第三話 陰謀と願望 五

 静子はその過程を、喜びながらも、少々複雑な思いで眺めていた。

 ――できれば、私と一緒に働いて欲しかった。

 旅館の経営者としては問題があるが、それが彼女の素直な気持ちである。

 次第に旅館にとってなくてはならない人物になってゆく俊夫を、静子はたまに悲しげな視線で見つめてしまい、

 ――ああ、それは駄目。

 と、自分で自分を叱りつけることもある。

 そんな時、静子は俊夫から、

「お話があるのですが」

 と言われた。


「女将さん、何か心配事でもあるんですか?」

 客間で差向いになった時、俊夫は静子にそう切り出した。

「最近、何だか悲しそうな顔をしておられるようだから、私はとても心配でして」

 そう真面目な顔で言う俊夫に、静子は思わず赤面してしまった。

 ――ああ、ちゃんと私のことを見ていてくれたのだ。

 俊夫の気配りの細やかさに感動する反面、静子は本当のことを素直に言えず、困ってしまった。まさか、

「あなたがかまってくれないのが寂しかった」

 とも言えない。しかし、本気で心配している俊夫に、

「そんなことはありません。大丈夫ですよ」

 とも言い難い。それでは彼は決して納得してくれないだろう。

 ――どうしたものやら。

 と内心困惑していると、

「私がいることで女将さんに迷惑がかかっているのではありませんか」

 と、俊夫は全く見当違いなことを言い出した。非常に不味い展開である。ここは何か彼が納得しそうな話をしなければならない。

 そこで彼女は、いつかは俊夫に話そうと思っていた旅館に関する秘密を打ち明けることにした。

「その、実は今まで黙っていたことがありまして」

「なんでしょうか。私でできることでしたら何でもします」

 その俊夫の生真面目さに、静子は少しだけ顔を綻ばせる。

「さすがの佐藤さんでもこればかりは。この旅館が出来て以来の大問題なので」

「それはちょっと荷が重いかもしれませんね」

 久しぶりに見た静子の笑顔に嬉しくなって、俊夫も軽い調子で話を合せる。お陰で静子は踏ん切りがついた。


「実はこの旅館、出ることで有名なんです」


「出るって、何がですか?」

「何がって、幽霊に決まっているではありませんか」

「幽霊――ですか?」

 唖然とした俊夫を見て、静子は少しだけ可笑しくなった。

「まあ、毎晩出るとか、そんな深刻なものではないのですが、二年に一回ぐらいはあるんです。幽霊が出たという噂が」

「それは客商売にはダメージが大きいですね」

「それはもう。ですから外国人観光客を積極的に受け入れることにしたのですが、それもいつまでもつのか、最近また不安になりまして」

「だから悲しい顔をされていたんですか、なるほどなあ。これだけ立派な設備と、坂東さんの確かな腕があるのに、日本人のお客様が少ないのはおかしいと思っていました」

「ですから、佐藤さんとは関係がありませんし、どうしようもないことなのです」

 静子は落ち着いて、そう言い切った。

 そして、幽霊の件を俊夫が予想以上に真面目に聞いてくれたことが嬉しかった。普通、こんな話は疑われても仕方がない。

 しかし、そこで俊夫は静子の想定外のことを言い出した。

「それで、出る時ですが、急に周囲が明るくなったり、熱くなったり、寒くなったり、あるいはおかしな呪文が聞こえてきたりすることはありませんか」

「え?」

「それに外見はどんな感じですか。毛むくじゃらのやつか、逆に形のない奴か、あるいは手に大きな鎌を持っているとか」

「は?」

「匂いはありますか? 眠くなったり、体力が急に落ちたり、混乱したりすることはありませんか」

「あの、佐藤さん。それは一体どうしてでしょう。幽霊ですから、別にそんなことはありませんよ。第一、どうして佐藤さんはそんなことを心配されているのですか」

 静子の戸惑った声で、俊夫は我に帰る。

「あ、あれ、そうですよね。何で私はこんなことを聞いているんだろう? 幽霊が出ると言われた途端に、そんなことが気になってしまいまして」

「全くおかしな方ですね。佐藤さんは」

 静子は、俊夫が彼女にあわせて冗談を言って、気分を解してくれたのだと考える。そして、久しぶりに心から笑うことが出来た。

 俊夫は、その静子の朗らかさが嬉しかった。彼女が元気でないと、何故だかわからないが俊夫も心のどこかに棘が刺さったようになる。

 暫く二人はお互いの顔を見ながら、笑いあった。


 *


 同時刻。


 さほど離れていないところで二つの陰謀が進行していた。


 まず、二人の若い男性が、豪勢な部屋の中で話をしていた。調度品にはふんだんに金がかけられており、置かれた小物も一流品ばかりだったが、どことなく上辺だけの空虚さを感じさせる。

 本革製のソファに身を沈めた、見栄えの良い男が言った。

「おかしな男が入り込んでいると聞いているが、本当なのか」

 向かい側に座る、俊夫とさほど変わらないぐらいに身体の大きい、厳つい男が、それに答える。

「ああ、実際に確かめてきた。外国人の大男が働き始めたそうだ」

「外国人? 不法入国者か?」

「それは分からないが、佐々木さんがえらくお気に入りだそうだ」

「……植木屋の爺さんが? それはまた、珍しいことだ」

「それに女将も」

「――それはまた、珍しいことだね。彼女がお気に入りとはね」

 そして、見栄えの良い男は言った。

「それでは、彼には消えてもらおう」


 続いて、効率優先、実務一辺倒の生活感のないオフィスでも、二人の男が話をしていた。

「前回の報告では、身元不明の外国人が騒ぎを起こすに違いない、という話だったが」

 そこだけ高価な本革製の応接セットに腰を下ろした中年男性が、目の前の男を威圧するかのように言った。

「はい、それが、むしろ旅館に完全に溶け込んでしまいまして、重宝されている始末でして――」

 目の前に座った初老の男は、ハンカチで頻りに顔を拭っていた。

「――むしろ、以前よりも旅館の結束が固まってしまったように思います」

「それは良かったではないか」

「は?」

「良かったではないか、と言っている」

「あの、それはどういう意味でしょうか?」

 威圧的な男は足の膝の上に両肘をつき、口の前で手を組みながら言った。

「上がったものは下がるしかない。そして、その効果は倍増する。そうじゃないかね」

 威圧的な男が放つ禍々しい空気に、初老の男は震えあがる。

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