第30話 最後の任務〈完結〉

 ネモトシャクナゲ――ツツジ科の常緑低木に咲くシャクナゲのうち、八重咲きの花をさす。

 その可憐な花を手に、カレンは装輪装甲車のなかで揺られていた。運転をするのは、もちろんPLTの救助隊員だ。茂楠もひとまず――精密検査の必要はあるとはいえ――大きな負傷はないようだった。しかし疲労のためか、憔悴のためか、大きな躰をぐったりと座席にもたれこませている。

「ふしぎなものですね」

そういったのは、救助にやってきた若いPLTの隊員だった。

「草木も生えないこの死の町で、いったいなぜ、ネモトシャクナゲの花なんかが――」

 そのとおりだった。この黒草町では、すべての草木が枯れ果て、黒化するという惨状を呈している。緑の一片もみられない、モノクロームに塗り潰され、色を失った町なのだ。

 生命力の強いネモトシャクナゲとはいえ、この放射線にまみれた土地に本来、咲けるはずもないのである。

 それを考えるのは、憂鬱なことだった。だけど、考えざるを得なかった。それこそが〈彼ら〉が遺した、最後のメッセージなのだから。

「女医の鞠木百合――彼女があの廃墟の故郷に留まった理由が、たぶんその花なんだわ」

 カレンはいう。

「彼女はやりとげたのよ。原発ピグミーの耐放射線能力を解析し、それを応用して、植物に移植することに成功した。あの廃病院の何処かで、彼女は十年間ずっと、その研究に明け暮れていたんだわ。そのために、廃墟の町に留まっていたのよ。彼女はきっと――じぶんの故郷をもういちど、自然にあふれた美しい町に戻したかったんだわ」

 鞠木医師のことは、好きではない。彼女はあまりに手段を選ばなさすぎるし、冷静でもなければ、正気でもなかった。

 だけど、それでも敬うべきところはたしかにある。

 そしてカレンは“フォール・アウト”に想いを馳せる。

 一方的に彼を恐れていたけれど――もしかしたら彼は、カレンを母親として慕っていたのかもしれない。慕おうとしていたのかもしれない。

 差し出そうとした一本の花――そこには、慕情があったのかもしれない。

 そう思うと、涙がこみ上げてくる。どんなにふつうでなくとも――“フォール・アウト”はたしかに彼女が産み落とし、名まえをつけた、たったひとりの子供だったのだから。

 カレンはうなだれ、涙を流した。

 生き残ってしまった――また、じぶんだけが。

 重い悲嘆が、彼女の華奢な胸にのしかかる。罪悪感が、彼女の気力を、すこしずつ蝕んでいく。

「生き残った者には生き残った者の義務がある――そうおっしゃったのはあなたですよ、絹木さん」

 隣りに座る肥った大男――茂楠がいった。そして持ち前の気のいい顔つきに、力なく笑みを浮かべた。

「そのひとことを支えに、おれはあなたを助けに戻りました。こんどはあなたの番ですよ、絹木さん。あなたはまだ死んでいない。生き残っている――義務もまだ、消えちゃいないはずです」

 そうだ――、じぶんはまだ、生きている。

 手もとに咲く、一本の花をみつめる。

 ネモトシャクナゲ、可憐だが厳しい高山の環境にも耐える花――花言葉は「威厳・荘厳」。

 この汚染された廃墟の町でも堂々と花を咲かせる強い花――。

 伝えなくては。この廃墟の町で起こったすべてを、ひとりでも多くの人に。

 届けなくては。この一本のささやかな希望を、しかるべき施設に。

 そしてできうることならば、姿を変えた怪物たちが、わずかにみせた人間らしい感情を、できるだけ永く、胸にきざみつけていなくては。

 多くの犠牲を払ってしまった。失敗だらけの任務だったと思う。だけど、じぶんに課せられた任務は、まだ終わっていない。

〈彼ら〉が伝えようとしたすべてを受け継いでいくこと――それがじぶんの、新しい任務だ。

 だけど、それはそれとして――カレンにはどうしても、その前にやっておきたいことがあった。

 紅茶を飲むこと。シャワーを浴びること。バスタブに湯を張ること。

 それに――、

「ところで絹木さん、賀来隊員と東副社長が、急遽こちらに向かっていると、さっき連絡がありました」

 純粋な親切心からなのだろう、PLTの若い隊員は無垢な笑顔でいう。

 ありがとう――カレンは答える。だけどその表情は、すこしも笑っていない。

 そう、そしてなによりもまず――あの侑梧の白い頬を、思いきりはたいてやらなきゃあ気がすまない。

 カレンの手足にすこしずつ、力がみなぎりはじめる。ふたたび痛みはじめた腹部の傷に、彼女はわずかに、身をよじった。(了)

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原発ピグミー D坂ノボル @DzakaNovol

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