12星座の要素は誰もが持っている

 12星座を語る上で、個人的にネックになっていることがある。つまり、自分は星座に好き嫌いがあるということだ(笑)。これを言ってしまえば身も蓋もないし、どうしようもないのだが、好き嫌いで星座を見ていては、どうしても偏りが生じてしまう。何より占って貰う人にとっては、自分がもし嫌われている星座の人間だったらと非常に嫌な気分になってしまうことだろう。いやはや、これでは占い以前に人としての信頼関係が相互に成り立たない。


 でも、元々自分が星占い自体に興味を持ったのは、何より「自分自身のことを知りたい」と強く思ったからだ。つまり自分自身の可能性について知りたい。そこから始まって、様々な人や物事をホロスコープで見て色々と考えてきた。でもやはり一番最初の始まりがそうだったので、どうしても自分の気持ちを基準として考えてしまう。太陽が固着宮の牡牛座で月とアセンダントが蟹座、しかもMC星座が牡羊座なので、そこは致し方ないのかな?(笑)とも思う。


 しかし、それでは占星術師には到底なれない(いや、なる気はないけど。笑)何より占星術をしてホロスコープを見るには、偏りのないフラットな見方で見、そこに立ち現れる事象について具体的に考えていかないと。でも、未だに牡羊座と反対側の星座である天秤座については、そのあり方自体に納得しておらず、個人的に理解できない部分も多い。自分の牡牛座に対して葛藤や矛盾の角度である150度(インコンジャクト)の位置関係だからだろうか。


 同様に150度である射手座や90度スクエアの位置関係にある水瓶座は、それでも近年になってから、かなりの部分で共感を覚えることができるようになってきた。獅子座も同様だ。これは自分自身としては、それなりの進歩。でも個人的に自分のチャートには風の要素が全くないことから、天秤座と同様に双子座も、あまりよく分からない。というか、やはりあまり好きじゃないかも(爆)。


 これは当たり前のことかもしれないけれど、占星術やホロスコープは占う人の数だけ解釈があり、そのどれかが正しくてどれが間違っているということではない。その意味で私のような各々の星座に好き嫌いが拭えないというのも、ある意味で一つの個性かもしれない。好きな星座はともかくも、が、嫌いなら嫌いなりの理解の仕方があるというものだ。たとえ自分がどんなに嫌な人でも理解する努力一つで幾らでもその人の世界というものを考え、認めることができる。


 それは多分、自分自身に対しても同じことが言えると思う。もしも自分を苦手だとか嫌いと感じる人がいて、もしその人が自分について理解してくれる努力をしてくれたら。嫌いだけど(笑)存在を認めると言ってくれたら……それはとてもとても嬉しいことに他ならないと思う。要はそれと同じだ。これは星占い云々関係なく、通常の人間関係にも当てはめることができると思うけれど、自分自身に対して他人がしてくれるのと同じことを相手にもする努力をする――要は、自分自身を見つめるように、他の誰かも同様にきちんと見つめるということ。


 そうすることで、ようやくある意味で不可解かもしれなかった他人というものを初めて理解することができる。もしかしたら、目の前にいる相手は、鏡に映ったもう一人の自分自身かもしれない。そんな他者を邪険に扱うことができるだろうか? 自分を愛するように他人も愛してみる。何だかこれでは聖書の教えのようだけど(笑)結局は、そういうことなのだ。


 そして、もう一つには、それぞれの12星座の要素は、必ず誰のチャートにも当てはまるということ。当然のことながら一つも星が入っていない星座や私のように星が存在しないエレメントの要素があるチャートを持つ人もいるかもしれない。稀にすべての星座に均等に惑星が散らばっているホロスコープを持つ人も中にはいるかもしれないが、そんな人はおそらく何人もいないだろう。しかし、すべての星座の要素は誰でもが元々持っているもの。


 そのヒントはハウスにある。生年月日と共に出生時刻が分かる人のチャートでは、必ず12のハウスのカスプ(境界線)が全ての星座にまたがっている。たまに、インターセプトと言って、二つの星座のハウス境界の中に真ん中の星座が挟まれてしまっている(例えば、天秤座と射手座二つのカスプ境界ができてしまい、真ん中の蠍座にハウス境界ができない)ような場合もあるが、それはまた特別な事象であって、大体は12星座サインすべてに均等にハウス境界が来る。


 こちらの第三節にて書いた通りだが、12ハウスには各々異なった意味合いがあり、そして、それらのハウスはサイン(星座)の影響を色濃く受ける。個人的に私自身のチャートの例で言えば、私の10室は牡羊座にハウスカスプがあり、つまりその10室のMCの位置が牡羊座になる。同様に1室は蟹座でそのハウスカスプは自分自身の第一印象や体質などを司るアセンダント(上昇宮)となる。つまり私という人間はアセンダントが蟹座でMCが牡羊座である、ということになる。こうしたホロスコープを見る上で重要な要素もハウスカスプにはあり、勿論それ以外のハウス境界(ハウス)も1室や10室の比ではないが、12ハウスすべてに12星座の要素や意味があるということになる。


 つまり一人の人間の中には、12星座すべての要素が存在しているということ。だから、どれかの星座を邪険に扱ったり、どれかを特別扱いしたりなどということは、実際ナンセンスなのかもしれない。再び私自身のチャートの例で言えば、天秤座は家庭や故郷を意味する4室に当たり、射手座は雇用や健康などを扱う6室に入っている。水瓶座は遺伝や遺産、継承などを意味する8室。真剣にホロスコープを見ていく、つまり自分自身の人生を真剣な気持ちで考えるならば、それらの星座を粗末に扱うことなどできない。むしろ、苦手な星座であっても、それらの問題に向き合うよいヒントをくれる。そう考え方を変えるだけで随分と結果が違ってくるのは確か。


 勿論、出生時刻が分からない人の場合は、一般にソーラーチャートと言って、生年月日の正午のチャートを作り、太陽星座を第1ハウスとして、牡羊座生まれなら第2ハウスが牡牛座、第3ハウスが双子座、というように順に見ていく。この場合なら、もっと明確にハウス境界が決定されるので、さらに分かりやすいと思う(そもそも個人を特定していない、雑誌などの星占い特集などでは、この出生時刻が分からない場合のソーラーチャート、ソーラーハウスを基準にして書かれていたりするのは事実)。


 確かに改めて、それぞれの星座について見ていくと、12星座それぞれの得意分野があり、それぞれの言い分や考え方などがあって、本来ならばそのどれもが存在していること自体を天から許されており、それぞれの星座(サイン)ならではの世界が、そこには広がっている。それはまるで世界というものの全体像を俯瞰して見るが如しだ。偏りなく12星座について考えることは、何よりフラットな気持ちで世界全体を眺めるのと同じこと。どれかについて不信感を持っていたり、どれかを愛しすぎていたりしていては、世界全体を均等に見ていることにはならない。


 ある意味で、すべての星座を公平な視点で見つめるということは、個人的な感情をなくすことかもしれない。その意味では、これは至極、天秤座的(笑)。天秤座はつまり、自分自身を持っていないのでは?と思えるほど、第一に他者との関係性を大事にし、自分個人というよりも、社会全体における調和というものを考え、自分自身が突出しないように周囲に気を配り、とにかくスマートに穏便に生きる。要するに「空気が読める」やつ(笑)。何よりまず自分が世の中で尖ってしまっていては、偏りのない公平な考え方はできないからだ。


 が、やはり10室のMC星座がその反対側の牡羊座にある自分としては、その考え方がよく分からない(苦笑)。何より自分自身を第一として考え、とにかく自分が自分であることに価値を見出す、生における弱肉強食というテーマの火星を支配星ルーラーに持つ牡羊座がMC(人生の目標とする社会的な頂キャリア)星座なのだから、これも致し方ない。


 そういう自分は前述した通り、他者を「もう一人の自分自身」と捉え、自分自身について真剣に考えるように、他人や世界全体についても同様に真剣に考える、といった思考法にシフトしていくしかなさそうである。何より単なる好き嫌いでは、世の中まともに渡っていけない。が、その好き嫌いを逆に利用して、自分を愛するように他人も愛し、他人に見てしまう嫌な部分も同様に自分の中に発見して、それをよい方向へ是正していくことを考えるしかない。


 なぜなら、これも前述の通り。12星座には、それぞれ特化した分野があり独自の考え方や行動形式がある。決してそのどれかが間違っていてどれかが正しいということではない。それぞれの世界は個々に独立しており、特に同じエレメント(火なら牡羊座と獅子座と射手座)同士などでは似通っている部分もあるも、その同種のエレメントでも「活動」「固着」「柔軟」と3要素では異なっている。すべての星座がそれぞれに独立した意味を持ち、季節や時間の連なりのままに、ホロスコープの全天をぐるりと取り囲んでいるのだ。


 そして如実にその12星座の要素は、生まれてから死後の世界に至るまでの、人の人生そのものをも端的に表している。何も知らなかった赤ん坊の世界から、一つ一つの経験を繰り返して積み上げ、人生という道標を辿っていくことで、いつしか空の涯ての遠くの世界までも高々と見晴かすかのような――。


 そんな世界全体の姿までも、自分自身の人生の中に見出すことができる。そのどれもが非常に面白く、決して好き嫌いで済ませられるような単純なものではない。そこにホロスコープを見るということの本当の面白さがある。一つ一つの星座や、それぞれの星座(サイン)に対応した12のハウスの世界。だからホロスコープを見ることや占星術をするということは、世界の全体像のその秘密までも解き明かすようなことに実は相対するのかもしれない。


 それは自分自身が知らない世界。手を伸ばしても容易に届かないと思うような、そんな星の世界が指し示す、世界というものの神秘に触れること。そこには、ある意味で真実が隠されており、自分自身の想像力によって幾らでも様々なその世界に遊び、遠くまで旅をすることもできる。要するにホロスコープとは千里眼――おそらくは、目には見えない世界の涯てまで鍛錬すれば見ることができるほどの。だから、これほど面白いものは世の中にない、と思うのであって。


 占星術のその神秘の旅を続けるのに、単なる自分自身の好き嫌いで、すべてを棒に振ってしまったら勿体ない。何より「誰かの思いは自分の思い」「誰かの悲しみは自分の悲しみ」そして「誰かの喜びは自分の喜び」……。そう考えることができたら、どれほど素晴らしいことか。


 こんなことを考えるのも、自分の牡牛座の太陽が、水瓶座の定位置ナチュラル・サインである11室にあるからだろうか。その意味でも、今後訪れると言われている、水瓶座時代アクエリアン・エイジを生きるのに、こういったフラットな平等思考や博愛主義を絵に描いたような、水瓶座的な考え方でいることは、ある意味、非常に望ましいことかもしれない。


 11室は、仲間、理想、願望のハウス。10室の人生のキャリアを昇り詰めたあとに自分自身が作り上げたいと願う、いわばユートピア。その誰もが幸せに生きられる理想郷を願うのならば……。すべての人を愛するように、12星座すべてを理解する。


 愛と美をテーマとする金星を支配星ルーラーに持つ、牡牛座ならではの「愛」に、水瓶座的な考え方が混在する。それも案外、面白いものかもしれない。

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