第十八章 それぞれの決断

 想像を絶する恐るべき能力で三人の異能者を圧倒したボス。その正体は道明寺かすみが通う天翔学園の理事長の天馬翔子だったが、それに気づいたかすみ達は、翔子の力で記憶を操作され、忘れてしまった。しかし、三人はそれを知らないのだ。彼らを追いつめていた野次馬達もボスの力が消えたのでそれぞれ我に返り、首を傾げながらその場を離れて行った。

「カスミ、ここは一旦退く。お前も気をつける事だ」

 目的と正体が不明の異能者のロイドはそう言い残して瞬間移動した。かすみはもう一人の異能者である坂出充を見た。

「坂出先生はどうするのですか?」

 かすみは坂出が以前の事はともかくとして今は敵ではないので、警戒心を解いて尋ねた。坂出はかすみを見てから気を失ったままでかすみに支えられている新堂みずほを見た。

「俺はもう学園には戻れない。新堂先生に取り返しのつかない迷惑をかけたからな。このまま消えるよ」

「え?」

 坂出のあまりにも意外な応えにかすみは驚いて目を見開いた。

「それにお前も見ただろう? 教頭の平松が俺のボスだったんだ。そして俺は奴に逆らった。新堂先生が何も覚えていないとしても、学園に留まる事はできない」

 坂出は車の運転席のドアを開いた。

「どうする? 途中までなら送るぞ」

 かすみはみずほの顔を見て、

「学園のそばまで乗せてください。私、誰かを伴ったままで瞬間移動をした事はないので。危険だし」

 すると坂出は運転席のドアを閉じ、かすみのところに来ると、みずほを抱き上げた。

「ドアを開いてくれ」

 坂出は助手席に近づきながらかすみを見る。かすみはハッとして彼の前に出て、助手席側のドアを開いた。

「私も先生と同じですよ。平松教頭の正体を知ってしまった以上、あそこには戻れない」

 かすみは寂しそうに笑った。坂出はみずほを慎重に助手席に座らせ、

「そうだな。これからどうするんだ?」

 振り返って尋ねると、かすみは後部座席に瞬間移動していた。

「今日、クラスの皆と距離がグンと縮まったんです。とても嬉しかった。でも、もう皆とは会えない。巻き込みたくないから」

 かすみは俯いて言った。坂出はかすみを見て、

「そうだな。奴は容赦がない。例え誰でも邪魔者は殺すだろう」

 かすみは坂出の言葉に反応して顔を上げた。

「そんな事は絶対にさせない。そう言いたいけど、あの圧倒的な力を見た後だと、言えない……」

 彼女は歯軋りした。やっとの思いで撃退したロイドより遥かに強い平松を倒す自信がない。そして、クラスメートの風間勇太や桜小路あやねを守り切る自信もない。

「俺もだ。ロイドにも勝てなかったのに、そのロイドを軽くあしらった平松に勝てるはずがないからな」

 坂出は運転席に乗り込み、エンジンをかけた。

「行く宛てはあるのか?」

 坂出は車をスタートさせてルームミラー越しにかすみを見る。かすみもミラー越しに坂出を見て、

「何かあったら俺を頼れって言っていた人がいます。その人に連絡を取ってみます」

 坂出はニヤリとして、

「彼氏か?」

「そんなんじゃありません。一度命を助けた事がある人なんです」

 かすみはプウッと頬を膨らませて言い返した。

「そうか。それなら良かった」

 坂出が優しく微笑んだのを見て、かすみは胸が締めつけられた。

「先生も一緒に来ませんか? その人、力になってくれると思いますよ」

 かすみの申し出を坂出は心の中では感謝したが、

「できない。俺にもそれなりにプライドってものがある。それに平松には一矢報いたいしな」

 つい強がりを言ってしまった。彼は自分のせいでかすみをより危険にさらすのを避けたかったのだ。

「無茶ですよ、先生。一人で何とかしようなんて思わないでください。場合によっては、ロイドだって味方に引き入れる事ができるかも知れないんですよ」

 かすみは坂出の身を本気で案じている。人の心を読む能力はない坂出にも、かすみの気持ちはよくわかった。

「俺は俺で動く。お前の知り合いとも、あの無表情な男とも共闘するつもりはない」

 坂出は険しい顔になっていた。

(坂出先生を怒らせちゃったのかな?)

 かすみは坂出の気分を害してしまったと思った。

「ここでいいか」

 坂出は天翔学園の校舎が僅かに見える通りで車を停止した。

「はい。ありがとうございました」

 周囲に人がいないのを確認してから、かすみは瞬間移動で外に出て、ドアを開いてみずほを引き起こした。坂出も車を降り、かすみに手を貸してみずほを車から降ろした。

「じゃあな。新堂先生は何も知らないから命は狙われないだろう。俺がいなくなってから事情を説明して、学園に帰らせればいい」

 坂出はさっさと運転席に乗り込んでしまう。

「新堂先生にお別れを言わなくていいんですか?」

 かすみはたまらなくなって叫んだ。坂出はビクッとしたが、

「もうこれ以上嫌われる必要はないだろう」

と言い残すと、走り去ってしまった。

「坂出先生……」

 ほんの数時間前までは敵だったはずの坂出の心情に同情している自分に驚くかすみである。


 保健室のドアに施錠して、中里満智子は教職員用の玄関へと向かい始めた。

「中里先生」

 生徒会副会長の安倍秀歩が背後に姿を見せた。但し、今の彼は、生徒会長である手塚治子の操り人形である。中里は鬱陶しそうに振り返り、

「安倍か。どうした、こんな時間まで? 今日は生徒会の会議はなかっただろう?」

 安倍の目つきがいつもと違うのを感じたので、警戒しながら尋ねた。すると安倍はフッと笑って長い前髪を掻き上げ、

「今日は先生を待っていたんです」

 そう言うと、彼はスッと中里に近づいた。

「おい……」

 教師と生徒の関係とは思えないほど顔を近づけて来た安倍に驚き、中里は身を引く。身長はわずかに安倍の方が高いだけだが、中里は安倍の異様さに脅えてしまった。

(何だ、こいつ? ナンパヤロウだとは思っていたが、何をトチ狂って……)

 自分のような年上の女を、と思いかけ、ハッとする。

(こいつは会長の手塚治子にご執心だと聞いている。何のつもりだ?)

 中里は安倍がふざけているのだと判断した。

「大人をからかうな、安倍。早く帰れ」

 彼女は強い口調で言い放ち、彼に背を向けて大股で歩き出そうとした。

「からかってなんかいませんよ、満智子先生」

 安倍はいきなり中里を背後から抱きしめた。

「やめろ、安倍、大概にしないと……」

 中里は安倍の腕を振り解こうとしたが、彼の力は想像以上に強く、ビクともしない。

「ふざけるな、安倍!」

 中里は格闘技に長けた女性である。彼女は安倍の足の甲を思い切り踏みつけた。

「痛いよ、満智子さん。乱暴はやめてよ」

 しかし、安倍は中里を放さない。そればかりか、中里の耳を噛んだ。

「く……」

 中里の身体から力が抜けていく。

(どういう事なんだ? こいつ、まさか……)

 そこまで考え、中里は意識を失った。


 理事長室の奥には、仮眠用のベッドが備え付けられた小部屋がある。そのベッドの上で二つの美しい裸体がたわむれていた。

「あああ……」

 長い黒髪を乱れさせ、手塚治子が嬌声をあげる。彼女の双丘を揉み、吸っているのはマロンブラウンのショートカットの髪を逆立てている天馬翔子だ。

「治子、どうして中里に安倍をけしかけた?」

 首筋に舌を這わせながら翔子が尋ねる。治子は気が遠くなるほどの快感を覚えながら、

「あの大女が、私の正体に気づいた節があるからです……」

 そこまで言うと、彼女は悶えた。翔子の右手が繁みに潜入したのだ。

「お前も心配性だな、治子。中里如き、何もできはしないし、させないよ」

 翔子のその言葉は、いく寸前の治子には聞こえていなかった。


 意識を取り戻したみずほは、かすみから事の真相を聞き、仰天していた。そして、何も言わずに姿を消してしまった坂出の事を知り、涙した。

「坂出先生も利用されていただけなのに……」

 泣き出したみずほにかすみは閉口しかけたが、

「とにかく、先生は一度学園に戻ってください。中里先生がまだいると思いますから、事情を説明して、力を貸してもらってください……」

 そこまで言いかけて、かすみは中里の窮状を感知した。

「わかったわ。ありがとう、道明寺さん」

 みずほはかすみの異変に気づかないで歩き出した。

(何? どういう事?)

 何故か服を脱がされてベッドに寝かされた中里のイメージが見えたのだ。

(中里先生が危ない?)

 かすみは状況を探るため、みずほと共に学園に戻る決意をした。

「私も一緒に行きます、新堂先生」

 みずほはいきなりかすみが追いかけて来たのでびっくりして彼女を見た。

「どうしたの、道明寺さん?」

「中里先生が危ないんです」

 かすみはみずほを急き立てるように駆け出す。

「ええ? どういう事なのよ、道明寺さん?」

 みずほは転びそうになりながら、かすみとともに走り出した。

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