解決篇

(1)

◎◎



「わ、私は、御園九郎などという男のことは知らん! そんな見ず知らずの輩がいまどこにいるかなど、この永崎一有能で忙しい医者たる私が知っている筈がないだろうが!!」


 狒狒ひひのような顔を怒りでさらに赤く染め上げ、根岸智一はそう叫んだ。

 病院ではお静かにという言葉を知らないらしい、その自称有能な医者は周囲の人間からむけられる白い眼差しに気付くこともなく怒声を張り上げる。


「だいた――だいたいなんだおまえは! いきなり医局に踏み込んで来たと思えば私を犯罪者扱いして……癒着? 犯罪への加担? 意図的な人体損壊? そんなもの私がするわけもあるまいが!」


 叫び、喚き、怒鳴る。

 血が上った頭では何も判断できないのか、根岸は無様に吠え続ける。

 すでに、証拠は掴んでいた。

 彼が御園九郎と結託し、幾人ものホームレスに手術を行い、その四肢を切り落とし、また障害者申請について過大な評価を行ったことも、マージンと言い放ち多額の献金を受けていたことも、既に調べがついている。

 なにより、



 、私達警察は既に掴んでいた。



「なんだ、なんだ貴様……やめろ、そんな目で私を見るな!」


 私は、ジッと彼を見つめる。

 髪には白髪混じっている。あの純白の少女とはくらべものにもならない汚らわしい色合いのそれだ。

 白衣もまた、少しも清らかには見えない。

 この汚濁に塗れた人間にかける慈悲など、私達警察は持ち合わせていなかった。


「やめろ! こ、小娘、そんな、そんな目で私をみ――見るなぁぁぁぁっ!!!?」


 絶叫し、その場にあったカルテ――電子端末を投げつけようとする彼を、私の背後に控えた捜査員たちが取り押さえる。

 私は、ギリリと一度、歯が鳴るほどに強く噛み締め、それから息を吐いて、こう告げた。


「御同行願います。あなたには聴きたいことが、幾らでもあるのですから」

「――――」


 その言葉を聞いて、根岸は、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。



◎◎



 昼過ぎ。


 根岸を永崎署まで連行した私の懐で、スマートホンが着信を告げた。

 メールではない。

 相手は非通知。一瞬、出ることを躊躇い、すぐに耳に電話を当てる。

 もしもし?


『……御園九郎です。自首をしたいのです。どうか、至急、ひとりで永崎港の26番倉庫――赤い屋根の倉庫までお越しください』

「自首したいのなら出頭してください。途中まで迎えに行きますよ」

『……お待ちしております』


 ぷつりと音を立てて、通話は打ち切られた。

 言葉を重ねる余地も存在しなかった。

 私は、ほんの一時考える。

 どんな意図の電話かなど、明々白々すぎて考えることすら莫迦ばからしい。

 だから、私は思い悩むべきはこれを、誰かに伝えるべきかどうかということ。

 迷いは特になかった。

 〝彼女〟なら、ちょうどいい塩梅で応援を寄越してくれるだろうという確信が、それだけの信頼が私にはあった。

 私は登録している番号を呼び出し、電話をかける。



「あ、蜜夜ですか? ちょっとこれから――凶悪犯とお茶をしに行ってきます」



 歩き出す。

 空は、いつの間にか曇天と化していた。



◎◎



 指定された倉庫――正直、その曖昧な表現だけを頼りに場所を付きとめるのは、少々骨を折る作業だったが――に辿り着いたころには、雨はザアザア降りになっていた。

 下着にまでしみこんだ、雨の不快感に若干眉根を寄せながら、私は倉庫の中に油断なく、ゆっくりと踏み込んでいく。

 屋内は薄暗い。照明がすべて落とされていて、時折はしる空の稲光だけが光源だ。何となく見えるが、雑多に荷物が積み上げられているようで、視界はやはりよくない。

 乱雑に置かれている幾つかの木箱をかわしながら、私は中ほどまで進み声を張り上げる。


「御園九郎! 斑目壬澄は、あなたの言葉の通りひとりでここまで来ましたよ! さあ、自首をしましょう。いまなら罪を償う機会もあります!」


 陳腐な説得の言葉。

 それに対する返答は、そう間を置くこともなく響いてきた。


「――茂山元道の手をねじ切ったのは私です」


 陰々滅滅とした声。

 いつか聞いた、あの営業マン独特の張りがある声ではない。

 汚濁に塗れたような、何処までも沈んでいき、何処までも落ちていくものが発する声だ。

 そんな声が、何処からともなく響く。


小條こじょう東司とうじ藤木ふじきなみ、久能くの絵里加えりか酒井さかい智信とものぶ神足こうたり吉城よしき加波かなみ幸一こういち染島そめじま一成いっせい、そして小山おやまかおる……その手を、足を、指を、腕を、足首を、二の腕を、太ももをねじ切ったのは、この私です」


 私は、問う。


「茄子島健の足は、あなたが切りとったのではないのですか? 野岳八千代はあなたが殺したのではないのですか?」

「くっ……ふふふ」


 問いかけに対し、彼は陰鬱な含み笑いで答える。狂気的な、もはや何もかもを諦観しているものの笑い声だった。


「くっくっく……9か月前、私は初めて人を殺したのです」


 名崎なざき俊介しゅんすけを殺したのだと、彼は言った。

 それは唐突な殺人の告白だった。

 名崎。それは確か、滑子公園で惨殺された青年の名前ではなかったか――?


「次に、江本えもと基恵もとえ、そして野岳八千代も私が殺した。殺した理由を聞きたいですか、刑事さん? そんなの、そんなのお金にならないからに決まっているじゃないですか! 私が手足を千切るのは、義肢の受け皿を増やすためだ! あ、ああ、あいつらだって、内心では喜んでいるのです……だって、障害年金で暮らせるようになったうえに、今までよりよほど良い手足が手に入るんですから! よろこ、喜んでいるんだ! でもあいつらは違った。抵抗したから、思わず殺してしまったのです……」


「……それが」


 それが本当なら、それこそ自首をすべきだろう。

 余罪が判明する前に、既に指名手配の身の上だとしても、自ら名乗り出るのなら、裁判で多少は情状酌量が見込める。

 人殺しに何の情状酌量の余地があるのかと問われれば答えはないが、それでも、人殺しすべてが極刑になるわけでもない。


「私は今、あなたの罪を聞きました。私達が思っていたより、どうやらあなたは重い罪を負っている。ならば尚更、姿を見せて、一緒に警察署にいきましょう」


 捨てる瀬もあれば、浮かぶ瀬もあるのだから。

 そう訴える私の言葉は、しかし彼には届いていないようだった。

 ただ、ジッとした沈黙が――、その場に満ちている。

 なんだ? 私は、何かを見落として――


「……茄子島健」

「――――」

……?」

「くひっ!」


 わらった。

 声が、闇の中で、嗤った。

 男が、嗤いながら言う。


「言ったでしょう、喜んでいるって、あいつらは喜んでいるって。障害年金が欲しいんですよ、義肢を格安で手に入れたいんですよ、その手続きをあの医者に巧いことやらせたいのですよ。だから」























 だから、茄子島健は、自ら足を切り落としたのだと。
























 御園九郎は、そう言った。


「衆人環視の不可能犯罪? 視線の密室? バカですか? そんなのミステリーの世界だけに決まっているじゃないですか! あいつらは共謀したんですよ! !!」


 そもそも、犯人などいなかったのだ。

 自作自演だったのだ。

 ホームレスたちはただ、お金が欲しかったのだ。

 だから、見て見ないふりをしたんだ。

 茄子島健にはもとより足は無く、皮一枚というのは言い過ぎでも、多少脚が短くなることに躊躇もなかった。


 調


 つまり、これはそう言うことだったのだ。

 この事件は、それだけのことだったのだ。

 人は必ず嘘を吐く。

 不可能な事なんて――


「――待ってください」


 私は、最も重要な事を、彼に訊ねた。


「あなた――どうやって被害者たちの手足を引きちぎったんです?」

「――――」


 すべての事件はごく短時間で、しかも相手に抵抗の暇も与えず人体を損壊せしめている。それは道具でも使わなければ不可能なことだというのに、だけれどこの男の周囲から、そんな道具は未だ見つかってなどおらず――


「それは、ですね」


 張りつめる緊張感。

 視界のきかない闇のなか、背後を気にしながら視線を巡らせる私の、























 























「この右手で引き裂いたんだよおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「――ッ!?」


 雄叫びと共に、何か途轍もない危険が――脳内で危険を告げるアラートが全力で鳴り響く――私の頭上から降りかかる!

 反射的に、いや、ほとんど本能的に、私は倒れ込むようにしてその場から逃げる。

 メギャリ!

 と、何かが砕け散る音が響いた。

 雷鳴が走る。

 雷光が走る。

 見えたのは、床に拳を突き立てる狂気の笑みをたたえた乱れた髪の男。ピッシリと着込んだスーツの右そでは無く、そこから、暗黒色の義手が覗いている。

 義手は、モルタル打ちの床を、粉砕していた。

 そう、初めかっら凶器は目の前にあったのだ。

 その義手こそが――凶器だったのである!


「よけないで、ください、よッ!!」


 御園九郎が振りかぶる。

 私は右に跳ぶ。

 振り抜かれた拳が、盛大な音を立てて倉庫内に摘まれた物品を破壊する。木箱が崩壊し、その破片がいくつも私の頬に当たる。

 ゴロゴロと転がり、距離を取って立ち上がる。

 はぁはぁと、荒い息は誰のものか?

 犯罪者が、狂気に憑りつかれた一人の男が、私の姿を認め、その眼をこれ以上なく開き切り、半月の笑みをつくって――地を蹴った。


「エケキャラアアアアアアキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 奇声とも金切声ともつかないその叫びは、常人であれば正常な判断力を喪失させ、そして全身を硬直させるであった。

 委縮した身体で、保護色のように闇に融け込む拳を避けることは不可能に近かった。

 ――でも。


「ふっ!」


 吐きだした息とともに、愚直に突き出されたその右腕に己が両手を絡ませる。

 相手の足を払い、腰を落とし、捻り、そのまま投げ飛ばす。

 


「アギャッ!?」


 受け身と取れず、荷物の山に突っ込んだ御園九郎が悲鳴を上げた。


「……動きが、ですよ」


 私は、ゆっくりと残身を解き、構え直しながら、告げる。


「動きが、単調なんですよ。あなたはその腕に振り回されているだけなんです。心身ともに、まったくと言っていいほど――鍛錬が足りない」


 だって動きは、素人のそれだもの。

 化け物なのは、その腕だけだもの。

 そんなもの、ちっとも恐れるには足りない。

 そんなもの、日々鍛錬を欠かさない刑事には通用しない。


















 そんなもの、そんなもの――あの日体験した恐怖には遠く及ばない!

















「私が、今日までどれだけの犯罪者を逮捕してきたと思っているんですか? どれだけ、修羅場をくぐってきたと思いますか?」

「ガ! グゲ!?」


 跳ね起き、矢鱈滅法に突っ込んでくる犯罪者を、私はいなし、投げ飛ばし、叩き付け、殴打し、蹴り飛ばし、捻り上げ、突き崩し、制圧する。

 一切の容赦なく、一切の躊躇なく、一切の怯懦なく、一切の仮借なく、私は私の職務を忠実に遂行する。


「ガゲバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 最後の最後に、破れかぶれになって突っ込んでくる犯罪者を――最後まで愚直にその破壊的な右腕一本で挑み続けた彼を、、斑目壬澄は暴力を以て否定した。


 突き出された右拳を左手で掴みとり引き寄せ、交叉法でその心臓に右の拳を叩き込む。



 心臓砕きハート・ブレイク・ショット



「――――」


 狂気に支配されていた男の眼が、ぐるりとめぐり白目を剥き、かっぴらいたその口から無意味な音と涎を垂れ流して……そして、犯罪者はその場に崩れ落ちた。

 私は痺れた右手をスナップし、懐から手錠を取り出し、男の両手にかける。


「16時39分、被疑者――確保」


 遠くでは、おそらく親友が手配してくれたであろう応援の、心強いサイレンが鳴っている。

 外から光が差し込む。

 いつの間にか雨雲は去り、太陽が姿を見せていた。

 私は、大きく息を吐き、伸びをして見せた。


「ん~! ひと仕事、終わりですっ!」


 ……かくして、永崎を震撼させた連続傷害事件及び連続殺人事件の犯人は、一介の刑事の手によって逮捕されたのだった。

 事件はこれで、ようやく解決したのだ。




























――その、はずだった。

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