第19話 ふたつの壁
コミュ症ながら洋服屋の販売員になったわたしだったが、すぐにいくつもの壁にぶつかった。
ひとつめの壁は、同僚とのコミュニケーションギャップ。
洋服屋さんの店員というのは、みんなノリがいい人達ばかりなのだ。
相手の気分を乗せて買わせる...と、聞こえは悪いけど、そういう仕事だから。
なので、その空気感にどうしたら合わせることができるか、いくら考えても分からなかった。
その場の空気を凍らせた記憶は数知れず...。
結局、いくら考えても無駄なことだと気づいたのは、ずいぶんあとになってからだった。
数多く接して、肌で慣れるしかなかったのだ。
だが、そんなことに思い至らなかったわたしは、ずいぶん悩んだものだった。
あるいは、そのお店の店長とそりが合わなかったのも、あったかもしれない。
仕事ができるかどうか...というよりは、人間的に尊敬できる人ではなかったからだった。
率直に言えば、人間的に子供と大人が同居しているような印象だった。
例えば...喫煙所に行ったなら、意図してかは知らないがその場にゴミを置いてきたり。
わたしはあんな風な大人になりたいとは思えなかった。
今でもそう思う。
ふたつめの壁は、ファッションセンスだった。
わたしは、当時ファッションが好きとは感じていたものの、決してファッションセンスがある人間ではなかった。
そんな人間が、いきなり洋服屋の店員になったのだ。
ファッション的な意味でいくら失敗したか、覚えていない。
そのお店には、自分よりひとつ歳上の、とてもオシャレでイケメンな男の先輩がいた。
ある日、わたしが出勤すると、その先輩はわたしのファッションを見て、こう言った。
「ちょっと...それはあまりに酷いね」
まぁ仕方ないことだ。
脱オタファッションして1年そこらの人間が、毎回毎回失敗しないファッションを選べるわけがない。
その時、自分がやっていたファッションをなんとなく覚えているけど...酷いと言われても仕方がないようなものだった気がする。
すぐにその場で、先輩によるファッションコーディネートが始まった。
平日で暇だったから、遊んでいた...というのもあったかもしれないけど。
とにかく、そんな壁とぶつかりながら、どうにかその壁を壊せないかあがき続けた日々が続いた。
だが、思うように洋服屋の店員としての成長が見られなかったのかもしれない。
お客様と上手に会話できるようにならないし、店内で声を張り上げることもできなかった。
5ヶ月ほど働いたある日、店長に近場のカフェに呼び出されて、こう言われた。
「君は、洋服屋の店員には向いていないのかもしれないな」
わたしはその言葉に特にショックは受けなかった。
自分でも、薄々そう感じ始めていたからだった。
わたしはその場で、あと1か月で辞めさせてくださいと店長に言った。
そう店長に言ったことで、少し気持ちが晴れたのを覚えている。
あと1か月、なんとか乗り切るか。
だが...こうも思った。
せっかく洋服屋の店員になったんだ、最後の1か月は全力でやりきろう。
最後の1か月くらい、洋服屋の店員として認められるようになってみせる。
そんな反骨精神から生まれた強い気持ちが、今までの自信がなかった自分の壁を打ち破るきっかけになった。
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