第二十三章 謀略家達の思惑

 警視庁のロビーは血の臭いが充満していて、事情を知らずに上階から降りて来てしまった職員達が皆揃って隅の方で嘔吐している。それを遠目に見ている公安部の捜査員である森石章太郎は眉をひそめて敵の企みを考えていた。

(どういうつもりなんだ、天馬翔子? これだけの騒ぎを起こして、自分の身が危ういとは思わないのか?)

 原形を留めないほどに崩れてしまった遺体を鑑識課員が運び出している。惨殺死体を幾千もて来た彼らでも、念動力サイコキネシスで潰された頭はおぞましかったようだ。それでもプロとしての矜恃きょうじがあるのだろう、吐いたり目を背けたりはしていないが、顔を引きつらせていた。その中でも、森石が射殺した平松誠の遺体は彼の指示で拘束具を着けられ、その上から丈夫なシートで包まれ、強力な粘着テープで何重にも巻かれた。翔子の力でいつ動き出すかわからないからだ。もちろん、森石は鑑識課員達に理由は話さなかった。「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープを張ると、彼らはロビーから出て行った。

「よくお前無事だったな」

 公安部の部長である暁嘉隆がロビーに来ている。彼もまたハンカチで口を押さえている。嘔吐はしていないが、しばらく食事ができなくなりそうだと思っていた。担当部署の関係で彼がロビーに姿を見せるのは稀有であるが、事態の異常さに驚いて降りて来たのだ。森石は自分に「アンチサイキック」という能力があるのを誰にも教えていない。それを上層部が知れば、森石は自由に行動できなくなるのを知っているからだ。そしてもう一つ理由があるのだが、それを知られると彼は間違いなく拘束されてしまうだろう。

「運が良かったんですよ」

 納得していない表情の暁に苦笑いしてみせ、森石は正面玄関へと歩き出した。

「どこへ行くつもりだ?」

 暁が尋ねた。森石は立ち止まっただけで振り返らず、

「道明寺の所です。彼女が危ないんです」

と言うと、庁舎を出て行った。暁はしばらく森石の背中を目で追っていたが、

「メディア対策をしないとな」

 そう呟き、身を翻して奥へと歩いて行った。

(道明寺は携帯を持っていないんだよな)

 森石はポケットから携帯電話を取り出しかけて手を止めた。

(最初は俺に電話番号を教えたくないのだと思ったが、本当に持っていなかったのには驚いた)

 連絡をとる時に困るから持っていろと言った事があるのだが、

「持っていてもすぐに壊れちゃうから」

 かすみは頑として拒否した。

(あいつの能力と何か関係があるのか?)

 森石は国道一号線に乗り出そうとしている鑑識の車を停め、同乗させてもらった。

(監察医務院は道明寺の高校に行く途中だからちょうどいい)

 森石は迷惑そうな鑑識課員達の表情を無視して、半分無理矢理乗り込んだ。翔子が攻撃して来る可能性も考えられたが、森石が「アンチサイキック」だとわかっている彼女がそんな無駄な事をするとは思えない。運転手を殺して事故死させる事もできるだろうが、今はそれどころではないだろうとも思った。

(あの女、恐らく道明寺をアイルーダに売り渡すつもりだ)

 森石は流れて行く外の夕闇に包まれ始めた風景を見ながら、国際テロ組織のアイルーダと翔子のつながりについて考えた。アイルーダはイスラム過激派が中心となって結成された団体だが、今ではそれは形骸化しており、ボスであるアルカナ・メディアナの私欲を満たすための殺戮集団に成り下がっている。宗教の理念など関係なく、全てはメディアナが牛耳る巨大企業の利益のために動いているのだ。

(メディアナの目的は道明寺の能力。だとすると、天馬の目的は何だ? 金か?)

 翔子は日本の政財界に太いパイプを持っていると噂されている。金ならそこからいくらでも引っ張れるはず。メディアナは確かに世界的な大富豪でもあるが、彼と取引するのは同時に大きな危険も伴う事になる。

(まさかあの女、メディアナの何番目かの夫人にでもなるつもりか?)

 メディアナは性欲も強いと言われている。今でも十人ほどの愛人がおり、子供は百人を超え、孫は五百人以上いると噂されている。未確認情報ではあるが、自分の息子の妻にまで手を出したという驚嘆すべき話すらあるのだ。そんな性欲の塊のメディアナの相手をするのは生半可な覚悟ではできない。

(最終的にはアイルーダそのものを乗っ取るつもりかも知れないな)

 翔子ならそれくらいまで考えている可能性がある。またそこまで想定しなければ割が合わないとも思えた。

(そう言えば、あの男の消息が掴めないな)

 森石はスーツの内ポケットからスナップ写真を取り出した。そこに写っているのは人込みに紛れて歩く能力者のロイドだった。彼は撮影者を確実に捉えていて、その直後に殺害している。


 夕日で赤く染め抜かれた日本の領海ぎりぎりの海の上に停泊している巨大な豪華客船。それこそ、国際テロ組織のアイルーダのトップであるアルカナ・メディアナの所有する船舶である。彼は翔子との交渉を進めるため、日本近海まで来ていたのだ。

「わざわざ出向いてもらって申し訳ないね」

 船の中の豪華なシャンデリアが下がっている広々とした部屋で、白のスーツに身を包み、クーフィーヤ(頭に被る装身具)を着けた浅黒い肌に白い髪と豊かな口髭を伸ばした細身の老年の男性。彼こそアルカナ・メディアナその人である。大きな一人掛けのソファにゆったりと座り、客人を見上げている。

「一体何の用だ? つまらん話ならすぐに帰るぞ」

 彼の目の前に立っているのは、季節外れの黒のフロックコートを着込んだ長身の白人男性。ロイドである。ロイドの不躾な言葉にメディアナの屈強な体格のボディガード達五人が色めき立ったが、メディアナはニヤリとして彼らを手で制した。

「つまらん話ではないと思いますがね、ミスター・ロイド。我々の仕事を邪魔する男を始末して欲しいのです」

 メディアナは微笑んだままでロイドに殺人を依頼しようとしている。異様な光景である。

「その男がお前らの邪魔になるとしても、俺には全く関係ない」

 ロイドはメディアナに背を向けて部屋を出て行こうとした。さすがのメディアナも少々顔を引きつらせかけたが、

「その男がカスミ・ドウミョウジにつきまとっているとしても、ですかな?」

 狡猾な笑みを浮かべ、ロイドの返事を待つ。ロイドは歩を止め、ゆっくりと振り返る。

「カスミにつきまとっている、だと?」

 それでもロイドは無表情のままだった。メディアナはフッと笑い、

「ええ、そうです。どうやらその男はカスミの身体が目当てらしい。とんでもない変質者だそうです」

 ロイドは目を細めた。

「如何です、ミスター・ロイド。貴方にとっても邪魔な存在ではないですか、その男は?」

 メディアナは右の口角を吊り上げて言った。ロイドは更に目を細めた。


 かすみと坂出は敵であるとは知らない翔子について、暗くなって明かりが点けられた天翔学園高等部の廊下を歩いていた。

「教頭先生の携帯電話が応接室に落ちていたのです。それで連絡がとれないのだとわかりました」

 歩きながら翔子が説明した。かすみも坂出も理由はわからないのであるが、不自然な感覚を抱いていた。

(何だろう、この違和感は?)

 かすみは首を傾げながら翔子について行く。坂出は翔子の後ろ姿を見つめつつ、何かを思い出そうとしていた。

(おかしい。まるでパズルのピースを隠されてしまったかのようなもどかしさを感じる)

 二人共翔子が平松を操っていた事を忘れさせられているのであるが、彼女自身を見る事によって何かを思い出しかけていた。

(それ以上考えない方がいいぞ、二人共。特に坂出はな。時限爆弾が起動してしまうぞ)

 翔子は二人に見えないところでニヤリとした。

「お二人は何故教頭先生をお探しなのですか?」

 応接室の前まで来ると、翔子は微笑んで振り向いた。坂出はハッとして翔子を見た。

(何だ? 今、何か……)

 彼は思い出しかけていた。それを察した翔子がフッと笑う。かすみは頭の中にもやがかかったかのようになった状態を気にしているので、翔子の笑みを見逃した。

(坂出はいずれ自滅する。そして、一番邪魔な森石はロイドが片づけてくれる。奴は利用価値があるし、ゆくゆくは取り込む事も可能だろうから、生かしておく)

 全てを後ろから操る。天馬翔子は身の内に悪魔を棲ませているのかも知れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る