(2)

◎◎



「そ――そんな……嘘よ! どうしてあなたが!?」


 取り乱し、ありえないぐらいに狼狽し、黒詩継美はよろよろとその場から下がる。

 逃げ出すように、及び腰になる。

 言うことを利かない、未だに痺れてしまっている身体で、それでも無理矢理に視線を巡らせれば、戸口に立つ二つの影が見て取れた。


 一つは純白の少女。

 潔白にして漂白にして無垢なる白色。

 犯罪詩メリー=メアリー・スー。


 そして、それを従える黄金こそ。



「森屋――帝司郎!」



「御招き頂き恐悦至極。犯罪王森屋帝司郎。すべてを投げ打ち、乙女たちの夜会、その秘め事に馳せ参じた次第だ――どうか僕のことも、仲間に入れてくれたまえ」


 杖を突き、帽子を胸元に寄せてお辞儀をする少年。

 ゆっくりとあげられるその顔の――その笑みはあまりに眩しく、人の眼を、魂すらも焦がしかねない。

 極上を超える至上の笑みを受けて、黒詩継美の身体が傾ぐ。

 慌てたように彼女は頭を振って、体勢を立て直す。


「ぐ……ま、招いてなんていないですよー? どうぞお帰りはあちら様ですよー?」

「まったくつれない女性だ。君を愛し続けた愚かな黒烏ブラックバードもさぞや報われないことだろう」



 柔らかな笑みをたたえたまま、彼はゆるゆると首を左右に振り――そして




!!」



 ヒッ!?と、黒詩継美が引き攣った悲鳴を上げる。

 本来ならそれに覚える感情など持ち合わせてはいなかったけれど、しかしその瞬間だけ、この一瞬だけは、殺人者である彼女に私は同情を覚えていた。

 犯罪王を前に無作法を曝すことの恐怖を、私もまた等しく味わっていたからだ。

 彼は怒っていた。

 憤慨していた。

 森屋帝司郎の表情は、怒りに燃えるそれであったのである。

 微笑など一切ない。

 柔らかさなど微塵もない。

 有るのは苛烈な、何もかもを焼き尽くしてしまう黄金の――


「君の犯罪は醜悪だった。だが、そこに至る過程、その過程に宿った意志はどこまでも崇高で美しいものだった。美談であった。だからこそ、僕は君を見逃し、君が存分に生を謳歌することを望んだ。。だからこそ僕は、君を見逃したのだ」

「そ、そう!」


 少年の言葉に、殺人者は答える。


「わたしがお師様を殺した日、あの夜にあなたはわたしを許してくれた! だから、だから――」



「――――」


 殺人者の懇願が、たった一言の前に粉砕される。

 苛烈なる黄金が、斬首の大鉈、断罪の言葉を奮う。


「僕は君を赦さない。許したことはあったけれど、その後見守り続けていたけれど、もはや絶対に赦しはしない。君は自ら取るに足りない愚者へと転落したのだ。その手を血に染め、殺人を愉しんだ瞬間から、君は身も心も人ではなくなったのだ!」


 だから、僕が破壊しよう。

 少年は、犯罪王は冷徹に告げた。




「君の犯罪詩ナーサリークライムを――そのすべてを破壊する!」







「ふぅううううううざぁああけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」






 黒詩美鳥が、絶叫した。

 喉も割れんばかりに、目を血走らせてて叫び。

 そして、地を蹴る。


「あなたもコロス! コロして――義肢にしてあげる!!」


 私の眼でも捉えきれないほどの超高速――颶風ぐふうとなって走り抜けた殺人鬼の両手両足が剥き出しになる。人工筋肉が膨張し弾ける衣服の下から現れたのは、おぞましいほどの暗黒の四肢。くらく光る幾つもの鳥の羽の刻印が刻まれた魔手が、回避不能の速度で少年へと伸びて――


「――?」


 気が付いた時、殺人鬼は壁にぶつかって、ずり落ち、呆気にとられたように私たちを眺めていた。


「な、なにが――くっ、惑わせるな、死ね、死ね……死ねぇぇぇぇッ!!!」


 立ち上がり、再度少年へと黒き疾風となり突撃する黒詩継美。

 その速度と威力は、私が相対した御園九郎の比ではない。右腕に振り回されていただけの彼と、四肢のすべてが義肢たる彼女では桁が違い過ぎて。

 違い、過ぎるのに――


「遅い」


 そう呟くと同時に、森屋帝司郎の手が迅雷の速度で動いている。

 ステッキが殺人者の左足に伸び、踏み込む瞬間上方へと掬い上げる。体勢を一瞬で崩され、彼女は必死にそれを立て直そうとするが、


「っ!」


 っと、息をのんだ刹那には杖がひるがえり、彼女の鳩尾に叩きこまれる。


「ゲヒ!?」


 奇声と共に怯んだ彼女の懐に、殺人者が知覚した瞬間には既に彼が、黄金の彼がその小柄な身体を滑りこませていた。

 少年が、淑女の手をリードするように引けば、その身は前に傾ぐ。傾ぎ崩された姿勢の中で殺人者がどれほど必死に足掻くこうとも、少年が背を丸め、倒れ込みながらその足を容赦なく腹に突き立てる方が、彼女の悪足掻きより遥かに速かった。


「――!?」


 鮮やかに、あまりに鮮やかに、黒詩継美の身体が宙に舞った。


 ――真捨身技。


 それは所謂〝巴投げ〟だった。


「ぎゃはっ!?」


 壁に叩き付けられた犯罪者は、そのまま崩れ落ちる。

 少年は優雅に立ち上がり、紳士服についた埃を手で払い落とす。


――僕の曽祖父が遅れをとった技だ。当然、当代の犯罪王たる僕は、それを身に着けているに決まっているだろう?」


 それはかつて、犯罪王モリアーティ教授と名探偵ホームズがライヘンバッハの滝で果し合いを演じたとき、ホームズの切り札となった武術の名だった。

 日本の柔術にも杖術にも近いとされるそれは、まさしく神業となって、いま黄金の少年の身体に宿っているのだ。


「……やれやれ」


 幻の武術を間近で披露されたことで圧倒されている私をよそに、森屋少年は疲れたように溜め息をつく。


「君の犯した初めての犯罪は、あんなにも不可能に満ちて、美しかったのに。そこに宿った精神が、どれほど気高かったのかも忘れてしまったのなら、もはや打つ手は、これしかない。メリー。僕の唯一にして最大のご都合主義――どうか一息に――〝喰らってしまえ〟」





『それは罪だというの?

 愛すること、愛されること。

 それは罪だというの?

 より高く空を飛びたいと願った鳥の夢は。

 それは罪だというの?

 ――歌の上手な鳥が、もっと上手に唄いたいと願ったことを。親鳥がその為に、自ら火の中に飛び込んだことを。

 それは、罪だというのなら。

 私はそれを、喰らってあげるの――』





 犯罪王の勅命を受け、メリー=メアリー・スーの拳が、罪の具現を砕く。

 砕かれたのは、歌うように喋る女性の、その四肢だった。

 彼女の義肢こそが、ナーサリークライムだったのだ――



「……証明終了。これにて講義を終了する」



 彼のその呟きは、どこかもの悲しげな響きを孕んでいた。



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