第6話 初

 刺客しきゃくとの抗争に一応の決着をつけてから、さらに半年の月日が流れていった。


 明けて天正てんしょう七年の正月を、五人は静かに迎えようとしていた。


 彼らが京へ来てから、ちょうど十月余りが過ぎたことになる。

 京における彼らの役目としては諜報ちょうほう活動や後方の攪乱かくらんには変わりはなかったが、この頃になると、にわかに織田方の兵の動きが活発になってきたように感じられた。

 いよいよこの京より西の毛利、四国の長宗我部ちょうそかべへの侵攻が始まるようである。

 「丹後は如何したであろうか?」

 桂がひとり呟く。

 「それよりも、わしの朱槍の代わりを早く見つけなければならん」

 与六は持ち帰った槍の穂先を研ぎながら、誰とは無しに答える。

 それでも、今では傷を負った与六の腕も、吉之助の額もほとんどが以前の状態に戻りつつある。ただ、吉之助の耳だけは壊死えししたため、結局は削ぎ落とすこととなってしまった。

 当の吉之助は比較的あっけらかんとしていたが、彼と顔を合わせるたびに里は悲しい顔を映した。

 「お里、余り気にするでない。吉之助にしてみればむしろ嬉しいのじゃ」

 冬馬の言葉に桂も頷いた。


 それから間もなくしてのこと、坂巻角衛門さかまきかくえもんより丹後国の国主一色義道いっしきよしみちが、明智光秀、細川藤孝ほそかわふじたからによって討ち取られたという知らせがもたらされた。

 角衛門は丹後のある北の方角を向いてひざまづくと、深々と頭を下げて手を合わせる。

 桂はそんな角衛門の背中に向かって、ゆっくりと口を開いた。

 「角衛門殿、殿無き後の丹後の国は如何なりましょうか。一色家はこのまま滅んでしまうのでしょうか?」

 角衛門は桂の方へと向き直ると、両手を彼の前についた。

 「申し訳ありませぬ。手前が知り得た情報はこれが全てでございます」


 「桂、如何する。取り敢えず一刻も早く丹後に戻るとするか?」

 与六は二間二尺の槍の穂先を、孟宗竹もうそうだけの先にくくりつけながら彼の答えを待っている。

 「今戻るは、織田方に捕まりに行くようなものではないのか?」

 今度は冬馬が横槍を入れる。

 「いっそ、この京にて無き殿のとむらい合戦に臨んではどうか?」

 吉之助が興奮気味に喋りかけたが、これには誰も答えようとはしない。桂は与六と冬馬の顔を見回した。

 「今のままでは、戻るも戻らぬも決めかねん。すまぬが二人でもう少し詳しい内情を仕入れてきてはくれまいか」

 二人は黙ってひとつ頷いた。


 桂の目の前では自分も連れていくようにと身構える吉之助の姿があったが、桂はあえて厳しい言葉でこれを制した。

 「殿の死は悲しいことであるが、わしはむしろこれを好機とも思っておる。冬馬は無き殿の悪政に苦しむ丹後の農民達を見て、国を離れる気にもなったのじゃ。わしらとて若狭わかさ武田との戦を繰り返し、国政をかえりみず軍の指揮統制も取れなくなっていたことに、少なからず理不尽さを感じていたではないか。だから、わしらはその殿の為にこの命を投げ出すのではなく、これからも残るであろう丹後の民達のために使おうと思っておるのじゃ」

 これを聞いて、吉之助は口を真一文字に結んだ。

 そんな吉之助の肩をひとつ叩いて、与六と冬馬は京の町へと織田の情報を集めに出かけて行った。


 桂はいまだ手を合わせる角衛門に再び尋ねる。

 「ところで、お頼みしていた品は手に入ったでしょうか?・・・」

 角衛門は運ばせた行李こうりの中からそれをそっと取り出す。


 「こちらが、織田の足軽鉄砲隊の装束しょうぞくにございまする」

 桂はしばらくの間、手に取ることも忘れたまま、眼の前のそれを眺めた。角衛門がどれほどまでの思いをして手に入れたか察しがついていたからである。

 「結城殿、今京におわすのは細川藤孝様の鉄砲隊のみでございます。鉄砲隊長は沢村吉重さわむらよししげと申す者で、かつては仇敵きゅうてき若狭武田家が家臣、高浜城主逸見昌経へんみさまつねの家来であった者にございます」

 そう言う角衛門の眼の奥には、くすぶる因縁の火種が静かに燃えているようにも見える。角衛門は再び桂に背を向けると、もう一方の行李より、浅黄あさぎ色の布に包まれた黒鉄色の鉄砲を取り出した。

 「南蛮なんばんでございまする」


 桂は両の手でそれを受け取ると、筒先から台尾だいおまでをめるように見つめる。台木から伝わる木の温もりとは対照的に、ただ重さだけを伝えようとする銃身に底知れぬものを感じながらも、心の奥底からは別の感情が込み上げてきた。

 「角衛門殿、戦は鉄砲の時代になりまするか?」

 「いかにも・・・」

 角衛門の眼は、確信に満ちている。

 「足軽でも引けを取りませぬか?」

 「いかにも・・・ 南蛮は三十けん離れた武者の鎧をも打ち抜くことができまする」

 「三十間・・・」

 桂は手にした鉄砲の先目当てと元目当てとを合わせてみた。


 角衛門はさらに続ける。

 「先の織田様の戦では、三千挺の鉄砲を用いて、あの無敵と言われた武田の騎馬隊を殲滅せんめつさせたよしにございます」

 桂も織田信長と徳川家康の連合軍が、武田勝頼を打ち攻めた長篠ながしのの戦のことは伝え聞いたことがあった。

 「さらに結城殿、聞くところによれば、本日吉村隊は補充兵の入れ替えをするとのこと。この機を逃してはなりませぬ」

 いつになく角衛門の語気には強さがある。

 「重ね重ねかたじけない」


 言うや否や、桂は早速具足ぐそくを整えた。最後に火薬や口薬くちぐすり入れを納めた胴乱どうらんを腰に結び着けながら、彼を心配そうに見つめる里に声を掛けた。

 「里、心配するでない、必ずや戻ってくる。それから、与六達にはしばらく畿内の物見に行ったとだけ伝えてくれ」

 そう言い残すと、桂は沢村吉重が陣を構える万寿寺へと向かって行った。

 


 いっぽう、行商人の格好をした与六と冬馬の二人は、近頃織田軍が頻繁ひんぱんに出入りをしているという米問屋伊藤道光いとうどうみつの屋敷あたりを歩いていた。


 伊藤道光は下京しもぎょうの三条に屋敷を構え、秋米を中心に畿内一円の米の総元締もとじめめを任されている人物である。

 織田方では、この道光が扱う兵糧米と、有力な町衆のひとりでもある長谷川宗仁はせがわそうにんの武具馬具を大量に買い入れているというのである。

 当然それは、山陽道から進む羽柴秀吉と山陰道より駒を進めようとする明智光秀による、中国攻めのためであることに違いなかった。

 二人にはそれが何時なのか、そしてあわよくば、その一部を頂戴することができないものかと、様々な情報を掻き集めようとしたのである。


 二人がちょうど三条大路さんじょうおおじを六角堂の方へと曲がろうとした時のことである。烏丸小路からすまこうじより一人の女子おなごが勢い良く飛び出して来た。

 余程慌てていたのであろうか、その女子は大路を歩いていた与六の胸に真っ直ぐ飛ぶようにとぶつかってきた。

 当然大男である与六の方はびくりともしないが、女子の方はその場に倒れ込みそうになりながら気を失った。すかさず与六が片手で抱き起こしたものの、女子は与六の腕の中で少しも動こうとはしない。


 「おい娘、しっかりしないか」

 与六は何が何だか分からないといった表情を浮かべる。

 冬馬は竹水筒の水を手拭いに染み込ませると、その女子の額と頬とを濡らした。軽い脳震とうを起こしたのであろう、女子は眉間みけんを寄せるだけで容易には目を開こうとはしない。


 「おい娘、しっかりするのじゃ」

 与六が何度も娘に語りかける。

 しかし、冬馬には未だその女子の気が戻らぬ事よりも、むしろその女子の器量きりょうの良さが眼に止まっていた。

 切れ長の目に、通った鼻筋が何とも印象的である。里のそれとはまた違った美しさがそこには感じられた。

 よくよく見ると、娘と言うにはそれほど若いようにも思えない。年の頃なら自分達と同じか、もしくは少し上かも知れないと彼には感じられた。


 冬馬はその女子の頬を軽く掌で叩く。すると、目を覚ました女子は与六の腕を押し退け、急に冬馬の胸へとすがり付いてきた。

 「助けて下さい。織田の兵に追われているのです」

 聞くなり、与六は三条大路より烏丸小路へと歩みを進める。角にある小物屋の板木いたぎでできた看板の隙間から小路をのぞいたが、すでにそこには織田の兵の姿を見ることはなかった。


 「大丈夫じゃ、織田の兵は一人もおらん」

 与六の言葉を聞くと、女子は冬馬の胸の中でにわかにほっとした表情を浮かべた。

 「危ういところを有り難うございました」

 女子は深々と頭を下げる。その表情が何とも愛らしい。

 「娘、名は何と申す?」

 冬馬が竹水筒を渡しながら尋ねる。

 「はつと申します」

 女子は竹水筒の水を指の先で少しだけ受け止め、口へと運んだ。

 見たところ身なりも整っており、何処かの大店おおだなの若奥様といった雰囲気さへある。

 二人は直感的に、里には無い女の色気いろけのようなものを感じ取っていた。だから、その切れ長の目を細めて微笑まれると、何故か吸い込まれてしまいそうな気さえするのであった。


 冬馬は努めてそんな自分の感情を悟られまいとしながらも、初に尋ねた。

 「ところで、何故そなたは織田の兵に追われていたのじゃ?」

 初は小首を傾げて二人を見回す。

 それに気づいた冬馬が与六の肩を引き寄せると、自分達の氏素性うじすじょうから先にしゃべり始める。

 「わしは日下部冬馬くさかべとうまと申し、この男は亀井与六かめいよろくと申す。この京で織田の兵に追われていたところを見ると、恐らくわしらはそなたの味方であろう。我ら身なりこそこの体だが、実は丹後国は一色家の者じゃ。この京へは・・・」


 「私のことは初と呼んで下さい」

 冬馬の言葉をさえぎるように言葉を挟む。

 今度は与六が冬馬の襟首えりくびを引き寄せると、小声で囁いた。

 「我らの素性は絶対に喋ってはならんと、桂が言っておったではないか」

 これには冬馬も我に返ったのであろう。通りに面した方に背を向けると、与六と二人で初を隠すようにして、もう一度質問を繰り返した。

 「して、お初さんは何故織田の兵に・・・」

 初は急に暗い表情を作った。

 「私は堀川小路ほりかわこうじ沿いにある、大戸屋おおとやという材木問屋に奉公しておりました。大戸屋さんは、紀州や伊賀、丹波の国より切り出した木材を取り扱っていたのでございます。


 一昨日、突然織田の兵が店に現れ、旦那様や奥方様、店に奉公する者達や人足までも縛り始めたのでございます」

 「何故、織田は材木問屋なんぞを・・・」

 「おそらくは諜報ちょうほう嫌疑けんぎを掛けられたのであろう」

 与六の疑問に、すかさず冬馬が答える。彼には大戸屋が取引をしていた先が、いずれもこれから織田が侵略しようとしているところであると容易に察しがついたからである。それに、織田にしても中国進出を狙う今、出城でじろ馬防柵ばぼうさく用の木材が不足していることも事実であった。

 大戸屋に疑いを掛け店にある木材を没収すれば、まさに一石二鳥でもあるわけだ。

 「じゃが、人足までも縄を打つとは・・・」

 「それだけではございません。その場で切り捨てられた者もおりました」

 冬馬の言葉に、今度は初が泣きながらに語る。


 与六は女子の涙が苦手なのか、その場を離れると、もう一度小物屋の角から首だけを出して烏丸小路を覗いた。そして、その顔だけは残したままぽつりと呟く。

 「しかし、よく織田の兵から逃げおうせたものじゃな」

 「私だけは店を出ていたのでございます。使いから帰ると、もう店が織田の・・・」

 「もう良いではないか、お初さんはこうして逃げてこれたのじゃ」

 初の言葉に冬馬が答える。

 与六はもう一度初の方を振り返ると、足の先から頭のてっぺんまでを見返した。


 「しかし、何故なにゆえ織田の兵は店におらなんだそなたを、大戸屋の者だと分かって追いかけて来たのかのう」

 与六してみれば、単純に不思議でならなかったのである。

 京に来て以来、自分達も何度となく織田の兵に追われる思いをしてきたが、こうも簡単に彼らの追跡をまくことなどできなかったからである。

 それに、見れば着物の乱れもなく、こんな若い女子が逃げ通せることなど、与六には到底思いもつかないことであったのだ。

 与六はもう一度小路の方に眼をやった。

 「それにしても、織田の兵は何処へ行ったのじゃ・・・」

 「与六、くどいぞ。もう良いではないか」

 冬馬が与六をたしなめた。


 「お初さん、大戸屋さん以外に、この京に身を寄せるところはおありですか?」

 冬馬の問に、初はもう一度目をうるませる。

 「ございませぬ」

 彼はすかさず、与六が背負う行李の中から若狭屋のもんの入った包みを取り出すと、それを初に預けた。

 「少しの辛抱です。今は私たちと一緒について来てもらえませぬか?」

 「じゃが冬馬、桂には何と・・・」

 与六には桂の怖い顔が思い浮かぶ。

 「与六、お前はこのままお初さんを見捨てておけるのか?」

 与六はこの言葉に、『はて、何処かで聞き覚えがあるような』という思いがしたが、同時に今の冬馬が意を曲げそうもないと言うことも容易に察することができる。


 与六は初の右側に立つと、三条大路の左端をゆっくりと歩き始めた。

 「なるべくわしの陰に隠れるように着いて歩くのじゃ」

 初は答える変わりに、小さくひとつ頷いた。

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