頭の中にはどこかしこりが残っていた。恐ろしき想像が膨らんできたからだ。冷や汗がたらぁりと額を伝うのが分かる。草間が首を持ち去った筋合いがもう一つだけある。

 ――――それは。

 己の口から、不意に出た言葉を――儂自身――己の頭で解するのに時間がかかった。汗があごから流れ落ち、持っている盃の中に落ちた。酒に映っていたもう一人の儂がじんわぁりと崩れていく。儂はつづけた。

「眩惑、先のかいは見事だった。だがな、魔神たち、否、知の大将たる無有がした、迂闊だけがどうしても腑に落ちん。奴は目を隠されていたわけでは無いのだろう。銅鏡に映った草間などをだ、封じられ、勝手知ったる土蔵の中で見間違えるなどということがあるか? 利巧な奴のことだぞ。覗き窓からなら、考えがあったのかも知れんぞ」

「だが、草間は行動はどう説明する。いくら魔神と云えども、魔神共や人も通さぬ壁。封じられた土蔵の中では何の力も使えぬ。人の草間を操ることも出来ぬのだぞ」

「力を使わずとも、間と場の様子を利用すれば良いだけの話。我々が己らの力を理解しているようにな。草間のしみったれた性質を理解し、首を持ち運ばせた。その間、草間にどこまで自覚があったのかは分からん。だが、無有の方の契機けいきには一致する。奴は……無有は首だけになり、封じられた場、土蔵の不開ノ間の、、まんまと逃げ出したのだ」

 襤褸寺の外に見える、白浜の砂が風で舞い上がっている。儂は酒を飲み干し、立ち上がった。

「草間に会ってくる」

「今の奇々怪々ききかいかいなる話を徴憑ちょうひょうすると云うのか? 止めておけ。あの変事騒動以降、草間は気を病み静魔の御殿の牢に閉じ込められているらしい」

「だからこそなのだ。奴の首をその後どうしたかを聞き出すしかあるまいに」

 儂は襤褸着のまま、襤褸寺を出ると、静魔の御殿へ駆け出した。


 * *


 座敷牢の中、草間はうつろな目をし、妙な呪を唱えていた。無精髭は胸まで伸び、髪は全てが白く染まっている。一瞬のうちに何十歳ものよわいを重ねたかに見えた。

「草間、入るぞ」

 儂は牢の扉を開けると、先ほどの解を草間に聞かせた。草間の目に少しだが光が蘇った――が、やがて「何か」を思い出したのか、再び常闇が蘇りがくりがくりと震える。儂は草間の肩を支え、震わした。

「草間ぁ! お前、何を見たぁ! あの場で起こったことは、さきほどの解で正しいのか!」

「く、のは……ほ、ほ、ほ……本当です。でんもなぁ……でんもなぁ……」

 顔全体が青ざめ、嗚咽を漏らした。

「さ、さ、最後に、奴のは喋ったんです――。あの言葉は忘れられん……」

「何と云ったんだ!」

 草間は虚ろな目でくうを仰ぎ、唇を震わせながら喋る。

「人よ、感謝するぞ――……」

「……それだけか?」

「いや、その後に、こう……にたぁりと嗤ったんです……ヒ……ヒヒ……」

「それから……」

「こう云いやしたぁ。あぁ、これでやっと外に出れる……――」

 やはりか。奴は首だけになり逃げ出したのだ。儂は厭な予感が当たっていたことに、歯軋りした。だが、次に草間が告げた言葉は驚くべきものであった。

「――お、俺は怖くなったんだ。まだ生きている上に……奴の首からは血が出ておらなんだぁ……。それどころか、首のち所からなぁ、こう、ぬるぅりとした、蜥蜴とかげの尾のようなもんが生えちょったんです……。それがみるみるうちに人の手のようになってぇ」

 ――――まさか、まさか、まさか。

「これで、。嗚呼、愉快愉快だと――そ、それに奴の体は――ヒヒヒ……」

 儂は草間が呟いた言葉が頭から離れなかった。

 考えろ。先ほどまで襤褸寺にて対面していた男の顔を。

 考えろ。無有の骸を発見したのは誰かを。

 考えろ。古寺にて、無有と死闘を繰り広げたとき、切り落とした、

 首が持ち出させた理由は、土蔵の中から逃げ延びるためでは無かった。

 ――――奴は再び、首だけからおのれの形に成ろうとしているのだ。


 * *


 再び襤褸寺の一室。先ほどまでと同じ座布団の上。一人の男。

 顔が――顔が分からない。中空の月は曇天の中に埋もれてしまった。光がかからない、男の顔。酔いはすっかり冷めている。外の――白浜の波の音だけが耳に響く。

 ザザザァ……。

 ザザザァ……。

 対面する儂と――その男。儂は男に声をかけた。

「眩惑、貴様。か?」

「さぁてな」

 儂は襤褸切れの服から、再び護符を取り出した。目の前の男――かどうか解からぬ「それ」は常闇の奥底から搾り出す声を出した。

「反瑞よ、主にはな、ちと黙っていた事があった。封に覆われた不開ノ間でな、無有は首だけが切り取られたと云っておったろう」

 「それ」はかかかかかと厭な嗤いをした。瞬間、常闇が辺りを支配するのが分かる。

と思い込んでいたのだろう? 違う違う」

 かかかかかか……。

「体はな、小さなに分けられていたのだ。草間が運んだのは首だけじゃぁない。全ての肉だ。首、右と左の手、また腕、胴、右と左の足の付け根、また足とな。この数の意味合い分かるであろう?」

 とうに切られ、分かれていた、無有の体。十傑の人数とぴったりと重なりあう。

「眩惑が我の骸を見つけた? 阿呆よのぉ。既にあの土蔵に我はいなかった。外に出、再び戻った体で、眩惑を突き刺した時の快感はたまらなんだぞぉ」

 ――――奴が体を切り分けた目処は土蔵から逃げることでも無い。

 ――――首だけが奴に再び成ろうとしていることでも無い。

 ――――一人だけが十傑に紛れることでも無い。

 今更ながらも歯を食いしばった。

 後ろからもう一人、襖をそっと捲り何者かが背に立つ。

 そっとそちらを見やると――儂の顔がそこにあった。

 ――――こ奴の目的は――。

 ――――こ奴の目的は……。

 にたぁり……。


 ――――増殖だ。


 * *


 【あるいは現在の――――】


「この文章は一体なんです?」

 民俗学者である私は、その司書に聞いた。

「いやはや、なんというかがかねぇ、この辺りに伝わる怪奇の民間伝承らしいんですけども、どうもこれが、ほんまにあった事がどうかが疑わしいてねぇ」

 彼はアゴを摩りながら、困った顔をする。高知の東平市立図書館ひがしだいらしりつとしょかんのカウンター。閉館間際の図書館はこんなにも心寂しいものなのか。逢魔が時、窓の外には遠くに、南国市の幻影と、国見山が見えた。外から見ればガラス戸に夕日が反射し、きらびやかな姿を表しているのだろうが、ここからはどうも、厭な、血を空に垂らしたような紅色に見える。

「ほやから、こうして東京から、えらい先生に調べにきてもらいよるがやないですか」

「しかし、これは――、あまりにも馬鹿馬鹿しいというか、創り話ではありませんか。平安の時代、それも京都などなら虚構としての文学として分かりますが――高知の――」

「高知は田舎や言いたいがですか?」

「いやいや、違います」

 私は首をブンブンと振り、彼を宥めた。辺りの棚に収められている古い蔵書や歴史書が目に入る。

「えーとですねぇ、まず、ここに書かれている伝記――と言いますが、これは歴史物、またはクトゥルフ物のパロディ、もっと言えば、それらを含めたとしても読めるのです。開ノ間――即ち、密室からの首の消失――と見せかけた、バラバラ死体全体の消失……」

 と言ってしまい、あまりにもマニアックな会話過ぎたかな、と後悔した。大衆文芸依存症と称されても仕方がないかと諦めた。だが、目の前の司書は、ニヤニヤと笑い、そうでしょうそうでしょうと頷いた。私はつづける。

「えーと……、ですから、この『儂』という――陰陽師の一人称ですか? この方は事実を語っているのでは無く、完全に虚実を語っているのです。まず、陰陽師などという職業自体が――」と、ここまで語った時点で、司書が少し上を見上げた。図書館の天窓からは後少しで沈む日の淡い光と、沈んだ後の闇が重なって降り注いでいる。

「先生は嘘やぁ言うんやねぇ」

 司書はずぅっと天窓を眺めている。

「先生、実はね、この資料に書かれちゅぅ襤褸寺あるでしょう。この寺、どっかの考古学者さんが調べたとこんによるとねぇ、どうも、この図書館の場所やと言われちゅぅがよ」

「……」

「ほいて、つい、このあいだぁがよぇ。この図書館の前の道路を、工事しゆった時の話やけどなぁ……髑髏しゃれこうべがいぃっぱい見つかったらしいわ」

 私は頬にと妙な汗をかいた。

「ほんっま、昨今の時代は嫌いやなぁ……」

 ザザザァ……。

 ――――波の音が耳に入ってくる。

 ザザザァ……。

 ――――この近くに浜などあったか?


 にたぁり……と司書が嗤う。


「骸骨らぁ、何人やったと思う? ちょぉど十人」

 彼は――。

「えぇ、このちょぉど、十人。そん中の、やと思います?」

 分からない――が――。

「もしかしたらぁ、先生も……」

 私は司書のネームプレートを――。


かもしれんぞぉ……」

 それを、それだけは決して見ないようにしている――。


「かかかかかかか――」

 見てはいけないのだ――。


 嗚呼、あのプレートにはきっと『はざま』と書かれているのだから――。

 増殖はどこまでつづく――。


<了>


 * *


【参考・引用文献】

○鳥山明『ドラゴンボールZ(17巻~22巻)』(集英社:ジャンプコミックス)

○都筑道夫『退職刑事』(創元推理文庫)


 * *


○<ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日>(監督・今川泰宏/光プロ/ショウゲート/フェニックス・エンタテインメント)

○<銀魂 シーズン其ノ四 10>(原作・空知英秋/集英社/製作・テレビ東京/電通/サンライズ)

○国枝史郎『国枝史郎伝奇短篇小説集成』(作品社)

○『衣食住にみる日本人の歴史(2)』(監修・西ヶ谷恭弘/あすなろ書房)

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クトゥルフ陰陽捕物帳 光田寿 @mitsuda

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