第十一章 誤解が争いを生む

「お前にしては珍しいな。収穫なしか」

 警視庁公安部のフロアに戻った森石章太郎は先輩の捜査員にそう言われ、作り笑いで彼を見てから、奥へと歩き出す。公安部は右翼左翼に限らず、外国の大使館に外交官として派遣されて来るスパイも担当する。森石が所属しているのは公安部の外事情報部。その中にある国際テロリズム対策課だ。

「部長、道明寺かすみが通学する天翔学園高等部には、相当な力を秘めた能力者がいると思われます」

 彼は両側に引き出しが三段付いた大きな桃花心木マホガニー製の机で書類に目を通しているロマンスグレーの髪に同じ色の口髭を生やして黒のスーツを着た男の前に立った。男の机の上には、

「公安部部長 あかつき嘉隆よしたか」と印刷されたプレートが立てられている。

「天翔学園か……。よくあそこに入れたな?」

 暁は書類を机の上に投げ出し、森石を見上げる。森石は辺りを憚るように声を落とし、

「高等部の女子生徒と接触する事ができたので、警備もあっさり通してくれました。それに容疑者が校内の教職員だったのが功を奏しました」

 暁は森石から視線を外して再び書類に目を向ける。

「天翔学園にいる能力者が国際テロ組織の依頼を受けて日本政府高官を暗殺するという情報だが、どこまで信用できるのだ?」

 暁は鋭い視線を森石に浴びせた。しかし森石は身じろぎもせず、

「百パーセント信用できます。ニュースソースは明かせませんが、それだけは私の命を懸けてもいいです」

 彼は暁の目を睨み返すように見据え、応じた。暁はフッと笑い、

「わかった。くれぐれも慎重にな。天翔学園を掌握している理事長の天馬翔子は、政財界に太いパイプを持つと聞く。彼女を怒らせると、例え公安部でも只ではすまんぞ」

「わかっています。この捜査には自分の命の他、道明寺の命も懸かっているのですから」

 森石は言われるまでもないという表情で続けた。

「惚れたのか?」

 暁はほんの冗談のつもりだったのだが、

「違います」

 鬼の形相の森石は机を両手でバンと叩き、自分の席へと戻って行った。暁は呆気にとられたが、すぐにニヤリとした。

(道明寺かすみの件で動いているだけで、何故あの女に惚れたとかいう話にすり替わるんだ。確かにあいつは高校生離れした巨乳で、ムチムチした太腿ふとももだが……)

 森石は結局かすみの胸と脚をしっかり観察しているのだ。下心があると思われても仕方がない。


 天翔学園高等部の教師で能力者でもある坂出充は、ボスから告げられた敵対勢力が気になり、授業中にも関わらず考え事をしていた。

(そいつの能力はどんなものなんだ?)

 坂出は考え込むあまり、手に持っている白のチョークを自身の能力である発火能力パイロキネシスで焦がしているのに気づくのが遅れた。

「何か、焦げ臭くねえか?」

 最前列の男子生徒の呟きで、坂出はチョークが黒く焦げかけているのを認識し、慌てて能力を閉じた。

(くそ、敵の事が気になってダメだ……)

 坂出はこげたチョークをジャージのポケットにねじ込み、別のチョークを手に取った。


 かすみ達は化学室で実験中だった。かすみは坂出が僅かに漏らした発火能力を感知し、ビクッとした。

「どうしたの、かーすみちゃん?」

 同じ班の横山照光が不思議そうな顔で声をかけた。その声に反応し、別の班の風間勇太がかすみを見る。更に勇太の反応に気づき、彼と同じ班の桜小路あやねが反応する。あやねと同じ班の男子達は、あやねが勇太の動向にいちいち反応するので、

(風間、いつか殺す……)

 そんな思いが高まっている。勇太にはあやねの「親衛隊」達の気持ちが理解できないらしい。

「あのバカ……」

 あやねと同じ班の五十嵐美由子はイラッとして横山を睨みつけた。そんな一連の動きをかすみは全く感じず、坂出の発した能力に意識を集中していた。

(この感覚は以前私を焼き殺そうとした能力者のものだ……。一体誰? 今度こそ、正体を突き止める!)

 彼女は能力が発せられた場所の特定をするため、自分の能力の一つである予知能力を応用し、坂出の居場所を時間をさかのぼって辿り始めた。


 ところがである。そのかすみの追跡トレースを探知した者がいた。坂出のボスと教室で授業中の生徒会長の手塚治子だ。治子はかすみのトレースだけでなく、坂出の発火能力にも気づいていたので、かすみのトレースを妨害した。

(道明寺かすみ、まだ貴女は坂出先生と関わりを持つのは早いわ)

 治子は自身の能力である千里眼クレヤボヤンスを最大限に広げ、かすみのトレースを止めてしまった。

(坂出先生、お粗末ね。何を動揺しているのか知らないけど、気が小さ過ぎるわ)

 治子は楕円形の眼鏡をクイと上げ、授業に意識を戻した。


 坂出のボスは坂出の稚拙な行動を笑っていた。

(治子に援護してもらわなければ、道明寺かすみに正体を見破られてしまったはずのお前はもうすぐ用済みになるが、まだ少しは役に立ってもらわないとな。ロイドが姿を消したままなのが気にかかるしな)

 ボスの能力を以ってしても、国籍不明の能力者であるロイドの居場所はわからないのだ。

(奴が気配をシャットダウンしているのか、それとも特別な場所に潜んでいるのか……)

 ボスはそこまで考えて苦笑いする。

(まあ、いい。坂出はロイドか手塚治子が始末してくれよう)

 ボスはスッと席を立つと、その部屋を出て行った。


 かすみは治子にトレースを妨害され、唖然としていた。

(何、今の? まるで高い壁に阻まれたように先に進めなくなった……)

 かすみは妨害した能力者の気にも覚えがあった。

(射るような鋭い視線を思わせるこの能力……。こいつは誰なの?)

 その能力のトレースをしようとしたが、力が四方八方から感じられるため、トレースができなかった。

(こちらの方が力が上、という事なの?)

 坂出は図らずもボスとかすみに手塚治子以下と判定されてしまった。


 そんな坂出も、治子がかすみのトレースを妨害した事はわからなかったが、何者かが力を使ったのは感じる事ができた。

(道明寺かすみではない。もっとレベルが上の能力者だ……)

 坂出は授業を終えると、すぐに職員室へと急いだ。

(そいつが道明寺を狙っているのか? ボスが言っていた千里眼の能力者なのか?)

 眉間に皺を寄せて廊下を歩いて行くと、その向こうからかすみ達のクラス担任である新堂みずほが歩いて来るのが視界に入った。坂出は思わず歩調を緩めた.

(みずほ先生……)

 険しい表情が和らぎ、笑みさえ浮かんでいる。坂出は赴任した日からずっとみずほに思いを寄せていた。しかし、ボスの監視下であり、極力他人との接触を避けて生きて来た坂出は、その思いをみずほに打ち明ける事ができない。

「お疲れ様です、坂出先生」

 みずほが微笑んで挨拶して来た。それだけでも坂出は天にも昇る心持ちである。

「お、お疲れ様です」

 まともに視線を合わせると口も利けないほど彼はみずほに恋い焦がれていた。そのせいで、俯き加減にすれ違う坂出を、

(私の事、嫌いなのかしら?)

 みずほは悲しそうに歩き去る坂出の後ろ姿を見る。坂出にはそれがわかるので、切なくなっていた。

(俺はこんな人生を歩むつもりはなかった……)

 俯いたまま歩いていたため、前から来た人と廊下の角でぶつかってしまった。

「どこを見て歩いているんだ、坂出先生!」

 それは教頭の平松誠だった。平松は銀縁眼鏡を上下させながら坂出を見下ろした。長身の平松とやや猫背気味の坂出では、視線の高さは十センチ以上違っていた。

「も、申し訳ありません、ボ……」

 そこまで言いかけて、坂出は口をつぐんだ。平松は目を細め、坂出を上から下まで眺めてから、

「人目があるのだ。気をつけろ」

と耳元で囁くとさっと身を翻し、坂出から離れて行った。坂出は全身に冷や汗を掻いていた。

(殺されるかと思った……。後でお詫びの連絡を入れておかなくては……)

 坂出は平松の背中を見つめて思った。その時彼は、背後から放たれる鋭い視線を感じた。

(誰だ!?)

 坂出は視線の主を見つけようと踵を返し、辺りを見渡した。しかしそこには生徒達が歩いているだけで、それらしい人物の姿は見当たらない。

(ボスが言っていた能力者か? 本当に生徒に紛れているのか?)

 坂出はすれ違う時に会釈をする生徒達を睨みつけながら、職員室へと向かった。


 坂出が感じたのは、治子が意図して漏らしたものだった。そして治子は素知らぬ顔で坂出とすれ違い、彼を陰で嘲笑った。

(あの方のお考えがわからない。あんなダメ能力者を何故すぐに始末しないのか。それに道明寺かすみをどうしてご所望なのか……)

 治子はギリッと歯軋りし、

(あの方には私こそ相応しいのよ!)

 彼女は長い髪をスッと後ろにはね上げ、歩き出した。

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