第30話 決を採ります!

「歌誉は何も悪くない! 歌誉は私の命を救ってくれた! それが断罪されるべき悪だというなら、救われた私の命もまた悪に他ならないッ!」


と、なずなを援護するように、横に並んで立つ者がいた。

桐吾と、虹子だ。彼らは驚くなずなに微笑みかけてから、傍聴席を見据える。


「生徒会は被告人を魔女としてではなく、七夜月歌誉さんとして、彼女を支持します! 実は最初からこういう雰囲気作りたかったんですけど、上手くいかないもんですねー」

「歌誉、安心していいよ。これだけ味方がいれば、何だって出来るさ」

「書記殿、そう締められては吾輩達が立ちづらいではないか」


そう嘯いて並ぶ田路彦の目にも、覚悟が宿っている。

そして、巳継も敢然とした立居で並ぶ。


「くくくッ。この瞬間、群衆の揺籃によって腐敗した世論こそが悪となる! いまここに、正義は再誕したッ!」


なずなを中心に、桐吾、虹子、田路彦、巳継が、背後に歌誉を庇って立つ。

対するは九百を超える、異族に怨恨を抱く者達。


生徒会の信用は、とうとう地に堕ちただろう。

人を守るべき立場でありながら、魔女を背にして対立しているのだから。皆の抱える憎悪や悲嘆を全て承知の上で尚、それらを覆して、一人を救おうというのだから。

怖い――でも、後悔はない。

怖い――でも、ここで一義的な正しさで歌誉を断罪する事の方が、余程怖い。


傍聴席は、静まり返っていた。皆、傾倒すべき立場を決めあぐねている。大衆に迎合するか、生徒会を称えるべきなのか。互いが互いの出方を牽制し合っている。

何かの契機があれば、爆発しそうな気配だ。


「みんな、ありがとう」


と、言葉を慎重に探す生徒会の面々を置いて、柔和な声が上がった。

生徒会役員が一斉に振り返ると、声の主である歌誉が端然と立っている。迷いのない瀟洒な顔つきは、寧ろ、嫌な予感を助長した。


「なずな。生きてて、良かった。言葉が聞けて、嬉しい。でも、もう、させられない――」

「何を……」

「――私のために、危険な事、させられない。だから……」


歌誉は一人一人と視線を交錯させる。真っ直ぐにひたむきな眼差し。

その意味に気づいた頃には、もう遅かった。


「な、ちょっと桐吾君ッ!?」


なずなの四肢を、桐吾が拘束しにかかった。


「何してんのよ、ちょっとこら!」


羽交い絞めにされたなずなは唐突な事態に瞠目しながらも、持ち前の運動神経で振り解こうとするが、そこに巳継が加勢して、とうとう動けなくなる。

虹子もまた、田路彦に捕えられていた。

押さえつけられたなずなは、彼らの意志の通わない目を見て、得心する。


「歌誉、アンタまさか――っ!」

「使い方、やっと……わかった」


思わず、なずなは息を呑む。

歌誉の瞳が、魔族を示す緑色に染め上げられていた。

魅了の魔眼。

異性の意志に介入し、意のままに操作する技術。その瞳の前には、如何なる強固な覚悟も恭順する。


やり方さえ把握してしまえば、結界を張るよりも手軽で、且つ、差しのべられる救いの手を怪我させる事もない、たった一つの冴えたやり方だ。


「アンタねえ、いつまで押し問答させる気なのよ! いい加減救われときなさい!」

「歌誉さん! 皆分かってくれます! 私達は変われたんですから!」

「ごめん……なさい。でも――」

「で・も・じゃ・ない! 死なせないって言ったでしょうが! それにアンタ、やり残してる事いくらでもあんでしょうが!」

「やり残した……」

「例えば歌! あんだけ必死に時間かけて練習してたじゃないの! それを披露しないまま死んじゃうなんて勿体ないとは思わないの! 考え直しなさい、歌誉!」

「でも、でも……」

「何より――」


聞き分けの悪い同級生に、遂になずなはキレた。



「――好きな人と結ばれないままじゃ死んでも死に切れないでしょうがッ!!」



講堂に木霊した絶叫が、まるで音を軒並み攫っていたかのように静寂が満ちた。

想定外の叫びに、歌誉が顔を紅潮させる。


なずなもまた、勢いに任せて何を言っているんだろうと、歌誉以上に赤くなる。結ばれるとか、こんな大勢の前で何を本当に。この非常時に。何を口走っているのか。


歌誉の心は激しく乱されて、魅了の魔眼はその効果を失った。

ここ数分の記憶のない桐吾が、空気を読まず、とぼけた一言を放ったその瞬間、


「ん? あれ、どうしたんだっけ?」


何かの契機があれば爆発しそうな気配が――爆発した。


『なぁぁああああにぃぃいいいいいいッ!?』


男性一同の絶叫が響き渡った。

講堂を揺るがす大絶叫。それはもはや断末魔と言っても過言ではない。

激しい落胆から生じた割れんばかりの阿鼻叫喚。先刻の馬鹿に対して下された制裁をさえ凌駕する叫び、叫び、叫び。


「誰だ誰だ!」「くっそー俺ちょっと狙ってたのにいい!」「誰って決まってんだろあいつだ地味野郎ッ!」「俺クラスメイトだから知ってるぞ!」「べったりだもんな!」「先輩憧れてたのにいいいい」「後輩として理想だったのにいいいいい」「教師と生徒の壁を越えられると信じてたのにいいいい」「いや待ていま問題発言なかったか?」「嘘だと言ってくれええええッ!」「あーあ、私もちょっと狙ってたのな……」「待て待て待ていまの誰!?」「ラヴなのか!? ライクではなく!?」「不純異性交遊禁止いいいッ!」「あれだろ!? 雛鳥的な奴!」「インプリンティング!」「それだあああッ!」「うおおおおおおおおッ!」


心底に内燃し燻っていた、邪にして甘酸っぱい青春が音を立てて砕け散る。

そのエネルギーたるや、まさしく天地開闢にさえ匹敵し、超高密度、超残念な負け組の血涙と雄叫びとなって放出される!


三度お祭り騒ぎとなった会場に、生徒会の面々は開いた口が塞がらない。

目を点にするなずなに、男子生徒が激しく誰何を飛ばす。


「おい網代ッ! 誰なんだ七夜月さんの好きな人ってッ!」

「あ、えーと……あれ? みんな、そこ?」

「惚けてんじゃ・ねーッ! ……はぅ」


叫びが過ぎて立ちくらみを起こした彼を捨て置いて、別の生徒が詰め寄る。


「いいから答えろ! マジでそこの朴念仁なのかッ!」

「え、だから、あ、あれー……? 皆、魔族とかそういう確執とかは?」

「ん・な・も・ん! とっくに解けてるわ! 一番カタブツのお前が考え直せた時点で気づけこのスパルタ残念系美人があああああッ!」

「誰が残念系よ誰があああッ!」

『おぉまぁえぇだああああああああああああああああああッ!!』

「ひぃッ」


唱和する男子一同の声は怨霊の呻き声にも似て、なずなは思わず後じさった。

天井知らずに噴出していく、間欠泉の如き声、声、声。乱痴気騒ぎは止まらない。


「お前が残念だから!」「強すぎるから!」「美人すぎて手が出ないから!」「怖過ぎるから!」「寡黙でおとなしいニューフェイスちゃんに鞍替えしたんだぞおおおおおおッ!?」「華奢だし!」「可愛いし!」「守ってあげたい系だし!」「ファンクラブだって設立したのに!」「なのに!」「それなのに!」「あんな奴にいいいッ!」「M・T・Bだ!」「マウンテンバイク?」「マジ・桐吾・ぶっ殺だ!」「うおおおおおおおおッ!」「行くぞーッ!」


突如、勢いに乗っかってなぜか広がるM・T・Bコール。


怒りと呆れで声も出ないなずな。

突然のラブコールに戸惑うばかりの歌誉。

そして最大級の殺害予告を一身に受けて戦慄する桐吾。


コールの合間を縫って、命知らずの一人が叫びながら通路へ出て、歌誉へと駆けだす。


「ライバル共め、いつまでも叫んでろ! 歌誉さーん! 僕と、僕と付き合って下さーい!」


爛々と血走った目、機関車の如き荒い鼻息。そんなのが全力疾走して告白。恐怖以外の何物でもない。身を強張らせた歌誉を守るように、女子生徒達が通路を塞ぐ。

歌誉を守らねばという使命感と、これだけ女子がいるのにどうして歌誉ばかりに人気が集中するのかという女子として見過ごせない意地が、そこにはあった。


「あんたらなんぞにぃいい! 女の子と付き合う権利はないってえええのおおおおッ!」

「ぐぎゃんッ!」


志半ばで散っていったどこぞの男子生徒を尻目に、今度は巳継が調子に乗る。


「ようし! なら罰として俺と交際ってなぁどうだッ!」

「罰って自覚はあんですねーハゲ継先輩」

「んがッ!」


すかさず虹子によるツッコミが馬鹿を沈める。

収拾のつかない事態を諌めるべく、なずなはマイクを手に持った。


「ちょっと桐吾君、歌誉、虹子に田路彦、耳塞いでなさい」


生徒会の面々に忠告してから、なずなは健康を取り戻した肺一杯に空気を吸い込んだ。桐吾たちは慌てて両耳を塞ぐ。若干馬鹿一名は間に合わなかったが。


「黙れ馬鹿どもがああああああああッ!!」


ただでさえよく通る声が、マイクによって数倍に膨れ上がって凶器と化して耳を襲う。きーんという耳鳴りに皆が痙攣する中、なずなは矢継ぎ早に続けた。


「歌誉は生徒会のものよ! 付き合いたいって男子は嘆願書を提出の上で公的に告白しなさい! 良いわね!?」


豪語して暴走する生徒達(一部教師や大人達)を黙らせ、なずなは一息。

もはやこの集会の意義は見失われつつあったが、けじめとして、はっきりと結論を出さなければならないだろう。

その役割を持つ者へ、なずなは恭しくマイクを差し出した。


「さあ裁判長? そろそろ判決を」


マイクを握った裁判長・虹子は満面の笑顔を浮かべ、闊達に声を放った。


「決を採ります! 七夜月歌誉さんをアシハラの一員として迎える方は――」

「ハゲ継けなすか歌誉ちぃに愛を叫べーッ!」


どこからか現れた衣緒が全てを掻っ攫い、生徒一同は各々の答えを叫んだ。

皆、きっかけが欲しかっただけなのだ。わだかまりや確執を、くだらない笑いで払拭してしまえるだけのきっかけが。


騒動の渦中、歌誉は静かに涙を流していた。

この二日間で、いったいどれだけ泣いただろうか。その涙は全て、十七年間という被虐的な人生の悲嘆を埋めるように、ゆっくりと、歌誉の心に沁みていった。


最終的な有効総票数は、生徒会役員を除き九百七十九票。

うち歌誉の受け入れに賛成を示したのは七百七十五票。

十数年の長きに渡る怨恨を考えれば、約八割という数字は僥倖な結果と言える。


年齢層が高くなる程に、賛成票は反比例して減っていった。実際に自虐戦争を戦った者の多い年長者達は、やはり容易には考えを変える事は出来ないようだった。

しかし逆に、若年層からの肯定的な意見は多い。未成年に限定した集計を行えば、ほぼ百パーセントの支持率だ。実際に歌誉と交流を持つ者からまず受け入れられた事は、単純に喜ばしい。


確執がなくなったわけではない。水面下での対立や軋轢はまだしばらく続くだろう。今日のような事件が、また噴出する恐れさえある。


だがそれでも。

この日確かにアシハラは、初めて異族を受け入れるという歴史的快挙を成し遂げたのだ。


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