5 五つの約束

「ウェンビアノ、お前を見るたびに、時の流れを実感するよ」

「お言葉もありません、カンパルツォ伯爵」

「おいおい、約束を違えるのか。名前で呼べと言っただろう……おれとお前の仲じゃないか」

「これは失礼、レングさん、歳を重ねたせいで忘れていました」


 領主レング・カンパルツォは六十歳を越えているらしいが、年齢より十も若く見えるほど壮健で、また、豪快な男だった。白髪交じりの髪を後ろに撫でつけ、鷹のような眼差しでこちらを見据えている。一般的な男性よりも一回り大きく、顔に傷などはなかったが、歴戦の兵士と言われれば信じてしまいそうな風貌だった。

 だが、確かに、領主たる威厳に満ちている。先ほど僕たちを先導していた老兵も威厳があったが、比べものにならなかった。貴族、という言葉の本来の意味が時代によって削り取られ、既得権益におもねる愚鈍な人物、と成り代わっていた世界に生きていた僕にとってその印象は新鮮なものにも感じ取られた。


「で、隣にいるのがニールか」


 カンパルツォの視線が僕を捉える。ウェンビアノの目の鋭さが他者の本質を見抜こうとする冷静さの表出ならば、カンパルツォの鋭さは他者を圧倒する力強さの表出だ。僕はかすかに身じろぎし、なんとか「はい」と声を絞り出した。


「そう硬くなるな、こっちの肩が凝る」

「……善処します」

「速やかにな」


 カンパルツォはそう言うと、剛毅な笑い声を上げた。体格の大きい彼が笑うと、大きな岩が動くかのような迫力がある。部屋もそれほど広くはなかったため、その圧迫感たるや息が詰まるものがあった。

 バンザッタ城は戦に備えられて建設された城であり、王の権威を示すために作られた城ではない。そのため、建築物としてのコンセプトはまさしく「質実剛健」であった。実益主義、とも言える。そのため、扉や壁につけられたレリーフは最低限のもので、無骨な印象が強い。この領主の間も十メートル四方ほどもなかった。


「政務室ではなく、ここに呼ばれるとは思いませんでした。老けて威厳が保てなくなってきましたか」

「下がうるさいんだ、そう言うな」


 ウェンビアノの厭味に、カンパルツォは微塵も気を悪くした気配もなく愉快そうに笑った。


「さて……ニール、きみが呼ばれた理由は分かるな?」


 僕は押し黙ったまま、頷く。


「まさか、単独で『拒否の堀』を越えられる人間がこの世にいるとは思わなかった。子細はウェンビアノから聞いているが……やはり、実際に目で見てみないと信じられぬな、魔法以外の強力な力があるとは。どんなものだ?」


 一瞬躊躇し、ウェンビアノの顔を覗き見たが、彼が止めようとする素振りはない。僕は正直に答えることにした。


「……超能力、サイコキネシス、といいます。僕ができるのは手で触れずに、重いものを動かしたりとかそのくらい、ですが……」

「ふむ」

「お互い頭が硬くなりましたね、レングさん。私も話だけでは信じていませんでした。値の張る樫の木の机を投げ飛ばさせてしまいましたよ」

「実物を見ずに金を買うのは愚か者だと言っていたのはウェンビアノ、お前だろうが。それに、見て受容できないほど頭が硬くなった覚えはない」

「人の口に戸は立てられないですし、いっそのこともう一度『水渡り』をさせますか」

「え」


 ウェンビアノの言葉を聞いた瞬間に、水の冷たさが背筋を走り、身体が固まった。もし、上手く制御できなかったら、またあの筆舌に尽くしがたい冷たさを味わわなければならないのか。

 縋るような目つきをしていたのかもしれない、カンパルツォは僕の顔に哄笑を漏らし、膝を叩いた。


「意地の悪いことを言うな、ウェンビアノ。隣のニールを見ろ。猫に咥えられた鼠のほうがよっぽどましな顔をしているぞ」

「まあ、『水渡り』は冗談ですが、ご覧にはなるでしょう? この城でもっとも高い調度品を持ってきていただければそれで実演させますが」

「物置に壊れかけた大壺がある。それがこの城でもっとも値打ちのあるものだな。正確に言えば、値打ちのあるものになる、という意味だが」


     〇


 壁に衝突し、千々に砕けた大壺を見て、カンパルツォは「ほう」と感嘆の声を上げた。膝を折り、まき散らされた破片を手にとってまじまじと眺めたあと、彼は僕へと問いかけた。


「お前のこの力は、何と言えばいいのか、お前の元々いた場所では誰しもが生まれながらにして持っている、普遍的なものか?」

「いえ、生まれながらこの力を持つ人間はいない、と言ってもいいと思います。もちろん、特例はありますが……」

「では、誰もが簡単に得ることのできる力か?」

「……それも『はい』とは答えにくいです。素養を持ち、幼い頃から特殊な訓練を受けなければほとんど発現しません。発現したとしてもある程度の過程を経なければ自覚的に操作することはできませんし、大きな力を持つこともできません」

「そうか」


 それからカンパルツォは僕にいくつか質問を繰り返した。超能力にはどんなものがあるのか、限界はどれほどか、訓練の詳細、理論的なこと。超能力養成課程における座学でそれらのことは頭に入っていたため、すべてに答えることができた。

 そして、一つ、きっぱりと断言できないことだったけれど、生命の保全という条件がなければ生物の殺傷はできない、ということも打ち明けておいた。


 ――刑罰装置、という機械が僕の脳につけられている。


 超能力を生み出すことに成功した僕の世界は強い利便性を獲得した一方で、いつでも薄暗い不安が足下に広がっていた。それまで確固たるものとして信じられてきた物理法則という地面が揺らげば、その上に立っていた人々の心も揺れ動く。超常的な力が犯罪に転用されることを恐れ、法や宗教はより厳格なものになっていった。

 そこで開発されたのが刑罰装置だった。小指の爪ほどしかないその機械は装着者の意志を読み取り、正当性のない過剰暴力行為を認識した瞬間、生命維持に関わりのない身体機能を遮断する。


 だから、僕は、生き物を殺すことができない。

 生き物を殺したら僕は罰を受けることになる。

 何が正当か、どこまでの暴力が許容されるのか、ほとんどが秘匿されていたが、動物などもその対象となることは知っていた。かつての世界で報道された男のことを思い出す。動物園に設置された監視カメラの映像だ。

 男は超能力を用いて一度に三体の動物を殺害した。幼い頃に見たその映像と、感じるはずもない獣の臭いが脳の裏側にこびりついている。糸が断ち切られたかのように、ぐにゃりと膝が折れ、後頭部を地面にぶつけた男の姿を指さして、とうさんとかあさんは「暴力を振るってはいけない」と、まだ小さなニールへと強く言い聞かせた。


 その後、男は速やかに専門施設へと移送され、機能遮断が解除されたらしいが、そんな施設はこの世界にはない。罰を受けてしまったら、僕は覚めない眠りに就くことになる。虫などは殺しても問題ない、という最低限の説明を受けたことがあったが、どこまでが許容範囲であるのか、試す勇気など僕にはなかった。


 カンパルツォがいちばん興味を示したのは噛み砕いて説明したその部分で、彼はもっと掘り下げようとさらに問いを重ねた。例えば、自分と友好関係にある人間が生命の危機に陥っていたとしたら、だとか、自分のみが安全の保障されている状態で目の前で虐殺が行われていたとしたら、だとか、対象者が人間でなかったとしたら、だとか。

 けれど、僕に答えられるようなものは多くはなかった。


「申し訳ありません、そのすべてに確信を持って答えることはできません」

「ふむ」

「……ただ」

「ただ?」

「ただ、これは推測に過ぎないんですが、他人を守るために暴力を使っても問題はない可能性も、あります」

「ほう、それはなぜだ?」

「僕がいた世界はこの超能力が中心にあることによって、生の価値観が少し変化していたからです。つまり……、なんというか、生きていると認識している自分は肉体という領域外に及ぶ、と考えられているんです」


 そこで興味深そうに唸ったのはウェンビアノだった。


「それは、なんというか……哲学的だな」

「つまり、その思想がどう影響を及ぼすんだ?」


 カンパルツォに続きを促され、僕は静かに答える。


「つまり、僕という生命は、この場で言えば、伯爵さまやウェンビアノさんも僕の一部であると無自覚に認識しているんです。だから、ここで伯爵が暴徒に襲われたとして、僕がそいつを殴り飛ばしても刑罰装置はおそらく作動しません。きっと誰かを守る行為によって罰を受けることはないでしょう……確証は、ないですし、殺害までいってしまえばどうなるかはわからないんですけど」


 超能力者が大多数のための存在であることに鑑みれば、僕の推測はきっと的外れではなかった。そうでなければ刑罰装置は罪人を繋ぐ枷としての価値しかない。戒めと矯正、そのための器具であると思いたかった。

 僕が説明を終えると、カンパルツォはそれほど気にした様子を見せず、「ならば、問題はないな」と満足げに頷いた。ウェンビアノもウェンビアノで、「ええ、そうですね」と目を細めている。


「レングさん、二十五年前の盟約を果たすときが来ました」

「思えば長かった。こうして時期が来たことが夢のようだ」


 通じ合っている彼ら二人の横で僕はただ立ち尽くしていた。話が見えず、口を挟むことすらできなかった。

 一つだけ、はっきりとしていることがある。

 この都市を作り上げた二人の偉人は再び何か大きな行動を起こそうとしている。僕は、その決定的な場面に立ち会っているのだ。

 偉人たちの、未来を見通す目が僕に向けられる。

 ぞくり、と身体が震えた。


「ニール」


 カンパルツォが僕の肩に手を置いた。その熱い感触を僕は生涯忘れやしないだろう。得体の知れない僕を、彼は認めてくれている。他の誰でもない、「ニール」として。彼の手のひらから伝わる灼けるような熱は、肌を突き抜け、肉を溶かし、血を沸騰させ、僕の心を焦がした。


「命を奪えないお前に剣となれとは言わない。おれたちを守る、盾となってくれ」


 そして、彼が次に発した言葉に、僕はどうしようもなく、うれしくなり、堪えることができず、涙を流した。他の人たちにとってはなんてことのない一言に違いない。ただ、僕にとってその言葉はこれまでの人生でもっとも価値のある言葉だった。


「――やってくれるか?」


 そんなことで、と人は笑うかも知れない。けれど、理解してくれるだろうか。そこにあるクエスチョンマークの意味に、共感してくれるだろうか。

 僕の世界の人間たちは決して僕にその記号を使うことはなかった。

 彼らは僕に意見を求めない。僕に許可を求めない。僕に事情を求めない。

 彼らにとって僕は従順な人形か、都合のいい玩具に過ぎなかった。

 だが、カンパルツォは、ウェンビアノは、フェンは、あるいはイルマや牢で出会ったアシュタヤもベルメイアも、僕に対して、惜しげもなくその優しい記号を使った。それが、使い物にならない、と揶揄されてきた僕の超能力に対するものだとしても、どれだけ嬉しかったか。

 彼らは容れものとしての僕ではなく、僕という存在を肯定してくれている。

 そう思うと我慢することができなかった。


「お、おい、どうしたニール、なんで泣く?」


 カンパルツォは困惑しながら、僕の背中をさすってくる。十七歳にもなって情けないことだけれど、一向に涙が止まる気配はなかった。これまでこころを堰き止めていたダムが崩れ落ちたかのように、僕の感情は止めどなく流れ続けていた。


「……僕の、僕の力は伯爵がたが思っているほど、大したものではないんです。制御も上手くできない、細かな作業もできない。人にできることができなくて、ずっと馬鹿にされてきた。期待を裏切り続けてきたんです……理想と比較されて、恥さらしだとか失敗作だとか貶され続けてきました……」


 誰もが僕を嘲笑し、迫害した。

 人はどうしてそこまで他人に冷たくなれるのだろう。クラスメイトも先生も、当たり前にできることができない、それだけで僕を蔑ろにしていい人間だと判断した。

 温情でいちばん上のクラスに入ったのがだめだったのか?

 クラスメイトたちは「お前がいるとこっちの評価まで下がる」と理由にもならない理由を掲げ、暴力を振るってきた。ワームホールに飲み込まれたあの日もだ。先生の叱責を受けたあと、地面に転がされ、顔面を蹴られたことを思い出す。

 きっと彼らにとって「弱い」ということは何よりも重い罪だったのだろう。

 しかし、ウェンビアノはその過去を力強く否定した。


「それがどうした、ニール。少なくとも、レングさんや私は、かつての他人の評価など当てにしない」

「……怖いんです」


 期待が、評価が、どこまでも冷たく僕の心を貫く他人の目が、怖かった。周囲が思い描く「超能力を生来の力として持っていたニール・オブライエン」の虚像が何もかもを締めつける。

 そして、その幻影をもっとも強く思い描いているのは他ならぬ僕自身でもあるのだ。唇を噛みしめ、押し黙っていると、ウェンビアノは静かに口を開いた。


「……一つだけ言っておこう、ニール。君はもしかしたら何もできないかもしれない。だが、それは誰にでも言えることだ。必要以上に不安になる必要などどこにもない。残酷なようだが、君はレングさんを守る盾の一つにすぎない」


 わかりきったことだ。今まで僕が何かを為し得たことなんて一つもない。

 だからこそ、と僕は思った。


「……それでも……僕は役に立たないかもしれない、それでもいいのなら」


 僕を、僕のこの力をあなたたちのために使いたい。

 僕という個人を初めて必要としてくれたあなたたちのために。

 虚飾や見栄などなく、純粋に、そう思った。


     〇


 落ち着きを取り戻したあと、僕とウェンビアノはカンパルツォの政務室へと連れて行かれた。政務室の左右に備え付けられた棚には本や書類などが隙間なく詰め込まれていて、不思議な匂いが漂っていた。それが紙の匂いであることに気付いたのは使用人のおばさんが飲み物を運んできてからだ。

 彼女の退出を待ち、扉が閉まると、政務机の前にあるソファに腰掛けたカンパルツォは「さて」と切り出してくる。


「ニール、まだ、お前にはおれたちの目的を聞かせていなかったな」

「いいん、ですか? 僕にそんな大事なことを伝えても」

「やましいことはない。それに、賛同できない計画に参加する人間は不和の原因にもなる。安心してくれ」


 そう言って、彼は茶の入った陶器のカップに口をつけた。泣きじゃくったせいで喉が渇いていて、僕もそれに倣って口を湿らせる。


「今、おれの元に王からの誘いがきている。王都で政治に携わらないか、という誘いだ。これまでは色々理由をつけて断っていたが、今回、その誘いに乗ることにした」

「……なら、この街はどうなるんでしょう」


 僕の疑問に答えたのはウェンビアノだ。


「それが懸念材料だった。レングさんにはまだ幼いベルメイアさましか子どもがいない。別の貴族に代行してもらおうとも適任がいなかった。私の方もそうだ。治安維持に貢献している斡旋所を任せるだけの人材が見つからなかった」

「それが見つかった、ということですか」

「ああ」とカンパルツォが頷く。「昵懇にしている貴族がおれの考えに賛同していてな、領主代理はそこの長男に任せることにした。まだ四十にもならない若造だが教育も済んでいる。問題はないだろう。あったとしてもおれが咎めるがな」


 彼が勢いよく叱責する姿を想像して、呻き声を上げそうになる。きっと彼の前では獰猛な獅子も猫のように小さくなるに違いない。


「私の斡旋所はウラグ――フェンの叔父に任せるつもりだ。あいつは自分の身体の管理こそできないが、聡明で組織運営の力は比類ない。いざとなれば魔法も使える。私が咎めることなどないだろう。移民であることが少しだけ気にかかるがね」

「それで、伯爵さまは王都で何をしようというんですか」

「改革だ」


 極めて簡潔な返答に、思考も身体も固まる。

 彼は年齢には似合わない野心をぎらぎらと漲らせて、わずかに口角を上げた。その不遜なまでの強気な態度は、しかし、大樹のごとき頼もしさを帯びている。


「改革、と言っても王権を打破するわけではない。仕組みを作り上げ、民衆を国家運営の舞台に上げるんだ。浮浪者も富豪も、男も女も、等しく。もちろん即座に、というのは不可能だがな」

「でも、それって他の貴族たちから反発があるのでは……?」

「当然、あるだろう。だが、貴族というのはなんのためにいると思う?」

「それは」と僕は少し言葉に詰まった。「例えば、王の親族であるとか、そういう人たちに特権を与えるために」

「それはあくまで結果に過ぎない。本来、貴族というのは民に安定と発展を与えるために存在するものだ」


 カンパルツォはそれがこの世の真理であるかのように断言する。


「戦での功績や平時の卓越した政務能力、あるいは商業的な力、人を引きつける話力、何かを作り上げる技術、貴族にはそれらがなくてはならないのだ。しかし、時の流れとともに、代が変わるにつれ、貴族たちは付与された特権を当たり前のものとして捉えるようになってしまった。そうして、貴族制度は腐敗し、民に与えるはずの発展を奪うようになっていく。そんなことではこの国は緩やかに衰えていくだろう。……おれはそれを許すことなどできない。結果を出した者にはそれに見合うだけの価値を与えなければならない」

「……理想論だと笑うか?」


 ウェンビアノが茶を飲みながら諦念の混じった笑顔を見せる。

 ……理想論である、とは思った。多くの民衆は明日になど目を向けず、あるいは向けることができず、必死に今日を過ごしている。長期的な発展をするために、今を犠牲にできる人間はそれほど多くはない。


「だが、理想を声高に語れない貴族など意味がない」


 カンパルツォは一際高く、そう声を上げる。

 僕は政治など、形骸や歴史的変遷しか知らない、子どもだ。どのような法や施策がどのような結果を及ぼすのか分かるわけもなかった。座学で聞いただけの、定着していない教養に過ぎない。

 だが、深い皺が刻まれた男が、理想を実現させるそのさまをこの目で見たいと心の底から感じた。だから――僕は彼の盾となることを決意したのも、現実を知らない無知さからかもしれないけれど、それは決してやけっぱちな諦めからではないはずだ。


「約束を二つしよう、ニール」


 カンパルツォは鷹揚に笑いながら、二本の指を立てる。


「一つ、お前はおれたちを全力で守ってくれ。おれたちも全力でお前を守る。お前の知っている常識と道理に外れたことがあれば言ってくれて良い。それも守ることの一つだ。お前は知と力を、おれたちは保護と機会を、相互に与え合う」

「はい……わかりました、カンパルツォさま」

「二つ目はもっと困難だ」


 彼はそこで言葉を切り、思わせぶりな間を作った。僕はどのような無理難題を突きつけられるのか身構え、唾を飲み込んで彼の言葉を待った。


「――仲良くしよう」

「え?」


 もっと具体的な約定をかわされると思っていただけに、素っ頓狂な声が身体のどこかから漏れた。僕の表情がよっぽど滑稽だったのか、カンパルツォは愉快そうに喉を鳴らす。彼は顎をさすりながら、眉を上げた。


「なんだ、わからなかったか?」

「ニール、言っただろう、この都市の領主であるレング・カンパルツォはたがが外れているんだ」

「おいおい、目上の者にそんな言いぐさはないだろう」

「どの口が言っているんでしょうね」

「その口だ」


 おどけあう二人の間には、年齢こそ離れているものの旧来の友人であるかのような雰囲気が漂っている。互いに通じ合うところがあり、今日まで関係が続いているのだろう。僕が築いたこともない頑健な足場の上に立っているかのようにも感じた。


「話が逸れたな……。仲良く、ってのはおれに限ったことではなく、仲間ともだ。おーい、入ってきなさい」


 カンパルツォの声が僕を通り越して、背後にある扉に当たった。僕は開いた扉の向こうにいる人影を見て、声を上げそうになった。

 いちばん始めに目に入ったのはフェンだ。彼も、この計画に参加しているのか。

 だが、驚きは少ない。彼の力と普段のウェンビアノとの繋がりを思い返せば当然とも言えた。魔法と武術に通じた彼がいればこれほど頼りになる人物はいないはずだ。

 二人目がフェンの後ろから部屋の中へと飛び込んでくる。牢で出会ったベルメイアだ。彼女は聞き耳を立てていたのか、威嚇するように歯をむき出して、僕を睨んだ。「お父さま、こんなやつと仲良くなんて無理に決まってるじゃない」と金切り声で捲し立てている。

 そして、最後に部屋の中に入ってきたのがアシュタヤだった。

 気品を纏った彼女は頭を下げ、柔らかに微笑んだ。頭を下げ返すべきか、声をかけるべきか、笑いかけるべきか、悩み、混乱した結果、僕の身体は固まり、油の切れたロボットみたいな動きをしてしまう。それがおかしかったのか、彼女の笑顔は彩度を増した。


「王都に向かうまではまだ少しある。とは言っても暇な日々ではない。引き継ぎややらなければならない政務や収穫祭もあるしな。そこでだ、ニール、そして、フェン君。おれの娘、ベルメイアや隣にいるアシュタヤ嬢にとって最後の収穫祭だ。自由に楽しませてやりたい。護衛としてついてくれないか?」

「仰せのままに」


 間髪入れずに跪いたフェンの姿に泡を食う。それが正しい礼儀だと知った僕は慌てて膝を折ろうとしたが、カンパルツォによって阻止された。


「フェン君が堅苦しいだけだから気にしなくてもいい」

「はあ……」

「じゃあ、ニール、頼んだぞ。まさか拒否しないよな」

「そんなこと!」


 そうかそうか、と満足げにカンパルツォは頷き、会議があるから、とウェンビアノ以外に退出するように命じた。

 その途中で僕はアシュタヤを覗き見る。視線を感じたのか、彼女も僕に視線を向けて、小さな声で「よろしくお願いします」と囁いてきた。激流にたゆたう儚い花弁のような趣を放つ彼女に、やはり僕は見とれそうになる。

 そうして僕は、一つ誓いを立てた。

 カンパルツォに命じられたからではなく、自分の意志で――。

 彼女をあらゆる危険から遠ざけたいと、誰にでもない、自分自身に誓った。

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