第二十四章 決裂

 夕闇が漆黒の闇に塗り潰されていく日本近海に停泊している国際テロリストのトップであるアルカナ・メディアナ所有の豪華客船。その広々とした一室で、船主のメディアナと正体不明の異能者であるロイドが互いを見たまま、沈黙の時が続いている。ロイドは瞬きもせずにメディアナを見ている。メディアナはロイドを微かに笑みを浮かべて観察しているかのようだ。

「貴方がどういった理由でカスミ・ドウミョウジに執着されるのか、調べさせていただきました」

 ロイドが一向に口を開くつもりがないのを見て取ったメディアナが口を開く。ロイドは目を細めた。

「調べた?」

 彼の顔つきが険しくなるのを察したメディアナのボディガード五人が身構える。しかしメディアナはニヤリとして、

「貴方はカスミに心を惹かれているようですね。だから彼女に近づこうとする」

 ロイドは細めた目を見開き、

「それ以上詮索すれば、殺す」

 部屋の空気が一気に緊迫した。五人のボディガードが一斉に動いた。二人がメディアナを庇うようにして立ち、三人がロイドを取り囲む。メディアナはロイドを哀れむような目で見上げ、

「あらかじめ言っておきますが、この部屋では貴方の能力は使えない。下手な事は考えない方が身のためですよ、ミスター・ロイド」

 ロイドは自分を取り囲んだボディガードを見渡して、

「こんな貧弱な連中でこの俺を止めるつもりか、ジイさん?」

 射るような視線をメディアナに向けた。メディアナはフッと笑ってスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。

「マーガレット・チャンドラー。貴方のお母様ですよね?」

 メディアナはソファから立ち上がり、写真をロイドに見えるように掲げた。ロイドの目がまた見開かれる。

「なるほど、カスミに執着する理由がわかったような気がします。貴方のお母様は、カスミによく似ている」

 メディアナの顔が狡猾に歪む。

「人は誰しも他人に踏み込まれたくない聖域を持っているのだ、ジイさん!」

 ロイドが動いた。彼を囲んでいたボディガードが反応した。一人がロイドを取り押さえようとして後ろから飛びかかった。するとロイドはフロックコートを投げつけて視界を遮り、右回し蹴りを炸裂させた。ボディガードはかわす事ができず、後方に吹っ飛んで床に叩きつけられた。それを見て怯んだ残りの二人だったが、目配せし合って黒の詰襟と黒のスラックス姿になったロイドを挟み打ちしようと左右に動いた。ロイドは一瞬で二人のうちのより近い方に接近し、両手をクロスさせて首を強打した。それを食らったボディガードは喉を潰され、悶絶しながら床に崩れた。もう一人はロイドの背後を取ったが、彼の蹴りを警戒したのか、間合いを取ったままで踏み込もうとしない。彼はメディアナをガードしている二人に合図し、三人でロイドを取り囲み直した。

「わかっていないようですな、ミスター・ロイド。我々は貴方のお母様の命を握っているのですよ? それでもまだ抗(あらが)うと?」

 メディアナの勝ち誇った顔がロイドを蔑むように見ている。ロイドは無表情な顔に戻り、

「俺に脅しは通用しない。いくらお前達が優れた情報網を持っていようと、俺の母親の居場所は突き止められない」

 メディアナは肩を竦め、部屋の隅のテーブルに置かれている携帯端末を持ち上げ、

「これでもまだそんな強がりを言えますか、ミスター・ロイド?」

 その端末の画面には、一人の年老いた女性が写っていた。彼女は椅子に座らされ、手足を縛られていた。ロイドの顔が険しくなった。

「貴様……」

 彼はメディアナを睨み、一歩踏み出した。途端にボディガード三人がその前に立ちはだかる。

「さあ、お互いの立場がはっきりしたところで、契約の話を進めましょうか?」

 メディアナは右の口角を吊り上げて言った。


 道明寺かすみと坂出充は天馬翔子に招かれるまま、応接室に足を踏み入れた。

「おかけになって」

 翔子は身の内の悪魔を包み隠し、偽りの笑顔で二人に告げた。かすみと坂出は妙な違和感を抱いたままでソファに並んで腰を下ろした。

(さっきから頭の中に濃い霧かもやのようなものがかかっていて、何かを邪魔している。それは何?)

 かすみは紅茶を用意している翔子を見ながら必死に考えていた。坂出も同様だ。

(何故理事長に会った途端に思考が制御されるのだ? 何の力だ? 理事長も異能者?)

 そこまで彼が考えた時、身体の中を何かが走り抜けた気がした。思い出したのだ。坂出は思わず立ち上がり、かすみを見下ろした。

「道明寺、わかったぞ。どうして頭の中がぼんやりするのか、その理由がわかった」

「え?」

 考え込んでいたかすみは坂出の声にハッとして彼を見上げた。翔子は二人に背中を向けたままでニヤリとした。

(坂出、ご苦労様。お前の役目はもう終わった)

 翔子はそれでも笑顔を作り、ポットの紅茶をカップに注ぎ、トレイに載せてかすみ達のところに運ぶ。

「理事長、貴方こそ平松教頭を操っていた張本人。そして俺達の記憶を操作し、それを忘れさせた能力者だ」

 坂出は笑顔のままで彼を見ている翔子を指差して言い放った。かすみは驚いて翔子を見上げた。微笑んでいた翔子の顔が狡猾に塗り固められていく。かすみはハッとしてソファから立ち上がり、坂出と共に翔子から離れた。

「よく見破ったと誉めてあげたいところだが、思い出すべきではなかったな、坂出」

 翔子はトレイをテーブルに置きながら坂出を哀れむような目で見た。坂出はその目にギョッとし、身を強張らせた。

(この感覚、確かにあのボスのものだ……。しかし、これは……)

 彼は全身の血が全て頭に上っていく感覚に囚われた。いや、それは感覚ではなく、現実だった。彼の顔の血管がまるで入れ墨のように浮き上がり、脈打つ。

「ぐは……」

 坂出は思わず両手で顔を触った。その異変に気づいたかすみが、

「坂出先生、どうしたんですか?」

 彼に近づいて声をかけるが、すでに坂出にはかすみの声は聞こえていない。かすみは翔子を見た。翔子は実験結果を待つ科学者のような顔をしている。

「うおお!」

 血管の浮き上がりが更に酷くなり、坂出の顔は赤黒く染まっていく。手の血管も浮き上がり、首の血管もまるで生き物のようにうねりながら更に太くなっていく。

「バカめ。妙な詮索をせずに大人しくしていれば長生きできたのだ」

 翔子は侮蔑の感情を露にして坂出を見ている。かすみは坂出の命が尽きようとしているのを感じた。

「先生!」

 何もできない事はわかっていたが、叫ばずにはいられなかった。次の瞬間、坂出の身体中の血管が破裂し、応接室は血の海になった。

「先生!」

 坂出の身体から噴き出す血を浴びながらも、かすみは崩れるように床に倒れる彼の身体を支えようとしたが、血で滑ってしまい、抱き止められなかった。坂出は床に倒れ、少しだけ弾んで仰向けから俯せになって止まった。

「部屋を汚して仕方のない奴だ」

 翔子の非情な言葉にかすみは目の周りの血を拭いながら彼女を見た。すると見えない壁があるように翔子には血は一滴もかかっていなかった。かすみは驚愕のあまり言葉を失った。

(この人の力、何なの?)

 翔子はニヤリとしてかすみに目を向けると、

「さあ、もうわかっただろう? 私に逆らうものが選択できるのは死だけなのだ。お前はどうする、道明寺かすみ?」

 かすみは翔子の力の強大さに足が竦みかけたが、彼女に従おうとは思わなかった。

「貴女という人は……」

 そして心の最深部から熱い何かが込み上げて来るのを感じた。

「む?」

 翔子もかすみの身体の奥から何かが湧き上がって来るような感覚を得た。

(何だ? 何が起ころうとしている?)

 本能的に身の危険を感じたのか、翔子はかすみから離れた。

「貴女という人はああ!」

 かすみの身体からマグマのような熱いものが噴き出して来る。翔子は生まれてこの方、敗北感を味わった事がなかったが、このままではまずいと考えた。念動力サイコキネシスの応用で作り出した障壁バリアがかすみが放出する得体の知れない力で軋み始めたのだ。

(もしやこれが道明寺の隠された力なのか?)

 翔子は瞬間移動テレポートしようとしたが、できなかった。

「何だと?」

 彼女の美しい顔が歪み、奇麗なマロンブラウンの髪が乱れた。

「うわああ!」

 かすみが雄叫びを上げた。それと同時に応接室が吹き飛び、翔子は障壁で防いでいた血を全身に浴び、廊下まで吹き飛ばされた。それでも彼女は障壁を張りなおして身を守ったので壁を突き破ってもどこも怪我をしていなかった。

「おのれ、道明寺……」

 かすみからある程度離れた事で力が戻ったのを感じた翔子は、瞬間移動でその場から逃亡した。

「私……」

 翔子が逃走した事でかすみは落ち着きを取り戻し、周囲を見渡した。坂出は出血量が多かったが、まだ絶命はしていなかった。

「先生、しっかりしてください!」

 かすみは燃え尽きかけていた坂出の命の灯火を消さないように懸命に声をかけた。

「道明寺……」

 坂出は翔子が仕掛けた「時限爆弾」を堪え、生き永らえたのを知った。

「良かった……」

 血に混じって涙を流すかすみを見て、坂出は安心した。

(道明寺なら、勝てる。あの女は化け物だが、道明寺なら……)

 彼は必死に呼びかけてくれるかすみの手を弱々しく握り、微笑んだ。かすみも安心したのか、涙を拭いながら微笑み返した。

(それと……)

 彼女は遥か海の向こうにいるもう一つの巨大な悪意を感じていた。


 ロイドはメディアナに今まさに屈服しようとしていた。

「森石を殺してくれれば、貴方のお母様は無事お帰し致しますよ」

 メディアナは勝ち誇った顔でロイドが契約書に自分の血でサインをするのを見ていた。

(これが完了すれば、この男は二度と私に逆らう事ができなくなる)

 ロイドが右手の人差し指をナイフで切り、その血を白い小皿に垂らし始めた時、まるで突風のような衝撃が起こり、契約書を吹き飛ばしてしまった。

「な、何だ?」

 締め切った部屋の中にいきなり風が吹き抜けたので、メディアナは仰天して周囲を見渡した。それはロイドも同じだった。

(今のはカスミの力なのか……? どういう事だ?)

 彼がいる部屋は一切の超能力を通さないし、発現させない特殊な金属で覆われているのだ。かすみの力がそれを通り抜ける事などあり得ないはずである。

『ロイド、騙されないで! その人は貴方のお母様ではないわ! その男が金に飽かせて探させ、外科手術で作り出した偽者よ!』

 続けてかすみの声が聞こえたので、ロイドは彼女の力が特殊金属を貫いたのを知った。ロイドは狼狽えるメディアナを庇うボディガードの隙を突き、部屋を脱出した。

「逃がすな、追え!」

 我に返ったメディアナが命じ、ボディガード達が走り出したが、ロイドはすでに瞬間移動した後だった。

「一体さっきの風は何だったのだ?」

 異能者ではないメディアナには全くわからない現象だった。

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