26.ナイトウィンド・マスカレード(2)

 ウィップを中央の大机に向け何発も撃ち下ろす。しかしそれらは打撃ではない――机はによって細斬れされ、無数の破片となって中空を舞う。

 フレッタはその中の大きな破片をつぶさに見極め、ゼビアノへ向けて激しく蹴り飛ばした。


「ッ!?」


 瞬時にトリスが反応、雷撃を放とうと構えた。すかさず別の破片を蹴り上げて即席の避雷針とし、明滅する雷光の中を一気に廻り込んで懐へ飛び込む。

 閃光がバジィッと破片を焦がす、それとほぼ同時に彼女の後ろを取った。今までのどの動作よりも洗練された、目にも留まらぬ疾風の如き一投足。


「な……」


 何が起こったのか理解できず、トリスは混乱した。フレッタの武器は鞭だったはず、それが物体にを加えるなど有り得ることか。無駄の無い瞬発的な身のこなしは、彼女がまだ本気を出していなかったことを実感するに十分だった。

 首筋には、薄桃色に光輝く刃が当てられていた。しかしそんなことよりと、彼女は焦燥する。父はどうなった――


「……危ない、危ない。鎧が無ければ怪我では済まなかったな」


 ゼビアノは薄ら笑いを浮かべていた。破れた白衣を脱ぎ捨て、飛来した破片を弾いた右腕を示す。身体強化機械肢――それも腕だけでなく、首から下のほぼ全身を覆う、くすんだ黄金色の鎧だ。

 彼の余裕ある態度の理由が、これで判明した。なかば本気で蹴り飛ばした一撃をあっさりと防御し、動作不良の一つも起こしていない。

 しかし。その余裕も、フレッタと目を合わせた瞬間に霧散した。


「……貴様、その右眼は何だ?」

「え?」


 トリスは何とか首を後ろに向け、フレッタの眼を認めた。いたずらにウィンクして返すその右眼は――碧眼が眩い金色に染まり、虹彩異色オッドアイと化している。


「これ? 本気出すとこうなっちゃうんだよ。経緯のせいか、どうも特異体質っぽくて」

「え? え?」

「剣ってのもあたしのガラじゃない気がしてさ、あんまり使いたくなかったんだけどね」


 フレッタの手に握られているのは、鞭ではなく片手剣だった。

 黒衣の怪盗騎士キャヴァリアーロ。光の鞭が、光の剣を発現させる魔法に変じている。通常ならば身体に歪な紋様として刻まれる呪痕が、虹彩の変化として表れている。その異質な姿は、呪痕研究の専門家を大いに狂喜させた。


「面白いッ! 盗人風情と蔑んでいたことを詫びよう。君の身体――是非とも欲しくなった」

「やなこった。盗るのは怪盗側の仕事だし、オッサン趣味でもないし。それにあたしの身体は、あたしだけのもんじゃないんだよ」

「ほう。随分といわくがあると見えるな」


 ゼビアノの目は爛々と輝いている。生殺与奪の権を握られた娘のことよりも、稀少な研究対象の方が気になるらしい。そのことは、フレッタを少なからず落胆させた。


「アンタも星命力アリアに関わる研究者なら知ってるだろ。九年前、ミューズ鉱山」

「……鍾乳洞の落盤事故か。なるほど、君はそこで」


 あの時の光景は未だに夢に見る。かつて父に連れられ妹と三人で向かった、ミューズ鉱山近傍の鍾乳洞。今でこそ完全に閉鎖されているが、ひんやりとした洞窟内に不思議な癒しの効能があると、当時はそこそこ知られていたものだ。それが、豊潤な星命力アリアの循環点だったからと知ったのは、全てが終わった後だった。

 不意な落盤事故でその流れに乱れが生じた時、それは暴れ狂う昇龍のごとく一気に噴出した。


「父さんはあたしとルチアを連れて、入口近くまで逃げることが出来た。でも、星命力アリアを一気に浴びすぎた父さんの身体は、もう呪痕どころじゃなかった。エネルギーに身体が耐えきれなくて、そこで」


 一度、言葉を濁した。気持ちの良い昔話ではない。目を閉じれば瞼の裏に浮かぶほど、ペンを握れば精細に描画できるであろうほど、脳裏に焼き付いて離れない惨劇。


「ルチアも間に合わなかった。右眼を呪痕に侵されて、ひたすら叫んでたよ。『お父さんだ!』って――泣きながらしがみついてた父さんの身体から離れて、何も無い岩の壁に向かって、笑顔で呼び続けてんだ。お父さん、お父さんって」

「それって……」


 おぼろげに想像してしまったか、トリスは顔をひきつらせた。


「あの時、アイツの右眼には。元気で、あったかい笑顔の父さんが」

「早くも精神汚染が始まっていたのだろう。幻覚はありがちな症状の一つだ」


 ゼビアノは事態を変えようともせず、寝物語をせがむ子供のように続きを待っていた。

 狂気が生まれるのは、人に心あるからこそだ。呪痕とは、それを後押しするに過ぎない物なのかもしれない。あの洞窟で、すでにフレッタはそれを痛感していた。


「あたしもおかしかった。アイツが許せなかったんだ。何でお前だけが。お前だけが父さんに触れられていいはずがないって。だから――

「え……」

「ほう、それはそれは」


 ――よこせ! あたしにそれをよこせ!


 泣きながら怒りに訴える、幼かった己の声が胸に響く。同時にトリスの震えがぞわと伝わり、フレッタもまた強張った。


「あたしはルチアの右目を自分の眼窩に押し込んで、自分の目は捨ててやった。呪痕化したルチアの右目は、あたしの体を宿主と認識して固着した。……だからあたしは『呪痕保持者』になった」

「なるほど。それも一種の移植手術か。君が魔法を使えるのもおかしな話ではない」


 感心するゼビアノを無視し、フレッタはどこか遠くを見ながら自嘲する。

 救助された後、ルチアの右眼が失われた理由は『事故』以上の追求を受けなかった。示し合わせるでもなく、二人で口を閉ざしたからだ。それだけ、当時十歳にも満たないピアチェル姉妹の心傷は大きかった。


「でもさ。あたしには父さんの幻覚なんて見えなかった。あのとき問題があったのは、アイツの心の方だったんだ。……結局、あたし達は父さんを永遠に失って。あたしは、妹の世界の半分を盗んでしまった」

「フレッタさん……」


 トリスの身体からは、もはや抵抗の意志は感じない。憐憫が彼女の肩の力を抜いてしまったか。それでも尚、彼女の首筋に当てた刃を握る手は、今まで以上の熱を帯びている。

 切り札たる刃を向けたその覚悟を、眼前であざ笑う男に、決して手折られることの無いように。


「この右眼に誓って、あたしは正気を失うわけにはいかない。妹を守る責任があるから。……そうさ、あたしだって呪痕保持者だ。ひと様の物を盗み続けなければ狂ってしまいそうになる、さ」


 父を失い、自分が傷つけた妹を守り続けてきたフレッタと。母を失い、父を支えるために凶行も辞さないとするトリス。似てこそいるが――フレッタは、自分自身の中に確固たる寄る辺を強く持っている。決して、他人に人生の意味を全て丸投げしたりしない。


「そりゃ……父さんの遺志を継ぐ気持ちも、評判悪い金持ちを懲らしめたいってのもあったけどさ、ドロボーはドロボーだかんね。言い訳にもなりゃしないけどさ」


 トリスは一際ぶるりと震えた。冷たい刃を突きつけられていながら、そこから伝わる想いは、どうしようもなく暖かい。

 もっと、もっとだ。己の中で、想いの熱をたぎらせろ。


「でも、自分を曲げて生きるのだけはゴメンだった。本当はイヤなのに、曲げてる奴を見るのもイヤだった」


 かわいいものがいっぱいの雑貨屋の店員。縦横無尽に街を疾走する運び屋。夜闇に乗じて舞い踊る怪盗・ウィンディア。

 どんな顔をしていようと、その全てがフレッタ・ピアチェルという存在を規定する。己を卑下すること無くしたたかに生き続ける、自身そのものの存在証明に他ならない。


「ねぇ、トリス。……違うでしょ?」


 フレッタは刃を下ろし、トリスを解放した。彼女はふらふらと数歩を歩み出て、振り返る。今にもありとあらゆる感情が溢れんばかりの涙顔で、しかしあらゆる想いが、何も上手く言葉になりはせず。

 それはフレッタとて似たようなもの。怒りだの、同情だの、悲しみだの、救いだの。色々な激情が混ぜこぜになって、フレッタは――とうとう咆哮した。


「本当に、今のままで親子やってるって言えるのか! 主人と奴隷と、何が違うんだ! 何が進化だ! 父親に大量殺人まがいのことさせて、それを見て微笑んでるなんて……」


 眼前に切っ先を突きつける。水面の如く澄んだ直刃に言の葉を載せ、まっすぐに届けてみせる。


「それがお前の、本当にやりたいことなのかッ!!」


 同じく、父を想う者。フレッタの決死の言葉。

 トリスは――トリスは――


 フレッタに背を向け、父親へと向かってその右腕を突き出した。


「もう……もう、やめて……お父様!!」

「……トリス」

「娘なら親の言うことを聞いて、時には良くないことを止めてあげる……それも親子だって!」


 今思えば、こんな風になることを予期していたのかのかもしれない。母の言葉をしっかり思い出し、トリスは叫ぶ。


「また一緒に、わたしは、お父さんと一緒に過ごしたい……普通に、普通の親子として……まだ、それ、できるんじゃないの!? ねぇ!」

 

 己を縛りつけるくびきに必死に抗う。本音が次から次へと溢れていく。

 これがトリスだ。大粒の涙をぼろぼろとこぼし、父親にぶつける言葉の一撃一撃が、こうも重い。母の死から――いや、それこそ何年も何年も、天真爛漫な笑顔の裏で、心の隅っこに抱えていたわだかまりがきっとあったのだろう。親子の情などという簡単な言葉で語り尽くせない、言葉にすればいくら紡いでも足りない熱情の奔流。それら全てが今、洗いざらいぶちまけられようとしている。


 きっとこれで良いはずだ、とフレッタは思った。

 それをゼビアノは、しばらくはただただ黙って聞いていたが――やがて、遮るようにゆっくりとかぶりを振った。


「お前も――」

「……え?」


 一度大きなため息をつき、彼は数歩さりげなく後ろに下がった。物理的に離れる以上に、精神的な繋がりを隔てるように。

 トリスの背から不安が伝わってくる。フレッタは動じることなく、固唾を呑んで見守っていた。

 ゼビアノは宣告した。


「父を裏切るのか」


 咎人の傍らで、大刀を構える処刑人のように。冷徹な瞳がトリスの胸を貫いた。彼女はぶんぶんとかぶりを振り、必死に否定の意を示す。


「違う! 違うよ父様! そうじゃな――」

「最期の最期! 今際の際にジャンナは吾輩を見捨てた。この愚かな研究者は、また一つの支えを失うわけだ」


 やんわりと語るゼビアノの意図が読めない。トリスは今にも父親の胸に飛び込み、全身で彼を止めようとしそうな勢いだ。

 しかし、何か不穏な感じがする。フレッタは冷静さを欠いて泣きじゃくるトリスではなく、ゼビアノを凛然と注視し続けた。

 結果論で語るなら、それは慎重に過ぎた。この時、盗賊の直観を信じてすぐにでも飛びかかるべきだった。


「吾輩はお前を愛していたぞ、トリス」


 ゼビアノはおもむろに、背後の巨大機械の一角へ手を掛けた。その中のレバーを一息に引き倒す。連動して響き渡る動作音。培養スフィアの隣に大筒状の装置が起き上がり、直角に倒れて暗い虚がこちらを向いた。


「なっ!?」


 ――砲口。

 誤った。知らされていなかったのであろう、トリスもまた驚愕している。木を隠すなら森の中、敵を騙すには味方からの教え通り。部屋の半分を占めるあの大型機械群は、全てが一つではなかった。その中に紛れさせるように、巧妙に兵器を隠していたのだ。

 今まさに、その暴虐の光が放たれんとしている。


「お父様やめて!」

「トリス、危ないッ!」


 前に出んとするトリスを、背後から渾身の力で抱き止める。しかし、そのまま伏せてどうにかなる破壊力の口径ではない。


「安心しろ! 苦しむ間も与えんわッ!」


 ゼビアノは絶叫と共に目を閉じ、もう一本のレバーを勢い良く引き倒した。


 その直後――視界を蹂躙する灼熱の閃光と共に、激烈な爆音が室内を喰らい尽くした。

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