第3話 中間試験

 先生に名を呼ばれ、数学の答案用紙を受け取った。

 ふう。

「ふぇ? な、なんで?」

 着席した途端、菜摘に頭を撫でられてしまい、首を傾げる。

 彼女も答案を受け取るために席を立っており、答えを寄越さずに教壇へ。

「人間、誰しもケアレスミスくらいしますから」

 戻ってくるなり、そう言われてしまった。

「うう。ありがと、菜摘お姉ちゃん」

「あ。それ、いい。すっごく、いい」

 あれ。余計な扉を開いちゃったかしら。菜摘、戻っておいで。

「ま、潤美はちょっとドジなくらいが可愛いよねっ」

「うっさい加奈」

「ひどっ」

 なによ。人が二度目の中一のテストで満点とれなくて落ち込んでるってのに。

「御簾又は小二の夏から小六までしょく――入院してたんだから」

 男子の声に振り向くと、答案を受け取ったばかりの森くんと目が合った。

 そういえばあたし、そういう設定だったわ。忘れないようにしないとね。

 それにしてもさすがイケメン。植物状態と言いかけたのを言い換えたのね。なかなか気遣いできるじゃない。

 女になって約ふた月。中身が外見に引きずられるのは身を持って体験しているけれども。森くんが世代相応のイケメンってことは認めるけれども。

 本当、申し訳ないけど、あたしの目には子供にしか見えないのよね。

「普通なら一問もできなくて当然なのに、社会なんて満点だっただろ。それだけでも凄いことだぞ」

 あぁ、社会ね。あの定年間際の教科担任たぬきおやじ、良かれと思ってのことなんだろうけど、みんなの前で「御簾又よくやった」なんて言いながら答案を高々と掲げてくれちゃって。恥ずかしいのなんのって。

「可愛かったなー、潤美。真っ赤になっちゃってさ」

 うっさい加奈。

 ……あれ、そういえば。

「あたしさっき、菜摘に見透かされるくらい顔に出てたってこと?」

「素直な潤美さん、とっても可愛いです」

 また頭撫でられちゃったよ。

「演劇部員的にはポーカーフェイスできないことについても落ち込んじゃうよ」

「表情豊かな方が演劇部員っぽいってば」

「加奈、お兄ちゃんと同じこと言うのね」

 森くんが身を乗り出してきた。

「御簾又、お兄さんいるのか」

 興奮するほど食いつく話題かしら。

「そこ、静かに」

 あ、先生ごめんなさい。注意されちゃった。

 数学の教科担任は今年採用されたばかりの男性教師だ。こうして注意する際も落ち着いて穏やかな声で話す。

「四組のみなさんは、これでおそらく全教科返却されたのではないでしょうか。担任の先生からもご説明があったかと思いますが、学年の上位三十名は掲示板に名前が貼り出されます」

 教室がざわついた。

「なお、下位三十名については貼り出されることはありませんが、期末では挽回するように。期末でワースト三十位になってしまった者には、補習と追試が待っています。しかも、夏休みにね」

 ざわつきが倍増した。


 * * * * *


「加奈さん、掲示板見に行きますよ」

 菜摘、普段は小さめの上品な声だけど、大きな声も出せるのよね。毎日の発声練習の賜物かしら。

 でも、そんな菜摘の声に応えがない。

 見ると、加奈は教室の端で男子たちと話していた。

 あ、あれはトレーディングカードゲーム「ブレドラ」のカードだ。加奈もプレイヤーなのね。

 男子だった頃、よくやってたな。でも、潤美的には知らないことにしないと。つらいつらい。

「こら加奈。菜摘を無視するなんていい度胸してるわね」

「えー。掲示板なんて、僕には関係ないもん」

「何を言ってるんですか。潤美さんが――って、あなたも何を無関係そうな顔をしているんですか」

 席を立とうとしないあたしを、ほとんどにらみつけるようにして菜摘が見下ろしてきた。差し出す手を反射的に握り返すと、椅子から引き起こされてしまう。

「菜摘、怪力」

「潤美さんが軽すぎるだけです」

 それにしても、菜摘ったら張り切ってるなあ。

「あ、そか。菜摘、ほぼ全教科で先生から褒められていたものね」

「どうしてこうも自覚がないのですか。それはむしろ潤美さんの方です」

 そうだっけ。受け取った答案にばかり意識が集中しちゃってて、よく覚えてない。


 三人連れ立って掲示板へ。

 人垣の最後尾に到着すると、何組かの視線が向けられた。

 注目されるというより、ちらちら盗み見られる感じ。ちょっと居心地悪い。

「下位三十名なら僕、掲示される自信あるけどね」

「今すぐ捨てなさい、そんな自信」

 二人の遣り取りを聞きながら、次第に人垣の最前列へ。

 お、光永菜摘の名前が。

「凄いよ菜摘。九位だっ」

「潤美さん。もっと上を見てください」

「すっげ! 三位じゃん潤美」

 え。ホントだ。上から三つ目に御簾又潤美って。

 やだ、注目されてるし。退散、退散。


 教室に辿り着いても興奮が冷めないのか、加奈が大声ではしゃぐ。

「潤美が三位で、菜摘が九位! いやー、四組優秀じゃーん」

 教室に残っていたクラスメイトたちから拍手を浴び、あたしは顔が火照るのを自覚した。

 手を団扇にして顔をあおいでいると、すかさず菜摘が頭を撫でてきた。

「潤美さんの点数を考えると、一位の方はそれこそ全教科満点だったかもしれませんね」

 一回目の中一でその成績。もはや別次元の存在だよ。

「くっ……」

 悔し気な声に目を向けると、男子生徒が俯いていた。

「どうしたの」

「何でもない。期末では御簾又より上に名前が掲示されるよう、がんばるよ」

「あー、うん。今回はあたし、たまたまヤマが当たっただけだから。是非がんばってね」

「うむ。そして、期末でこそ名前を憶えてもらう」

 うわぁ。前回のこと、気にしてたんだ。そりゃそうだよね。

「何言ってんの。あなたの名前なら二十八位のところに――」

「それまでは僕のこと、アーチャーとでも呼んでくれ」

「なにこいつ。厨二病?」

 加奈、やめたげて。冷たい半目と低い声のコンボは半端なく心を抉るから!

「あ、アーチャーね。うん、可愛いと思う」

 ひょっとして今の言い方、わざとらしすぎた? 菜摘まで肩をふるわせてるし。

「んもう。潤美さん可愛すぎます」

 ハグされちゃった。もちろん嬉しいけどね。

「むー。潤美ってさ、菜摘とのスキンシップはいつも嬉しそうにするよね。僕のことは嫌がるくせにさ」

「だって加奈のスキンシップと言ったら……やんっ」

 加奈のバカ。

 男子たちの前傾姿勢、すっかり恒例になっちゃったじゃない。

「……くっ」

「今度はどうしたの、アーチャー」

「繰り出されるとわかっていても視線を吸い寄せられてしまう、中野の神の手。目をそらすことのできない意志の弱さ、我ながら情けない」

 何が神の手なのよ。え、ちょっと待って。

「わかってるの!? だったら助けてよ」

「いやです」

「無理。俺たち男子が中野を止めようとしたら、それはそれでセクハラだからな。故に我々は見守ることしかできぬ。いや、まことに残念無念」

 気のせいかしら。アーチャーの前に聞こえてきたの、菜摘の声だったような。

 巨乳の親友にジト目を向けてみた。目をそらされちゃった。何てこと。

「潤美さん」

「なあに」

 人間、笑顔が大事よね。笑ってあげましょ。

 おや? 菜摘ったら汗かいてる。どうしたのかしら。

「たまには……、どうぞ」

 巨乳を差し出すように突き出してきた。そういうことなら遠慮なく。もみもみ。

「ねえ加奈」

「なに潤美」

「少しだけ……、ほんの少しだけ。あたし、あなたの気持ちがわかったかも」

「それはよかった――あん」

 ぺちん。あ、いい音。あたし、手首のスナップ利かせることにも慣れてきたかも。

 一日二回は許さないわよ、加奈。

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