事件篇

(1)

◎◎



 私が昼ごろ見かけた、祈念像のある公園のブルーシートと規制線。

 それは、の被害者が出た場所だった。

 祈念公園東口は、かねてからホームレスの方が多く集っているという事で、市政の方でも問題になっていたらしい。

 そんな環境で起きた事件で、被害者の茄子島なすじまたけるは右脚を失った……らしい。

 そして、それは同じホームレス仲間たちが見ている前で起きた事件であり、姿

 被害者は衆人環視のなか、見えない犯人、見えない凶器によって、いきなりその足を切断されたのである。

 

 そう、切断だ。引き千切られたわけではなかったのだ。

 それは、これまでと明確に異なる事象だった。


 ……さて、その事件の発生を受け、警察――特に現場方のトップである御手洗部長は、これを不可能犯罪として認めるかどうか判断しなければならない境遇に立たされた。私は彼の直属の部下であり、つまりは彼こそが不可能犯罪対策係の長であったからだ。

 御手洗部長は、署長である朱内あけうち五郎ごろう警視正との相談の末、この不可解な連続傷害事件をとして公表しようとし――そして最大の問題にぶつかってしまったのである。


 それが、9人目の被害者――ホームレス、野岳のだけ八千子やちこ殺害事件であった。


「…………」


 KEEP‐OUT 立ち入り禁止


 そう、大きく書かれた規制線の内側。ブルーシートで覆い隠された領域内で、その老女は息絶えていた。


「…………」


 表情は、苦悶。

 眼は大きく見開かれ、舌は零れ落ちらんばかり突き出ていて、表情筋は恐怖に凝り固まっている。

 彼女が最後に、いったい何を目撃したのか、それは解らなかったが、しかし、これだけは確実に言えた

 この老婆は、恐怖と激痛の中で死んでいったのだ。


「即死じゃないぞ」


 捜査一課の同僚、弥刀みと凱史かいじがその表情を怒りに染めながらつぶやく。


「詳しくは鑑識の報告待ちだが――この婆さんは真っ先に喉を潰されてやがる。叫び声すら、ろくに上げらんなかったろーよ」


 ……その通りだろう。

 この場所――思慮橋は、決して人通りが少ない場所ではない。照明も街燈が明るく照らし、一つ路地を跨げば繁華街だ。

 そんな場所で犯行が行われたというのに、いまのところ目撃者も、悲鳴を聞いたものさえ皆無だという。

 それは、よほど隠密性の高い殺人であったか、そもそも殺害場所がここではないか、或いは――或いは悲鳴を上げる間もなく殺されたかの、どれかである。

 そして、周囲に撒き散らされた血の海からして、殺害現場はここで間違いない。

 つまり、この老婆は悲鳴を上げる手段すら潰されて――喉を潰されて殺されたという事だ。

 そして。


「そして、四肢を、両手を、両足を、引き千切られたんだぜ、この婆さんは。何の恨みがあったかは知らねーけどよ、あんまりだろ、これって……っ」


 私と彼を含む捜査員たちが見つめる視線の先、そこに横たわる遺体には、文字通り四肢が存在しなかった。

 まるで獣かなにかがそうしたように、熊かなにかが暴威を振るったように、無理矢理に肉と骨とが、引き千切られ、むしり取られているのだった。


「くそがっ!」


 悪態を吐き、やりきれないといった様子で凱史くんは手の平と拳を打ち鳴らす。

 拳を包み込んだ手の、その指先の色が変わるほど強く、彼は憤り、嘆く。

 凱史くんとはそれほど親交が深い訳じゃない。

 それでも、その正義感は尊いものだと私は感じた。

 こんな職業についている限り、人の闇を覗きこむ機会は少なくない。いずれは、正義感なんてものは摩耗し、消え行ってしまうかもしれない。だけれど、それはきっと、大切なものなのだ。いつかなくなるからと言って、安易に手放していいものではないのだ。

 『正義など存在しない、人はみな悪だ』などという中二臭い理論など、それこそクソ喰らえである。

 私達は警察官だ。

 私達が警察官だ。

 正義を尊び、悪を憎む。

 悪逆の限りを尽くす輩をとっ摑まえ、善良な市民の平和を守る。それが私の責務であり――あの最悪の夜に誓った、私の唯一の矜持だった。


「凱史くん……必ず、犯人ホシをあげましょう」


 気休めと受け止められるかもしれない、だけれど本心からの言葉と共に、私は彼の肩を叩く。

 頷く彼に安堵しながら、私は、いま自分が考えるべきことを思考する。

 御手洗部長。

 彼は私をこの事件へと招集した。事実上の閑職、不可能犯罪対策係という胡散臭い私をだ。

 それは、人手不足なんて理由ではない。

 部長はこの事件を、この老婆惨殺事件を……恐らくホームレス連続襲撃事件、その一連の流れの中にあるものだと判断したのだろう。

 そして、それが最早常人には不可能な超常犯罪であると断定したに違いないのだ。


 9番目の犠牲者は、喉を潰され四肢を引き裂かれた。

 何らかの道具を使えば、四肢を裂くこと自体は不可能ではない。時間さえあれば、のこぎり一本、鉈の一本でもあれば、まあ、摩耗することを考慮しなければ可能だろう。

 だが、この事件は短時間で行われた節がある。

 何度も言うようだがこの場所――思慮橋は人通りが少ない訳ではない。むしろ、人目に付きやすい場所だ。

 事件は、殆ど一瞬で終わったとみる方が妥当だろう。

 重機を事前に持ち込んだり、或いは古代の処刑方法のようにバイクを数台用意して手足にロープを繋ぎ八つ裂きにする……ということも不可能ではないだろうが、それならば痕跡は残るはずだし、少なくとも何らかの異常な物音を聞いたものが出てくるはずだ。近隣の建物に訊き込みに行っている捜査員の多くは既に戻ってきているが、いまだ物音を耳にしたという住人は現れていない。

 異常な怪力、もしくは特殊な携行機具――9番目の事件は、それらを用いた殺人事件である……そう考えるのが妥当だと言えた。勿論、不可能犯罪対策係の人間としては、という但し書きが付くわけだが。


「そして、八番目の被害者です」


 そうだ、彼のケースはより不可能性が高い。

 周囲に人目がある状態で、彼は左足を切断されている。そして、犯人を目撃した者はいない。ホームレス仲間とはいえ衆人環視があったにもかかわらずだ。

 以上の事からだけでも、この二つの事件が私の介在の是非に関わらず、間違いようのない超常犯罪であることは明白だった。

 そして、それはホームレス連続襲撃事件という形で、一年近くも前から連綿と続いてきている異常事態なのだ。私たちにはこの事件を、速やかに解決する義務があった。

 ――だが。


「情報が、たりていませんね」


 そう、明らかに情報が、証拠が不足している。

 いまあるものをかき集めるとして、 被害者たちを繋ぐ接点は、病院、ホームレス、そして――


「御園九郎」


 私は、そのまだ見ぬ彼の、事情聴取を行わなければならないと強く感じていた。

 確実に彼こそが、この事件の関係者だと、私の勘が囁いていたのである。



◎◎



「え、えと……これは刑事さんがた、お勤め御苦労様でございますっ。あ、わたくし、瀬田コーポレーションで営業をしております、御園九郎と申します。どうぞ、今後ともお見知りおきを頂ければ、はいっ」


 御園九郎は、私達の思惑に反し任意同行に快く応じて見せた。事情聴取の間、彼は終始へりくだった態度で居続けて、前日に起きた第8と第9の事件で神経を張りつめていた私たちは、逆に拍子抜けしてしまったほどだった。


「それで、御園さん」

「あ、はい!」

「…………」


 冴えないサラリーマンと言った風体の彼は、営業スマイルを張りつかせこちらの問いかけにはきはきと答えてみせる。

 風体。

 黒縁眼鏡に撫でつけた髪、黒のスーツと臙脂のネクタイと、恰好からして平凡であり、その造作もまた印象が残り辛い。

 これでも私は刑事なので、人の特徴を見つけるのは得意なのだが、御園九郎に限っては没個性こそが最大の個性であるように思えた。

 ……もっとも、だからと言って重要参考人であるという事実は変らないし、私はハイエナのように目敏く、一つの特徴を見つけてはいたけれど。


「――――」

「――――」


 書記係の隣に立ち、控えている凱史くんと一瞬だけアイコンタクトを交わして、私は御園九郎に用件を切り出した。


「単刀直入にお尋ねします。御園さん、あなたは瀬田コーポレーションでどのようなお仕事におつきですか?」

「え? あ、はい。営業の方を」

「いったい何の営業でしょうか? たとえば」


 例えば、千切られた人間の手足とか?


「……? えっと……」


 聊か突飛過ぎる私の問いかけに、御園さんは困ったような表情を作ってみせる。眉をハの字に寄せ目を泳がせて、薄ら笑いと共に左手で頬を掻く。まるで教科書に載っていそうな困り顔だった。


「何の話か、よく解りませんが……弊社でわたくしが担当しておりますのは、特殊な最新義肢、そのレンタルユースでございます」

「義肢」

「はい! とても高性能なものでして、職人が一品一品ハンドメイドで作っているのですが、その素材と製法に秘密がありまして……あ、よろしかったらパンフレットをご覧になりますか? こちらに詳細なものが――」








?」









「――――」


 私の一言に、彼の笑顔が――文字通りの営業スマイルが音を立てて凍りつく。

 無意識に伸びたのか、剥き出しの左手が庇うように右腕を抱きしめていた。

 彼の口元が、痙攣するように引き攣った笑みを浮かべる。

 その様子を観察しつつ、私は手元の資料を読み上げる。


「御園九郎さん。あなたは1年前不慮の事故に遭い、その右腕を切断されていますね? 不幸な交通事故だったとか。ああ、ご家族もその時に――奥さんと娘さんですか? 御愁傷様です。えーっと……それで、生死の境をさまよったあなたの手術オペを担当した医師の名前が、根岸和一。それ以来、どうやらあなた方お二人は、とても親密な、言い換えれば懇意な関係を維持しておられるようですね」

「は、はぁ」


 私の煽り立てるような物言いを受けて(当然これは揺さぶるためにわざと悪意を足している)彼は、ぎこちない笑みを平凡な顔に刻む。


「わ、わたくし、命を根岸先生に救っていただきましたので、それは当然、感謝というものがありますので……」

「それで、根岸先生と独自に契約を結んだわけですか。――四肢の切断を余儀なくされる患者が出た場合、あなたが義肢を紹介し、マージンを払うという契約を」

「…………」


 御園九郎は、沈黙した。

 平凡な色合いの瞳が、戸惑いに揺れている。

 まさか、こちらがこの程度のことも調べられない無能だと思っていたとは到底思えないけれど、それでも矢継ぎ早な事実の開示と私の悪意ある口調に追い立てられ、彼は焦燥を隠せないでいた。

 しばらくの沈黙の末、彼が口を開く。


「え、ええ……そうです。根岸先生には、紹介費用という形で、幾らかの仲介料をお支払いしておりました。彼に施術の段階で成形をしていただいて、条件に当てはまった患者様には、当社自慢の義肢を紹介させていただいているのです。黒詩くろうた先生がお作りになった義肢はなにぶん特別製ですから、ある程度手術の段階で成形して頂かないと2度手間に――」

「――待ってください」


 いま、なんといったこの男?



「黒詩先生とは、どなたですか?」





 私の問いかけに、御園さんの眼の色が変わる。

 ゾッと背が粟立つ。

 それまで平凡なだけだった男が、ほんの一瞬だけだけれどなにか、途轍もなくおぞましいものをその瞳の中に渦巻かせていたのだ。

 だが、それが何かを詮索しようとした時、その時には既に、彼は先ほどまでの御園九郎に戻っていた。


「はい。黒詩先生は、当社お抱えの専属技師です。新進気鋭の義肢職人でして、腕前はピカイチ。我々が売り出しておりますこの特殊義肢も、彼女の手によるものです。現在特許を出願中……と言いたいところですが、本人の意向でそれは断念しております」

「特許を、申請していないのですか?」

「はい」


 頷く彼だが、それは意外な事実だった。

 ホームレスの茂山元道から見せてもらった義手の、その異常なまでの性能を考えれば(正直いまの科学力であれだけのものを作れることに驚いているのだ)特許を出願することは当然のように思えたからだ。

 素人考えからそう問えば、御園さんは笑って見せる。最早そこに、先ほど覗かせた闇は微塵もない。


「いえ、特許と言いましても、それだけの費用がかかりますし、一度通ってしまえば世界中に製法が露見してしまいます。他社が再現できないのなら、特許など不要。寧ろとるべきではないのです」

「再現できないって……」


 そんなもの、よほど特殊でなければ分解して詳しく解析して、すぐに再現できてしまうんじゃないのか?

 当然のように持った私の疑問に、彼は自信満々の表情で、


「不可能ですよ」


 と、断言して見せる。


「当社の製品を解体することなど誰にもできません。同時に、いかなる方法でも解析など不可能です。絶対に壊れないがキャッチフレーズなのです。そしてあれをあつかえるのは、現在世界でただ一人、黒詩先生だけなのですよ!」

「…………」


 私に言葉はなかった。

 まるで我が事の様にうきうきと、そして陶酔するように自慢げに黒詩という人物について語る彼に、私はかける言葉を持たなかった。

 だから代わりに、あらかじめ決まっていた質問を投げる。



「ちなみにその義肢ですが」

「はい」

「お高いのではありませんか?」


 「とんでもない!」と、彼が大仰な動作で肩を竦めてみせた。


「この義肢シリーズにつきましては、すでに認可が内定しておりまして、社会保険等、各種保険対象内でございます。レンタルリースという形になりますが、初期費用は現在サービス期間中ということで無料にさせていただいております。何せ試作品ですので、お客様の感想こそが最大の対価という訳です。メンテナンスに関しましても10年間の連続稼働を保証致しますし、何か不具合が発生すればいつでも当社スタッフ――つまりわたくしが駆け付けます。また、弊社の義肢を必要とされます方は、必然的に障害保険の対象にもなり……ここだけの話ですが弊社の義肢を利用して戴ければ根岸先生が申告書にある程度色を付けてくださいます。つまり、今後の生活も安泰な訳でございます」


 ……なるほど。通りでホームレスの方にがいいわけだ。

 自分本来の四肢よりも有能で、かつ障害保険も貰えるようになるというのなら、そりゃ喜んで契約する人だっているだろう。モッさんこと茂山元道が言っていたのはたぶん、このことだったのだ。

 私は納得し頷く。

 そうして、決まっていたというのならこれこそ決まっていた問いかけを、とうとう彼へと投げた。


「ところで、話はかわるのですが御園さん。昨日の早朝、どこで何をなされていましたか?」

「早朝、ですか? あ! なるほど、これがアリバイという奴ですね! しかも具体的な時間を指定しないことで、わたくしに口を滑らせようという魂胆とお見受けしました! ははぁ、警察というのは本当に大変なお仕事でございますね!」


 ……勝手に盛り上がり、実は推理小説とか好きなのですよと話し出す彼の言葉を遮って、私は再び問う。


「昨日の早朝、霧の出ていた時間帯……つまり午前5時~6時20分の間。あなたは、何処で何をしていましたか?」

「は、はぁ……5時ごろはまだ、自宅に。ですが、6時には家を出ました! 出社です!」

「それを証明できるかたは?」

「お隣の小島さんの奥さんとお会いしました。ちょうどゴミ出しの時間だったようでして」

「では夜……午後5時から夜の9時にかけて、どうされていましたか?」

「5時はまだ会社に降りました、連絡などもありましたし……会社を出たのは8時ごろ、これは同僚が証明してくれるはずです。それ以降は……自宅に戻るまで車のなかですので……」

「解りました」


 私はちらりと、凱史くんの方へと視線を飛ばす。彼は一つ頷き、すぐに取調室から出ていく。裏取り調査のためだ。程なく事実は明らかになるだろう。

 同僚の退室を見届け視線を戻すと、御園さんは左手で右手を撫でていた。

 手袋に覆われた右手――その義肢を愛おしそうに撫でていた。

 私は、何となく尋ねる。


「その義手も、その黒詩先生がお造りに?」


 御園九郎は、嬉しそうに笑う。


「はい! 先生がお造りになった、完成品――世界で3番目の義手です!」

「拝見しても?」

「ええ、どうぞ!」


 手袋を外し、袖をまくって彼が見せてくれたそれは、茂山元道が見せたような人間の手に限りなく近いそれではなく、


























 ――その全面が漆黒の色に染まった、これ以上なく禍々しい義手だった。

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