第二十六章 天馬翔子の野望と力

 保健教師の中里満智子の自宅でシャワーを使わせてもらった道明寺かすみは、中里に貸してもらったジャージに着替えた。しかし、彼女の大きな胸を覆えるブラがないため、緊急用として中里が提供したのは医療用の大きな包帯だった。かすみは難儀しながらもそれを胸に巻きつけ、

「く、苦しい」

 そう呟きながらも、何とか「揺れ」を押さえる程度にはできた。それでもその大きさははっきりわかる状態で、浴室から出るなり、

「おい、包帯を撒くのを忘れたのか?」

 中里が思わず確認してしまったほどだ。

「いえ、ちゃんと巻きましたけど?」

 かすみとしては、十分締めつけたつもりなのだが、中里にはそう見えなかったようだ。

「え、何が起こってるんですか?」

 納戸に閉じこめられた安倍秀歩は妄想が爆発しそうなほどいろいろと思いを巡らせてしまっていた。

(安倍には絶対に見せられないな)

 中里は悔ししさと羨ましさの入り交じった目でかすみの胸を見つめた。

「今、行きつけの百貨店の下着売り場のスタッフがこちらに向かっている。とにかく規格外の胸だから、ありったけのブラを持って来いと伝えた」

 中里が大真面目な顔でそう言ったので、かすみは苦笑いして、

「はい、ありがとうございます」

 それしか言えなかった。

「私の部屋に来い。髪を乾かした方がいい」

 中里は廊下を歩き出す。

「はい」

 かすみは大股で歩いて行く中里を小走りに追いかけた。

「但し、部屋に入って笑ったりしたら、叩き出すからな」

 中里は振り返らないで謎の言葉を吐いた。かすみは首を傾げながら、

「わかりました」

 そう応じながら、中里の心を予知能力を使って覗いた。うさぎのキャラクターが壁にもカーテンにも布団にもクッションにもあしらわれている。中里のぶっきらぼうな雰囲気からは想像がつかない。

(わあ、中里先生の部屋って、可愛い)

 思わず微笑みそうになるが、中里が振り返るとまずいので堪えた。


 並外れた異能者である天馬翔子の遠隔操作による襲撃を逃れた警視庁公安部の森石章太郎は大通りを目指して歩いていた。彼は常に四方に気を配っていたが、翔子はその後は一度も仕掛けて来なかった。

(油断はできないが、取り敢えずは落ち着いたか……)

 そう思い、森石が携帯電話を取り出した時、目の前に能力者であるロイドが瞬間移動して来た。意表を突かれた森石は身構える事すらできずに飛び退いた。するとロイドはそれを蔑むような目で見て、

「お前を殺しに来た訳ではない。カスミの居場所を教えに来たのだ」

 森石は怪訝そうな顔でロイドを見た。

「どういう事だ?」

 彼はまだロイドを警戒している。ロイドは森石に背を向けて、

「お前は俺と目的が同じだ。敵ではない」

「は?」

 森石はキョトンとしてしまった。ロイドは森石をチラッと見て、

「カスミはこの先の中里総合病院の院長の家にいる。そこの娘がカスミの学校の保健教師だ」

 それだけ言うと、瞬間移動してしまった。

「中里総合病院?」

 森石は携帯のマップ機能を開き、場所を確認した。そこからそれほど離れていないところにそれがあるのを見つけた。

(あいつ、何が言いたかったんだ?)

 森石はロイドが「お前は俺と目的が同じだ」と言ったのが気にかかっていた。

(まさかあいつもかすみの身体が目当て?)

 そう思ってしまい、首を横に振る。

(いやいや、あいつはともかく、俺は違う!)

 森石は一人問答をしながら歩いていたので、周囲にいる人達が奇異の目で彼を見ていた。彼は「中里総合病院」の看板を見つけて、歩を速めた。クラクションを鳴らされて道の端に寄りながら、彼は「美瀬丹みせたん百貨店」と車体の横に書かれた車が通り過ぎるのを見た。

(どこの金持ちが呼んだんだ? あそこの外商部は相当な額でないと届けてくれないので有名だぞ)

 その金持ちが自分が向かっている中里総合病院だとは思わない森石である。


 翔子は天翔学園高等部の秘密の部屋に潜んでいた。以前教頭の平松誠を監禁していたところだ。そこは国際テロリストのアルカナ・メディアナがいた豪華客船の一室と同じく、どんな能力でも見通せない特殊な金属で囲まれた場所である。

(道明寺かすみ……。この私を脅えさせるとは……)

 翔子は今まで敵に背中を見せた事がないのが誇りだったが、それをかすみに潰された気がした。

(商品として欠陥が大き過ぎる。メディアナとの取引は一旦中止にして、あの女を始末しないと、今後の仕事に支障が出る)

 翔子はかすみをメディアナに提供する事を諦める事にした。

(惜しい能力だが、相容れないのであれば、殺すしかない)

 美しい顔を凶悪に染め上げると、翔子はニヤリとした。

「そうと決まれば、天翔学園理事長の顔はもはやいらない」

 翔子はマロンブラウンの髪を掴むとバッと剥がしてしまった。するとその下から長い黒髪がこぼれ出て来た。

「そして、手加減の必要もないのだから、私が勝つ!」

 翔子はマロンブラウンのカツラを放り投げ、高笑いをした。彼女の力が解放されたせいなのか、部屋の壁が軋み、天井が歪んだ。

「私にこれほどの屈辱を感じさせてくれた礼はきっちりさせてもらうよ、道明寺かすみ」

 翔子は部屋のドアを触れずに破壊し、外に出た。


「む?」

 翔子が秘密の部屋を出たので、その力が四方に飛び、ロイドがそれに気づいた。

(ショウコ・テンマ? これは一体……? 本当に同一人物なのか?)

 ロイドはあるビルの屋上にいたが、翔子がいる天翔学園高等部の方角を見た。

(これがあの女の本当の力だというのか……)

 ロイドの表情は変わらなかったが、彼の額を汗が流れ落ちていた。

「カスミはらせない」

 ロイドはフロックコートの襟を直して瞬間移動した。


 当然の事ながら、かすみも翔子の力の変質に気づいていた。

「どうした、道明寺?」

 自分の部屋のドアノブに手をかけた中里はかすみがピクンとしたのを見て尋ねた。かすみは辺りを見回しながら、

「天馬理事長が力を変えました。いえ、本当の力を解放したと言った方が正確ですね」

「何?」

 中里は怪訝そうな顔でかすみを見る。

「髪を乾かしている時間はないみたいです。ちょっと出て来ますね」

 かすみはそう言うと廊下を走って行ってしまった。

「おい……」

 中里は声をかける事もできなかった。

「美瀬丹百貨店です」

 かすみが玄関に辿り着いた時、ちょうど百貨店の男の店員二人がドアを開いて入って来た。

(おかしい!)

 かすみは店員の行動に違和感を覚え、立ち止まった。

「早かったな、上がってくれ」

 そこへ中里が追いついて来た。かすみは中里を見て、

「先生、逃げてください!」

「何だって!?」

 突然かすみが大声を出したので、中里はびっくりして立ち止まった。

「く!」

 かすみは店員が投げつけたはさみを床に敷かれていたマットで叩き落とし、

「天馬理事長ですね? まだそんな卑怯な手を使うつもりですか?」

 翔子を挑発する言葉を発した。すると店員の一人が、

「私をあおるとはいい度胸だ、道明寺。心配しなくても、お前に止めを刺すのは私自身だよ」

 翔子が喋らせているのだ。中里は何が起こっているのかわからず、目を見開いたままだ。すると店員が中里の方を向き、

「これは中里先生、お邪魔しています。理事長の天馬です」

 その言葉を聞き、かすみはギョッとした。

(中里先生に正体をばらしたという事は……)

 翔子が中里を殺すつもりなのを悟ったのだ。

「先生、逃げてください!」

 かすみはありったけの声を出した。翔子に操られた店員がニッとする。玄関の床がひび割れ、それが中里に向かって延び始めた。しかし中里は金縛りに遭ったように動かない。

(間に合わない!)

 かすみは中里が翔子の念動力サイコキネシスで砕かれるのを想像し、

「いやあ!」

 絶叫した。すると翔子の力が中里に届く直前、中里の身体がフッと消えてしまった。

「何!?」

 店員の目を通してそれを見ていた翔子は驚きの声を上げた。

「え?」

 かすみも中里が不意に消えたので何が起こったのかわからない顔で中里がいた場所を見ている。

「今何をした、道明寺ィ!?」

 店員の口を借りて翔子が怒鳴った。彼女はかすみが中里を飛ばしたと思っていた。

「く……」

 店員がいきなり白目を向いてその場に倒れた。かすみはもう一人の店員も手刀で倒し、中に入って来た森石を見た。

「森石さん!」

 喜びのあまり、かすみは森石に抱きついた。

「うお、お前、ノーブラなのか?」

 森石はかすみの胸が直接当たっているような錯覚に陥り、尋ねた。かすみはブラを着けていない事を思い出し、

「きゃっ!」

 赤面して森石を突き飛ばすように離れた。

「いてて……」

 森石は玄関のドアの端に背中をぶつけて呻いた。

「ひでえな、道明寺? 俺が何したんだよ?」

 森石が恨みを込めた目で睨むと、かすみは苦笑いをして、

「ごめんなさい」

 舌を出して謝った。

「何があったんだ、今?」

 奥から中里が目を見開いたままで歩いて来た。

「中里先生、ご無事だったんですね?」

 かすみは中里を見てホッとした顔になった。中里は引きつった顔で笑い、

「無事かどうかはよくわからんが、気づいたら自分の部屋にいたんだよ」

 彼女はその時ようやく森石に気づいた。

「こちらは?」

 中里はかすみを見た。かすみは森石を見て、

「警視庁公安部の森石さんです」

 森石はスーツの内ポケットから身分証を出し、

「森石です。貴女が天翔学園高等部の保健教師の方ですか?」

 中里は何故か顔を赤らめ、

「あ、はい、そうです」

と応じた。その反応にかすみはキョトンとしたが、

(もしかして……)

 ニヤついていると、

「な、何がおかしいんだ、道明寺?」

 中里に睨まれてしまった。


 しばらくして、歯の治療を終えた片橋留美子が意識を回復した手塚治子と共に中里の自宅に戻って来た。一同は居間に集まった。

「天馬理事長がまた仕掛けて来る前にこちらから打って出ようと思います」

 かすみが言った。中里が驚いて何かを言おうとしたが、

「そうだな。あの女、力を増しているみたいだ。早く何とかしないと大変な事になる」

 森石が同意した。

「私達も協力します」

 留美子と治子が言った。かすみは微笑んで、

「ありがとうございます。ロイドもきっと力を貸してくれます。天馬理事長を何としても止めないと」

 その言葉にそこにいた皆が頷いた。その中の誰一人として、納戸に閉じこめられたままの安倍を思い出さなかった。

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