第28話 部活動開始

「あめんぼあかいな。あ、い、う、え、お。うきもにこえびもおよいでる」

 北原白秋の『五十音』だ。見学の時にもやっていたけれども、これは発声と滑舌におけるトレーニング用として、プロのアナウンサーの現場でも活用されているそうだ。

 この月曜から部活が始まり、新入部員のあたしたちは早速体操服を着て並んでいる。

 今日、佳織は休んでおり、学校中に張り巡らせたアルガーのセンサーにも何の反応もない。なので今日は部活に集中する。

 それにしても、佳織め。いてもいなくても気になっちゃうなんて。これは恋?

 ——うえ。冗談でも気分悪い。

 早く彼女をスレイブから解放しないとね。でもそれには矢井田先輩という避けては通れない壁が。実際のところ、この身に降りかかる事態とあの先輩との間にはあまり関係ないんだけどさ。心情的には彼こそが元凶のような気がしてしまって、正直かかわりたくない気分。

 あーやだやだ。これ考えるの後回しっ!


 さて、お次はダンス練習だ。

 ダンス練習の前後には柔軟やストレッチを行う。そのせいか、演劇部って文化部の中でもやや運動部寄りだな、と思う。ダンス自体、体育の授業に取り入れられているもんね。

 いつも一緒に居るせいか、隣に並ぶ菜摘や加奈とはぴったりと呼吸が合う。あたしたちの揃った動きは、中等部のみならず高等部の先輩からの注目まで集めてしまった。

 その後、中等部の先輩女子に囲まれ、「やわらかーい!」だの「いやん、かわいいーっ!」だのと黄色い声を浴びせられまくった。やわらかいって、柔軟体操で見せた身体の柔らかさのことですよね、先輩たち。

 あ、胸さわられた。どうしようあたし、かなり慣れてきちゃってる。まあ、加奈みたいに揉んできたわけじゃないから気にしない。


「はーい、五分休憩!」

 休憩を宣言したのは、見覚えのあるショートボブの先輩だ。

「本当に粒揃いだわ、今年の新入部員さんたち。声には張りがあって綺麗だし、身体のキレも素晴らしいし。特に女の子! 三人とも華がある。揃って出演してもらおうかしら」

 ええと、たしかこの人は副部長だったっけ。そうそう、あたしたち中等部の部員にとっては部長である星野志保先輩だ。

 その発言に対し、加奈が首を傾げる。

「春の小文化祭って来月ですよね。僕たち、裏方だって聞いてますけど」

「再来月の児童館公演よ、中野さん。出し物は今年も既存の童話の中から選ぶはず」

 児童館公演かあ。あれ? たしかそれって——

「近隣の中学や高校と合同で、と伺いました。あたしたちのような素人が、キャストとして参加できるものでしょうか」

 そうそう、そうだった。記憶力いいな、菜摘。

「ふふ、このへんの学校に負ける気はしないわね。どの学校の子も、光永さんたちを見たら納得してキャスト推ししてくれるわよ」

「部長」

「名前でいいわ。この先、高等部と合同で動くことが多くなるから部長呼びだと混乱するもの」

「じゃ、志保先輩」

「嬉しいわ御簾又さん。ちゃんと覚えてくれてたのね」

 そりゃ覚えますよ。先日の見学では菜摘の熱い視線を独り占めなさってたんですから。少し羨ましいです。

「それを仰るなら先輩こそです。質問ですけど、もしかして他校と競ったりするんですか。もしそうなら荷が重いというか——」

「大丈夫よ。小さい子はかわいい子が好きなのだから」

 全員の視線が一斉にあたしに集まった。

「な、なぜそこであたしを見るんですかみなさん」

 そしてなぜ頭を撫でるの菜摘。

「自覚ないのね、御簾又さん」

 呆れたような声に、菜摘と加奈が首を縦に振る。

「こういう子なんです」

「うん。そこがいいところでもあり、役者としては頑張ってもらわなきゃならないところでもあるわね」

 首を傾げるあたしに、志保先輩が微笑みを向けた。

「役者たるもの、自己顕示欲の塊くらいでちょうどいいのよ」

「えぇ……」

 無理ゲー。いや、確かに演技力ほしいと思ってたけどさ。外見と違和感のない程度でいいっていうか。

「でも不思議ね。御簾又さんってこんなに可愛くて、消極的でもないのに、どうしてこんなに控え目なのかしら」

「ああ、それはですね。潤美、事故で昏睡してて、小学校生活の後半ほとんど——」

「加奈さん!」

「いいよ菜摘、隠すことじゃないもの。むしろ、あたしが他の人より常識が足りないこと、皆さんに知っておいてもらった方が都合がいいと思うの」

 特に、女の子としての常識が足りないことをね。

 え、あれ? 志保先輩、どうしてあたしを見つめているの。そんなに大きく目を見開いて。

「びっくり。とてもそうは思えない。御簾又さん、すっごくしっかりしてるもの」

「でしょでしょ、先輩っ」

「自慢のクラスメイトです」

「やめてよ二人とも。恥ずかしいよぅ」

 にゃ? なぜあたしの手を握るのですか志保先輩っ。しかもそんな、両手で胸の前に持ち上げて……。

「七月の児童館公演、ヒロインは御簾又さんに決定。異論のある人」

 ずっとあたしを見つめているけど、語尾は周囲に呼びかけた言葉みたい。だって、すぐに返事があったから。

「異義なし!」

「ふええぇ!?」

 中等部だけじゃない。高等部の先輩まで。しかも一斉に唱和するなんてどういうこと!? あたしたちの会話、聞いてたのね。

「な、菜摘ぃ、加奈ぁ……」

「大丈夫ですよ。あたしがついてます」

「僕も全面的に協力しちゃう」

 あ、ツインテの先輩。部長の安濃先輩だ。こちらに近付いてくる。

「御簾又さんなら他校の演劇部もヒロインに推してくれるわ。楽しい児童館公演にしましょうね!」

「部長……」

「乃亜よ」

「……乃亜先輩」

「はい、潤美ちゃん」

 どうやら、逃げ場がないみたい……。

「あの、一つお願いが。下の名前で呼んでくださるなら是非呼び捨てで。その方が呼ばれ慣れてますので」

「ああんもう。潤美ってばなんでこんな可愛いのかしらっ」

 抱きつかれちゃった。見学の時は大人だと思ったのに、乃亜先輩ってばこんなキャラだったのね。

 ……あれあれ? 今この場にいる中で、倍巳にとって年上にあたるのは乃亜先輩だけのはずなんだけど……。

 自分が一番年下っていう立場をすんなり受け入れちゃってる。これって身体に意識を引きずられているってことなのかな。

「あたしも!」

 ぎゃー! 中等部と高等部の先輩女子たちに囲まれたああ!!

「あたしも潤美、抱っこする!」

 抱っこってなんですか先輩たち。

 はぁ、もう。好きにしてくださいな。

 てか、今あたし女の人に抱きつかれているのよね。

 皆さんそれぞれいい匂いとか、母さんに抱きつかれている安心感みたいなものは感じるけれど、性的な興奮が一切ないっていうか。

 この先、男に戻る日が来たとき、あたし大丈夫かしら。こちらから過剰なスキンシップをとって、相手に警戒させちゃったり、とか。

 まあ、意識が容れ物に引きずられるのなら、逆もまたしかりというか。容れ物が意識を矯正するんじゃないかな? ……だといいな。

 なんでこんな時に限って黙ってんのさ、アルガー。

【すみません。あまりに平和なので、センサーのチェックをしておりました】

 なにその、人のこと暇を持て余しているかのような皮肉っぽい言い草。

【そんなつもりは微塵もございませんよ。……ええと。このアルガー、ミューテーションによる性別変更の前例をさほど存じ上げておりませんが。意識の矯正、大丈夫でしょう。……多分】

 ……おーい……。


 その後、練習が再開された。

 春の小文化祭に向けた、キャストやスタッフそれぞれの打ち合わせや個別練習だ。

 あたしたちは照明や音響、大道具に小道具、メイクや衣装それぞれの仕事内容についてレクチャーを受けつつ、どの仕事を割り振られるかについてはこれから検討していくとのことだった。

 ちなみに、志保先輩が休憩を宣言してから十五分は経過していた。

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