第31話 それとも記憶失くすまでバットで脳天叩き続ける?

生徒会室。穏やかな涼風がカーテンを揺らして、少しずつ夜の気配を運んできていた。間もなく日没である。差し込む夕暮れの斜陽が赤く調度類を染め上げ、その存在を惜しむように影を伸ばす。細く伸びた二つの影の先に、二人の生徒が談笑していた。


桐吾となずなだ。

彼らは大告白大会イベント会場と化した講堂から逃げてきていた。歌誉はたじたじだったが、田路彦が冷血かつ整然とした司会を務めていたから、まあ問題ないだろう。

巳継は告白大会の横で喧嘩を始めていた。勢いに任せて罵声を浴びせた生徒達数百名をどう相手取っているのか興味はあったが、優先されるべきかと言えばそうでもない。


虹子は激務に追われ、裁判後にすぐ教師陣に混じって会議に臨んでいった。

桐吾となずなもその補佐に回ろうとの意図で、講堂を抜けてきたのだ。一度生徒会室に戻ってきたのは荷物を置くためだが、正直、一息をつきたかったのもある。

荷物を置くと、二人揃って手近な椅子にもたれ込むようにして座した。


「あー……疲れたー……」


背もたれに体重を預けた桐吾は天井を仰いで、大きく息を吐いた。一緒に疲れも吐き出されていくようで、全身が弛緩していく。


不思議な感覚だった。心身ともに疲労して、倦怠感に包まれているというのに、それを補ってあまりある充足感に満たされている。


「お疲れ様。歌誉を庇って一人で立ったんだって? やるじゃない」

「やめてくれよ。結局全部なずなに持って行かれたんだし。やっぱり叶わないな」

「何言ってんだか。初めのきっかけは桐吾君でしょ」


照れ隠しのように笑うなずなに、桐吾は視線を転じる。それは、届かない程遠くにあるものに送る、羨望のような眼差しだった。


「――なずなにもらったんだ、勇気を」

「は? 私?」


疑問符を浮かべるなずな。


白状すべきかを悩んだが、やがて桐吾は身を起こし、なずなと向き合った。彼女は目線の高さよりも、少しだけ低い位置から見上げてくる。

少し緊張したような顔が、夕焼けに彩られて赤く見える。

桐吾は静かな口調で、罪を告白するように言った。


「実は裁判の前、なずなの部屋に行ったんだ」

「な……」


途端、なずなの顔色が変わる。焦りを帯びた険しさに、表情を強張らせた。

ただでさえ、年頃の娘が無断で部屋を覗かれる等、誰だっていい気分にはならないだろう。なずなにはそれに加え、秘められるべき凄惨な記録があった。


「どうしてそんな事――」

「ごめん」


問いに被せて、桐吾はまず頭を下げた。言い訳より何より、まず謝罪をすべきだと思った。平伏する桐吾に勢いを削がれたなずなは、しばし言葉を詰まらせた。


「姫先生に言われたんだ、見に行って来いって。覚悟の足りない僕に、何よりまずそうすべきだって……」

「――見たのね?」

「ごめん」


両者の脳裏に反芻される、壁に刻まれた無数の傷。敗北に涙した記録。勝利を誓った記録。弱き意志を強引に強化した、歪にして痛ましい、それでいて高潔な聖痕。

なずなにとってそれは、誰にも知られたくない過去の累積だった。


彼女は剣呑な目つきで桐吾を睨んでいたが、やがて諦めたように、肩の力を抜いた。


「はあ、まあいいわ」

「いいのか……?」

「そりゃ良くはないけど、でも見ちゃったものは仕方ないじゃない。それとも記憶失くすまでバットで脳天叩き続ける?」

「な、なずながそうしたいなら、僕はその覚悟で……ッ」

「冗談よ全くもう。ホントに馬鹿真面目なんだから。……姫ちゃんめ、あんにゃろう。誰にも言うなってあんだけ釘刺したのに。全くもう」

「どうして、姫先生は知ってたんだ?」

「別に。色々あったのよ」


頬を膨らませたなずなは、そっぽを向いて返答を濁した。

なずなは窓を向いて膝を抱えた。細めた目は、夕陽に郷愁を探すかのようだった。


「……あれね、負けた数なのよ」

「特練?」

「それに限らずね。特に小さい頃なんか、訓練でもテストでも何でも。負けたと思う度にそうしてた。そうする事でしか、安心出来なかったのね」

「……安心?」

「私ね、両親を自虐戦争で失くしてから、ずっと孤児院で育ってきたの。孤児院って言っても、アシハラの皆が代わる代わる世話をしてくれる、急ごしらえの施設だったけどね」


なずなのように身寄りを失くした子供は多い。アシハラに生き残った者達は、協力して彼女のような孤児を育てた。元々が研究畑の者達だ、とかく育児に関しては不器用で、実は子供達以上に四苦八苦していたのではないだろうか。


「物心つく頃には、この人達に迷惑をかけちゃいけないって思ってた。育ててくれた皆の負担になってるって、子供心に気づいてたのよ」


自立心を自覚するには、あまりにも幼すぎた。だが、なずなは気づいてしまった以上、己を律する事に躊躇はなかった。


「迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいか。単純な話よね、良い子にしてればいいのよ。放っておいても面倒を起こさない、頭も良くて運動も出来る、そんな良い子になれば良いんだって、そう気づいたの」

「そんなの、まるで――」


言いかけて、桐吾は口をつぐむ。

言えるわけがなかった。周囲の目を気にして、煩わせないよう気を遣う。それはまるで、龍族の支配下に置かれた自分のようだ、などと。


「それから私は頑張るようになった。とにかくがむしゃらに頑張って、どんな分野でも優秀な成績を収めてきた。皆の手を煩わせたくなかったから……だって皆、本当の家族じゃないんだから」

「それで、か……」


人族同士にもかかわらず、否、だからこそ――互いに気遣い合い、そこにある愛情を義務感や責任感からの発露だと訝り、早熟すぎる自立を促していった。

交代で面倒を見てきたのも、なずなの心に弊害をもたらしたのかもしれない。無償の愛を注ぐ特定の誰か――つまり親が不在である事を、自覚させてしまったのだから。


「だから傷をつけていった。悔しさを忘れないために。未熟を自覚するために。もっと強くなるために。傷は敗北の証で、反省の証で、でも経験の証でもあって、私を苛むと同時に安心させてもくれた」


そうして、何でも抱え込んで満身創痍になった挙句に全てを乗り越える、そんな愚直にして実直な、網代なずなという少女が完成してしまった。


「だから私にとってあれは、お守りみたいなものでもあるのよ。あれがあったから私はここまで意志を曲げずに来れたし、強くなれたって、そう思う」


なずなはそう誇る一方で、自嘲するように苦笑した。


「でも流石に他人から見れば、あんなの異常だし気持ち悪いわよね」

「そんなわけない」


言葉を探すより早く、桐吾は打てば鳴るように否定を口に出していた。


「あれを見てなかったら、僕は歌誉の前に立てなかったかもしれない」

「勇気貰ったって、まさかあれから?」

「うん。僕はなずなが――どうしようもなく強い、姫先生の言葉を借りれば完璧超人だって思ってたんだ」

「皆がそう言うのは姫ちゃんの仕業か……」

「僕や歌誉、それに他の生徒も皆、ある意味でそれに安心してたんだと思う。なずなは完璧だから、僕らとはそもそも造りが違う才能人だから、なずなみたいに出来なくて、届かなくても、それが当然なんだって――勝手に安心してたんだ」

「――怒っていい?」

「も、もう少し待ってもらえると嬉しいかな」

「むう」


じろりと睨みを利かせるなずなを、苦笑混じりに躱す。


「でも、違った。なずなは弱さを隠して、強く見せてるだけだったんだ。本当は僕らと同じただの人で、君の強さは、あんな歪な傷をつけないと自分を見失いそうになるくらいの、壮絶な努力の結果なんだって、初めて分かった」

「弱いとか強いとかただの人とか、誉められてるんだか貶されてるんだか微妙な気分だわ」

「誉めてるんだって」

「ホントかしら?」

「というか、感謝してる。決断する事の大変さとか、それを貫く事の強さとか、そういうものを僕は、なずなから教わる事が出来たんだから」

「よくもまあそんな、歯の浮くセリフを言えたものね」


そう言ってなずなは、恥ずかしさを隠すように強く膝を抱えて、身を小さくした。


ふてくされて所在なさげに伸びた前髪を指先でいじる姿を見て、桐吾は改めて思う。

ただの女の子だ、と。

完璧でも超人でもない、悩み苦しみながら自らの欠点と向き合い、少しずつ、克己の数だけ強さを増していっただけの、ただの女の子だ。


他人に厳しい態度を取るのも、自身に一番厳しかった彼女ゆえの、防衛本能のようなものだったのだろう。

認めるわけにはいかなかったのだ。

自傷行為によって自己を強化する事で、これまで突き進んできた。

他の生徒を認めるという事は、その在り方を否定するにも等しい。自分のやり方が間違っていると、認めるわけにはいかなかった。それこそ、弱い自分を露呈させかねない。だからなずなは厳しく接した。自分こそが強く、その境地に至れぬ他者は弱いのだと。

自らの悲運を嘆く事もなく、ただ不器用に、決意に愚直であった少女。


桐吾もまた、その胸中に決意を抱いていた。

昨夜の魔女の襲撃から、なずなの部屋を訪れ、歌誉の裁判を経て、ようやく決断出来た。

それを誰よりもまず彼女に伝えるべきだと、桐吾はそう思い、立ち上がった。


「戦うよ」


短く、宣言する。


「――え?」


目を瞬かせるなずなへ、桐吾はその覚悟を示す。


「僕も龍魔と戦う。覇権奪還構想の達成に、協力する」


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