第7話 週末の予定

 困った。

 倍巳の身体であれば、哉太との会話に困ることはなかった。最悪、無言であっても特に関係が壊れる心配はない。

 でも潤美だとそうもいかない。無言だと気まずいし、次からは一緒に歩くこと自体億劫になってしまうだろう。

 さてどうしたものか、などと迷っていると、哉太の方から話しかけてくれた。

「無理に共通の話題を探そうとしなくていいからな。倍巳——お前の兄貴があんなことになっちまったばかりだし。本当なら学校のこととか、兄貴といっぱいしゃべりたかっただろう。代わりと言っては何だけど、その何分の一か、何十分の一かでも俺に話してくれると嬉しい。まあ、俺なんかじゃ兄貴の代わりにならないだろうけどさ」

 ふむ? 潤美が倍巳ぼくといっぱいしゃべりたかったというのか、哉太は。

【事故前の潤美がお兄ちゃん子だったという設定にしてありますので】

 先に言えよアルガー。ってか、こっぱずかしいな、それ。

 しかし哉太のやつ、女の子に対してこんな気遣いができるとは意外だ。もっとも、その女の子ってのが僕で残念だったな。お前の彼女いない歴卒業はまだ先だ、はっはっは。……はあ、むなしい。

 それはおいといて。

 そういうことなら利用させてもらうか。

「お兄ちゃん……」

 ぎゃー。自分で自分のことをお兄ちゃんって。普通に演技できるかと思ったが言葉にした途端トリハダたつぞこれ。うわあ。

【落ち着いてくださいマスミ様。そのあたりの演技力は予定通り演劇部で鍛えることといたしましょう】

 呟いた後、微妙に間を空けてしまった。視線を感じて見上げると、僕の沈黙を違う意味にとったのか、哉太が気遣わしげに見下ろしている。

 しまった、これはあれか。入院中の兄に想いをはせる妹を不憫に思っている、の図か。

「ありがと哉太……兄。学校はいい感じだったよ。早速友達が二人できたし」

 しばらく、互いの友達の話で盛り上がる。

 三つも下の女の子だし、退屈するかと思いきや、菜摘と加奈の話にかなり興味を持った様子だ。

 それにしても哉太の視線が、ね。言葉を交わしながらも、時折しっかりと僕の胸に吸い寄せられてる。男の子の視線ってわかりやすいんだな。女体化してたったの一日でわかったよ。

 安心しろ哉太。倍巳ぼくとしてもすごくよくわかるから。間違っても軽蔑なんかしない。それはそれとして。

 残念だが哉太。菜摘も加奈も、二人とも今日一日で大切な友達になったんだぜ。紹介なんかしてやんないから、そのつもりでな。


 一方、哉太が話してくれたのはもちろんというべきか、敦のこと。彼について哉太が知っていることは、今のところ僕とほぼ同じなんだけどね。一応食いついてみる。

「へえ、女装男子?」

「ああ。無口だけど、決して変な奴じゃないから。女装すると、見た目は完全に女の子になっちゃうくらい可愛いんだぜ。と言っても本人の自撮り画像を見せてもらっただけなんだけどな」

 うん。どこぞのアイドルって感じだったよね。

 あの画像、頬と唇はきれいなピンクに染まっていたけど、濃いメイクで元の顔を隠すようなことはしていなかったと思う。考えてみるまでもなくあのおかっぱくん、整った顔していたもんな。髪の量がおかっぱより明らかに多かったのは、多分ウイッグだな。

「参考までに聞くけどさ。女子中学生の目から見て、女装男子ってどう思う?」

「キモいかそうでないか、ってこと? 僕はアリだと思うよ。本人がやりたくてやってることで、周りに迷惑をかけていないのなら。それに、見るだけなら綺麗なもの、可愛いものの方がいいに決まってるもん。性別とか年齢なんて関係ない」

「…………」

 なんだ哉太。なに黙ってるんだ。続きを促してるってことかな。

「見るだけじゃなくて、その人と話したり、一緒に遊んだりするには気が合うか合わないかの方が重要だから、外見はあんまり関係ないと思う。年齢は……関係あるかな。年が離れすぎると話題が合わなさそうだもんね」

 なんだよ哉太。なんで目を丸くしてるんだお前は。

「いや、びっくりした。倍巳と……えっと、兄貴とおんなじこと言うもんだから」

 げ、しまった。敦と知り合う前にも、哉太とは似たような話をしたことがあったんだった。その時も、今のとほぼ一言一句変わらない内容を告げた覚えがある。

「でも、考えてみれば当然か。一緒に過ごした時間が短いとは言っても、潤美……。ええいややこしい。今から兄貴のことは倍巳、お前はヒメと呼ぶことにする」

「ひ、ヒメ!?」

 ちょ、やめてくれ恥ずかしい。

「それだけは勘弁して。せめて、美沙姉と同じようにちゃん付けで」

 それだって恥ずかしいけど、ヒメよりなんぼかマシだ。中身は倍巳なんだぞ、お前がどちらの名前を呼んでいるのかくらいわかるっての。

「いいのか? 中学生になってもちゃん付けって、割と嫌がる人が多いと聞いたんだけど」

 どこ情報だよそれ。

「あはは。つい最近まで寝たきりだった僕には関係ないよそれ。とにかく、ヒメだけはやめて」

「わかった潤美ちゃん。しかし、ヒメはだめか。潤美ちゃんにぴったりなイメージだと思ったのにな」

 おいてめえ。トリハダ立ったじゃねえか責任とれ。……いやとるな。

「で、なんの話だったっけ」

「僕とお兄ちゃんが一緒に過ごした時間が短いって」

「そうそう。時間が短くてもさすがは兄妹。考え方が似るもんなんだな」

「あはは」

 ごめんどうしても乾いた笑いになっちゃう。だって本人なんだもんよ。

 あと哉太、人にニックネームつけたいんなら、もっとネーミングセンス磨いてからにしてくれ。頼むから。


「それにしてもびっくりしたよ」

 ほんの少しだけ間をあけたかと思ったら、哉太は感心したような声を漏らした。

「何が」

「だってさ。こう言っては何だけど、潤美ちゃんの時間はずっと止まってたようなもんだろ。目が覚めたらいきなり中学生。周りはみんな年上みたいなもんじゃないか。だというのに、クラスに馴染めないどころか初日から友達作るなんて」

「それは……。きっと、菜摘と加奈が気を遣ってくれたんだよ」

「それってさ、そんな風に周りに働きかける魅力があるってことなんじゃないかな。ほっとけない、って。そういうとこ、さすがは倍巳の妹だってところかな」

 ほ、ほっとけない? 倍巳ぼくも、潤美ぼくも? な、なんで……。

「どうして、って顔してるね。外見も内側も可愛いとさ、手を差し伸べたくなるし関わりたくもなる」

 僕、どんな顔すればいいのさ。僕、今どんな顔してるんだろう……。

「そのせいで苦労することもあるらしいけど、そのへんのことは美沙がたくさん経験してるらしいから、あいつに話を聞くといいよ」

 あれ? 哉太、もしかして僕の扱いに困ってる? 今、僕と話してるのはお前だろう。美沙に丸投げするなよ。

 ガワは変わっちゃったけど、中身は僕なんだぞ。

 でも、考えてみれば当然だ。哉太にとって潤美ぼくは幼馴染の妹。偽りの記憶を除けば今日が初対面で、有体に言って赤の他人に過ぎない。

 ——僕をほっとかないでよ。

 その一言は、心臓の鼓動と共に喉につかえ、僕の口から出てはくれなかった。


「あ、そうだ」

 微妙な空気の漂う沈黙を嫌ったのか、哉太は高めのトーンで言った。

「来週の週末、敦とカラオケ行く約束したんだ。もしよかったら——」

「行くっ!」

「っそ、そうか」

 一も二もなく即答してしまったのは無理もないことだと、誰か言ってくれ。

【はい、マスミ様。無理もないと、私も思いますよ】

 なんかさ。アルガーって、生身の人間なんじゃないか?

【私を作成した古代種族の技術者様にもそのように言われたことがありますよ】

「潤美ちゃんも、新しい友達を誘っていいからね。俺、春休みからバイト始めてるからさ。潤美ちゃん含めて三人までなら奢るぜ」

 まずい、正気に戻れ僕。菜摘と加奈が哉太オオカミの毒牙にかかるのを阻止しなければ。

「そ、それが目的っ!?」

「あはは。いくら俺が彼女いない歴イコール年齢の非モテ男だろうと、さすがに中学生に手を出そうとは思わないって。そこは安心してよ」

「わかった。でも奢るとか、哉太兄にその気がなくても下心があるっぽくてやだ。そこは割り勘でいい」

「お、おう。潤美ちゃん、やっぱ大人っぽいな。全然年下って気がしないよ」

 やばい。もっと子供っぽく振る舞わないと不自然かな。

【マスミ様。演技と嘘は同義ではございません。嘘をつくと、ふとした拍子にボロが出る危険があります。嘘をつかないことによる不自然さは、意外と都合良く解釈されるものです】

 わかったよアルガー。演劇部で研鑽を積むまで、下手な演技は控える。んで、演技するにしても最低限にとどめ、なるべく嘘はつかない。それでいいな。

【はい、マスミ様の仰る通りです】

 ……と言うか。演技力が身に付く前に、ワーム全部駆除できちゃえばそれでいいんだけどさ。

【はい】

 わかってるよ、そんな困った声出すなって。はっきりワームキャリアだとわかってるのは矢井田先輩一人だけ。そうすぐにコンプリートできるミッションだなんて思ってないってば。

【申し訳のうございます。管理者権限レベル1の範囲内において、全力でサポートいたしますので】

 アルガー、そればっかだな。僕みたいなのが宿主で、苦労かけるね。

【何を仰いますか。ご迷惑をおかけしているのは我々古代種族の側なのです。どうかお気遣いなく】


 * * * * *


 その日の晩飯時、カラオケのことを母さんに言った。その時までにはすっかり冷静になっていた僕は、ダメ元と割り切っていた。

 どうやら過保護スイッチが入ったらしき彼女のこと、行かせてもらえなくて当然と思ったのだが——

「あら、いいじゃない。楽しんでいらっしゃいな。お小遣い弾むわよ」

 いいのか母さん。倍巳ぼくの入院代、バカ高いんだろう?

【ご心配なく。ご母堂は宝くじで当選なさいまして。入院代を賄って余りある金額でございます】

 おいまさか。

【偶然でございますよ】

 怪しいなあ。……ま、いっか。

「ただし、終わったらまっすぐ帰って来るのよ。連絡入れるのも忘れずにね。あ、そうそう。潤美にも携帯持たせなきゃね。カラオケは来週だから、この週末に早速買いましょう」

 なんとまあ。倍巳ぼくが買ってもらったのって、高校の合格発表直後だったぞ。

 もっとも、いつのまにか中高一貫校になってて、別の高校を志望しない限り高校受験の必要がないんだけどね。いや、もちろんそんな先まで元の身体に戻れずにいるなんて考えたくない。

【全力を尽くしましょう】

 頼りにしてるよ、アルガー。

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