27.ナイトウィンド・マスカレード(3)

 戦術兵器として用いられる圧縮蒸気砲は、研究室であった大部屋を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまった。人間相手に使うにはあまりにも過剰な、全てを薙ぎ払って余りある暴力。

 その威力は真正面の扉を貫き、廊下を挟んで反対側の外壁まで一直線にぶち抜いている。砲弾を撃ち払う矛も、衝撃波から身を守る盾も無かった。たかだか脆弱な人体に、防げる道理は無い。

 ゼビアノは耳目を開放し、想像通りの惨状に満足する。


「念を入れた甲斐があったというものだ。こうも見事に吹き飛ぶとはな」


 彼はせせら笑った。たしかに銃の一挺もあれば、人命を奪うのは容易い。しかし、いざ撃ってみれば、己の覇道を示すのにこれほど適した火力も無いと思えた。

 娘を巻き添えにしたことに、最早いささかの悔恨も無かった。見目麗しい百合の花も、枯れればゴミ箱にでも捨てるしかない。それと何も違わない。

 あらためて、計画の要である『培養スフィア』を振り返る。後方にもそれなりの衝撃はあったが、中枢装置たるスフィアは無事だ。すでに、街の主要箇所に降り注ぐには十分な量の『永久の白雪(ビアンカネーヴェ)』を蓄えてある。あとは中庭のシップにこれを移し、飛び立てば――


「……ん?」


 小さな物音に、ゼビアノは天井を見上げた。ずいぶん風通しの良くなった大穴から、ぱらぱらと壁材が崩れたようだ。長年世話になった部屋だが、未練など微塵も感じなかった。どうせ、この研究所に戻ることはもうない。

 不意に見えた星空は美しく、感傷に浸りそうになる自分を戒める。気を取り直し、ゼビアノは再び培養スフィアに向き直ろうとし――その、間際。


「むっ!?」


 我が目を疑い、バッと再び天井を見やる。視界が捉えた、強烈な違和感。

 天井は、蒸気砲の衝撃波で吹き飛んだと思っていた。だから大穴が空いているのではないか。

 それが――どうしてああも、


「……ば、バカなッ!!」


 初めて、この場でゼビアノの表情に動揺が走った。なぜだ。なぜ、貴様がそこにいるのだと。

 天井に開いた穴の縁に立つ人影――星と月の光を背に受けて、夜風に桃色がかった金色ストロベリィ・ブロンドのツインテールをなびかせて、こちらを見下ろす黒衣の影。


「盗まず死ねるか、が信条でね。戦う乙女をナメてもらっちゃ困る!」


 フレッタ・ピアチェル――怪盗少女、舞盗ぶとうのウィンディア!


「おのれぇッ……!!」


 歯噛みするゼビアノを悠々と見下ろすフレッタ。その両腕は、絵物語の王子がお姫様を抱っこするように、トリスを横向きに優しく抱きかかえていた。

 彼女は状況がまるで飲み込めていないらしく、「ふぇぇ……?」と涙目で情けない声を漏らすばかり。さっきまで屋内にいたのに、なぜ屋上に立っているのか。そもそも、なぜ生きているのか。先刻の父親の凶行は、一時的に頭から吹っ飛んでしまったようだ。


「そのしぶとさ、実に癇に障る。雪は奪わせんぞ、卑しい盗人めが!」

「なに勘違いしてんのさ。あたしは永久の白雪ビアンカネーヴェを盗みに来たなんて、一言も言ってないんだけど?」

「……では何だと言うのだッ!?」


 獅子の銀髪を振り乱し、罵声を浴びせるが如く叫ぶゼビアノ。様々な備えを巡らせてここまで来た計画が、砂上の楼閣のごとく崩れ去る――その可能性を、認められずにいる。

 フレッタは、とても楽しそうに笑いながら答えた。


「わからないの? それでも父親? ここにあるじゃないか、極上のお宝がさ!」


 産まれたばかりの赤子が時折そうされるように、フレッタは両手でトリスを高々と掲げあげてみせた。金剛石ダイヤモンドにも劣らぬ美しい銀色の長髪がなびき、純粋さを失わない翠玉色エメラルドグリーンの瞳が惑いに揺れる。ちょっぴり幼い体格も、たおやかな白百合の儚さに似て。

 彼女は一瞬キョトンと、自分で自分を指差して「えぇぇぇ~!?」と驚きの大声を上げた。


「い、いや、わ、わたし!? なんで!?」

「全部言わせんなって。この舞盗ぶとうのウィンディアは初めから、トリス――いや、ベアトリーチェ。キミを、父親の檻から盗み出すつもりで来たのさ」

「そそ、そ、そうなんですか……!? で、でも、わたしなんか、こんなちんちくりんで卑屈で――」


 焦ってあらぬ言葉を紡ぐトリスを、そっと屋上に降ろし。フレッタはひとさし指を彼女の唇に当て、言葉の続きを止めさせた。


「『なんか』、なんて言うもんじゃないよ。あたしの言葉を信じてくれ。あたしは命懸けのつもりでここに来た。全身全霊、正真正銘――ありのままのキミを盗みたいと思ったからさ」

「は、はぅ……」

「娘さんをあたしにください、で済めば簡単だったんだけどねぇ」


 目的はすでに達せられた――とはいかない。こちらを怒りの形相で見上げている、彼女の父親への礼儀を欠いたままでは。彼女を囚える檻は、まだそこにある。

 なぜか真っ赤な顔で動かなくなったトリスを残し、フレッタはボロボロに吹き飛んだ室内に一人で舞い降りる。

 拳を震わせるゼビアノは、小娘一人に手間取る苛立ちを隠せていない。過剰な備えの大砲に、果たして次弾はあるのだろうか。いかに強力な鎧を装備しているとはいえ、研究者風情に取っ組み合いで負ける気もしなかった。


「勝った気でいられては困る!」


 ゼビアノは腰に手を回し、回転式拳銃を構えた。それすら、先ほどの大砲の後ではオモチャにしか見えない。

 パァンッ――と躊躇無しの発砲を、小さく身を逸らしてかわす。素人の命中精度などたかが知れている。大げさに動けば逆に危険だ、ということは、拳銃の名手と自称する栗毛のおじさんから聞いていた。


「そんなもの!」


 

 避けるや否や、光剣を鞭へと変え、ゼビアノの手元を狙って撃ち振るう――黒い銃身を、いとも容易く


「なっ……!?」


 彼は驚愕に見開いた目で、空中の鞭の軌跡を捉えた。それは鞭であり、剣でもあった。一本の異様に長い剣が何片にも分割され、その真芯を一本の鞭で繋いで連結している、蛇腹状の剣だ。


蛇の剣サーペント・スパーダ黎明の蒼アッジュリーテを纏った時だけ使える奥の手さ。めったにお目にかかれないよ?」


 鞭のように縦横無尽に空中をヒュンヒュンとしなり、触れれば一気呵成に刃が斬り裂く。長さは魔法を扱う本人の意志次第。殴打には無い斬撃の破壊力と、鞭の柔軟かつ変幻自在の機動力を併せ持った、まさしく魔法の武器。

 ゼビアノは理解する。蒸気砲を放つ直前、衝撃に備え目をふさいだ間に、蛇の剣サーペント・スパーダで天井を斬り裂いたのだ。そして砲弾が発射される瞬間、すんでのところでトリスを抱えて全力で屋上へ逃れた――それが手品のタネだ。

 鞭を収縮すると、分割された刃がくっついて一本の長剣状に戻る。そうしてから、フレッタは色の違う両眼でゼビアノを睨めつけた。


「終わりだよ、ゼビアノさん。アンタが素直にやめてくれたら、違う結末もあったんだろうけど」

「黙れッ! 貴様も呪いを負いながら、なぜ我が理想が分からん! 苦しんだはずだ! それほどに人よりも進化した存在でありながら、忍ばねばならぬ世の理不尽を知っているはずだッ!」


 フレッタは、至極どうでもいいとばかりにため息をついた。


「それほどって……ただの鞭だよ、こんなの。人生も今のとこ悪くない。街はいつも違う顔で楽しいし。店の経営もやりがいあるし。妹のほっぺは毎日やわらかくて飽きないし。その他諸々、苦しむ理由は無いかな」


 歌うように紡がれる言葉の、全てが本音。過去を思えば胸が苦しく、だからといって変えることなど出来はしない。呪いを身の内に抱えるとも、彼女の目線はを見つめていた。


「というわけで、もはやこれま――」

「図に乗るな。吾輩の意思はまだ生きているッ!」


 裂帛の気合を込め、獅子頭の怪人は咆哮した。筋骨隆々とした大柄な肉体は、黄金の鎧を防具ではなく、拘束具ではないかと錯覚させる。

 ヒュゥと口笛を吹くフレッタに向かい、彼は大地を蹴った。自身を金色の弾丸と化し、なりふり構わない単純シンプルな突撃。研究者とは思えない体格から発せられる凄絶な殺意に、さしものフレッタも小さく息を呑む。

 ここまで来て負けてやる義理はない。リーチの優位を活かし、遠距離から蛇剣サーペント・スパーダの斬撃を見舞う。


「それっ!」


 上下左右あらゆる軌道から二発、三発と斬りつける。ゼビアノは鎧の篭手や脛当てでそれを受け流しつつ、尚も止まらない。襲い来る斬撃を、物ともしない。

 魔法形態变化。じりじり後ろに下がりつつ、硬化鞭による連続打撃に転じるが、これも押し切られる。心を折れない。鎧の防御力もさることながら、纏う人間の尋常ならざる執念とタフネスが、頑なに折れない。彼我の距離が徐々に縮まっていく。


「ムダだッ! 鎧が潰えばこの手でくびるッ! 肉を削がば骨で刺すまでッ!」

「……意地の徹し合いか! 上等だライオン頭! 俄然あの娘が欲しくなるッ!」


 とはいえ怪人を相手取る彼女のふてぶてしい笑みは、いよいよ強がりに変わりつつあった。

 魔法の連続使用による負荷は、確実に彼女の体を蝕んでいる。先ほどから顔の右半分は灼けるように熱く、脂汗も流れてくる。疲労が縛鎖のように重くまとわりつく。許されるならば今すぐ膝をつきたい。変身を解いてしまいたい。


(――バカを言え!)


 盗まず、死ねるか。女は度胸という名言を思い出し、覇気を保つ。


「いい加減に分かれよ! トリスが本当に頭をなでてほしいのはアンタなんだ! 優しく抱き締めてやらなきゃウソだ! 父親は、この世に一人しかいないんだ! それをしない内に、勝手に狂っただの歪んだだのくだらねぇ言い訳で全てめちゃくちゃにするなんて、あたしの意地が認めないッ!」


 自分の中のありったけを右手に込め、フレッタは白兵戦に長剣を構え直し――その眼前に、小さな影が舞い降りた。


「――トリス!?」


 二者に割って入ったトリスの右掌から、稲光がほとばしった。ゼビアノは眉間に皺を寄せるも、怒りの形相を崩さない。


「退くがいい、トリス。この盗人の言うことにも一理ありと認めてやろう。やはりお前は、我が理想と共に進むべき娘なのだ」

「お父様。もう、何も聞く気はありません」

「はは……手始めにこの街を作り変え、お前が寂しくないようにしてやるぞ。……どうした。吾輩に従え。理解しろッ!」


 ゼビアノの顔が苦渋に歪む。度重なる想定外の事態に衝突し続け、もはや思考が自己を規定できていないのか。頭をかきむしり、赫怒に顔が歪む。

 ついに男は、躁病に陥ったトリス以上の、狂的な唸り声を上げた。


「退けと言っているのが、聞こえないのかあぁぁぁぁッ!!」


 黄金の拳が振り上げられた。トリスは一歩も引かず両掌に閃光を集中させる、しかし間に合わない。

 瞬間、フレッタは親の言う通りにしてやろうと即断した。


「トリスッ!」


 フレッタは後方に飛び荒ぶと同時に鞭を振り、トリスの背を全力で引っ張った。ゼビアノの拳は勢い良く空を切り、態勢を崩す。

 ついに生じた致命的な隙。そこを目掛け――後ろ向きに飛ぶトリスの両掌から、天の轟雷と見紛うほどの凄まじい雷閃が炸裂した。


「があぁぁぁぁぁぁッ!?」


 雷撃の轟音と同時に室内が目まぐるしく明滅し、ゼビアノの体が激しく痙攣する。ほとばしる光は掻き消え――彼は、がしゃんと倒れた。

 劇的に過ぎる音と光の不協和音。フレッタは思わず閉じた両眼をゆっくりと開け、倒れた男の姿を見やる。焼け焦げた鎧が細く黒煙を上げているが、か細い唸り声も聞こえていた。

 正真正銘、トリスが放てる最大威力の一撃だったのだろう。それこそ、命を燃やすような想いを込めて。

 ついに彼女は愛する父に刃向かう形となってしまった。雷撃を放った己の両手に手を落とし――しかし、その手も身体も、震えてなどいなかった。

 終わった。万感の思いと共に、フレッタは燐光の剣を消した。盛大に安堵の息をつきながら、くしゃくしゃとトリスの頭を軽くなでる。


「娘に言わせりゃ、親の言いなりになるだけが愛じゃない。距離を取らなきゃ見えないものもあるよ」

「……お父様は、間違っていたと思います。今ならハッキリと、そう言える」

「お母さん、いいこと言ってたね。良い娘さんに育ったよ、トリスはさ」


 『アルムジカ呪痕汚染計画』の首魁は倒れ、その中枢を担う存在たる『永久の白雪ビアンカネーヴェ』は抑えた。関係無い近隣住民に迷惑をかけないのも怪盗のポリシーの一つだったのだが、そこは大目に見てもらいたい。いくらなんでも、あんな大砲があるなんて聞いてない。

 そして何より、舞盗のウィンディアとして一番大事なこと。この世に二つと無い、とってもとっても大切な、とびっきりかわいらしいお宝を盗み出すことにも成功したのだ。この日、これ以上に嬉しいことなんて、あるわけないじゃないか。

 涙で真っ赤に腫らした目のまま、トリスは泣き笑いの表情で、はにかんで言う。


「遅れた反抗期……来ちゃったみたい、です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る