第49話 目を背け続けてきたもの

魔法の爆発を目くらましに、アビス・タンクはドラコベネより尚高い位置にまで翔け上がっていた。スラスタの膂力だけではない、魔法による姿勢制御も利用した飛翔だ。


ドラコベネが振り返るより早く、歌誉が渾身の魔法を放つ。


「辿れ、追え、凍てつく戯曲の曲がり角!」


雨雲から巨大な氷柱が降り注ぎ、ドラコベネの広大な背中に突き刺さる。

飛翔するアビス・タンクが更に詠唱を重ねる。


「まだやれる」「もう一発……ッ!」

「ぐぅ……ッ」

「届け、至れ、集結の決意!」


詠唱に応じて、黒雲から雷鳴が轟いた。瞬間、稲光が迸った。

幾度もの攻撃で脆くなった龍鱗が、雷撃で爆ぜていく。


「これで、」「終わって……ッ!」


凄絶な雷音と共に、ドラコベネの全身を覆っていた鎧が破壊された。瞼が爆ぜ、眼球は白く焼け焦げる。爪牙は砕け、鱗の裏側に隠れていた剥き出しの肌が赤黒く炭化していく。

その様相を、桐吾は緊張の眼差しで空から見下ろしていた。


「く……ッ」


それは、初めは苦悶の声に聞こえた。雷音にかき消されて聞こえにくかったが、激化する攻撃に耐えかねた悲痛の叫びなのだと、桐吾は考えていた。


だが、次の刹那、それが間違いであると否が応にも思い知らされた。


「くくくッ」


ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼは嗤っていたのだ。

全身を黒く燻らせた、みすぼらしき負け様には決して似合わない、地獄の釜から吹きこぼれる真紅の泡の如き唸りの声。

焼き切れた眼が、桐吾を見据える。何も映してはいないはずの白濁した眼球に、桐吾は身震いした。その瞳の奥に、確かな意志が光となって視認できるかのようだった。


「そんな……」「嘘……」

「くく、かはは、はははははッ!」


それは一瞬の光景だった。引き裂かれ、煤ばんでいたドラコベネの身体が、冗談のような唐突さで頭頂から真っ二つに裂けた。


その裂け目から、ドラコベネが飛び出してきた。


抜け殻と化した巨龍の半身ずつが左右に倒れるより速く、半分以下に体長を小さくしたドラコベネが飛躍する。頑健な龍鱗、鋭利な爪牙は剣のように長く鋭く、より攻撃的な形状を獲得していた。筋骨隆々とした身体は、寧ろ痩身と言えるまでに細くなっていた。

重量と頑丈さを捨てる代わりに速度と柔軟性を追求したような尖鋭的なシルエット。


急迫してくるドラコベネの声を、桐吾は確かに聞いた。


「愚直な勇者に教えてやろう。擬態にはこういう使い方もあるという事だ」


勝利を確信したドラコベネの不敵な笑み。

振り下ろされる爪。

アビス・タンクの心臓部を狙った鋭い一閃。

魔法を構成する時間はない。

急所を庇うべき両腕も失われ、抵抗の手段はない。


ドラコベネがそれらの事情を全て承知していたからこそ――


だからこそ、隙が生まれる。


一点集中攻撃に全精力を傾け、防御をかなぐり捨てたその姿勢を前に。

桐吾は叫ぶ。アビス・タンク・アーセナルに搭載した、最後の秘策を。


「ヴォイドッ!」


――勝機があるとしたらそこだ。


ドラコベネは科学を芥の知恵と唾棄し、知識を蓄えてこなかった。龍族にとって、科学はブラックボックスだ。だから、眼前のアビス・タンクは桐吾自身が装着した兵装だと考え、その見解を少しも疑っていない。

頑固一徹なこの龍は、そもそも遠隔操縦という概念を持ち合わせていない。


勝機があるとしたらそこだ。


開発中、桐吾はずっと考えてきた。

特性と言っても過言ではない、そのドラコベネの過剰なまでの排他的な思考を逆手に取るには、何が一番効果的なのかを。

そして熟考の末、桐吾は一つの結論に至る。


有人型では決してとる事の出来ない、無人型にしか成し得ない攻撃。想定の埒外から判断の隙を与えぬ速度で、決定的な一撃を見舞う事。


それは――

眼前で展開した光景に理解が追い付かず、ドラコベネが驚愕に目を見開く。

圧縮された空気の抜ける音と共に、アビス・タンクの外装がパージされた。解放され、役目を失った外装が空に投げ出される。


無論、無人型のアーセナルの外装は装着者の保護を目的としない。それは――内蔵した兵器を守護するための、言わば鞘の役割を果たしていた。


卵の殻を破るように現れたのは、一振りの大剣。

二メートルに届こうという長大な剣身、五〇センチ超の武骨な身幅。


装甲を失った抜身の剣身は雨中にあって尚白く鈍い輝きを放つ。柄に相当する部分には脚部や背部に搭載されていたスラスタが全て集約され、ロケットの尾部を思わせる構造をしていた。

アビス・タンクそのものを剣へと変形させる――それが桐吾の結論した、龍の虚を突く最も有効な手段だった。

その結論が間違いではなかった事は、いままさに眼前の龍が証明していた。驚愕と警戒に一瞬でも思考を割かれたドラコベネの爪が、その勢いを失う。


「何だ……それは……ッ!」

「ずっと――ずっと、ずっと貴方が!」「目を背け続けてきたものッ!!」


桐吾はスラスタを起動させる。ノズルを焼き焦がす程の限界出力で吐き出される白煙と火柱を背負い、大気を裂く轟音をまとい――龍殺しの剣が空を疾駆する。

超高熱に晒され、剣身が灼熱色に染まる。

開発当初から何度となくこの瞬間をシミュレートしてきた。その他一切の兵装をパージした事で人型に戻る事も出来ない、後戻りの利かない一撃。失敗は許されない。

甚大なリスクを背負うからこその、回避不可能、必至の一撃。


咄嗟にドラコベネが首を捩じる。だが致命的に遅い。ゼロ距離からの攻撃だ。

ましてや速度に特化した形態に変化している、回避しきれるはずもない。


無限の蔵に収められていた刀身は――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る