第18話 そりゃ血相くらい変えるわ本当に状況分かってんのかお前!

あるいは、それは時間の問題だったのかもしれない。遅かれ早かれいずれ起こっていた事で、それがたまたま今夜だった。ただ、それだけの事なのかもしれない。


致命的な事が決定的になったその夜、自室で休んでいた歌誉は大きな音で目を覚ました。


午前三時。


住民のほとんどが寝静まっていたその時間に、遠雷のような音が響いた。

その音は、窓越しに小さく耳朶を打ったに過ぎなかった。だが、その音の持つ威圧感は少しも薄れる事なく、歌誉の臓腑に不吉に届いていた。


「何の、音……?」


身体に毛布を巻きつけながら、歌誉は慎重に身を起こした。

咄嗟に、枕元に置いたままのCDウォークマンを引き出しにしまったのは、不安の表れか。消灯した蛍光灯はそのままに、気配を殺してカーテンへと忍び寄る。


おずおずとカーテンの隙間から外を覗き、歌誉は戦慄する。


「……嘘」


仰ぎの視界に映るのは、防衛都市アシハラを構成するドーム型の天蓋。


初めてアシハラを訪れた際に、保健医の衣緒が自慢げに語っていた天蓋である。


龍魔の攻撃にも耐える、アシハラを防衛都市たらしめている唯一にして絶対の根拠。


だがその根拠がいま、歌誉の視界において、儚くも瓦解し、無残な姿と成り果てている。


大きな穴を穿たれ、破砕されたコンクリートが瓦礫となって街に降り注いでいる。


驚きはそればかりではない。


崩落していく天蓋を背景に、人影が浮かんでいた。

血と夜の色を混ぜ合わせたようなワインレッドのパーティードレス。

耳を出したベリーショートの髪型。遠目にも目立つリング状のイヤリング。

力と誇りを顕示するように悠然と浮遊し、その右手には特徴的な錫杖を携えている。


魔女だ、と理解すると同時に全身が総毛立つ。


非常識にもドームを貫通して、突如として顕現した。


なぜ、こんなところにいるのか。


彼女の目的は何か。


天蓋の崩壊は何を意味するのか。


考えなければならない事は多い。


が、歌誉にはそれが出来ない。本来思考するべき領域には恐怖の感情が夥しく席巻し、犯された胸中は混沌の様相を呈していた。


魔女が来た。魔女が襲ってきた。魔女が殺しに来た。


何もかもが壊される。何もかもが奪われる。何もかもが失われる。


自分自身も、生活も、歌も、なずなも――そして何より、桐吾という拠り所が。


「……桐吾ッ!」


意中の人が、失われようとしている。

悪寒に導かれるようにして、歌誉は寝巻のまま部屋を飛び出した。


「何が起きたの!?」「わかんない! 何も指示来てないし!」「ドームが……」「循環系統ヤバいんじゃない……?」「とにかく外に出て!」「夢だわ、こんなの、ただの夢」「戦うの!? 本当に!?」「外に出るな! アンタ達は待機!」「どうして貴女が命令してるの!」「何も分からないよ!」「四愚会の魔女だってよ!」「ちょっとここ女子寮よ!」「言ってる場合か!」「男子寮を龍が襲ってるって!」「どこ情報よ!」「とにかくやばいってとりあえず落ち着いてよああもう!」「誰でもいいから」「誰か」「誰か助けてっ!」


寮棟の廊下では、おもちゃ箱をひっくり返したような混乱が生まれていた。


起きだした生徒達が歌誉と同じように困惑し、怯えている。真偽の定かでない情報が四方八方から溢れかえる。状況把握に努めようとする声も飛び交っていたが、ろくに統制も取れていないこの混乱は、収まるどころか悪戯に肥大していく。


これでも、二か月前の襲撃以来、アシハラの生徒達は警戒を強化していたのだ。有事の事態に、十全な対応が出来るようにと。


だが、天蓋の崩落という有り得べからざる光景が、生徒達の判断力を著しく奪っていた。


騒動を横目に、歌誉は焦燥に身を委ねて走る。


「桐吾、桐吾、桐吾……ッ」


歌誉は居住区画を抜け出す。桐吾がいるのは研究区画に違いない。いつだってそうだった。憑かれたように研究に没頭して、疲労がピークに達した時に机に倒れ込むようにして眠るのだ。

いつだってそうだった。だから今夜も、きっとそうに違いないのだ。


最近は歌の練習に熱中するあまり、桐吾から離れている事が多かった。練習風景を見られるのが気恥ずかしかった。せっかくなら上達してから披露したかった。


だけど――何もこんな形で後悔させなくてもいいではないか。


極度の緊張からか、息が切れるのが早い。心臓は耳にうるさい程に鼓動する。立ち止まりたい衝動、引き返したい本能に苛まれながら、しかしそれと同等以上の桐吾への想念が身体を突き動かす。


魔女に近づくにつれ、生徒の姿が多くなっていく。


当惑しながらも戦闘準備を始めた生徒達だ。大型の盾とアサルトライフルを構え、陣形を整えつつある。


「何だってあんな場所から……ッ」「壊せないはずじゃなかったのかよ!」「C班揃ったな!?」「指揮官だけいねえ!」「生徒会何してんだ!」「対魔法陣系ーっ!」「アンタんとこの班、こっち手伝ってくれないか!」「会長が血相変えて走ってったぜ」「そりゃ血相くらい変えるわ本当に状況分かってんのかお前!」「男子寮に龍が出たって聞いたけど」「はあ? 何だその不吉なデマやめてくれよ」「無駄口叩くな! 警戒に努めろ!」


勇ましく声高に叫びながら、彼らは決められた位置についていく。その足取りが訓練の成果を感じさせる一方で、表情はどれも緊張に引きつっている。武装する逞しき両腕は、しかし操り人形のように固くぎこちない。


皆、怖いのだ。


同じ気持ちを抱いていると分かって、歌誉はしかし、だからこそ理解できない。


身を寄せ合って、誰かの暖かさを感じたいとは思わないのだろうか。

どうして彼らは仲間の手ではなく、冷たく武骨な武具をその手に取るのだろうか。


一体、何のために。


「龍魔の支配からの脱却! 覇権奪還構想! それが私達の夢であり悲願であり達成すべき任務よッ!」


「ひっ」


思わず、歌誉は立ち止まって両耳を塞いだ。


怯えながら周囲を見回すが、歌誉に檄を飛ばした相手はいない。

幻聴、と一言をもって切り捨てるわけにはいかない。それは実際に歌誉へとぶつけられた言葉だった。網代なずなの、厳しくも偽りない、そして容赦のない叫びだった。


耳を塞いでも、はっきりと聞こえてくる。


「私はそのための努力を惜しまない! ずっと支配されてるなんてゴメンだから!」


彼らもそうなのだろうか。歌誉は生徒達を見る。


恐怖に竦みながら、それでも彼らは対峙する。


閉じてしまいたい目で、それでも敵を見据える。


及び腰を、それでも真っ直ぐに伸ばす。


竦む足を、それでも脅威へ向ける。


震える指先で、それでも剣を、銃口を向ける。


未曾有の境地に立たされ、絶望を真正面から突き付けられ、それでも縋るべき希望がまだ残されているのだと信じて。


だが、歌誉は知っている。


絶対に勝てない。それはもはや摂理と言っていい。窮鼠が猫に噛みついたところで、そもそもの食物連鎖は逆転し得ない。


それを分かっていないはずはない。


十五年という歳月は、散華した記憶を忘れるには早すぎる。

立ち直るにも早すぎる。

何せ状況は少しも快方に向かっていないのだから。


それでも、立ち向かうのか。


「どうして――」


刹那、夜空に爆炎が咲いた。


一瞬遅れて、凄まじい爆発音と爆風が届く。巻き上げられた砂ぼこりに視界を奪われながら、歌誉は手指の間から夜空を見上げる。

魔女の他に、夜空に躍り出る影があった。


アビス・タンクだ。


鋭い金属音を夜陰に響かせながら、爆心地である魔女へと刃を向ける。まだ晴れない煙幕の中に突入していく。その中で何度かの攻防の応酬があったのは、騒動の最中にあってなお耳に届く、銃撃音と硬質な打撃音が知らせていた。


やがて弾かれるように、アビス・タンクと魔女の姿が煙から現れた。魔女は空に浮かびながら。アビス・タンクは適当な棟の屋上へ着地する。


互いに距離を取り、それぞれが剣と錫杖を構えた。


「何ですの、それは? 生態機械族――ではないようですけど」


唇を尖らせながら、魔女が問いを向けた。警戒しているというよりは、単に興味を惹かれたという聞き方だった。

存在をひた隠しにしていたため、魔女はアビス・タンクを知らない。歌誉も初見では彼女と同様の感想を持った。


「あんたこそ何よ? 人ん家に勝手に上り込んで……それもあんな場所から!」


怒気を隠さず問い返す声は、歌誉の全身を強張らせる。


呆気にとられて見上げる装甲の奥に、歌誉は友人の顔を見出した。

彼女が、そこにいる。


その事実が意外かと問われれば、そんな事はない。

むしろ当然とさえ思えた。

特練での彼女はいつだって勇猛果敢に、最前線で異族に立ち向かっていったのだから。


網代なずなが、そこにいる。



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