第34話 決戦の金曜日・前編

 ついに金曜日がやって来た。

 菜摘と加奈には予定を聞いてあり、明日早速ギガスパーへ遊びに行くことになっている。

「俺、今日を乗り切ったら遊びに行くんだ」

 フラグじゃないもん、ぜったい。

「潤美が『俺』だなんて、ちっとも似合わないよ」

「ええ。最初は加奈さんのような僕っ娘でしたものね」

 そういえばそうだった、ような?


 高等部の先輩たちが部室前に集まってきた。

「こんにちは、潤美ちゃん。今日もかわいいわね」

「あ、こんにちは。先輩こそ素敵です」

 笑顔でお辞儀していると、菜摘と加奈が戸惑った声をあげた。

「わ、すっごい美人。あの、ええと……。はじめ……まして?」

「こんにちは。ごめんなさい、あたしまだ高等部の先輩方を覚え切れていませんので……。潤美さん、こちらの先輩はどちら様ですか」

「紹介するね。藍先輩です」

「よろしくね。加奈ちゃん、菜摘ちゃん。藍って呼んでね」

 ノリがいいなあ、藍ちゃん。

「ちょっと待って。その声もしかして、敦先輩っ!?」

 二人そろって目を見開いている。

 ただし、加奈は藍ちゃんを見つめ、菜摘はあたしを。

「潤美さんは初めからわかっていたんですか、もうっ」

「ひゃう」

 菜摘に胸揉まれちゃった。あ、でもやっぱり菜摘の揉み方は優しいね。

「なんで菜摘には嫌がらないのさ、潤美は」

 ぺちん。

 加奈の手はあたしの胸に届く前に容赦なく撃墜。

 そんな寸劇を黙殺し、菜摘は藍ちゃんに話しかけた。

「敦——いえ、藍先輩、見学の日以来ずっとノーメイクでいらしたのに」

 加奈もあたしの胸をあきらめ、藍ちゃんへと向き直る。

「あの時とはメイクが違ってて全然別人だもん、僕わかんなかった。もちろん、今の藍先輩も綺麗だけどっ」

「ふふ。ありがと」

「でもなんで藍先輩なんですか?」

「私の苗字、覚えているかしら」

「質藍先輩……。あ、そういうことでしたか」

 藍ちゃん、もうずっとこの路線でいくつもりなのかな。

「潤美ちゃんが考えてること、大体わかるけどね。演じているだけだよ、一応」

 ぎゃー、アルガーじゃないのに考え読まれたぁ!

「連休明けの小文化祭で女役をもらったんだけど、その役作りって理由でね。期間限定だけど僕の女装、担任に無理矢理認めさせちゃった。まさか本当に認めてくれるとは思わなかったけどね」

 そうか、敦は演じているのか。

 あたしも……。

 そういえばそうだった、ような?


「うわあ。高等部の自由さ、ハンパないですね。僕も早く高校生になりたいかも」

「どうかな。先生、僕の女装を見て『眼福』だなんて呟いておられたから。クラスのみんなにも受けがよかったし。先生ごとの裁量の範囲だろうし、ウチのクラスがたまたま緩かっただけだとも思っているよ」

 そう言いながら服の裾をつまみ、軽く広げて見せる藍ちゃん。なにその「生まれた時から女の子です」とでも言いたげな自然さ。あたし負けてる。てか、勝てる要素が見つかんない。

「そ、そうなんですね…………」

 菜摘と加奈がそろって押し黙るなんて、なかなか見られないことかも。

「僕さ、明日が心配になってきた」

「何がです、加奈さん」

「藍先輩を男子更衣室に行かせていいんだろうか、って。海パン一丁でいいんだろうか、って」

 実はあたしも気にしてます。

「ふふ。たまには男役もこなせる演劇部員だよ。両性類の藍ちゃんですから」

 男の声出してるけど、少しハスキーな女性のようにしか聞こえないよ。


「ところで藍先輩。哉太兄とは一緒じゃなかったんですか?」

「あら。彼と同伴で来たら潤美ちゃんに誤解されちゃうもの。……なんて冗談はおいといて。哉太から伝言だよ、潤美ちゃん」

 続けて敦が伝えてくれた内容を理解するまでに時間がかかった。

 部活を休む。——それはいい。

 約束をすっぽかして悪い。——それもいい。

 その次。なんて言ったの。

 洋菓子店へ行くの楽しみにしていただろうから、敦と行ってくれ。


 敦と行ってくれ。


 哉太兄は行かないんだ。


 あたしとは行きたくないのか。


 何考えてるの、あたし。

 軽く首を振った。

 だめだめ、今はそこ、重要なところじゃない。そんなことより。

 哉太兄が一人で帰ったら、不良たちのリンチに遭う!

「藍先輩。哉太兄はどこ?」

 部活どころじゃない。急いで探さなきゃ!


 その時、廊下を慌ただしく駆けてくる靴音が響いた。

「マスミン、こっちだ急げ」

 あ、詩奈先輩と一緒にいた人だ。

「先輩、どうしたんですか」

「田中の野郎がな、屋上にいんだよ!」

 菜摘たちが呼ぶ声を背に、あたしは駆け出した。

「ごめん、あたしも部活休むって言っといて」

 とにかく急がなきゃいけない。哉太兄に会わなきゃいけない。

 それ以外のことは後回しだ。


 * * * * *


「田中くん。あたしと……、付き合ってください!」

「…………ありがとう」

 え、あれ。

 屋上にいたのは哉太兄と……、見知らぬ高等部の女子生徒。

 あたし、聞いちゃいけないものを聞いているのかな。

 邪魔しちゃいけなかったんじゃないかな。

 あたし、言ったもんね。


 哉太兄に好きな人ができるまででいいから——


 そう、あたしが哉太兄とくっついていられたのは、あの契約があったから。

 哉太兄に好きな人ができたのなら、祝福してあげなきゃいけない。

 だってあたしは。


 ほんとうの おんなのこじゃ ないから。


「でも、ごめん。俺には……」

「てんめえ、他人のもの盗るんじゃねえよ!」

 叫んだのは詩奈先輩。ああ、彼女もこの場にいたんだ。

「ひっ、ご、ごめんなさいっ!」

 告白した女の子が逃げていく。


 え、他人のもの? それって。


 詩奈先輩が哉太兄の腕を掴む。

 あ、そうか。

 詩奈先輩も哉太兄のこと。

 はは、はは。

 詩奈先輩、かわいいもんね。本当の女の子だし。

 よかったじゃん、哉太兄。


 哉太兄と詩奈先輩が振り向いた。

 あたしと目が合い、そろって瞠目する。

「いたのか、潤美……」

「待て。これは違うんだ、マスミン!」

 詩奈先輩が哉太兄の腕を放す。気にしなくてもいいのに。

 大丈夫、あたし冷静だよ。

「今日のこと、哉太兄には伝えてないので。帰り道のことはお任せしますね、詩奈先輩」

「おいおいおい、そうじゃねえんだ! マスミン、お前派手な勘違いしてっぞ!」

 勘違い、うん。してた、と思う。

 あたしなんかと一緒にいることで、哉太兄が顔を赤らめてくれてたんだと思ってた。あたしの何十分の一ほどでしかないにしても、ドキドキしてくれてるんだと思ってた。

 そうじゃないよね。あれもこれもきっと、詩奈先輩のこと思い出してただけなんだね。

「それじゃ。あたし、することがあるので」

 そうとわかれば。あたしはお兄ちゃんと合流して、本来の任務を果たさなきゃ。

 うじうじくよくよしてる時間なんて、ないものね。

 背を向けて、走り出す。

 あれれ。

 もう汗が。

「おい、待てってば!」

 なんか、目の前が霞むくらいに。

 拭いてる時間なんてもったいない。

「げ、なんであいつ、あんなに速いんだっ」

 待っててね、お兄ちゃん。

 哉太兄のことは心配ないから、プランBでいくよ。

 あたしとお兄ちゃん、二人で矢井田先輩たちを。

 返り討ちにしてやるんだから。

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