第二章・遭遇


 トンネルを抜けたら、そこは雪国だった……って、あれは誰の小説だっけ。

 微妙に文体も違ってる気がするし。


 というか、痛い。

 色々考えて紛らわそうとしていたけど、痛いものは痛い!


 悲鳴通り越して大絶叫をあげている左足首を見下ろした後、ふと思い至って

 ポケットを探り、ハンカチを取り出して固定する感じでぐるっと巻いてちょっときつめに縛ってみた。

 

 …よし、これでなんとかいける……かな?


 大絶叫がちょっとだけおさまった気がする。

 というか、おさまってくれないと、私は困る。

 何故なら、目一杯混乱しているから。



 ここはどこ?

 

 つい数分前までは、確かにあの忌々しい階段をひーひー言いながらのぼっていたはず。

 で、やっと目的の八階に到着して。

 安堵と喜びで力が抜けたら、最後の一段を踏み外したか、すべったかそんな感じで。

 うん、ようするに転げ落ちたはずなんだよね。


 …はずであって欲しいんだけど。


 ひたすら左足とハンカチに視線を注ぐのを諦めて、私は観念して周囲を見回した。


 ただっぴろい、空間。

 等間隔に木の柱、そして天井には屋根らしきものがあるだけの、本当に何もない場所。

 つまり。

 私が今気を失ってのほほんと夢を見てるのではない限り。

 コンクリートがっちがちのあの狭苦しかった階段から転げ落ちたはずの自分は、「端っこ」がどのくらいの距離かちょっと気が遠くなりそうなほどの巨大なこの場所に、到着したということになる。

 そこから導き出される答えは………


「夢であって欲しいんだけど」


 ぼそりと呟きつつも、左足の痛みが「これは現実でございます明日香さん」と訴えてくるので、頬を抓るまでもない。

 

 つまり、「どっか別の場所に飛ばされた」ということになるんだろう。


「異世界トリップって奴ですか……勘弁してください」


 小説読むの好きだったし、異世界トリップものもよく読んでいたけど。

 あれって最初は言葉が通じなくて四苦八苦するとか、

 都合良く魔法の力か何らかで最初から言葉が通じたとしても、いきなり王様レベルの人が現れて無理矢理あれこれあったりとか、

 最初からかなりスリリングな展開で始まるのが読んでいてワクワクします、しますが!

 現実に自分の身に起きると、まさに「勘弁して」になる。

 それに――もうひとつ、大事なこと。


「戻る方法、あるの?」


 憂鬱な就職活動、三つ目の面接は確実に遅刻で落とされてまた最初からやり直し確定。

 うんざりするほどの職業安定所通い、ネットで職探し、喉も耳も痛くなるほどの電話のやりとり。

 そっちのがましと思えるくらいに、今の私は――そう、認める。


 怖い!

 未知すぎて、この場所が怖い!!!


 誰もいないし、神社の本殿を空っぽにして巨大にしたかのようなこの建物。

 はるか彼方に見える巨大な山々は青々としていて、私がいた地球のそれとあまり違いは見られない。

 それでも、「未知」だ。

 怖いから早く、戻りたい。


「とりあえず、時間……」


 階段から転げ落ちた時、とっさに鞄を抱えて盾にしたことだけは自分を褒めていいかもしれない。

 ……結局左足を捻っちゃったけど。


「……ん?」


 真っ黒な鞄からスマホを取り出し、ロックを解除しようとして、手が止まった。

 そこに記されていた時間に、頭がフリーズする。


【12:55】


「え、ちょ、待って、え、なにこれ」


 私は確か、あのビルに面接開始時間のほぼ10分前に着いて、階段と格闘したのが5分くらいで。

 転げ落ちて足の痛みに悶絶して、この状況に呆然としていた時間は……ええと、どう少なく見積もっても10分くらいとしよう。

 歩き回った時間もうんと短くして5分くらいとしよう。

 できるだけ短くしても、トータル20分。

 そこから導き出される答えは。


「考えたくない」


 ぼそりと呟いて抵抗してみるものの、脳みその片隅はしっかりと答えをはじき出していた。


 スマホが故障しているのでなければ。

 時間が、止まっている。

 表示された時間から考えられるに、おそらくは――階段転げ落ちた時点から。


「………」


 ぞわり、と全身に悪寒が走った。

 ぶわっと嫌な汗が溢れるかのような、感覚も襲ってきた。


 時の止まった空間に放り出されたってこと?

 つまり、私は永遠にここでぐるぐるぐるぐると……彷徨い続けるっていうこと?



 ―――嫌だ。

 絶対に嫌だ!!


 なんとかして、出口を。

 せめて、外に出よう。

 何かが見つかれば――動くものさえあれば。

 私の立てる音以外の何か、音源があれば……


 襲ってきた猛烈な孤独感と恐怖から逃れるかのように、私は痛む足を叱咤して歩き出した。


 それからの私はただひたすら、左足を引きずって、歩いた。

 柱と柱の間隔がひどく広いのに苛々するのと、この空間の広さを実感させられて、気づけば手が震えていた。


 落ち着け。

 落ち着け。


 その一方で、窓さえないこの空間に広がる空の色が変わり始めているのを認識して、焦りが酷くなってくる自分を抑えられない。


 暗くなるな。

 まだ夜にならないで。

 せめて外に出るまでは。


 ああでも、外に獣がいたりしたら?

 私の知らない世界で、知らない獣。

 それに遭遇したら、武器もない私はどうすればいい?


 とうとう、足が止まった。


「……無理」


 鞄を握りしめていた手を持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる。

 今は唯一のよりどころとなったそれに、しがみつくように。

 

 外に出るのも、ここに留まるのも、怖い。

 でも動かないのも、怖い。

 

 なによりも怖いのは、何も分からないこと。

 


 その場にへたり込んでしまった。


 もう、動けない。



 どうしよう。

 どうしよう。

 どうすれば。



 その時、だった。



 ―――………しゃら…ん。



 微かに、だけとはっきりと、私「以外」のどこかから、鈴の音らしきものが響いたのが分かった。


「!!」


 恐怖もあったけど、その瞬間に私を覆ったのは、安堵だった。


 ある。

 何かがある!!


 ここは、動いている!!


 それだけで、もう泣きそうなほどの安心感が生まれ、同時に警戒心も出てきた。


 動いていると「確信」できた。

 次は……注意しなければ。

 さっきの音に全力を集中して、どこから響いてきたのかをつかまなければ……




「みーーーーつけたぁーーーーーーっ!!!」

「んぎゃあああああ!!!!!」




 背後から何かに強く肩を掴まれる感触と声に、思いっきりビビって絶叫をあげて、振り払う。

 そのまま全力で走り出そうとして――「おいこら私を忘れんな」と主張してきた左足の痛みのお陰で、そのまますっ転んでしまった。

「〜〜〜〜っ!!!」

「あらあら、大丈夫!?」

 リクルートスーツが汚れるのも構わずに床の上で悶絶してる私に、再び声が降ってきた。

「………」

 少なくとも、その声に敵意は感じられない。

 そして、日本語だ。

 遅まきながら気づいたその事実に、パニック暴走していた自分の脳が落ち着くのが分かり、恐る恐る見上げてみた。


 ――ちょっぴりだけふくよかな、健康そうな小麦色の肌をした、愛嬌のある可愛い顔立ちの女性と、目が合った。

 きらきらと輝く鮮やかな紅の髪に、一瞬目を奪われる。


「どこが痛むの?」

「あ……え、ええと、左足です…」

「ここね……ああ、そうとう痛めちゃったのね。もしかして、結構歩いた?」

「あ…はい」

「あー、了解。うん、だから捕まらなかったのね。納得納得」

「はい……って、はい?」


 今、「捕まらなかった」って言いました!?

 あの、それって私は実は生け贄のためにここに呼ばれたとかっ!?


 ぎょっとして、私の前に屈んで足を見てくれている女性をまじまじと見つめてしまった。

「現れるはずだった場所に向かうのが遅れちゃったのね。といいますか、禁を破った時にあんなに大地が反応するなんて思ってなくて、久しぶりに怖いって思っちゃった。分かってたらもっと降臨する場の近くで待機していたのにー。タビコも大慌てしちゃうしー」

「……えーと」

 何か意味不明な単語やら言葉やらがぽんぽんとリズミカルに、女性の唇からこぼれ出る。

 けど、敵意や悪意は……少なくとも感じられない。

 身につけている衣装が……えーとその、ちょっとあれですが。

 肌をやたら露出してるような、スケスケ感満載の目のやり場に困るような……ぶっちゃけ男性が大喜びしそうな、セクシーな衣装をそのまんま着物で和風にアレンジしたという感じ。

 両手首には鈴を繋げたようなブレスレットが、色とりどりに幾重もつけられていて、動くたびにしゃらんしゃらんと鳴る。

 あ、これだったんだ。

 さっきの「音」の正体。


「うーん……これは、ヤマト様にお願いしないと駄目ね」

「え」

 また意味不明な……おそらくは人名が出てきて、私はまたもやぽかんと女性を見つめた。

 すると彼女は私に気づいて、にっこりと微笑んだ。

 両頬にえくぼができて、すごく可愛い。そして、なんかほっとする。

 つい、つられるようにちょっと笑ってしまった。

「タビコを呼ぶ……って、ちょっと時間がないわね。タジカを呼ぶわね」

「たじか…?」

 人の名前かな?

 もう驚かなくなった私をよそに、すっくと立ち上がった彼女は、何度か深呼吸をくり返したあと、両手に口を当て。



「タビコーーーーーーーーーー!!! タジカーーーーーーーー!!! みぃーーーーーつけ、たぁああああああああーーーーーっ!!!」



「………っ」

 思わず両手で耳を塞いでしまった。

 な、なんつー音量。むしろ爆音。

 どこから出てるんですかその爆音……!!!

 人間てそんなにでっかい声出せるの!?ってくらいの、とんでもないレベル。


 と、驚くのは序の口だったと知るのは、そのすぐ後。


 最初は、小さな地響きだった。

 ドップラー効果ってこれかと思うかのようにどどどどどどどど…と次第に大きくなっていくにつれ、小さな人影がみるみるうちに大きくなって……大きく……いやでかすぎます!!!

 2m超えてませんか貴方!!!

 そしてその鬼のような形相が怖いです、怖すぎますからっ!!


 思わず後ずさろうとしたけれど、背後に柱があったせいでがっつんと頭をぶつけただけで終わった。


 私と女性のすぐ近くで、巨大すぎる男性はまるでスイッチを切るかのようにぴたり、と足を止めた。

 同時に、般若のような形相がすっと消え、人間の顔に戻った――ように、見えた。

 さっきみたいに足を止めるのと同じような感覚で。

 40歳前後だろうか、ちょっといかつい――ちょうどうちの近所にある一軒家で、毎朝きっちりと同じ時間に家の前を掃除しているおじさんを思い出させる。

 挨拶してもじろりと横目で見るというか睨む感じで、「うむ」と唸るような返事がくるだけだった。

 頑固、それ一文字でつきるような雰囲気を纏ったおじさん。

 目の前に立つ巨大な男性からも、そんな空気が感じられる。


「見つけたか」

「なんとかねー。ずーっと歩いてたみたい」

「なるほど、地鳴りを恐れたか」

 現実逃避をしている(うん、だって客観的に考えないと私気絶しそうなんですよ)私の頭上で、男性と女性がやり取りしていた。

「タビコはまだか」

「あなたが俊足だから、もう少しかかるかも……でも、時間がなさそうね」

 言いながら、女性がちらりと外を見た。

「うむ。まもなく、【あれ】からの攻撃が始まるだろう」

「……えっ!?」

 ぎょっとして、男性の方を見た。

「ちょ、待ってくださ…」


 なんか今聞き捨てならない言葉が耳に入りましたよ!?

 攻撃って? 「あれ」って?

 ますます元の世界に戻してくださいお願いします度がパワーアップしてきたんですけど!?


「んじゃ、もう一度叫ぶわ。いっくわよー!」


 聞こうとした諸々の言葉は。



「タビコーーーーーー!!! それからーーーーっ、ニニギーーーーー!!! 【呼ばれし者】をタジカと一緒に確保したわーーーーーっ!!! これより全力で神殿に向かいますーーーーーーっ!!!」


 再び、爆音に耳を両手で塞ぐ。

 人間じゃないこの人、絶対。

 どっからそんなありえない音量出してるんですか…。


 うわんうわんと耳鳴りで頭がふらふらしてきた…。


「あ、そうだ、タジカ。その人、左足を傷めてるの」

「承知した。では、失礼つかまつる」

 のっそりと頷いた、「タジカ」と呼ばれた男性が私の前に跪くと。


「ぎゃっ!?」


 軽々と片手で、私を抱え上げた。

 ちっちゃい子どもをよいしょ、と肩のあたりに抱っこするような感じで。


「では、ウズメ。全力で走るぞ」

「ついていきまーす」

 ウズメと呼ばれた女性は、にこっと微笑んだ後――表情を消し。

 それと同時に、私の顔のすぐ側にあるタジカさんとやらがまた般若の形相になり……や、やはりこれは怖い!!!

「ちょ、ま…」

「ぬぉぉぉぉ!!!」

 制止の声は、タジカさんとやらの雄叫びであっけなくかき消されてしまった…。





 すごい速度で建物の中を走り抜けたタジカさんは、そのまま外に飛び出していき、すぐ後をウズメさんがちょっとしんどそうな表情で続いてくる。

「…嘘」

 あっけなく建物の中から出れてしまったことに拍子抜けするやら安堵するやらで、がちがちに強ばっていた身体がちょっとだけ、緩んだ。

「掴まっておれ!!!」

「うわっはいっ!!」

 タジカさんの首に回していた手の力も、緩みかけていたらしい。

 思いっきり怒られて、慌ててしがみつきなおした。

 そうでもしないと、逆風で身体が仰け反りそうなほどの、速さなのだ。

 ……こ、この人も絶対に人間離れしてる。

 そしてウズメさんも、あの音量。


 日本語は通じるみたいだけど。

 何かが違う。

 私は明らかに、日本と似てるけど違う世界にいる。

 

 改めてそれが身に染みて、じわじわとさっきまで忘れていた不安やら恐怖感やらが戻って来た。

 呆然としながら、夕暮れの色が強くなってきた空を見上げる。

 頭上では、茜色と藍色が混ざり合おうとしていた。


 どうなるんだろう?

 どうなっていくんだろう?

 戻れるのだろうか?

 一体何が、起きるのだろう?


 その疑問に応えるかのように、「それ」は不意に襲ってきた。


 最初は、流れ星に見えた。

 尾を引きながら走る、ちょっと大きめの白い光。


 こっちでは、流れ星は大きいんだ?


 とのんきに考えて………だんだんだんだんと大きくなっていく光に、ようやく気づいた。

 違う、あれ、流れ星なんかじゃない。


 あれ、こっちに向かって落ちて来ている!!!

 このままじゃ、直撃する!!


「……っ、きゃあああ!!」

 思わず全力でタジカさんにしがみついてしまった。

「ウズメ、さらに走るぞっ!!」

「了解っ!!」

 自分で無理矢理閉じた視界の外で、風の抵抗が、身体にさらにかかるのを感じて―――


 爆音と、地響き。

 揺れる身体に感じる、強い熱風。


 しかも、それは一度ではなくて。

 二度、三度と遠く近くで響いてくる。


 怖い、という気持ちが、その時にぷっつんと限界の音を立てるのを感じた。

 つまり、限界突破してしまった。


 む、無理。

 もう完全に絶対に無理。

 死ぬのは怖いです本気でもう無理!


 現実逃避させてください!!!


 目覚めたらコンクリートの階段で大の字で転がってていいですから!!


 切実に願った直後、意識が飛んだ。

 ……んだと、思う。

 その時の記憶は、前後がちょっとあやふやだったから。





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