第24話 人生相談は狭い部屋で

 翌日は学校を休んだ。

 あたしは風邪を引いたことになっているのだ。

 図らずも得た丸一日の休み。矢井田先輩に接近し、ワームを除去するチャンスかとも思ったけれど、アルガーの回復コマンドをかけてもらっても、身体強化コマンドを制限いっぱいまで使い切ったことによる疲労を拭い去ることができずにいた。


 昨日は下校した記憶はないのだが、夕方になってから自室のベッドで目が覚めた。

 上半身を起こすと、美沙姉に抱きつかれた。

「おなか、すいてない? おじさまとおばさま、呼んでほしい?」

「えっと……。学校から帰った記憶がないんだけど」

「ずっと寝てたのよ」

 その言葉に、毛布をめくってみた。あたし、パジャマを着てる。

「着替えさせたのはあたしよ。明日は休むといいわ。ゆっくり寝てなさい」

 その優しい言葉と、具体的な出来事に触れようとしない気遣い。

 どうやら美沙姉、あたしがレイプ未遂に巻き込まれてショックを受けていると思っているみたい。

「大丈夫だよ美沙姉。ほとんど何もされないうちに哉太兄が助けてくれたから」

「よかった。木偶の坊だと思ってたけど、あいつも少しは見所があるじゃない」

 ははは。相変わらず身内への評価がきついけど、哉太の純粋な筋力と喧嘩っ早さは倍巳の時の自分をはるかに上回るからね。

「あのさ。あたしをここまで運んだのって、哉太兄?」

 おんぶだとしたら、丸見えだったりして。うわぁ、想像したくないよぉ。

「うん。ずっとお姫様抱っこで、ね」

 ぎゃあぁぁぁ。それはそれでダメージでかすぎるっ!

 思わず毛布を目のすぐ下まで引き上げてしまった。

「心配いらないわよ。頭はあたしがきっちり支えてあげてたから」

「え、あ、ありがと」

 えっと、美沙姉。そうではなくてお姫様抱っこそのものが恥ずかしいんですけれどもっ。

 しばらく頭を撫でてくれた後、美沙姉は少し表情を引き締めた。

「どうやら大丈夫そうだから、潤美がどうしたいか聞くわね」

「うん」

 何を聞かれようとしているのか大体わかるので、あたしははっきりと返事をした。

「あいつらの行為は明らかにレイプ未遂。潤美がその気なら訴えることもできる。証拠もあるのよ。真っ先に気付いた敦くんに、スマホでの撮影をさせた上で哉太が飛び込んで行ったから」

 その時、美沙姉はあたしと一緒に帰るため、哉太を誘って渡り廊下近くまで来ていたという。同じ頃、敦はトイレ休憩で部室から出ていたらしく、偶然渡り廊下での騒ぎに気付いたんだとか。

「どこからどこまで撮影してあるの? あたし——」

 ほぼ、身体に触れられる前にこちらから攻撃を仕掛けている。映像の証拠があるからには、良くて過剰防衛をとられるのはあたしではなかろうか。それに。

「——を助けるために、哉太兄はあいつを殴っちゃったから。哉太兄にまで何らかのペナルティを課せられるなんてことになったら……。そんな迷惑かけられないよ」

 優しく頭を撫でられた。

「気を遣いすぎ。そうね、撮影は、潤美が首を掴まれたところから。そして、哉太があいつの腕を引き離したところで終了してる」

 よかった。ん? でも、撮影を始める前から美沙姉たちに見られてたんじゃ。


【ご安心を。せっかくバスター因子を持つアツシ様とミサ様がそばにおられたのです。そこで、一時的にお二人の意思をお借りしたのです】

 そっか。都合の悪い部分は見せていない、と。

 てか、そんなこともできるんだね。

【管理者権限レベル1と2の間くらいの微妙な位置付けなんですが、規則として明文化されていないグレーな部分でして。緊急事態ということで、私の独断でお二人に協力願いました。無論、お二人の認識としてはあくまでご自身の意思で動いたことになっております】

 でもさ。仮に訴えるとなったら、あの六人組の記憶との間に齟齬が生じるよね。

 ま、美沙姉への答えは決まってるけれど。

「訴える気はないよ」

「そう。なら、おじさまやおばさまにも本当のことを話さずにおくわね。少し待ってて。電話するから」

 告げるが早いか、美沙姉はスマホを耳に当てた。

「もしもし藍ちゃん」

 藍ちゃんって誰だろう。

「訴えないって言ってるわ。……ええ、今後のあいつらの出方次第よ。映像は念のために残しておいて」

 うわあ、残しておくんだ。

【大丈夫ですよ。バスター因子をお持ちのお二人です。信頼するに足る正義感の持ち主ですから】

 えっと、正義感? あたし、そんな大層なモノ持ってないけど?

【またまた、ご謙遜を】

 いや、それよりも。撮影者って敦だよね。でも、美沙姉はたしか藍ちゃんって。

 質藍敦——藍ちゃんかよ! 似合ってるよ!

「猿轡や鞭、投げ縄にエアガンといった証拠品は? ……そう、じゃ先生を呼んでちょうだい。ええ、よろしく」

 電話の後も美沙姉は自宅へ帰らず、そのまま夕食を共にした。


 ご飯を食べたら疲れがとれた。

 この分なら、明日になったら学校まで往復するくらい、楽勝なんじゃないかな。

 そう言ってみたところ、母さんは即座に首を横に振った。

「だめよ。念のため、明日は病院連れて行くから。一日休みなさい」

 まあ、そうなるよね。

 ずっと植物状態だった設定だけに、今回の件ではかなり心配をかけただろうし。

 なんとなく、美沙姉に視線を向けてみた。母さんに賛成と言わんばかりに首を縦に振っている。

「なあ、潤美。稽古のことなんだが」

 父さんが声をかけてきた。

「しばらく、やめておこう。あれのせいで身体に思わぬ負担がかかっていたかも知れないからな」

「何言ってんのさ父さん。お兄ちゃんなんて、七時ぎりぎりまでみっちりやってても平気だったんだよ。あたし、半分もやってない。ちょうどいい感じの体力づくりになってるはずだってば!」

 御簾又流柔術、きっとこの先まだまだお世話になるはず。ここで打ち切られるわけにはいかない。

「だから、しばらくって話さ。少なくとも、今週は休みだ。週末はカラオケだし、来週からは部活が始まるんだろう? 目が覚めてからこっち、ずっと動き詰めで休み方を忘れてるみたいだからな。ここらで、ゆっくり休むことを思い出さないと」

「うう。わかったよ」

 仕方ないな。これには反論できない。


 ん、あれ?

 痛い。なんだこれ。

 お腹、痛いよ。

「み、美沙姉。ちょっといい?」

 後から考えると、少し不自然だったかな、とは思う。でも、その瞬間は冷静な思考などしている余裕はなかったんだ。

 あの日——、菜摘から学校でのトイレの仕方をレクチャーされた日。彼女から聞いたことがいつも頭の片隅に引っかかっていて、少しずつ調べていたのだ。

 生理痛。

 腹痛を感じるたびに、いよいよ来たんじゃないか、と怯えていた。もっとも、女体化ミューテーション以来、強い痛みなど感じたことがなかったのだが。

 今回のこそ、それ・・かも知れない。

 そう思った途端、倍巳じぶんにとって生みの親ではない母さんよりも、一緒に風呂に入った幼馴染に頼ってしまったのだ。

「ちょっと、その、人生相談っ」

 間違ったことは言ってない、かな? 多分。

 平静を装い、頼るべき相手の手を引いて居間を出る。

「あの、さ。あたし、初めてで。その、もしかしたら違うかも知れないんだけど、怖くて」

 しどろもどろだというのに、美沙姉には正確に伝わったらしい。

「落ち着いて。まずは一人でトイレに入ってて。勝手知ったる潤美の部屋からナプキンとって来てあげるから」

 言われた通りにして待っていると、程なくノックされた。

「潤美、どうだった?」

 鍵を外し、呼吸を整えてから返事をした……つもりなのに、やや声が震えてしまった。

「血……、血が、出てる」

「大丈夫よ。ごく自然なことなんだからね」

 優しく声をかけると、美沙姉が入って来た。

「出血量は——、あまり多くないわね」

「えっ、これで!?」

「生理痛もあたしから見たらごく軽い感じだし。重い子は頭痛や吐き気を伴うって言うし、一週間近く苦しむこともあるらしいわよ。あたしを含めて、一日で済んじゃう子の方が少ないかも」

「じゃあ、しばらく様子を見なきゃだね」

「ふふ。潤美は一日で終わっちゃいそうだけどね」

 その後、ナプキンの使い方、交換の目安などを丁寧に教わった。トイレの中での人生相談、合計約三十分。


 * * * * *


 停学一週間。

 それが、不良六人組に下される処分であるらしい。

 美沙姉を自宅まで送るためにやってきた哉太兄から聞いた情報だ。

 どうやら仲間内でのふざけ合いから乱闘になったという扱いになったようで、生活指導の教師だけでなく複数の体育教師たちにも囲まれて説教されていたとのこと。

「お前ら、とりあえず自宅謹慎な。職員会議にかけることになるが、停学一週間は覚悟しとけよ。ただの喧嘩ならともかく、こんな大人のオモチャまで堂々と学校に持ち込みやがって。こんな危ないもん、親御さんには返すが、お前らの手許には戻らんと思え」

 んー。ま、レイプ未遂が学校側に知られていない以上、処分としてはそんな感じだよね。


 それにしても哉太の奴、変な気の遣い方をしていた。

「いいのか。潤美、男と顔を合わせるのを怖がってないか?」

 玄関から入ることなく、美沙姉と言葉を交わしていたのだ。焦れて、あたしの方から出ていった。

「何を遠慮してんのさ、ヒーローなのに」

「ヒーローって。んな大袈裟な」

 頬を掻きながら照れてやんの。玄関の室外灯でもわかるほど頬を赤らめちゃって初心な奴め。

 それにしても胸板と上腕二頭筋を刻々と鍛えやがって羨ましい。

 ええい、こうしてやるっ。

「あっ、こら潤美っ。バ哉太へのご褒美だとしてもやりすぎよっ」

 美沙姉の嫉妬を受けながら、あたしは正面から縋り付いて分厚い胸板に頬ずりしていた。

「いや、うん……。嬉しいけどさ。さすがに恥ずかしいっていうか」

 哉太の足でも徒歩十分はかかる道のりを、ずっとお姫様抱っこしてきてくれたんだよね。

 こうすると、哉太兄だって嬉しいよね、きっと。サービス、サービス。肉体年齢が三つも下の、こんな貧相な肉付きの女の子だけど、少しくらいはこんな風にしてほしいとか思う、よね。

 ——あたしが、そうしたいから。


 すぐさま身体を離した。

 今のは違う。一時の気の迷いなんだからっ。

「サービス終了。おやすみ、哉太兄」

「…………」

「おやすみ、潤美。明日はゆっくり寝てるのよ。明後日は呼びに来るからね!」

 ほうけた顔で立ち尽くす哉太兄を小突きながら、美沙姉が手を振った。

 笑顔で手を振りかえしていると、ようやく哉太兄が口を開いた。

「あ、お、おやすみ」

 なに動揺してんだか。あたしは吹き出してしまった。

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