プロの覚悟とアマの自由~煮え切らない世の歪み

 前回、非常に物議を醸す無責任な内容のことを書いたと自分自身でも思います。そう、「プロには何の力もない」とか、何とか。それから、および日々の生計を立てるために真面目に企業や工場などで働いている人の努力や頑張りを侮辱するような発言に思えた方もいるかと思います。が、その努力の方向がもし間違っていたら。それが誰かに仕向けられた行為だと知らず、ただひたすらそれに真面目に従事していたのだとしたら。


 前回言いたかったのは、別段そういった方々の御苦労を貶めるつもりはないし、ましてや各業界で立派にプロとして素晴らしい仕事を築いている方々を妬んだ訳でもありません。そうした方々のプロフェッショナルな実績は、未だそういった高みに届かない自身としては羨望の眼差しで見上げるものであると共に、自身も自らがめざす創作の分野で切磋琢磨する傍ら、純粋に尊敬の念をもって称えるべきものであると思っています。


 つまりそれらの仕事に就いている方々の御苦労や努力などをないがしろにしたい訳ではなく、そういった方々のいる背景である社会のあり方が自ずと悪い、ということを言いたかったのです。むしろ「プロに力があって」当然です。彼らは、だからこそ多くの競争を勝ち抜いて今日の華々しいステージに立っているのですから。


 が、だからこそ、どの業界においてもプロと名乗る人々には、その地位を保つための権威というものが必ずついて回ります。おそらくそれは自分自身の名が独り歩きし、自身の仕事や作品が売れ、世間で評判を呼んで名実ともに著名人となった方には特に大きな免罪符となるでしょう。事実名が仕事を呼び、ご指名で依頼を受けることも多々あるだろうかと。


 ですから場合によっては、そんな状態に自ら甘んじてしまい、天狗になり自分は何でもできると思い込んでしまいます。それがいい意味での自信となって自身のモチベーションを支えている場合もありますが、多くは自分は仕事が出来て当然、ましてや実際そう思い込まなければ、続けていくことが困難なのがプロの世界なのです。だからプロというのは、考えてみれば、常にいつ蹴落とされるか分からない断崖絶壁に、つま先立ちで立っている状態を継続させているようなものです。


 まずそこがプロという世界の盲点だと筆者は考えます。常に緊張状態を強いられているのに、決して弱音を吐くことを許されない。彼らは常に称賛をもってして称えられなければならない王者でなければならない。そして常に己自身の能力を試され、世間一般の勝手気ままな批評にも耐え続けなければなりません。そういった厳しい世界に身を置きながら、余裕の構えで前を向いて物事に当たらなければならない。 


 本来ならばそうした、ある意味ストイックな世界で生き残り続け、誰の目から見ても満足のいく仕事を成し遂げている彼らは当然、称賛に値します。無論のこと、その覚悟があってこそ彼らは「プロ」と呼ばれるのです。そんな当然のこと、今さら言うな、とまたも叱責されそうですが、これは繰り返し述べたいことです。その厳しい覚悟なくしてプロと名乗るな、と。


 むしろ私自身が指摘したいのは、その覚悟もないのに甘い気持ちで夢を見て「プロ」を名乗ることを自身の目標や信条としているような人。これは現存するラノベ業界や、こういった小説投稿サイトなどでも、よく見受けられる話ですが、要するにそういった甘さを助長する場が存在していることも確かに問題だと思います。いくら出版業界が下火だと言っても、安易にヒット作を生み出したいがゆえに、そうしたプロ志願の甘甘な人材をゴマンと産出しているような現状。……まあ、ラノベ業界自体がそれで立派に回っていけるものなら何ひとつ物申したりはしませんが。


 ここまでの論点だと、常に厳しい世界に身を置くプロは概して心の余裕がない。だからダメなのだと言いつつ、反面、結構な甘い考えでそのステージに立つ輩も増えており一体どっちが不味いんだと(笑)これも筆者自身のプロフにて若干書いたことですが、つまるところ要するに「覚悟と楽観」のバランスの問題かなと。プロは大変だァ、だから偉いんだ、という理屈も成立しないことではありませんが、だから余計その地位に甘んじてはならない。その意味で私には正直そんなプロの重圧を耐え続ける自信は到底ないかもしれません。

 

 本当に心ある、内省的でかつ向上心に富んだプロは、その戒めを常に胸に抱いているものでしょうが、プロをプロとして存続させている、ある種の力学が人知れずそこに働いている場合もあり、それは彼らが身を置いている現場の意義の事実や、さらに俯瞰して引いて見た社会全体にもしかしたら問題があるということも。つまりは畢竟、売ることのみを至上命題としている、売上げ至上主義がまかり通る、この大量消費社会の悪という所に行き着く。


 これを書くと、また何を……みたいに、ある一定の向きには思われてしまうかもしれませんが、こういった現代社会の激しい競争社会がもたらしたものとは。前回も書きましたが、あとに残されたのは、延々と続く荒廃した味気ない画一化社会だけでしょう。企業の正社員が激減した代わりに非正規雇用の人材が大量に押し寄せる。大多数の人がもう一般の大企業に夢を持てなくなった。そして夢は自らの力で掴み取るしかなく、それでも日々の生活は苦しく、切実な意味で明日に希望を持てず、自らのモチベーションを保つことすら容易ではない。そしてその夢や理想でさえ、いつのまにか何かにすり替えられた、作為的に心に植え付けられたものだったとしたら。


 そこへ来て先のタックスヘイブンが世界中でまかり通っていた真実が晒された、例のパマナ文書。これが怒らずしてなんとする、という代物で、マスコミ各社を牛耳っている電通や多くの利権を持つ大企業などが右に習えで関わっていた事実は怒りを通り越して呆れかえる他はなく、だから様々な火消しが我々市民に対して用意周到、巧みに行われていたりもするような、どこまでも腐りきった世の中なのです。


 そういった狂った経済社会の歯車として、もしかしたら重宝されてきたかもしれない、各界のプロと名乗る人々には何の落ち度もないかもしれない。いや、むしろ被害者と言えるべきかもしれない。何しろ彼らは、ただ純粋に利益と宣伝効果を上げるために、いいように利用されてきたかもしれないのだから。何というか、その意味では「ご苦労さんね」という哀れを誘う存在なのかも実は知れないけれど、彼らのプロフェッショナルとしての意識と尊厳自体は断じて損なわれるべきものではない。


 そういった意味では、今の社会がこのまま続くようであれば、そしてそれに些かでも疑問を抱くようであれば、プロをめざすなどもっての他だろう。が、その大量消費社会を支える駒として働くのではないなら、アマという選択もありなのかな、と。たとえアマであっても、そうしたプロ意識というものは持ち得ることは可能であると思う。たとえアマであっても活躍できる舞台さえあれば、プロ並みにはなれる。いや、もっと自由に虚しい世間の歯車から解き放たれる。


 こうした嘘偽りで固められた経済システムがまかり通るうちは、どんな綺麗事を並べても無駄だろう。結局何だかんだでめぐりめぐれば、そういうコトに加担しているのかもしれなく。決して売ること自体は罪ではないと思うが、それに魂までも売り渡してまで不遜なプロになりたくない。そしてもしかしたらプロのステージに甘んじ、そのことに気づかないでいる、そのことすら――、そんなことさえ考える今日この頃。


 夢は夢として純粋にここに存在している傍ら、だから、それを売って自身の生計を立てることに些かの後ろめたさやおごりまでも感じて躊躇してしまう。反面、それがどうしたと開き直るほどの図太い神経をもう少し養った方がいいのかと迷いつつ、結局それもできない。


 はてさて、世の美しき夢という夢が生やしていた天使の羽は、どこへ行ったのか。それが無闇な憧れだったとしても、これでは傷つけられた心は成仏できない。はたして、誰がこんな夢や理想をタテに、どこまでも不毛な競争を煽る世界を作ったのか。それがたとえ純粋な勝負のモードであっても、その情熱を純粋に燃やしきれない、そんな煮え切らない、腐りきったこの世の中の歪みを何としたらよいのでしょう。



「この世の仕組み」マドモアゼル・愛公式ブログ『水瓶座時代』より

http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12154324322.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----mademoiselle-ai_12154324322

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