小石はもう止まらない
「雨はここにいた方がいい。私たちで洞窟を見に行く」
「ああ・・・・・」
放念したのか、脱力したのかよく分からない声を絞り出して、彼女も白い子供を抱きしめた。
「貴方も、雨のところで待っていていいんですよ?」
「また、思い出したから行かないといけない」
風の視線が痛いほど、心配してくれていた。それでも、積年の因縁に決着をつけねばならないと胸の奥の何かが告げていた。
洞窟の入口まで来たところで、土が入り口の闇のところで座り込んでいた。
「何をしている?」
「陣を描いているんだ。でも陣を描くためのインクが足りないから待っている」
「白い魚が運んでくる嬰児や人の魂か?」
「ちがう、もっと身近な力。風や霧も使える力、この土地の方々に仕掛けをつくったでしょう?」
「あぁ、土地の力とか、記憶の力みたいな感じか」
「そう、それ。だから、土の準備が整ったら、こっちから反撃ができる」
「どうすればいい?」
「地形に変化が現れるからそこを叩くんだ。霧は白い岩を、風は、桐の援護をして」
二人は了解のかわりに軽く喉を鳴らすように笑った。
もう少し木々の間を進めば、魚が運んでくる魂で陣を描いている場所に着くだろう。頭のどこかでここの先に彼らはいると誰かが告げる。切迫している。心も、身体も。急がねば。雨に打たれて冷え切った血のけのない太ももを動かして前へ進む。
唐突になにか、水と空気の境目の様な、膜の様な境界に突っ込んだ。音も気配も何もかもを消し去っていた雨粒が一瞬遠のき、完全に取り払われた。
洞窟の入り口にいた大人が振り返った。遠くで銃声が聞こえた。
「入ってきたのか」
怒声とも驚愕の声ともとれる言葉を耳にして、一瞬体のバランスを失う。よろめくと、左腕のひじから下が無くなっていた。
図鑑で見たことのあるワニの口をした巨大な魚がその銀色の巨体をうねらせ、肘から先の部分を咥え、咀嚼していた。
「いまさら何を。器は完成されている。貴方の様な不完全な器では顕現は不可能です」
その言葉は予想していた。玉が何故白いのかも犬から人間に変化できたのかも薄々感づいていた。洞窟に封じられたモノをそのまま出してしまうのは愚者の行為だ。制御し奴から利益を得るには器が必要だ。ただ、この身体は千五百年前のものをつぎはぎして使っている。もうぼろぼろでいつ壊れてもおかしくない。彼らも気付いていたのだろう。なぜなら
「金の家は、五百年前に滅んだはずの菰方家の生き残りなんだね?」
紺色の雨合羽を着た壮年の男が洞窟の暗がりから姿を現した。
「そうだ。明治期までは各地を転々としていたが、先の大戦で復興した。この土地に戻ってきたのは戦後随分たってからだ」
「それは風も知らない」
「あれは所詮庶子の流れをくむ者だ。菰方の歴史を背負うには荷が重すぎる」
金は洞窟の入り口を見上げ、その中のうごめく物を見透かした。
「そういえば、この身体に入っている金の願いは一族の再興だったかな?」
「あぁ、あれはそういう意味だったのか。国を追いだした奴らへの復讐だとばかり」
「風が詳しい伝承を知らないのは金の一族が持ち出したからなんだね」
「それでもこの者を押さえていられたのは貴方がいたからだ。だが、それも今回まで」
息を合わせたように、金と同時に長い息を吐いた。やおら土がたちあがり、きたよと告げる。あの不可思議な膜を破って、白い獣が突っ込んできた。
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