第二章 危険な女

 道明寺かすみはクラスの担任である新堂みずほと共に教室に入った。男子達はどよめき、女子達の一部からは溜息とも呻き声ともつかない声が聞こえた。

(さっきから俺、誰かに睨まれている気がするんだが……)

 鈍感男の風間勇太は男子達の嫉妬の視線と幼馴染の桜小路あやねの怒りの視線をボンヤリとしか感じていない。とことん能天気である。

「では、自己紹介して、道明寺さん」

 みずほが教壇を降り、かすみがそれに代わる。彼女が歩くたびに今にもはち切れそうなセーラー服の胸の部分がユサユサと揺れ、男子達のエロ視線と女子達の羨望の視線がそこに集中する。かすみはそれに気づいていながら、全く反応を示さない。

(男子も女子も、どこに行ってもリアクションは一緒だね)

 クスッと笑いそうになるが、我慢する。

「今日からこのクラスの一員になります、道明寺かすみです。よろしくお願いします」

 かすみは深々とお辞儀をした。

「おお!」

 その拍子にセーラー服の襟元から豊満な胸の谷間がチラリと見え、下がる上半身に反比例するように短いスカートが上がり、太腿が丸見えになる。前列の男子達は思わず身を乗り出した。

「やらしい」

 最前列に座っている横山は隣の席に座っている美由子に半目で見られ、

「う、うるせえな。健全な男子の証拠だよ」

 開き直る横山である。かすみはそんなやり取りを聞きながら、クルリと背を向け、黒板に自分の名前を書いた。

(なかなかの達筆ね)

 みずほはかすみがクラスを引っ張っていってくれる事を期待していた。それはある意味で実現する事になるのであるが。

「こう見えて結構引っ込み思案ですので、いろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、仲良くしてください」

 かすみは小首を傾げてニコッとした。決して計算した仕草ではないのだが、女子達にはそう映ったようだ。彼女達のほとんどがかすみに対していい感情を抱いていない。

(何よ、女は胸じゃないわ)

 中でも、体育館裏での勇太とかすみのやり取りを途中から見ていたあやねは敵意すら見せている。

(やっぱり勇太君に声をかけたの、まずかったかな?)

 かすみは自分を睨んでいるあやねに微笑んだが、彼女はプイと顔を背けてしまった。

(かすみちゃーん……)

 かすみに対するあやねの敵意など知る由もなく、最後列の勇太はニヘラッとしてかすみを見ていた。そして、横山を始め他の男子達も勇太への嫉妬心を忘れ、「かすみ教」に入信してしまっている。

「では、道明寺さんの席ですが……」

 みずほは教室を見渡す。そして、あやねの隣の空席を見つけた。そこは元々勇太が座っていたのだが、あやねと喧嘩が絶えないので、最後列の離れ小島のような一列突き出た席に移らせたのだ。

「う……」

 あやねはみずほの視線が隣の席に向いているので、また呻き声を出してしまった。

(あの女が私の隣に?)

 堪えられないと思い、立ち上がって拒否しようとしたが、

「良かったわね、道明寺さん。隣の席の桜小路さんはクラス委員だから、いろいろと教えてもらえるわよ」

 みずほの天然な発言のせいで何も言えなくなってしまった。

「よろしくね、桜小路さん」

 かすみはスタスタとあやねに近づき、右手を差し出した。

「こちらこそよろしくね、道明寺さん」

 一人の女子としての自分よりクラス委員としての自分がまさったあやねは顔を引きつらせながらも笑顔になって立ち上がり、かすみの右手を自分の右手で握り締めた。

(羨ましいぜ、あやね!)

 バカな男の代表格である勇太は、かすみと握手しているあやねに嫉妬していた。


 その頃、ボサボサの長髪にヨレヨレのジャージ姿の坂出充は廊下を歩いていた。

(道明寺かすみの転校をボスは知っているはずだ。それなのに何故俺に教えてくれない?)

 坂出は眉間に皺を寄せて目を細めた。

(いずれにしても、あの女は危険な存在。早めに潰す)

 坂出は挨拶をして来た女子生徒にニコッとして挨拶を返し、階段をサンダルをペタペタ鳴らしながら駆け上がった。その時、ジャージの右ポケットに入っている携帯が鳴った。

(ボスから?)

 坂出の顔に緊張の色が走り、彼は生徒の姿がない屋上へと通じる階段の踊り場まで二段抜きで駆け上がった。

「何でしょうか?」

 声を低くして携帯に出た。相手が何かを話している。次第に坂出の顔が強張こわばる。

「手出ししてはいけないのですか?」

 思わず携帯を持つ手に力が入る。

「いえ、決してボスのお考えに異を唱えているのではなく……」

 額、首筋、頬、あらゆるところに大粒の汗が噴き出した。

「わかりました……」

 坂出は携帯を切ってポケットにしまうと、額と首の汗を左のポケットからハンカチを出して拭った。

「くそ!」

 坂出は壁を拳で殴った。

(どうして手を出してはいけないんだ? 我々とあの女は敵対する存在なんだぞ。ボスは何を考えているんだ?)

 坂出は苛立ちを隠し切れず、階段を駆け降りた。予鈴が鳴ったのである。


 一時限目は空き時間となっており、職員室で資料作りをするつもりだったみずほだったが、

「新堂先生、ちょっといいですか?」

 ドアに手をかけたところで呼び止められた。みずほが声の主の方を見ると、そこには長身ちょうしん痩躯そうくで銀縁眼鏡をかけ、きっちり七三に分けた髪をスッと手櫛でかし、クリーニング仕立てのチャコールグレイのスーツとアイロンを手際よくかけたワイシャツを着た若い男が立っていた。天翔学園高等部の教頭の平松誠である。三十代で教頭に抜擢された優秀な人材らしいとみずほは承知している。

「教頭先生、何でしょうか?」

 みずほは向き直り、尋ねた。平松教頭はクイッと眼鏡を右手の人差し指で上げてから、

「転校生の女子はどうですか? 書類上は優秀な生徒のようでしたが?」

 その目は射るように鋭く、みずほは一瞬ビクッとしてしまった。

「はい、とてもいい子です。クラスのみんなを先導してくれると思います」

 みずほは微笑んで答えた。しかし教頭は、

「そうですかね。彼女のスカート丈は我が学園の校則に明らかに違反していますがね」

 みずほは心の中で、

(このナルシスト、校則違反を指摘するフリして、道明寺さんを観察してたんでしょ、嫌らしい!)

 だが、そんな事はおくびにも出さない。みずほは微笑んだままで、

「前の学校の制服だからです。我が学園の制服は、きちんと校則を守ったスカート丈にすると思います」

「そうですかねえ。私にはそうは思えないのですがねえ」

 平松はそう言うと、クルリときびすを返し、

「まあ、くれぐれも道明寺に取り込まれないように注意してくださいよ、新堂先生」

と言うと、隣の教頭室に入って行ってしまった。

(やな感じ!)

 みずほはプイと顔を背け、職員室に入った。


 かすみは男子達に取り囲まれ、質問攻めにされていた。

「あんた達、いい加減にしなさいよ!」

 あやねが大声で注意するが、男子達のざわめきにかき消されてしまっている。

「ねえねえ、かすみちゃん、彼氏とかいるの?」

 真っ先にそう尋ねたのはクラス一軽い男、横山照光。

「いないよ」

 かすみは微笑んであっさり答える。

(そこはいるって言わないとどんどんつけ込まれるでしょ、道明寺さん!)

 あれほど睨んで嫉妬していたのに、今はエロ男子共からかすみを守りたいあやねである。他の男子達に混ざって、勇太もおおと歓声を上げているのに気づき、ムッとする。

(バカ勇太、嫌い!)

 イライラしているあやねに顔を近づけ、

「ウチの男子って、どうしてああも巨乳に弱いのかねえ」

 美由子が囁く。その「巨乳」という単語に激しく反応して、

「バカだからに決まってるでしょ!」

 あやねはガタンと席を立ちながら大声で言った。

「じゃあさ、俺、彼氏に立候補していい?」

 横山が鼻の下を伸ばしてそう言ったのを聞きつけ、今度は美由子がキッとする。

「照のアホめ、あんたなんか相手にされないわよ!」

 あやねは美由子がずっと横山と学校が一緒で、彼の事を思い続けているのを知っている。

「えっと、君、名前なんだっけ?」

 かすみは断わるでもなく、質問を投げかけた。美由子の顔が引きつるのをあやねは見逃さなかった。

「俺は横山照光。このクラスのリーダーだよ」

 横山は胸を張って言ったが、

「嘘吐くな!」

 一斉に他の男子達から非難の声が上がった。

「考えとくね」

 かすみは項垂れる横山に告げた。

「こらこら、もう授業は始まっているんだぞ」

 一時限目の数学の先生が入って来て言ったのを切っ掛けに、男子達は大慌てで席に戻った。

「起立」

 クラス委員のあやねが号令をかける。

「礼」

 そう言いながら、ついかすみを見てしまう。かすみはあやねの視線を感じたのか、微笑んで彼女を見た。あやねは赤面し、前を向いた。

(この学校、間違いなく異能者がいる。誰だろう?)

 かすみは頭を上げながら、クラスの一同を見渡した。

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