母の慟哭、子の疼痛
「私の子供に、なにをした!」
鬼気迫るその白い獣は雨だった。被毛は鮮血に染まり、獣臭い息を吐き出している。その背中から、玉が滑り落ちた。四肢に力が入っておらず、頭から地面に激突した。
「あめ!」
異様な姿に、思わず声が出る。雲は?虹は?二の句が頭の中でぐるぐる回る。
「もともと器に用いるつもりだったその子が使い物にならなかったから、代用品にしただけです。そろそろ陣も完成するし、連れ戻しただけ」
淡々と述べる土は憐憫とも不愍ともとれる表情で雨を見た。彼女の傷は、あのワニのような魚に襲われたからなのだろうか。
「お前の方の役の者達は賢いな」
森の奥からやってきた火が億劫そうに携帯電話を懐にしまった。
「この付近一帯に避難勧告が出された。もう止められはしないが。肝心の避難誘導を行う奴らを随分消費したからな。まぁ碌な奴らじゃなかったが」
ちがいないと、背後から来た木も同意する。
「避難勧告って・・・・・」
「この長雨はじきにこの街を呑み込むだろう。連日の雨で川の水量は増えたまま。そこに記録的豪雨が降れば、こんなオカルトなことしなくても災厄とやらは発生する」
「まあ、こんな下水の掃き溜めみたいな街、いっぺん総浚いをやったほうがいい」
ぐじぐじと煙草をつま先でもみけすと木は土の方へ歩み寄る。雨は、ワニの様な魚二匹に襲われていた。後ろの右足が裂け、引きずっているが彼女の殺意は衰えない。
「この畜生を片づけたら丁度頃合いですね」
忌々しそうにつぶやいた土と目が合う。大事な存在を侮辱されたのに、せりあがってくるのは怒りではなく虚無と脱力感で、その事実に脳髄がとろけそうになる。
「帰るぞ!逃げよう!」
雨が叫ぶのが聞こえた。かえる?どこへ?思考が泡のように湧きだしてまとまらない。
この土地から生まれこの土地に縛られこの土地とともに生きてきた身体は、千年と少しを経てがらくたになりこの土地を壊す契機になろうとしている。
洪水がおきれば、山崩れが起きれば。歴代の役の者たちが為してきたことは全て無駄になるだろう。魂の行く末がゆがめられるだろう。
この街に住む人たちは、どうなってしまうのだろう
手首をつかまれる感触がして、乱暴に引っ張られる。土に引きずられるように身体が動く。しまったと思い振り返ると、傷だらけの妙齢の女性が、必死の形相で何か叫んでいた。彼女の伸ばした手が服の裾を掴みかける。横合いからアロワナめいた白い魚が彼女を突き飛ばした。
きっと、彼女は名前を呼んでいたのだろう。名前など元からない白い子の名前を。そしてその壊れかけた土塊は最後の務めを果たすべく、土塊をこねあげ命を吹き込んだモノの棲むうろへ投げ入れられた。
千年待ったぞ、と心臓から叫ぶ声が漏れ出して、こだまになって消えた
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