蛇神草紙 第4話

「巽殿、良い報せと悪い報せがある」巽達が居る陣に犀鶴が現れた




「犀鶴殿、何故持ち場を離れますか!!」巽は突然現れた犀鶴に驚く




「安心せい・・・蛇神は鹿沼に潜られた」犀鶴はそう言うと陣の後ろに敷かれた筵を見る「宵の影縫いの矢が当たった者達か・・・何人やられた?」




「三人じゃ・・・」蓮華が犀鶴の問に苦悶の表情で応える




「犀鶴殿、蛇神が鹿沼に潜られたと言うのは」




「蛇神は永久の闇に住んでいる者。太陽が苦手だ・・・言うなれば寝たと言った感じか」




「私は太刀を抜く暇すら無かった・・・一体私は何のために戦いを挑んだんだ!!」




「巽殿はトドメを刺す方だ。我等が貴殿の為に布石を並べるまで待ってくれ。それまでゆっくり休め」犀鶴の言葉に巽は幾度か反論しようとしたが、犀鶴は聞く耳を持たなかった




「犀鶴様、報せとは?」




「まずは悪い報せだ。各陣で二三名づつ蛇神にやられた・・・すべて喉元を射抜かれて死んだ」




「やはり・・・あの風は蛇神の力で御座いますかえ・・・」




「使いや護衛にも少なからず影響が出ている」




「あの村人は?」巽は唯一蛇神の手で死んだ村人がいた方角を見る




「儂が見てきたが亡骸は無かった・・・蛇神に喰われたようだ」




「そうですか・・・して良い報せとは」




「残念だがまだ悪い報せがある」犀鶴は鹿沼を見た「巽殿は山海経をご存知か?」




「知っている。唐土の地理書ですな」




「風土記に似ている書物。だが魑魅魍魎や唐土の神について多く書かれている・・・唐土の皇帝と言うもの自体が神々の三皇五帝からとったからのう」




「犀鶴様、山海経が悪い報せなのですかえ?一体何故そんな話をなさいますのじゃ」




「山海経に記述がある。水にキが棲み、何百年生きるとミズチになる・・・さらに生きれば龍、終いには翼のある応龍になると言われる・・・どうやら蛇神は龍になりかけている」




「蛇神ではなく龍神ですかえ」




「まだ龍にはなっていないが力は強い。くれぐれも胸の逆鱗には触れるな。良いか?」犀鶴の言葉に静かに蓮華は頷いた




「・・・犀鶴殿・・・見えない神を一体どの様に知った」




「それが良い報せ・・・蛇神に杭を打ち込んだ。鏡越しなら蛇神が見える」






犀鶴はそう言うと再び自分の持ち場へと歩む。その足取りは何故か軽やかだった




「言い忘れていた。巽殿、今宵は火計を行う。陣を隠すには最適だったが、今はただ邪魔になるだけだからな。まだ貴殿の出番は無い・・・休まれよ」








人と蛇神の戦が始まりまして初めての朝の話でございます








二回目の夜・・・犀鶴は鹿沼から蛇神が出て来ない内に家計を始めた。鼓の音と共に護衛達は火を付けた油の入った壺を葦に投げ入れた




冬が開けたばかり空気がまだ乾いていると言えども葦に火はなかなか着かない。そこで巽は刈り取った稲を束ねた物を投げ込み火の周りを早くする。




「今宵は蛇神の気配がしないな」巽は燃える火を見ながら呟く「被害が少なければそれでいいが・・・」




「鹿沼から笑いながら眺めているんじゃろ、人が愚かな事をしておるとな・・・そこ!!火が外に出ようとしておるぞ!!」




蓮華の言葉を聞いて護衛達が葦を倒し、外の木々に延焼しないようにする




「・・・俺達は勝てるのか・・・」巽は太刀を抜き天にかざす




「巽、その言葉、後ろの筵で眠る者に向かって言えるのかえ」蓮華は巽の言葉を聞いて睨んだ「我らは勝しかないのじゃ・・・それ以外ならばこの眠る者達は無駄死になってしまう」




「すまない・・・」




「謝るな!!謝るつもりがあるならば人を犠牲にしてでも神を斬る阿修羅になれ・・・」




「阿修羅か・・・人を犠牲にしてまで行う天命とは酷だな」




パシッと巽の頬を蓮華の手が打つ




「御主には自分の意志は無いのかえ!!神に仕える巫女が言う言葉ではないが天命など本当は存在せぬ!!」




「蓮華・・・」




「御主が斬った少納言は天の意志で斬ったのか!!少納言の追っ手に斬られた父御も天の意志で斬られたのかえ!!権力に溺れた奸臣の少納言は天の意志で少納言の地位に着いたのかえ!!違う!!少納言を斬ったのは御主の意志!!父御を斬ったり、地位に着いたのは少納言の意志じゃ!!」




「・・・何が言いたい・・・」




「御主の伊代を願いを叶えるは天命かえ!!天命ならば御主が居なくとも神々が叶える!!しかし、そのような瑞兆は一切無い!!御主が考えた治水は天命かえ!!ならば、何故人々は御主についていったのじゃ!!」




「・・・それは・・・」




「御主の意志に引かれたからじゃ!!御主が伊代の願いを叶えたいという意志に賛同したからじゃ!!」




「蓮華様、もうそれ以上は巽様に酷で御座います」途中、火の延焼を防ぎ終わった使いが蓮華を止めに入った「今まで宮中に仕えていた方・・・その方が神に挑んでいるので御座います・・・ましてや巽様はお優しい方。仲間が次々と倒れていくのは辛いので御座います」




蓮華は使いの言葉を聞くと鼻を鳴らして自分の持ち場に座る




「巽様・・・我等とて無駄死には勘弁で御座います」




使いはそう巽に耳打ちすると再び葦の燃え具合を確認するため走り去った




「使いの言葉が一番きついな・・・」巽は口から漏らした


























「犀鶴様・・・不気味で御座いますな。蛇神は一向に現れる気配が致しませぬ」使いが鏡を眺める犀鶴に問いかけた




「今宵は出て来ないようだ」犀鶴は鏡を見ながら笑う「どうやら我等の行動が無意味過ぎて笑っているようだな」




「無意味で御座いますか・・・」




「蛇神には人のやること等理解できないと見える。確かにそうかもしれないがな」




「犀鶴様、あまり過ぎた事を申せば護衛共に影響が出ます」使いが困った顔をした




「何、最後には巽殿が必ず蛇神を斬っていただける」




「蛇神に勝てるでしょうか・・・」




「さあな、儂には解らぬ」犀鶴は大きな笑い声を上げた




「犀鶴様、もう少し真剣になって下さい。生きるか死ぬかの戦いで御座いますよ」




「仕方がないだろ、幾ら儂が有能な陰陽師でも死後までは解らぬよ」




「話が噛み合いませぬな」使いも犀鶴の笑いに釣られる








カタカタカタカタ








「・・・今、箱が動きませんでしたか?」使いが厳重に封がされた箱を見る「確かに今、カタカタカタと動きましたぞ」




「おお、本当だ。箱が動いたわい!!」犀鶴が箱を手にする




「一体、その箱は何で御座いますか?いい加減に我等に教えて戴いても」




「不思議な箱だな!!何故動くのだ?」




「・・・教える気は毛頭ありませんか」使いは溜め息をつく「葦の燃え具合を見てきます」




「頼んだ、全て燃え次第灰を鹿沼に流して穢れを起こせ」犀鶴は何時も通りの威厳ある口調に戻る








葦はあまり勢いよく燃えはしなかったが徐々に燃えていった。葦を燃やす炎はまるで蛇のようにくねりながら徐々にに鹿沼へと近寄っていく












「もう暫く待ってくれ。蛇神が慢心の心に染まった時が儂等の出番だ」犀鶴は優しく箱を撫でる「蛇神よ、人間が如何に無謀であるか恐れを抱くがよい・・・」








再び犀鶴の手にある箱が嬉しそうにカタカタと動いた


























葦は予想以上に燃えるのが遅く二日間も燃えた。人の背丈程あった葦が今ではすっかり黒く焼けた灰で染まっているだけになった。




「お前は蛇神が怖くないのか?」熊手を持って灰を集める装束の男が、隣で作業する男に尋ねた




「怖かったらこんな作業に志願しねえよ」男は熊手を立てて胸を張る「俺は村一番の度胸があると有名だからな」




「あまり無駄話をするな・・・蛇神が何時出てくるか判らぬのだぞ」二人の後ろで松明を燃やす使いが忠告した「早く灰を集めて鹿沼に流せ」




再び二人は黙々と灰を集める作業を続ける。




今三人は八卦の陣形の中で作業をしていた。常に蛇神に襲われる可能性があるこの作業・・・自ら志願したのはこの三人だけだった。三人は何時襲われても、と覚悟を決めていた。




「しかし・・・意気揚々と蛇神の地に足を踏み込むと言ったものの、ただ灰を集めるだけとは悲しいな」男が一度腰を叩きながら背筋を伸ばす「念のためと持たされた槍が邪魔だな」




「仕方がないだろ。もし蛇神が出たら影に槍を刺して逃げなくてはいけないんだから」もう一人の男は手を休めずに作業を続ける「しかし、ずっと中腰では腰に来る」




「大分灰が貯まったな。よし鹿沼に灰を流すか」使いが貯まった灰を松明で照らした








『・・・腰が痛むか・・・』








突如声がした。三人は辺りを見回すが何もいない




「聞こえたか?」使いが二人を見る




「「聞こえた・・・」」




「逃げるぞ」




三人は背中に背負った槍を構えながらゆっくりと歩き出す。








『・・・腰が痛むのか・・・』






三人は篝火に向かって走り出す・・・暫くすると火の粉が此方に向かって飛んできた




「あれは何じゃ!!」




「あれは犀鶴様の蛾炎だ!!犀鶴様が道案内を・・・」




突如先頭を走っていた使いが消えた・・・松明も消えた・・・その為、二人の村人は闇に包まれる








『・・・間違えた・・・』








「天見の者・・・どこ行った」男は立ち止まる




「何してる、早よう逃げんと」立ち止まった男の腕を掴みながら男は言う「犀鶴の爺様が蛾炎とかいう火で導いてくれとる・・・早よう、早よう」




立ち止まった男は走り出すどころか力無く屈む




「何してる!!早よう立て・・・」男は腕を持ち上げ立たせようとしたが違和感があった「・・・変じゃ・・・」




ようやく犀鶴の蛾炎が三人の元に着き、辺りを照らす。それと同時に男は尻餅を着く・・・違和感を感じたのは確かだった。男の掴んでいた腕は下半身が無く、近くには下半身だけが落ちていた・・・




「・・・何じゃ・・・何が・・・」








『・・・お前は腰が痛くないか・・・腰が痛いなら喰って治してやる・・・』










再び、男の頭に声が響く。そして、理解した。上半身の男は腰を斬られたわけではない・・・下半身は喰われたのだ、そして消えた天見の者は腰から上を喰われたのだと・・・




「俺は腰は痛くない!!」男は蛇神の問にやけくそに応えた








『・・・威勢がいい・・・絞め殺すのもいいな・・・』








男は口をただ鯉のように動かす・・・俺も直に殺されると


























ザクッ








男の股の間に一本の槍が飛んできて刺さった




「ヒィィィ!!」突如飛んできた槍を見て男は白目を向いて泡を吹き気絶する




「速やかに男を陣の外に運べ・・・亡骸も同様に、だ」声と同時に装束の男が気絶した男に駆け寄った








『・・・何をした・・・人よ・・・』








「蛇神よ、影を縫った・・・不意打ちとは卑怯だが許して下されるか?」蛾炎に照らされ紅の甲冑が輝く








『・・・我を・・・捕まえたつもりか・・・』








「捕まえたつもりはない・・・それほど蛇神は弱いのか」ゆっくりと太刀が抜かれ不気味に輝く








刺さっている槍が細かく震え出す








「某、巽 小次郎 忠次。蛇神を斬る者の名で御座います」巽は目を閉じ刀を構える








『・・・そのような太刀で我を斬れると思うか・・・』








「さあ・・・某も初めて使うので解りませんな」








『・・・愚かな人よ・・・御前は楽には殺しはしない・・・』








巽は太刀を振り落とすと同時に槍が粉々に散る。蛇神の影縫いが解かれたのだ




太刀を振り下ろす前に巽に衝撃が襲う・・・まるで丸太で体をぶつけられたような衝撃








「がはっ」巽は吹き飛びながら咽せた「・・・糞っ!!微かだが太刀に手応えがあったが・・・」


























「巽殿・・・今の太刀筋では刀が折れますぞ。蛇神の皮は予想以上に堅い・・・付け焼き刃の修行では斬れませんな」犀鶴が箱を持ちながら笑いながら歩いてきた「それに巽殿・・・まだそなたの出番ではないぞ」




「犀鶴殿・・・何を・・・」巽は体を起こしながら犀鶴を見た








『・・・老いぼれ・・・天見の者だな・・・』








「いかにも・・・蛇神よ」犀鶴は笑う「そして、老いぼれの晴れ舞台をとくと御覧あれ」
























突如現れました犀鶴。そして犀鶴の言う晴れ舞台とは・・・何をするかは一同解りませぬ








それはまたの話で御座います








次の話を待たれませい








今回はこれ限り



***


犀鶴は箱を大事そうに持ちながらゆっくりと歩いてくる。犀鶴の周りには蛾炎が飛び交い赤く照らしていた




「巽殿、今からそなたの舞台を作ってみせよう」犀鶴は懐から鏡を取り出す「蛇神よ、そなたが始祖に伝授された術・・・使わして貰うぞ」




犀鶴は目を瞑り蛇神を感じる方向を見る




「犀鶴殿・・・何をする気だ」巽は太刀を杖代わりにして起き上がる「莫迦な真似を・・・する気ではあるまいな」




「巽殿・・・少し休まれよ。老いぼれの言葉は偶には聞くことだ」








『・・・死に損ない風情の老いぼれが・・・』蛇神は呟く『・・・あの天見の娘よりは・・・力がある・・・が我には適わぬ・・・』








犀鶴は足下に箱を静かに置く。そして右手に持った鏡を天にかざし、左手で印を結ぶ




「確かに儂は死に損ないだ・・・だが儂はただでは死なん」犀鶴は不適に笑う「そして蛇神よ・・・人はなんと莫迦な生き物と恐れるだろう」




「犀鶴殿、死ぬ気で御座いますか!!すぐに持ち場に戻り下さい」








『・・・我が人を・・・恐れるだと・・・何を戯れ言を・・・』








「巽殿・・・儂はここで死ぬのが定めだ・・・」




「何を言われますか・・・貴方は優秀な術士、天見犀鶴殿ではありませんか!!」




「そうだ・・・儂は優れた陰陽師だ」犀鶴は顔を巽に向け笑う「その儂が自らの星を読んだ結果がここで死ぬ、だ」








『・・・老いぼれ・・・何をする気だ・・・』








「行くぞ・・・蛇」犀鶴は術を唱える構えを取る「陰は陽を成し、陽は陰を成す。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず。これ即ち世の理なり。北方玄武、南方朱雀、東方青龍、西方白虎、中央黄龍。赫赫陽陽日は東方に出ず!!・・・・・・急急如律令!!」








足下の箱が勢いよく動き出した








神殺しが始まりまして四度目の夜の話で御座います


















「巽・・・あの猪が!!急に陣内に飛び出しおって」蓮華は扇で何度も掌を叩いていた苛立ちを見せた




巽は突然蛇神が出た、作業している者を救うぞ!!と護衛を数人連れて飛び出していった




「巽は無事なのかえ・・・」蓮華は夜目をきかす。遠くで微かだが犀鶴の蛾炎を見えた「巽!!」




巽が突如吹き飛ぶ・・・蛇神が体当たりをして太刀を避けたのだ




「いかん!!このままでは巽が!!護衛、影縫いの槍を持ち巽を・・・」蓮華は信じられない者を見た。巽の近くに犀鶴が立っている「犀鶴様・・・何を」




犀鶴が何かの構えをする。その構え・・・術を蓮華は見たことがなかった。鏡を使った術でもない・・・ましてや式神の召喚でもない




「・・・胸騒ぎがする・・・」蓮華は空を見る・・・今まで輝いていたはずの星が消えていた「真かえ・・・止めなければ・・・犀鶴様を・・・」




再び蓮華は犀鶴を見た・・・だが、そこには犀鶴は居なかった


























『・・・老いぼれ・・・何をする気だ!!』初めて蛇神の声に感情が籠もった




犀鶴は未だに呪を唱え続けていた




『・・・我はそのような呪・・・教えてはいないぞ・・・』


犀鶴の足下の箱は激しく動き、封が少しずつ解かれ始めた




「犀鶴殿!!何をする気で御座いますか!!」








『・・・させぬ・・・』蛇神が動き出す『・・・老いぼれ・・・不味くても・・・我の力の糧になるだろう・・・』








「巽殿・・・後は任し・・・」犀鶴は巽に笑いかけた








ピチャ








巽の頬に生暖かい物が飛沫となり飛んできた・・・それは血だった。そして巽の目の前には下半身のみで立っている犀鶴がいた。上半身は何処にもない




「犀鶴・・・殿・・・」






『・・・老いぼれ・・・何が人を恐れるだ・・・』蛇神は巽の周りを這い回る『・・・術士が居なければ何も出来まい・・・』








巽や蛇神はあることに気づいてはいなかった。いつの間にか犀鶴の箱が開いていた事には・・・


























「おい・・・嘘だろ」護衛達に一気に動揺が広まる「犀鶴様が死んだ・・・」




護衛達は今まさに目の前で起きた出来事を信じる事が出来なかった。犀鶴は術を行っている最中に上半身が消えた。そして、辺りを照らしていた蛾炎も術士がいなくなったことにより消え始めた




「どうするんだ・・・俺達だけで蛇神に勝てるのか」




「巽様だけが頼りなのか・・・いくら巽様でも見えない神相手ではな・・・難儀なものだな」




護衛は溜め息をついた。自分達も蛇に喰い殺されるのだろうか。それとも影縫いの矢で射抜かれて死ぬのだろうか。誰もが負ける事を考えはじめ、勝つ方法は全く思い付かなかった




「・・・おい!!」




「何だ?でかい声を出しやがって・・・」




「あれ・・・何だ」護衛は震えながら指を指す「あの莫迦でかい・・・あれだ」




「何だ・・・震えたりして」もう一人の護衛は指を刺された方角を見る・・・そして尻餅をついた








「「化け物・・・だ」」


























『・・・巽といったな・・・さあどうする・・・』蛇神の気配は巽の周囲から感じた『・・・まだお前は殺さない・・・他の人間を殺し・・・我の力で・・・生ける骸となし・・・お前の肉を喰わせるの面白い・・・』




巽は犀鶴の亡骸の近場にいた・・・隙あらば亡骸だけでも助け供養する為にである。しかし蛇神は隙を見せない。それどころか蛇神の長い体で囲まれたと心眼で解った。




「犀鶴様・・・あまりにも酷い晴れ舞台ですな」巽は目を瞑り太刀を構える「当たる感触はあっても斬れる感触はないな・・・」




巽は犀鶴に教わった事を思い出す・・・太刀に命を吹き込む・・・心眼で相手を見る








ガンッ








太刀が跳ね返った・・・まるで鉄を斬っているように太刀が跳ね返る




「何故斬れない・・・この太刀は紛い物なのか・・・いや、そんなはずはない。犀鶴殿はこれで幽世の虫を斬った・・・ならどうして斬れない」巽は息も絶え絶えに呟く。幾度太刀を振るっても斬れない感触がないからだ。








「さっきも言ったが太刀が折れるぞ」








「・・・今の声は・・・」微かだが確かに犀鶴の声がした。巽は振り向く「この亡骸は・・・幻覚か」




巽は太刀を納め、犀鶴の亡骸に触れる。やはり幻覚ではなく、確かな感触がある。また、体温がまだ残っている・・・幻覚であるはずがない








「巽殿、この場から離れよ。そして皆の衆に陣を下がらすよう命を下せ」再び犀鶴の声がした「蛇神が暴れるぞ」








「・・・眩暈がする・・・」巽は現在の状況が理解出来なかった。周りは蛇神の体で囲まれており、何時絞め殺されるのか解らない。そして、後ろには犀鶴の下半身だけの亡骸。第一、犀鶴は一体何をしようとしていたのかすら巽には解らなかった。




「巽殿、儂の足元の箱を見よ」また犀鶴の声がした




巽は言われるまま犀鶴の足元を見る・・・箱の上に何か居た




「猿か?」巽はさらに困惑する。箱の上には確かにいた。平安貴族のような出で立ちで烏帽子を被った掌程の猿が一匹居た。




「狒狒だ」狒狒は犀鶴の声で答える




「何故、犀鶴殿の声を出す?」




「半分儂の魂を込めてある・・・と言っても儂が死んだことにより、この式神との契約が直に切れる。持って三日か」




「まさか・・・これの為に死んだのか!!」




「莫迦をいうな」




「犀鶴殿、では何をしようとしたのだ。都の守護する四神まで唱えて」




「あれは振りだ・・・儂が狐子ならば十二天将が呼べるんだがな」




「狐子?」




「かつての陰陽寮頭、安倍晴明だ・・・奴は四神の他に八柱の神を使役した・・・と話が反れた。早よう、ここから出るぞ!!儂が道案内する」




狒狒が箱からひょい、と飛び降りると四つん這いになって走り出す。巽は犀鶴の亡骸を抱え、狒狒を追う




「・・・呪が効いてきたか・・・」




「犀鶴殿・・・貴方は何をしたのだ!!」巽は何かの間をすり抜ける








「呪をかけたのだ」狒狒は振り向きもせずに答える








「呪ですと?」








「そう・・・この世の理、顕世の理を・・・儂の体にな」








「御自身の体に?何故?」








「蛇の毒は恐ろしい・・・だが、噛まれなければ怖くはない」狒狒は走りながら振り向く「儂は自らを毒にする呪をかけた」








「もしや・・・わざと蛇神に喰われたのか!!」








「儂の毒は恐ろしい物ではない・・・喰われなければな」狒狒は笑う「天見犀鶴、一生一大の晴れ舞台!!人を恐れない神は、無謀で莫迦な人に苦しむ!!」




「・・・何の呪ですか・・・」




「蛇神の因果律を狂わす・・・幽世の因果を顕世の因果にする・・・つまり」












蛇神が苦しみ声が上げる








陰陽道によればこの世、顕世は陰と陽との調和、そして木・火・土・金・水で成り立っていると言われている。しかし、幽世は永久の夜、陽はない




かつて巽が鹿沼で見た蛇神の跡・・・幅七尺、長さ半町・・・それはほぼ間違いは無かった


























「なんじゃ・・・あれは・・・」蓮華は徐々に明るくなる鹿沼に現れつつある化け物を見て数歩退く「犀鶴様は何をした・・・」




「蓮華!!楽隊に三陣まで下がれと合図させよ!!」巽は走って蓮華のいる陣に来た「蛇神が暴れるぞ!!」




「巽・・・その亡骸・・・その法衣・・・まさか」




「儂の亡骸だ」狒狒が蓮華に答え蛇神を見た「具現したな・・・蛇神よ。巽殿、心眼をする必要は無くなった。見える故に対処も出来る・・・後は斬るだけだ」
























宵の明星と共に輝く化け物・・・蛇神が現れまする。その姿、白銀に輝き、口は蛇のように上顎だけに歯牙があるわけではなく上下に長く太い歯牙が飛び出ていました。また蛇神の皮には分厚い鱗が生えておりました。








まさに化け物・・・まさに神々しさを感じられる存在で御座います








蛇神は因果律を狂わされた為に苦しみ、のたれ暴れます。それにより次々と倒される八卦に立つ鏡・・・そして巻き込まれて吹き飛ぶ護衛達・・・








いよいよ、七日七晩に及んだ人と神の戦が終わりまする








それはまたの話で御座います








次の話を待たれませ








今回はこれ限り



***


『・・・老いぼれ・・・我が内にて・・・何をする・・・』蛇神が首を上げ巽を見る


『・・・体が・・・言うことがきかん・・・』




蛇神はよろめきながら鹿沼に向かう・・・鹿沼に潜る気だった




「蓮華!!鹿沼に潜らせてはならぬぞ!!」狒狒・・・犀鶴が叫ぶ「灰で鹿沼を汚せ!!」




「巽・・・何故この狒狒は犀鶴様の声を」




「蓮華!!急げ!!儂の説明は後だ!!風神を呼べ」




「・・・妾は風神を呼んだ事は・・・」蓮華は首を振る




「仕方がない、狒狒では印までは結べぬ。蓮華、変わりに扇に風を空書きしあおげ!!」




蓮華は頷くと鹿沼を見る。そして扇に風という漢字を空書きし、あおぐ。同時に犀鶴は呪を唱える


「灰は土を肥やす・・・そして土の相剋は水というわけか」巽は太刀に手をやる「姿形が見えればこちらのものだな」








ゆっくりと風が巻き起こり灰が飛ぶ。舞い散った灰は鹿沼を目指し、蛇神より早く飛ぶ




再び蛇神が悲鳴を上げる。微かだが蛇神の体に灰が触れたのだ








『・・・天見・・・我に・・・刃向かえば・・・どうなるか・・・解っているのか・・・』蛇神は鹿沼が汚れたと分かると振り向き蓮華と犀鶴を睨む・・・その気迫は今までとは違う。純粋な殺意、怨み、怒りだった




蓮華は蛇に睨まれた蛙同様に身動き一つ呼吸すら出来なかった・・・初めて感じた恐怖が蓮華に襲う




「蛇神よ・・・我が天見一族は五百年以上籠女に出されていった娘や親を見続けてきました」犀鶴は穏やかに笑う「始祖の愚行によって撒かれた災い・・・それによって招かれた思い。我らにはそれが祟り・・・ようやく罪滅ぼしが出来るのだ。今更蛇神の祟り等恐ろしくもなんとも感じない」




「蛇神よ、勘違いをしておらぬか」巽は太刀を抜く「蛇神を斬るは我、巽小次郎忠次。俺は伊代の願いを叶える役目がある。村人が笑って穏やかに暮らし、泣く娘や親御を無くす・・・それがお前に笑いながら喰われていった娘、伊代の願い。そして、その願いを叶えるが我が意志!!お前の祟りを貰ってでも願いを叶えるは俺の意志!!」








『・・・神を恐れぬ者・・・四肢を細かく喰ってくれるは・・・』蛇神は鹿沼に潜れぬと気付くと身を翻す・・・だが動きは鈍い。まるで痺れ薬を飲まされたかのようだ








「いざ・・・参る!!」巽は太刀を構えて走る








人と神の戦が始まりまして五日目の話で御座います








「蓮華!!」犀鶴は大声で叫ぶ「心をしっかりしろ!!神に魅入られるな・・・今宵から真の人と神の戦だ」




「申し訳ありません・・・」蓮華は犀鶴の言葉に我に戻った。ゆっくりと手を見つめた「手の震えが止まりませぬ・・・」




「我に帰ったか・・・とくと見よ。巽と蛇神の戦いを・・・あの者には必ず神に挑んだ罰が下る」犀鶴は蛇神と戦う巽を見る「我らの始祖が起こした罪はあの若武者が背負う」




「巽・・・」




「我らはそれを見届けねばならん・・・例え巽殿が負けてもな」犀鶴は無い髭を触る「儂がこのような姿になったのもその為よ。巽殿と蛇神の最後を仮初めの命であろうと見なければいけないからだ・・・」




「我らは巽を信じるしかないのか・・・」蓮華は扇を振り上げる「只今より新たな任を命ずる!!八卦の陣を狭める。また篝火を多くし巽を照らせ!!天見の者は調伏の儀を同時に執り行い蛇神を弱らせる!!陣頭は妾だ!!護衛は一度矢と槍を再分配し、機を見て陰縫いを行い巽を援護せよ!!」




鹿沼に蓮華の言葉が響くと共に、護衛達の弓や槍を握る手に力が入った


























「くっ・・・硬い!!」巽は蛇神の隙を見て太刀を打ち込むが鱗に弾かれる




巽は何合打っただろうか・・・蛇神は巨大である為、巽の細やかな動きについていけていない。そして、蛇神は犀鶴によって動きを鈍らされているので巽は有利だった・・・がそれは動きに関してだけだ。蛇神の鱗は予想以上に硬く、全身を覆っていた。




「腕が痺れてきた・・・」巽は息は切らしてはいないものの腕に限界に達していた




時刻は夕暮れ・・・巽は朝方から休まずに太刀を打っていた




「巽!!下がれ!!」人と蛇神の戦に蓮華の声が割って入った




巽は蓮華の言葉に反応し、太刀を納めて後ろに引いた








『・・・巽・・・逃げるか・・・』






「斉射!!」蓮華の怒号が響く




鹿沼に風を切る音が鳴る・・・護衛達が一斉に矢を射る音だった








トス、トストストストス、トストス、トス








矢が蛇神の影に次々と刺さる








『・・・目障りな矢め・・・』蛇神が動きを止める『・・・このような・・・細き矢で我を止めれるか・・・』








蛇神は自分の影を睨む・・・矢が細かく震えだした








「蛇神!!陰縫いを解かせはせぬ!!」蓮華を含めた七人の天見一族が陣内に入り座る「北斗七星の光によって、蛇神を抑える!!」




蓮華等が印を結び、呪を唱え始めた。同時に蛇神は地面に押し潰されるように地面に伏す








『・・・このような・・・術如きが解けん・・・老いぼれめ・・・』蛇神はそう呟くと悲鳴を鹿沼に轟かせた








「巽殿・・・しばし休まれよ」ゆっくりと犀鶴が巽に近付き、目の前に立った「鱗は堅いか・・・」




「ああ・・・ご覧の通りだ」巽は右腕を見せる。巽の右腕は小刻みに震えていた「弱点は蛇神には無いのか?」




「あるが・・・難しい」犀鶴は首を傾ける「胸にある逆鱗は確かに弱点だが・・・触れれば怒り狂い暴れ出す。儂の術も怒りでかき消される」




「では他は?」




「・・・無い・・・」




巽はどかっと座り込んだ。顔には疲れが見えていた。




「しばし休む・・・何かある前に起こしてくだされ」巽はそう犀鶴に言うと目を閉じた


























一同に少しづつ疲れが出始めた。巽が蛇神に挑んでは疲れが見え出すと、蓮華が陰縫いと調伏を以て蛇神を押さえ込み巽を休ませた




それが何回も繰り返される。護衛達は人と蛇神の戦が始まってから十分に休んではいない。天見一族も夜通しかけて八卦の陣で呪を唱え続けたので例外ではない








そして、七日の朝を迎えた








「誰か!!布を持ってはおらぬか!!」巽は叫ぶ。手には潰れた豆だらけになっており、血のせいでどす黒い掌になっていた




今、蛇神は蓮華と影縫いによって押さえ込まれていた




「巽殿・・・これを」天見の使いが布を持ってきた




「すまないが太刀が手から離れないよう巻いてくれぬか」巽は苦悶の表情で太刀を握った手を差し出す「蓮華達に迷惑をかける」




「分かり申した」使いは急いで巽の手を布で巻く「酷い有り様・・・休まれたか?」




「この状況で休めるか・・・」巽は横目で近くにいた犀鶴を見る「今宵が限界ですな・・・」




「儂の心配をしてどうする・・・お前や護衛、蓮華も限界だろ?」




「私はまだやれる・・・しかし、蛇神の動きが時間が経つごとに早くなっている。犀鶴殿の方が先に限界が来る・・・」




「・・・そうだ・・・」犀鶴は困った顔をする「持って明朝・・・早くて今日の夜か・・・」




「では死力を尽くさないと・・・」巽は布を巻き終わると、太刀を構えて蛇神に向かっていく


























『・・・巽・・・疲れが見えているぞ・・・』蛇神は笑う様に巽に語りかけた『・・・どうした・・・休まなくてよいのか・・・』




間もなく夕暮れ・・・巽は朝方から一時も休んではおらず、太刀筋が鈍っていた




「敵に情けをかけて貰う筋合いは無い!!」




犀鶴の力が弱まってきたのか、それとも巽に力が弱まってきたのか、動きのキレが逆転し始めた




蛇神は巽の太刀を避けるようになり始めた。また巽の隙を見て尾を使い反撃をするようにもなった




「巽!!影縫いを行うから下がれ!!」




「まだ俺はやれる!!」巽は蓮華の言葉に耳を貸さなかった




『・・・そんなよろめいた太刀筋で・・・我を斬れるか・・・』




「どうせ、影縫いをしたところで半時しか休めぬだろ」巽は蛇神の体に太刀を打つ「糞!!同じ場所を斬っても傷はつかぬか!!」




「巽!!頼む!!休んでくれ」蓮華は懇願した「このままではお前が!!」




「黙っていろ!!蓮華!!」巽の表情は苦痛に満ちていた




「巽・・・例え半時でも休め」蓮華は腕を上げる。護衛一同が弓を構えた「巽と蛇神に隙あらば放て!!」




蛇神は巽の太刀に動じずに護衛達を静かに見つめた




「蛇神・・・お主の相手は俺だ」巽は太刀を再び構えた「どこを見ている!!」




『・・・老いぼれの力も弱りつつある・・・』蛇神は笑うかのように舌を出す『・・・お前に勝ち目はない・・・』






バシッ








何かが斬れる音が立て続けに起きた・・・同時に護衛達が悲鳴を上げる




「耳が・・・耳が・・・」数人の護衛が耳を押さえてうずくまる




「蛇神め・・・力を取り戻しつつあるな」犀鶴が呟く「弓の弦を切るか・・・」




護衛達は強く張られた弓弦を切られたことにより、弾かれた弦で耳が削がれたのだ








「・・・嫌だ・・・死にたくない!!」耳を無くしうずくまる仲間を見て、恐怖が溢れ出した護衛が矢を離した


























「いかん!!巽、下がれ!!矢が逆鱗に触れる!!」犀鶴は放たれようとした矢先を見る「止められぬ!!下がれ!!」




巽は感覚の無い手に力を入れる。まだ戦おうとしていた。




「逆鱗に触れるならば逆鱗を狙うのみ」








護衛達は身を翻し、蓮華は巽を引き戻そうとするが、犀鶴は蓮華をなだめ止める








蛇神の胸に矢が当たり跳ね返る・・・蛇神が慟哭する。空気がざわめき、鹿沼の水面に波紋が乱れた。また地震が起きたように地が震え、八卦に立てられた鏡は曇り倒れた。




蛇神が犀鶴の呪以上に苦しみ暴れる。のた打つ蛇神の体は護衛に向かって鞭打つ。また、暴れる蛇神の頭は人を潰す。巽も逆鱗を太刀で貫こうとしたが蛇神の尾に飛ばされた




「いかん・・・陣が崩れた!!」蓮華は惨劇を見ながら答えた「蛇神が逃げる!!」




「まだ儂の呪が効いている・・・幽世は開けん」犀鶴は蓮華の法衣を引っ張る「今はそれどころじゃない!!下がれ、蓮華!!巻き添えを喰らうぞ」




蛇神の頭が地面を滑るように這い回る。蛇神は頭に近付く全てを噛み砕いていた・・・例えそれが大木であろうと巨石だろうと、そして人をも噛み砕いていた




「巽を・・・巽を助けねば!!」蓮華は犀鶴を振り払い、揺れる地面に足をとられながら倒れたままの巽に近付く








蛇神の頭が鹿沼に勢いよく突っ込む。鹿沼の水が水飛沫が上げ、雨のように降り注ぐ








篝火が全て消えた








「巽!!大丈夫かえ!!」蓮華は巽を抱きかかえる




「肋が折れた・・・息が辛いが・・・大丈夫」巽はしっかりとした口調で答えた「蛇神はどうした・・・」




「陣が破られた・・・我らの負けだ」




「逃げたのか・・・」




「まだ居る」




「では戦うのみだ・・・」巽は血反吐を吐きながら立つ




「その体では無謀じゃ!!」




「犀鶴殿が死して布いた布石・・・そして籠女になった娘が無駄になる!!」




再び鹿沼から水飛沫が飛ぶ・・・暴れる蛇神は蓮華に向かって頭を這わす・・・その眼孔は尋常ではない怒りが窺えた




蓮華は蛇神の目を見た瞬間に硬直する・・・そして、噛み砕かれると直感し、恐怖から逃れるために目を閉じた




「蓮華!!逃げよ!!」




犀鶴の声に蓮華は涙を流した
























キンッ




「ぐあっ!!」巽が声を上げた




蓮華が目を開けると折れた太刀を握る巽の腕が有り得ない方向に曲がっているのが見えた・・・そして見上げると真一文字に顔を斬られた蛇神が天を見上げ、苦しみの声で吼えていた








「無理矢理幽世を開けるか!!」犀鶴は叫ぶ・・・辺りが暗くなる・・・夕暮れの太陽が欠ける




「・・・逃がさないぞ・・・蛇神・・・」巽は体を起こす




「無理じゃ・・・太刀が折れた・・・よく遣った、巽・・・」








蛇神が幻の様に姿を消え始める・・・それと同時に太陽が元に戻り始めた








「蓮華・・・」犀鶴は近付く「巽殿は」




「緊張の糸が切れて眠ったようじゃ・・・」




「そうか・・・神殺しは失敗だがよくやった」犀鶴は巽を見た「蓮華・・・巽殿が目覚めたら巽の名を忌み名にせよ。そして・・・あの折れた太刀を封じろ・・・いいか」




「犀鶴様?」




犀鶴は天を見た・・・そこには下弦の月が輝いていた






これにて人と神の戦は終わりで御座います








これは昔々の話で御座います








蛇神絵巻草紙、これにて



***


陰宮は不動明王寺の敷地内にある納屋に向かっていた。季節は師走、明後日が大晦日という雪が微かに降っている日だった




納屋の前に立つと陰宮は着物の懐から鍵を五つ取り出す・・・納屋の扉には古い錠前が三つ、南京錠が二つと厳重だった




「さて、仕事をするかな」陰宮は三角巾で口を覆い、納屋の扉を開ける




納屋から冷たい空気が漏れ出す。納屋は不動明王寺の裏手に聳える大岩にはめ込まれたように建っていた。広さの十坪の木造、建てられて長い時が経ってているのか柱や梁等には黒く艶が出ていた




「お邪魔するよ、護鬼」陰宮は入口に鎮座している者に言葉をかける




『何用だ』平安貴族の装いをした三寸程の鬼が陰宮を見た




「恒例の掃除だよ」陰宮は笑う「今年一年御苦労様、少し休んでいてくれ」




『御免』




陰宮は護鬼が消えた事を確認すると溜め息をつく。納屋には様々な物が置かれている・・・殆どに曼珠沙華と蛇を用いた家紋が印されていた。何時かの大葛籠もあった




本来、この納屋には不動明王寺の物が片付けられていたが、現住職鍋島香雲が母屋を新築にした際に納屋にあった全てを母屋へと移動した。そして、空の納屋を陰宮は住職に許可を取り使用していた。現在納屋にあるのは全て陰宮の物であり、全てある方の遺品だった




陰宮は電気が通っていない納屋の梁にランタン型のランプを引っ掛ける




「風邪をひく前に終わるかな」陰宮は白い息を吐きながら、棚にあった一巻の巻物に手を取り机に向かった


























「爺様、茶を煎れたぞ」香雲がお茶を三つ盆に載せやって来た「坊は何をしているんじゃ?」




水鏡神社の敷地で陰宮は薪を組んでいた




「童は蛾炎をしたいだと」辰巳芳明は母屋の縁側に座り、幼い陰宮を眺めていた・・・実際は見えていないが




「蛾炎?・・・ああ、蛇神草紙を聞かせたんか」香雲は芳明の隣に座り茶を啜る「・・・本気で坊にあれを教えるのか?」




「・・・戦争で天見の者とは離散した。そして、儂の子も死んだ・・・血筋は途切れた・・・だが分家に蛇神の祟りが出ないとは限らない。しかし、儂は歳だ。誰かが伝えなければならん」辰巳は悲しい顔で香雲を見る「童はまだ八つだが理解しておる・・・自分の目が役立つならとな」




「蛇神の祟りか・・・坊は何と言ったんじゃ」香雲は火を付ける陰宮を見た




「遺伝性疾患では、じゃ」辰巳は高らかに笑う「童とは思えぬ言葉じゃ」


「坊らしいな・・・」




「じゃが、巽忠次が巽を忌み名とし戒めを込めて辰巳・・・龍になりかけていた蛇神を表す名を付けてから祟りは起きた」辰巳は布で巻かれた両目を押さえる「長男は産まれながら目が潰れておる」




「確か・・・天見蓮華、いや辰巳蓮華の子供からか」香雲は眉間に皺を寄せる「だが、蓮華も怖いもの知らずじゃな」




「神斬りの刀で幽世を開いたからか?だが、あれは蛇神に自ら生贄として捧げ許しを請うためじゃ」辰巳は手探りで湯飲みを掴み、口に運ぶ「お陰で天見の当主の座を降ろされ、幽世を見たために目が潰れた。まあ、天見に関しては蛇神の祟りを忠次や蓮華に押し付けたかったんだろうな・・・辰巳一族は天見の援助を受けていたが、あれは自分達に蛇神の祟りという矛先を向けないようにするための監視じゃからな」








「先生!!蛾炎を遣りますので、成功したら約束忘れないで下さいよ」準備が出来たのか陰宮は大きな声で辰巳に呼びかける




「分かっておる」辰巳は笑う「だが、一回で成功したらじゃよ」




「爺様・・・約束って何じゃ?」




「式占盤を譲ってくれだとさ」




「いいのか?」




「巽流は元々、蛇神が再び現れると考えて辰巳蓮華が開いた忌み名の付く流派・・・今はかの地から離れて暮らし、蛇神も現れる気配がないから式占盤もあまり使わぬ・・・第一、蛾炎は難しい。昔ならいざ知らず、今は精霊が少ない。童には無理じゃ」




「・・・勿体無いのう・・・年代物の式占盤が」香雲は茶を飲み干した








「我が願いを言霊に乗せ汝等に願い、汝等馳せ参ぜよ」陰宮は燃える組木の前で札を持ち呪を唱えた




そして陰宮は札を細かく裂き、火に目掛けて吹き飛ばす










辰巳は飲んでいた茶で咽せる




「爺様、大丈夫か?」香雲は辰巳の背中をさする




「ごほっ、大丈夫じゃ・・・出来すぎる弟子はつまらんのう・・・教え甲斐があるのか、ないのか分からん」辰巳の見えない目には優雅に飛び交う蛾が見えた「偶には童のように失敗してくれ」




陰宮は童のように笑って喜んだ


























「先輩・・・そんな風に笑えるんですね」




「うわっ!!」陰宮は突如顔の真横から発する声に驚く「・・・どうして此処に小笠原が居る?」




「先輩も驚くことあるんですね・・・私が此処に居て悪いんですか?」小笠原は頬を膨らます




「ここは寒い。病み上がりだろ、君は」陰宮は再び机に向かう「何故私が此処にいると分かった?」




「茜ちゃんに聞いたので」小笠原は納屋を見渡す「先輩・・・ここって」




「私の荷物置き場だ。触るなよ、壊されたら困る」陰宮は巻物にシミや劣化がないかを確認する




「壊しません。もっと人を信用してください」小笠原は棚にあった時計を触ろうとした




「・・・三百万」




「えっ?」




「それは江戸中期に造られた、暦を作成する為に正確な時間を測る絡繰り和時計だ」陰宮は手を休める「高いぞ」




小笠原は手を引っ込める。陰宮が冗談を言っているようには見えなかったからだ




「あの先輩・・・天棚のあれは何ですか?」小笠原は指を指す




天棚には鉄製の輪が何重もある置物や、四角く何か文字が刻まれている物二つを指差す




「右から天球儀、式占盤、それに風水盤だな」






「何に使うんです?」小笠原は不思議そうに見る




「風水盤は別だが、暦を作るためだ」陰宮は小笠原を座りながら眺める「言うなればカレンダーだ」




「先輩、暦くらい解ります!!・・・でも、何でそんなのがここに?」




「此処にあるのは全て先生の遺品だ」陰宮は少し寂しそうな顔をする




「そうなんですか・・・でもどうして暦ですか?」




「どうしてって陰陽道だからだ」




小笠原は不思議そうな顔をする




「・・・その顔だと解っていないな。陰陽道を何だと思っている?」




「平安時代や安倍晴明・・・ですよね」




「頭が痛い・・・陰陽道は天文を見て暦を作ることが仕事でもあるし、江戸末期まであった。当然平安以前にもな」




「カレンダーを作るのが仕事ですか」




「簡単にいうが大切な仕事だ。農民にとっては田植えの指針になるし、帝の権力を表すことになる」




「権力を表す・・・」




「例が蝕だ・・・月蝕や日蝕を見事予見出来れば帝は尊敬され、外せば信頼が失墜する」




「へえ・・・でも何で江戸末期までなんです?」




「明治になると西洋文化を取り入れグレゴリオ暦になる・・・それまでは月陰暦だ。また明治政府により陰陽道は迷信とされ排斥された」




「じゃあ、陰陽師は今はいないのですか?」




「幾つか特例があり、安倍晴明の嫡流の阿部氏・・・土御門やいざなぎ流は残った。今では陰陽師は一種の宗教みたいなものだ。四国の太夫しかりな」




「先輩のは?」






「巽流は表舞台には一切出ていない・・・正式な陰陽道ではないが宮中に携わった方が先祖にいたからな・・・微妙だな。でも、まあ宗教みたいなものか」陰宮は考えながら話した




「へえ・・・」小笠原はもう一度納屋の中を見渡す「・・・世界が違う・・・」




「君が言うな・・・先月、人にあれだけ言っておいて」




「だって・・・私には知らないことばかりで・・・」




「言っただろ・・・言える範囲で教えると」陰宮は優しく微笑む




「でも・・・こんなに沢山、私の知らない事があるんだと思うと・・・」小笠原は巻物や和綴じの本が置かれた棚に有った木箱を見つけ手を差し出す








「触るな!!」








「あっ、ご免なさい」突然の陰宮の大声に小笠原は驚いた「ご免なさい」




「・・・すまない・・・突然大声を出して」陰宮は話を変えた「ところでピアスの具合はどうだ?少しは慣れたか」




「だ、大丈夫です」小笠原は昨日陰宮に右耳に空けて貰ったファーストピアスに触れた「なんか不思議な感じですね」




「消毒を忘れるな・・・異常が出たらすぐに言え」陰宮は作業に戻る「小笠原、何で令嬢に私の居場所を聞いたんだ?」




「お昼の用意が出来たと伝えるためです」小笠原は時計を見る「いけない、もうこんな時間だ。先輩もすぐに来てくださいね」




小笠原は慌てながら納屋を後にする。陰宮は小笠原が立ち去るのを確認すると立ち上がり木箱を手に取った。箱の表書きは辰巳家系図




陰宮は再び机に向かい、木箱を開ける。中には一巻の巻物が入っていた。陰宮は静かに巻物を広げる・・・巻物には辰巳一族の家系図が記されている




一部を除いて普通のありきたりな家系図・・・だが一部はあまりにも異常




家系図の始まりは『辰巳忠次』と『辰巳蓮華』・・・そして、次の段から異常が始まる『長女 籠女 七日死亡』・・・この言葉が第二十八代当主辰巳芳明まで延々と続く。いずれも『長女 籠女 七日死亡』








「蛇神の祟りか・・・」陰宮は巻物を綺麗に巻くと木箱に戻した


























「先生、お呼びでしょうか」




「おお、楓・・・座れ」辰巳は社の内陣に静かに座っていた




「・・・どうしましたか?」陰宮は違和感を感じた。たとえ十五歳になろうと童と呼び続けていた辰巳が初めて名前で呼んだ




一昨日、立志式として辰巳は陰宮に陰陽道巽流秘術を伝授したばかりだった。陰宮には不穏を悟った




「左目の具合はどうだ・・・楓」




「大丈夫です」陰宮は幽世の匂いが染み付いた左目を布で隠していた




「楓には悪いことをしたな・・・」




「左目を武者の御霊に斬られたのは私の経験不足が招いたもの。先生に責任はありません」陰宮は左目を押さえる「まだ八歳の時でしたから」




「だが、武者を甘くみたのも事実じゃ・・・呪を破られでは左目の傷が開く。以後精進せよ、楓」辰巳は手探りで巻物と木箱を手繰り寄せる「・・・今回、御願いしたい事があり呼んだ」




「先生・・・?」




「楓に儂の物を全て譲りたい。祀られている太刀を含めてな」辰巳は重々しい口調で語る「・・・万が一、辰巳の血族に蛇神の祟りあれば伝えろ」




「何を言われる・・・」




「儂で辰巳の嫡流は切れる・・・だが、蛇神の祟りが終わるとは限らん」辰巳は髭を触る「祟りが現れた際に伝えて欲しいのはこの巻物だ・・・蛇神草紙十四巻と辰巳家系図」




陰宮は静かに辰巳の話を聞き入る




「蛇神草紙は天見の口伝が忘れ去られるを防ぐ為に江戸初期に作り噺として作らせた絵巻・・・これは第三者に見せても大丈夫じゃが、家系図は触れる事すら許すな・・・絵巻だけではただの御伽噺だが家系図を以て史実になる」




「しかし、何故そのような大切な物を私に」




「楓・・・儂の我が儘を聞いてくれ」辰巳は童を眺めた巽小次郎忠次のように穏やかな目で陰宮を見た


























『・・・巽・・・』




陰宮が帰った後も辰巳は社の内陣に座っていた




『・・・巽・・・』




「お待ちしておりましたよ・・・鹿沼様」辰巳は気配がする方向を見て優しく語りかける




辰巳が見た方向には長さ二メートルの銀色に輝く蛇が居た




『・・・巽の血の匂い・・・』蛇は悲しい声で泣く




「犀鶴の呪を受けながら、幽世を開いた対価は大きいようですな」




『・・・巽・・・我が怖くないのか・・・』蛇神が辰巳と対峙した




「やっと姉様や娘の顔が見えると思うと怖いどころか嬉しゅう御座います」辰巳は笑う「辰巳一族は極楽にはいけませぬから」




『・・・巽の血を継ぐ者・・・そなたも笑うか・・・』蛇神は舌を出しながら辰巳の体に纏わりつく『・・・先代も・・・巽忠次も笑って我に殺された・・・』




「神に人の心は解りますまい・・・」辰巳は蛇神と顔を合わせ話す「忠次は死を悟った際、籠女を思い出したのでしょうな」




『・・・籠女・・・』




「笑って生きて・・・なら最後まで笑おう、と」辰巳は笑う


























曼珠沙華・・・彼岸花、幽霊花、地獄花と呼ばれる毒花。辰巳小次郎忠次はこれを家紋にした。彼方には蛇神がいる・・・それを忘れるなと戒めを込めて








蛇神草紙・・・真の終わりは誰にも分からない








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