第6話 変わる環境

 女の子って話題が尽きないのな。

 僕が聞き役メインになるのは当然のことだ。むしろ、変に意見を求められることがないのはありがたい。

 植物人間設定のおかげだよ。女の子としての常識を知らなくても不思議がられずに済む。

 にこにことうなずきながら彼女たちを観察。

 菜摘は小柄だけど、曲線の多い愛らしい体型。あ、ぽっちゃりではないよ。バランスのとれた曲線ね。なんといっても特筆すべきは、クラスでも確実に上位に入る巨乳さんだ。潤美ぼくより大きい。

 加奈は長身だけど、スレンダーだ。病的な細さではなく、適度な筋肉で締まっているという印象。運動部が苦手というのが不思議なくらいだけれど、小学校でスポーツ系のクラブに関する嫌な経験でもあるのかも知れない。そのあたりはそっとしておこう。ちなみに胸はまだ目立たないものの、それはあくまでも潤美ぼくと比べての話だ。

 ……いやいや待て待て。無意識に自分を巨乳カテゴリに入れてるぞ僕。それって女子から見たら嫌みな奴でしかないじゃん。いくら中身男でも、そのくらいのことはわかるよ。気を付けよう。


「うらやましいなあ。どうしたらそんな完璧ボディになれるの?」と加奈。

 え、こっち向いて言ってるよ。そんなの僕に聞かれても。

「何食べたら、っていうか、潤美は入院してたんだもんね。さすがに日常の食生活を点滴で済ませるわけにはいかないから、最低限の食事量にして寝てたらそうなるのかな。ならあたしも——」

「加奈さん! 言っていいことと悪いことがありますよ」

 すかさず菜摘が窘める。

 ほえー。この娘、こういう一面もあるんだ。でも、礼儀正しいし気遣いも完璧だし、本当に育ちのいいお嬢様ってタイプだな。芯もしっかりと通っているし。

 一方で加奈は「しまった」とばかりに口を両手で押さえてる。

「ご、ごめん潤美。あたし無神経だった」

 きっちりと頭を下げる加奈に、精一杯の笑顔を見せてあげた。

「大丈夫だよ。そんなに気にしないで」

 そしてもちろん菜摘にも。

「気遣ってくれてありがとう。すごく嬉しいよ。でも加奈は僕のこと褒めてくれただけなんだし、本当に大丈夫だからね」

 まあ、実際に植物状態になっていたわけではないのだし。

 ちょっと涙目になっている加奈の頭を撫でてやると、なぜか抱きつかれた。

「よしよし」

 あれ、これって役得? ちょっと混乱。


 そんなこんなで昼食タイムは終了したのだけれども。

 普段ならば、空腹を満たして落ち着くはずの時間なのだけれども。

 ——やばい。

 喫緊の問題に見舞われてしまった。

 とてもじゃないが、落ち着いてなんかいられない。

 ど、どうすんだこれ。

 加奈は……きょとんとしてる。

 菜摘は……曖昧な笑顔を浮かべてる。

 だよね、僕の様子、明らかにおかしいって思われてるよね。

 でもでも、僕だって余裕ないんだっ。

 困った、めっちゃ困った。

 目覚めたらこうなってたわけで、そういえば朝からずっと行ってなくて。

 初めてが学校だなんてハードル高すぎるよこんちくしょう。

 あ、汗出てきた。

「潤美さん、大丈夫ですよ。一緒に行きましょう」

「えっ、な、なに菜摘。ど、どこ行くの?」

 菜摘はにっこりと笑うと、僕の耳許に口を寄せた。周りの人に届かない程度の小声で囁いてくる。

「ずっと寝たきりだったのですから、自宅の洋式しか知らないのでしょう? 大丈夫、学校にも洋式がありますよ。あたしが全部、教えてあげます」

 わ、やっぱり菜摘、気付いてたっ。

 一緒にって、もしかしてもしかするの? いやいやいやいや。

「おっ、菜摘。潤美と連れ——」

「加奈さん。言葉を選びましょうね」

 言おうとしたよね加奈。今、連れションって。女の子でもそういう言い方するのかな。

 そんなことより菜摘。さっき窘めたときとはまた違う、迫力のある笑顔。お兄さん——今は同性で同級生だけど——今とってもびびってる。菜摘って、敵に回すと怖いかもしんない。

「さ、行きましょ潤美さん」

 仕方ない。ずっと我慢してるわけにも行かないし。ぎりぎりまで……それこそ放課後あたりまで我慢していたら、猛烈な勢いで男子トイレに駆け込むことになる自信がある。いやどんな自信だよ僕。

 後ろでぶつぶつ言う加奈の言葉が耳に入った。

「言葉を選ぶって言っても、他の言い方なんて知らないし」

「そういう時は、お花を摘みに行くって言えばいいんですよ」

 なにその赤子でも抱きながら上の子を諭すように告げるお母さん口調は。

 三つ下とは思えない。菜摘のことはお姉様と呼ばせてもらおう。主に心の中で。


「さあ、ここですよ」

 洋式トイレだ。空いててよかった。正直助かった。

「まだ校内の半分は和式なんですが、今年中には全て洋式に変更するって、始業式の時に担任の荻山おぎやま先生が仰っていました」

 頭髪がやや寂しくなった中年の男性教師。社会科担当だ。倍巳の身体では中二の時に担任だったのでよく知っている。

「ありがとう。……って、いやいや。さすがにここからは一人で大丈夫だからなんで一緒に入ってくるの個室だし他にも空いてたから一人ずつだよねあっちょっと」

 まさか一緒に入ってくるとは思わなかった。

「あっ、ずるい菜摘。あたしだって潤美と一緒に入りたかったのにい」

 女の子ってそうなの? これが普通なのっ?

「騒がないで加奈さん。潤美さんが落ち着けないでしょ」

「ぶー。しょうがないわね」

 いや、僕が落ち着かないのは主にあなたと一緒にトイレに入っているこの状況のせいなんですがっ。

「ええと——」

「大丈夫ですよ。あたし、去年亡くなったおばあさまの介護を手伝ったこともありますので。潤美さんがしっかりした人だってことはわかっています。ですがずっと寝たきりで、ツインテールの縛り方もご存知ないくらいなのですから」

 ああ、たしかにそういう自己紹介の仕方したな、僕。本当は自分で縛ったんだけど、それは内緒にしておこう。今どきツインテの縛り方くらい、ネットで検索すればわかるんだ。もっとも倍巳のものを使ったわけで、潤美がスマホやパソコンに堪能だったりしたら怪しまれるかも知れないもんね。

「そんな潤美さんのことですから、一人でトイレに入ってもきっと戸惑うことが多いと思ったんです」

 うええ。その通りなんだけど。なんだけどっ。

「一人でできるようにするのはもちろん大切なことですよ。でも、友達を頼ることも覚えてくださいね。あたし、潤美さんの一番の友達になりたいと思っています」

 菜摘……。なんていい娘なんだ。いや、でもそれとこれとは。

「女同士なんですから。恥ずかしがらないで——いえ、恥ずかしがる潤美さんもとても可愛らしくて素敵です」

 どうした菜摘!? そこで頬を染めるなよ。可愛いけど地味に怖いってば。

 ——ねえアルガー。彼女ワームに取り憑かれたりしてない?

【至近距離なので詳細にサーチをかけることができましたが、潜伏期間というわけでもなさそうです。これはナツミ様の個性でしょう】

 個性的すぎるってば。

「ごめんなさいね。少し強引すぎたかも知れません。けれども、小さい頃から長く寝ていた潤美さんに、お母様は厳しいご指導をなさっていないのではないかと思いまして」

「……う、うん。なんだか、これ以上ないくらいに甘やかされているって自覚があるよ」

 それは事実だ。アルガーによる刷り込みの影響があるにせよ、あの母親が潤美こどものために弁当を作るなど考えられないことだ。

 まあ、血の繋がらない倍巳と、腹を痛めたという設定の潤美とでは感じる可愛さが違うのかもしれないし。頭でわかってても、注ぐ愛情の量に無意識に優劣をつけてしまうのは仕方がないよね。あまつさえ、潤美の方が愛らしい外見であることは客観的な事実なわけで。……何言ってるんだ僕は。はやく身体を取り戻さないとナルシストになってしまう。

「さあ、こうして話していたら昼休みが終わってしまいます。漏らしてしまう前に」

 言い方はとても生真面目なんだけど。なんだけどっ。これ、文字にしたらとんでもなくエロい字面になりそうで嫌だなあ。あ、やばい。

 ええい、もう。僕だって限界なんだっ。

 しょうがない、今だけは菜摘は看護師。菜摘は看護師。菜摘お姉様——違うっ。


「そう。そうやってたくしあげて、スカートが便器に付かないように脇で挟んで」

 へえ。男みたいに、脱いで足元に落としたりしないんだね。知らなかった。

「出るタイミングで、ここに手をかざして」

 え。水が出ないのに、流す音だけが出てる。なんで——と聞こうとして、気付いた。

 ああ、排泄音を消すためなのね。って、それどころじゃない状況なんだってば。

「終わったら、こうやってやさしく拭いてあげてくださいね」

 なんだこの図は。なんで僕は三つも年下の女の子の指導を受けて——いやもう、この考え方捨てなきゃなのかな。あああ、なんだこの背徳感はっ。

「お疲れ様。交替しましょう」

「ありがとう。本当に助かった。じゃ、僕先に出てるね」

「何を言ってるんですか。あたしだけ見ておいて、潤美さんは見ないなんて不公平です。あなたはここにいる権利があるんです」

 気のせいかな。義務があるって言ってるように聞こえたよ。いいよもう。いるけど見ないから。

「ごめんなさい、見苦しいですよね。あたし、潤美さんみたいにバランスのとれたプロポーションじゃなくて幼児体型だし」

 待って。そんな悲しそうな声出さないでよ。

 急いで視線を戻した。言うほど幼児体型じゃないじゃん、じゃなくて。というか今、体型とか関係なくね? ……わ、うわーん、見ちゃったよ。

 どうすんだこの引き返せない罪悪感っ。なんとかしろアルガー。

【ナツミ様はとても純粋でいらっしゃいます。一片の悪意も感じられません】

 逆に怖いって。むしろ軽いイタズラみたいなノリの方が安心できるよ。いやごめん、やっぱできない。

「潤美さん、とってもスリムで脚すっごく長くて、なのに胸もおっきくて」

 菜摘、あんたが大きいって言うか。

「モデル体型ですよね」

「え、モデル?」

 そんなうっとりしながら言わないでってば。潤美の身体、借り物みたいなものなんだから。なんか、騙しているみたいで胸が痛いよ。

「……そんなの考えたことなかった」

「でも、ずっと寝ていたのなら、たぶんまだ、ですよね」

 うわ、話題が変わったっ。女の子ってこういうところあるよね。これから彼女たちと長いつきあいになるかもしれないんだから、慣れなきゃだよなあ。

「まだ?」

 ううむ。はっきり言ってくれないとわからないんだけど、なんだか聞かない方がいいような。というか、もう今さら聞かずに済ませるなんて選択肢、ないんだけどな。

「何が?」

「月のモノです」

 口を開け広げた僕は、しばらく閉じることを忘れたまま立ち尽くしてしまった。

 月のモノ。つまり、アレか。

 そうだ、この身体には訪れるんだ。生理アレが、毎月……。

「それだけ見事なプロポーションをしているのですから、ホルモンバランスは正常なはずです。もしかしたら寝ている間に初潮を迎えてしまったかもしれませんが、目が覚めてからの月経はまだなのでしょう?」

 服装を整えて立ち上がった菜摘が、こちらを覗き込むようにして微笑んでいる。

 僕は仕方なく、首を縦に振った。嘘はついていない。

「心配しないで。全部、あたしが教えてあげますから」

「いやいやいや。さすがにそれは! 母さんに聞くよ」

「お家でのことはそうなさってください。でも学校ではどうすべきか、とか。男子に気付かれないようにするにはどうするか、とか。そういうことは全部あたしに任せてくださいな」

「……………………菜摘お姉様」

 僕は陥落した。だって、仕方ない、よね?


「なーんか妬けるんですけどー」

 肩を並べて手を洗っている僕たちの後ろで、加奈がつまらなさそうに呟いていた。

 違うんだ加奈。今日、僕は菜摘の下僕になっただけで。……違うぞ、なにが下僕か。菜摘はそんなこと一言も言ってない。正気に戻れ僕。えーん、誰か助けて。

「うふふ」

 そして何故か嬉しそうに身を寄せてくる菜摘。

「えーい、菜摘にばかり独り占めさせるものかー。えい、スキンシップぅ」

 後ろから加奈に抱きしめられましたおっぱいあたってます本当にありがとうございます。じゃなくて。あ、微妙に胸揉まれた、のかな? じゃなくて。

 いやもちろん中身男な僕としては夢のようなシチュエーション。嫌じゃないどころか思った通りやわらかくて良い匂いがしてだめだだめだそれでいいのか倫理観仕事しろ。

 そりゃもちろん、菜摘からも加奈からもエロさなんて微塵も感じられないんだけどさ。

 でもこっちは中身男なんだもんよ。純粋な少女たちを騙しているみたいで気が引ける。

 ぐは、精神的に疲れるよ。

 初日からこんなんでやっていけるのか、中学生活。


 * * * * *


 やっと放課後になった。

 菜摘たちには先に言っておいた通り、部活見学などはせずに真っ直ぐ帰る——ふりをした。

 そしてやってきたのは高等部の校舎。

 とりあえずワームのうち一体は居場所がわかっている。

 まさか、昨日倍巳ぼくに伸されたからって休んだりしてないよね、矢井田先輩。

 まずはあなたのワームを消しておかないと不安だし。

 だって、昨日の時点で増殖コマンドとやらを使える状態にまで育っていたのだから。

「あら、そこにいるのは潤美ちゃん?」

 げ。美沙。

「ちょうどよかったわ。こちらから呼びに行こうと思ってたところなのよ」

 な、なんで僕の顔知ってるんだよ。

【すみませんマスミ様、私のミスです。先に申し上げておくべきでした。ミサ様とカナタ様には事故前の御簾又潤美と顔馴染みという記憶を植え付けてあり、何度かお見舞いをしたことになっているのです。当然、現在のマスミ様のお顔をご存知でいらっしゃいます】

 そうか。じゃ、今日のところは矢井田先輩に接近するのは無理そうだな。

 ところでその二人のこと、僕は何て呼べばいいんだ。

【ミサ様には美沙ねえ、カナタ様には哉太にいと呼ばれることを提案いたします】

 ぐは! くっそ、迷ってる場合じゃないってわかってんだけどっ! ぐはっ!

「み、美沙姉が僕を呼びに? なんで?」

「おばさまに頼まれてるのよ。しばらく一緒に帰ってあげて、って」

「ええっ? そんなのダメだよ。美沙姉、彼氏さんできたばっかでしょ。僕なら一人で帰れるからさ。そ、そうそう、それを言いに来たんだよ」

 おいおい、過保護だぞ母さん。倍巳と潤美でこうも扱いが違うかねえ。いやまあ、植え付けた記憶の中に『事故で植物状態に』って部分がある以上、そうであってこそ自然なのかも知れないんだけどさ。

 僕の剣幕に困り顔になった美沙は、しばらく考えた後、手をぽんと叩いた。

「ちょっと哉太。こっち来てっ!」

 おいまさか。

「おう、どうした美沙」

「潤美ちゃんを送ってあげて」

「お安いご用だぜ。じゃ、一緒に帰ろうか。潤美姫」

 だれが姫だ木偶の坊っ。哉太てめえ、絶対そんなキャラじゃないだろうっ。

 ふと気付くと、美沙が僕の顔を覗き込んでいた。

「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、お母さんの気持ちも考えてあげないとね」

 それ言われるとつらいなあ。

「哉太。潤美ちゃんに指の一本でも触れようものなら、わかってるわね?」

「……わーってるって! 俺みたいなヘタレに変なことできるとでも思ってるのかっ」

「できないわね。よろしい」

 不憫だぞ哉太。だがもちろんお前に手を出されるつもりなどないから安心しろ。

「哉太兄、よろしくね」

 にっこり笑ってやる。……おい、頬を染めるな哉太、きしょいだろうが。

「……おう」

 ううむ。これ、放課後のワーム退治ってかなり難しいんじゃね?

 部活の時間とか上手く利用して、なんとかターゲットに近付く方法を考えないと、だな。


「佳織、どこ? ここ、高等部だよ?」


 あ、中等部の教室で聞いた声だ。佳織、か。なんだろう、どこかで聞いた名前のような気がするけど……。気のせいかな。

「帰ろうぜ、潤美」

「うん」

 先に歩き出した哉太の隣に並ぶ。

 元々の身長差に加えてさらに十センチかぁ。でっかいなぁ、うらやましいなぁ。

 この時の僕は気付くことができなかった。男を上目遣いに見上げる女の子の図が、端から見るとどんな風に映るのかを。

「……潤美の速度に合わせるからな。きつかったら言ってくれよ」

 馬鹿野郎。だから頬を染めるなっての。

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