第48話 同じ世界に

「何だそれは……?」


天空から降り注ぐ声には、動揺の色が濃い。

「人族が魔法を使う、だと……。それとも、魔法に酷似した技術か何かか……」


最強の種族が畏怖を露わにする。敗北を喫した事のない驕りから、他種の知識を得ようとしなかった龍が、初めて未知に対して慄然する。

対して、桐吾の胸中は穏やかだ。

満身創痍のアビス・タンクは右腕部を失い、右脚部は動作せず、武装もない。だが、同体化した戦友の気配は何よりも心強く、悲観的な眼目を全て覆してくれる。


人族であるにもかかわらず、魔法によって何が出来て何が出来ないかを、桐吾はアビス・タンクの中で自然と理解していた。

同様に、歌誉も桐吾の思考を正確に読み取ってくれているだろう。


「行こう」「うん」


掛声と肯定は同時に発せられた。


次の刹那には、スラスタが勢いよくアビス・タンクを上空へと突き上げていた。ドラコベネへと肉薄、アビス・タンクは左腕を掲げ、力強く詠唱した。


「熱く、猛る、届かなかった千の喚声!」


アビス・タンクを囲むように生じた無数の炎弾が、ドラコベネへと殺到する。動揺するドラコベネは、邪念を打ち消すようにその剛腕で炎弾を薙ぎ払った。

着弾した炎が爆発し、空を灼く。

焦熱が頑健な龍鱗を穿つが、ドラコベネはその痛みを叫声で一蹴する。


「舐めるな人の子風情が! 芥の知恵に慄く王がいるものか!」

「でも貴方はいま、僕を敵だと認めている!」


アビス・タンクによる魔法と、ドラコベネの爪牙と炎が拮抗する。

いくつもの炎と光が交錯し、爆発し、戦場を染め上げた。


「本気で勝てると思ったか、龍の眷属に」

「龍そのものに勝つのは無理でも」「この戦争になら、僕達は勝てる……!」

「勝ったとして何を為す、人の子よ……ッ!」


ドラコベネが、段々と息巻いて語気を荒げてきた。

余裕の表れだった鉄面皮は既に剥がれ、その表情は険しさを増していく。眼前で攻勢に立つ下位種族を、明確に倒すべき脅威であると見識を改めていく。


「異族と」「共に生きる!」

「くだらぬ!!」


擬態で小さくなったドラコベネが魔法をかいくぐり、剣のように伸ばした爪を振るう。両手指、計十本の剣がアビス・タンクを袈裟斬りにした。

アビス・タンクの左腕部が斬り落とされる。


それでも桐吾と歌誉は、攻撃の手を緩めなかった。追い打ちをかけようとするドラコベネに対し、迎撃の魔法を放ち距離を取る。


「両腕を失い、尚戦う姿勢を見せるか。その強靭な意志だけは評価してやろう!」


勝機があるとすればそこだ、と桐吾は考えていた。

激しい攻防の中で、桐吾と歌誉はドラコベネに声高く訴える。


「貴方は何故、武力を振りかざすばかりで」「聞いてくれない、私達の声を……ッ!」


「貴様は塵芥が悲痛を訴えた時、耳を傾ける価値を見出すのか!」


「見出しますよ! もしも訴えられたなら」「共に意思を疎通する言葉を持つならば!」


「龍の眷属にとって言葉とは御言宣――すなわち上位種の命令を下位種に理解させるための道具に過ぎぬ! 共通言語を平等に帰結させるとは曲解も甚だしい!」


「そもそも上とか下とか」「決めつけるのが早計過ぎるんですよ!」


「だが事実だ! 貴様らは十五年前に既に膝を屈し、最下層にまで堕落した!」


「だけどその敗北は一度きりだ!」「それも事実……ッ!」


「従属とは現在に至るまで敗北し続けてきた事の証左ではないか!」


「違う!」「違う……!」


「何をもって異を唱える! 揺り籠の中で震え続けてきた惰弱な虫どもが!」


「確かに僕は」「臆病者だった……ッ」


桐吾と歌誉の記憶に刻まれた従属の過去。味が分からなくなるまで辛酸を舐めてきた。抗う意志を失くし、ただ龍魔の逆鱗に触れない事にのみ注力する日々だった。少しでも長く生き残るために、少しでも辛苦を和らげるために。


だが――


「だけど」「皆は違った」


アシハラの皆は違った。

覇権奪還構想を掲げ、諦念に甘んじる者はなく高い志を持ち続けた。

圧倒的な力差を前にして尚、彼らは抗い続けてきた。


それは決して、敗北などではなかった。


「全てを取り戻して」「貴方達に届くために――」


アビス・タンクの放った魔法の双槍が、ドラコベネの翼を射抜く。

飛翔の速度が鈍ったところへ放った風の刃が、龍の頑健な鱗を切り裂く。


「人の声を」「届けるためにッ!」


ドラコベネの胸部を貫かんと、天上から光条が迸る。


「妄言が届いたところで、歴史は翻らぬ!」


ドラコベネは怒りに任せるまま巨大な咢で光条を噛み、首を振るって軌道を逸らした。

光条が地上を穿って炸裂する。ドラコベネの口の端は焦げ、血が滴っていた。幾千もの敵対者を噛み砕いてきた牙の何本かが折れ、地上に転がっていた。


「貴様らは学ぶべきだな。世を総べるファクターは本質的に対話ではなく戦力だと」


全身に切り傷を負いながら、ドラコベネの目の輝きは少しも損なわれていない。

だが、息が荒い。豪と風巻いていた翼はその動きを止めている。大地を踏んだ両巨足もまた、根を張るように動かず、小刻みに震えていた。


巨龍と言えど体力は無限ではない。少しずつだが、ダメージが蓄積されていっている。

ドラコベネはしかし、最強としての自負でその損耗をさえ抑制する。

この戦争で一番の雄叫びを上げ、アビス・タンクへと続けざまに炎弾を放った。


「どうしても」「認めてくれないんですか……!?」

「貴様こそ認めたらどうだ、自虐戦争において同士討ちの果てに家畜へと成り下がった、愚劣な存在こそが己の本性であると!」

「確かに人族は」「間違ってきたかもしれない……!」

「ならば――」

「でもだからこそ僕達はその間違い」「を正そうとしてきたッ!」


炎が咲き、雷が轟き、風が踊る。


暗雲の下を彩る戦火を、戦いを終えた男女族が見上げていた。戦いの中で交わされる言葉が、彼らの胸中をざわめかせる。


取り戻したい夢。

犯してしまった過ち。

希求と贖罪の間で、

何を信じるべきかを見失いながら、

それでも盲目的に信じられる何かに縋るしかなかった、

矛盾だらけの行動原理。


そうだ、とアシハラの民は思う。


矛盾を抱えた清濁の存在として、それでもたった一つ間違いなく、信念として叫ぶことのできるのは――間違いを正したかった。


「間違えたからこそ」「正しに来た……ッ!」

「浅識な軽口が易々と正しさを語るな! やり直しの利かない不退転の失敗がある事さえ未だ知らぬ若輩が!」

「それは弱さじゃない!」「貫く、強さ!」

「……ッ!」


一瞬、ドラコベネが怯んだ。

アビス・タンクが、スラスタと魔法を掛け合わせた爆発的な推進力で龍に肉薄する。


「貴方こそ!」「間違える事を恐れて王政から抜け出せないでいる、臆病者じゃないのか!!」


――その声を聞き入れるには、我は年を取り過ぎたな。


ふっとドラコベネが表情を緩めた事に、桐吾と歌誉が気づく事はなかった。ただ夢中に、必死に追い求めた理想の体現だけを見据えて、彼らはその覚悟を振るう。


「僕達は、肩を並べてみせる!」「同じ目線で話してみせる……ッ!」


「「同じ世界に生きる存在としてッ!」」

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